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HAPPY XMAS(WAR IS OVER)[私の好きな20世紀の唄たち]vol.15 [20世紀の歌]

warisover.jpg
HAPPY XMAS(WAR IS OVER) 
John&Yoko Plastic Ono Band with the Harlem Community Choir

 1969年12月,ベトナム戦争に対する批判が高まる中,ジョンとヨーコのレノン夫妻はロンドン・ニューヨーク・東京を含む世界12都市で一斉に,

" WAR IS OVER ! IF YOU WANT IT "

Happy Christmas from John & Yoko

「戦争は終わる! あなたがそう望むなら」

ハッピー・クリスマス,ジョン&ヨーコより

というポスターを貼り出し,平和のキャンペーン活動を行った。2年後の71年に上記のクリスマスソングが録音された。

それから30年後の2001年9月,あの同時多発テロが起こった。その直後の25日付のニューヨーク・タイムズ紙にある全面広告が掲載された。それは白地のページに次のような一節だけが書かれてあった。

   Imagine all the people living life in peace ...
  (想像してごらん すべての人達が皆 平和な人生を送っている世界を)

広告に名前の記載はなかったが,出したのはヨーコ・オノ。故ジョン・レノン夫人である。同時多発テロの後,企業・団体がこぞって愛国心や連帯を打ち出す全面広告を出す中で,スポンサー名や写真などの一切ないこの広告は人々に鮮烈な感銘を与えた。詩の一節は以前に紹介したジョン・レノンの「イマジン」(71年)の一節である。

30年後の21世紀になってもこれらの二つの歌が現在的な意味を持ち続けているということは驚くべきことでもあり,また悲しむべきことでもあるだろう。巷では年々早く歳末商戦がはじまり,11月の終わりから華やかなクリスマス・ソングであふれている。その中にあって30年間ずっとこの曲もまた鳴り続けていたということを,我々もまたふと心に留め,そして何かを考え続けなければならないだろう。

  ひとびとは やがて ミルク珈琲色になるだろう
  黒・白・黄が烈しくまじり 煎れたての熱いミルク珈琲の色に
  血はどれだけ流せばいいのか 流産はどれだけ繰返せばいいのか
  ゆっくり廻る さびしい惑星  (茨木のり子)

我々は今もまた流産を繰り返そうとしているこの「さびしい惑星」の上に立って,何万回か目の年の瀬を迎えようとしている。
(初出01.11.29)

youtubeはThe official video for John Lennon '
https://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg

ハッピークリスマス(戦争は終わる) (大意。原詩は検索してみてください。)

今日はクリスマスだ
どんなふうに過ごしてきたかな
この一年はもう終わって
新しい年が始まる
そう今日はクリスマス
楽しく過ごせたらいいね
近所の人や親しい人
お年寄りや若い人と

本当にメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニューイヤー
みんなで祈ろう 恐れる必要のない
いい年でありますように

そう今日はクリスマスだ
(戦争は終わる,皆が望めば…)
弱者にも強い者にとっても
金持ちにも貧しい者にとっても
(戦争は終わる,今こそ…)  
世界は今ひどい状況だ
けど今日は楽しいクリスマス
膚の黒い人にも白い人にとっても
膚の黄色い人にも赤い人にとっても
全ての争いをやめよう

本当にメリー・クリスマス
そしてハッピー・ニューイヤー
みんなで祈ろう 恐れる必要のない
いい年でありますように

今日はクリスマスだ
どんなふうに過ごしてきたかな
この一年はもう終わって
新しい年が始まる



Lennon Legend: The Very Best Of John Lennon


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BIRD ON A WIRE[私の好きな20世紀の唄たち]vol.23 [20世紀の歌]

BIRD ON A WIRE  (電線の上の鳥)   
written by Reonard Cohen
WARNES.jpg
作者のレナード・コーエンはカナダの人でシンガー・ソングライターである前に小説家であるという変わった経歴の持ち主である。この人を初めて知ったのは友人にもらったテープであるが,それも自身のアルバムではなく,ジェニファー・ウォーンズの " Famous Blue Raincoat " というコーエンの曲集であった。その後本人のアルバムもいくつか聞いたが,やはり他人の歌ったものの方がよく聞こえるのは言葉の壁がある(メロディラインの美しさにより惹かれる)からだろうか。彼を崇敬しているミュージシャンは多いらしく彼へのトリビュートアルバム " Tower Of Song "に参加しているメンバーは Don Henley, Billy Joel, Suzanne Vega, Peter Gabriel, Elton John etc.とそうそうたるものである(アルバムももちろん秀逸である)。
COHEN.jpg
さてこの曲は難解な詩が多いコーエンの中では比較的わかりやすい詩ではある。韻を踏むためでもあろうが「芋虫」「一角獣」「死産」など詩語になりにくいような言葉が出てくる。 thee と you の使い分けも韻のため以外の何かがあるのかどうかは分からない。この歌は恋人に向かって歌われたものという解釈と神に向かって歌われたものという解釈があるようで,どちらともとれるように,ということなのかも知れない。ただ,これを恋歌としてみると無軌道な男の言い訳みたいになって、やや陳腐なものになるように思える。

「多くを望んではいけない」という生き方と「もっと貪欲になるべき」という生き方とどちらが真実なのかは誰にも決められない。自分のしてきたことが常識や一般的な道から外れていると見える時,無神論者にとっては信じるものは<自分>しかない訳だが,西欧社会ではやはり<神>に対して誠実であるかどうかが最後の砦になるらしい。<世界>の全てから孤立しても,神を裏切っていないというところでアイデンティティを保つことができる,ということなのだろうか。それって何かうまくできているなと思ってしまうのは私だけだろうか。(初出02.07.19)

youtubeは先ずジェニファー・ウォーンズのもの。実はこれが一番好き。
https://www.youtube.com/watch?v=bTIaidNgh1w
コーエン72年のライブ。改めて聞くと味わい深い。
https://www.youtube.com/watch?v=Mjem3G_QsKA


電線の上の鳥(大意。原詩は検索してみてください。)

電線の上の鳥のように
深夜の聖歌隊に中にいる酔っぱらいのように
私は自分なりのやり方で自由への道をさぐってきた

釣り針に引っ掛かった芋虫のように
古くさい本の中に出てくる騎士のように
私は自分の全ての誇りを神にかけて護ってきた

私に思いやりが欠けていたら
そのまま見過ごしてほしい
私が不誠実だったとしても
それはあなたに対してじゃないとわかってほしい

死産になった赤ん坊のように
鋭い角をもった獣のように
私は私に手を差しのべてきた人達をずたずたに傷つけてきた

でも私はこの歌に書かれてあることに誓って
拙いながら私の今までやってきたことに誓って
全てを主の判断にゆだねよう
   
乞食が松葉杖にすがっているのを見た
彼は私に向かって叫ぶ 「多くを望んではいけない」
きれいな女性が薄暗い戸口にもたれていて
泣き叫ぶ 「どうしてもっと貪欲に求めないんだ」・・・・
   
電線の上の鳥のように
深夜の聖歌隊に中にいる酔っぱらいのように
私は自分なりのやり方で自由への道をさぐってきた

   


Live in London


ソング・オブ・バーナデット 〜レナード・コーエンを歌う


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俺とボビー・マギー[私の好きな20世紀の唄たち]vol.29 [20世紀の歌]

Me And Bobby McGee (俺とボビー・マギー)
   written by Kris Kristofferson
kris.jpg 
作者のクリス・クリストファーソン(舌をかみそうな名前だ)はテキサスの出身。オックスフォード大を出て,作家を志望した時もあったようだが,その後陸軍士官学校に入り,ドイツに4年間従軍した後ナッシュビルに移ってカントリーミュージックのシンガー&ソングライターになったという経歴の持ち主である。経歴はそれで終わらず,リタ・クーリッジとの3年間の結婚生活の前後から映画俳優としても活躍し出し,’73『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』’74『アリスの恋』’76『午後の曳航』’76『スター誕生』など多数出演していてそちらの方で知っている人の方が多いかもしれない。『午後の~』は三島由紀夫の小説が原作ということもあって,発表当時見た覚えがある。

この曲は作者クリストファーソンの初期の作品であるが,自身の歌でヒットする前に,あの伝説の女性ロックシンガー "ジャニス・ジョップリン" のヒットで有名になった曲である。ジャニスはこの曲を含むアルバムの録音中にヘロイン中毒で急死した。27才の死はその後伝説になり,皮肉なことに死後の70年に発表されたアルバムとこの曲は初の全米№1ヒットになったのである。

この曲で「俺」と一緒にヒッチハイクの旅をしている「ボビー・マギー」は彼の愛犬だということを以前聞いたことがある。それがふさわしいような気もするし,人間の女性であってもよいとも思う。ここで歌われている「自由」の定義はなかなか強烈だ。「自由」という概念は様々なとらえ方ができる不思議な言葉だ。制度や身分的な自由から心の自由に至るまで幅広いし,時の流れの中で,あるいは一連の行動の中でも,今自由であることが次の瞬間に不自由に変わってしまうこともあるだろう。「自由=失うものがなにもない状態」というのは自由という概念のの一つの究極の形なのかもしれない。 "自由 "に "きままに" 生きている,と思いながら実は家族などの人間関係や仕事上の制約に意外なほど縛られていることはよくあることだと思う。「無意識」の中の不自由さと闘うことは本当に難しい。

仏教における「出家」の発想に似たこの「自由」の定義が出家のそれと確実に違うのは,「失うものがなにもない」という状態が「俗世の全てを捨て去る」ということによってでなく「その時を懸命に生きようとする」ことによってもたらされるという点だろう(究極では一つのものかもしれないが)。作者の奔放な生き方はこの歌を体現しているということもできるようだ。翻って自分自身を見つめると,もう少し若いころに比べて「囚われるもの」が少し増えたかな,としみじみ思ったりもする今日この頃ではある。
(初出03.02.26)

youtubeはSheryl Crow & Kris Kristofferson
https://www.youtube.com/watch?v=UKJ-49RbIjA
Janis Joplin
https://www.youtube.com/watch?v=N7hk-hI0JKw

俺とボビー・マギー(大意。原詩は検索してみてください。)

バトン・ルージュですっかり無一文になって,列車に向かいながら
俺はすり切れて色あせたジーンズのような気分でいる
ひと雨来る前にボビーがディーゼル車を止めて乗り込み
俺たちはニュー・オーリンズに向かったんだ
俺はバンダナの中からハープを取り出して
ボビーの歌うブルースに合わせて悲しいメロディを吹いた
それに合わせるようにワイパーがリズムを刻み
ボビーが手拍子をとり,しまいに俺たちは運転手の
知っているあらゆる唄を歌いまくった

自由ってのは何も失うものがないってことさ
そして自由ほど価値のあるものなんてないのさ
いい気分になるのは簡単さ,ボビーがブルースを歌うときだ
俺にはそれだけで充分なのさ
俺とボビー・マギーにはそれだけで充分なのさ


ケンタッキーの炭鉱からカリフォルニアの日差しの中へ行く道中
ボビーは俺と魂を共有してくれた
俺が何をするときもいつもそばにいて
夜毎俺を寒さから守ってくれた
サリナスの近くのどこかで彼女は行っちまった
安息の地を求めてね(俺もうまくいけばいいと思ってるんだ)
俺はボビーと一緒に暮らしたたった一日の昨日と
たくさんの明日を取り替えてもいいぐらいさ

自由ってのは何も失うものがないってことさ
彼女はそれだけを残して去って行ったのさ
いい気分になるのは簡単さ,ボビーがブルースを歌うときだ
俺にはそれだけで充分なのさ
俺とボビー・マギーにはそれだけで充分なのさ

Me And Bobby McGee



The Best of Kris Kristofferson


パール


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それはスポットライトではない[私の好きな20世紀の唄たち]vol.11 [20世紀の歌]

IT'S NOT THE SPOTLIGHT (それはスポットライトではない) 
written by Barry Goldberg & Gerry Goffin
maki.jpg
私がこの歌にはじめて出会ったのは,日本語の歌詞で歌ったものであった。歌っていたのは伝説のブルースシンガー浅川マキ。マキといえば彼女を最初に見たのは中三の時。年末に東京にいる兄姉のところに遊びに行ったら,いきなり大晦日のマキの紀伊国屋ライブに連れて行かれた。衝撃だった…。それはともかく、それ以来マキの歌での「スポットライト」は私のfavoriteだった。その後大学に入ってから、マンハッタン・トランスファーのバージョンやロッド・スチュワート(これが一番ヒットしたらしい)のを聞いてそれなりに良かったが、しばらくするとまたマキに戻ってくるという具合であった。今でも夜中によく一人で歌ったりする。

「おいら」が「あんた」の眼の中に昔かいま見た「光」とは,それが「おいら」に向けられたものと考えたら恋歌になるし、「才能のきらめき」だとすれば今ではうらぶれてしまった芸術家への応援歌ということになるのかな,とも解釈できる。その両方だと考えるのが一番妥当かもしれないが,いずれにしても哀しさの底にかすかに見え隠れしている希望のようなものが感じられる歌である。やはり夜中に独りぼっちで口ずさむのがこの歌に一番相応しいのかもしれない

という訳で、今回はマキの訳詩の一部を訳の代わりに載せておく。原曲との違いを見つけるのも一興かもしれない(you know what I mean の解釈とか)。リフレーンの英語の部分はドラムスのツノダ☆ヒロが歌っていてこれがまた秀逸である。(初出 01.07.12 )

追記)浅川マキは2010年1月17日にあの世へ旅立った。これまで紹介してきた,また紹介するであろう歌い手や書き手の大半がこの世にいないというのはある意味当然のこと(20世紀の…なのだから)であるが,やはり取り残されたという思いは強いのもいたしかたない。

youtubeは77年京大西部講堂?のもの。ツノダ☆ヒロも参加
http://www.youtube.com/watch?v=m7AJWw5IJdY
ああ、ロッドの英語版も紹介しなくちゃね
http://www.youtube.com/watch?v=BwKOJRq2zTQ


それはスポットライトではない (大意。原詩は検索してみてください。)  

もしも光がまたおいらに
あたるならそれをどんなに待ってるさ
ずっと前のことだけれどその光に
気づいていたのだが逃しただけさ

だけど再びいつの日にか
あの光がおいらを照らすだろう

あの光そいつは古びた街の
ガス灯でもなく 月明かりでもない
スポットライトでなくローソクの灯じゃない
まして太陽の光じゃないさ

あの光そいつはあんたの目に
いつか輝いていたものさ
またおいらいつか感じるだろうか
あんたは何を知ってるだろか

It's not the spotlight, It's not the candlelight,
Its not the streetlight,
Its some old street of dreams,
It ain't the moonlight,
Not even the sunlight,
But I've seen it shining in your eyes,
And you know what I mean,
You know what I mean.

あの光そいつは古びた街の
ガス灯でもなく 月明かりでもない
スポットライトでなくローソクの灯じゃない
まして太陽の光じゃないさ

あの光そいつはあんたの目に
いつか輝いていたものさ
またおいらいつか感じるだろうか
あんたは何を知ってるだろか



淺川マキ「灯ともしごろ」

灯ともし頃(紙ジャケット仕様)


Atlantic Crossing


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遙かなる影[私の好きな20世紀の唄たち]vol.28 [20世紀の歌]

(They Long To Be)Close To You (The Carpenters)
      written by "Hal" David & Burt Bacharach
carpenters.jpg
リチャードとカレンのカーペンターズ兄妹がA&Mの創始者でもあるハーブ・アルバートに認められ,ビートルズのカバー「涙の乗車券」でデビューしたのは69年。その後数々のヒットを飛ばし,一時はビートルズを超える人気とまで言われた。特に兄リチャードのアレンジによる,当時としては先進的な多重録音を駆使したコーラスワ-クは,カレンのしっとりと落ち着いたアルトのヴォーカルとともに,カーペンターズのサウンドを決定づけるものであった。当時「二人で歌っているのにどうしてこんなコーラスが出来るんだ」と思ったり,多重録音と分かってからは「ライブではどうするんだろう」などと余計な心配をするほど,そのサウンドは当時は新鮮であった。

でも,70年代後半からはスーパースターであり続けることの重圧からか,カレンが拒食症に悩まされ始めて,83年に32才の若さで帰らぬ人となってしまった。彼らの音楽を,時には軽すぎるなどと遠ざけたりもしながら,時をおいてまた聴いてみたりすると,彼らの音楽に今なお古びない輝きがあるのに驚く。

この曲は70年のヒットで,彼らがその後最も多く取り上げたバート・バカラックの作品である。邦題の「遙かなる影」はやはりこの時代の「ヒットする題名」のパターンの一つでこの曲は特に詩の内容とかけ離れた題名になっている。誰からも愛されるスーパーアイドルのような男の子に対する思慕のようなものを描いたのか,それとも素直に「好きだ」「愛してる」と言えないシャイな女の子が小鳥や星たちに託して遠回しに愛を告白した歌なのか。"Close To You" という語の語感がよくわからないので下のように訳してみたが(ずっと以前に誰かからこういう風に説明してもらったようなかすかな記憶もある),どうだろうか。男と女が「向き合う」のでなく「寄り添う」ところに一つの<関係>のありようがある気がする。
(初出03.01.27)

youtubeはカレンがドラムを叩いているもの。
https://www.youtube.com/watch?v=oaOyoVS-IAI


遙かなる影(大意。原詩は検索してみてください。)

どうして小鳥たちは
突然現れるの?
いつもあなたがそばにいるときに
私と同じように
小鳥たちも
あなたに寄り添っていたいのね

どうして星たちは
空から降ってくるの?
いつもあなたと歩いているときに
私と同じように
星たちも
あなたに寄り添っていたいのね

(*) あなたが生まれた日には
  天使たちが集まって
  夢がかなうような人を創ろうって
  決めたんだわ
  それで彼女たちは
  あなたの金髪に月の光を
  青い瞳に星の光をふりかけたのね



(**)だから 街中の女の子が
  あなたを追いかけつきまとうのね
  私と同じように
  彼女たちも
  あなたに寄り添っていたいのね

  私と同じように
  みんなも
  あなたに寄り添っていたいのね




Close to You


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STRONG ENOUGH[私の好きな20世紀の唄たち]vol.21 [20世紀の歌]

Strong Enough  
    written by Sheryl Crow
sheryl.jpg
前々回に30年代の古い曲について書いたので,今回は気分を変えて90年代。この歌はシェリル・クロウ93年のデビューアルバム "Tuesday Night Music Club" に入っていた曲で,ちょうど今の職場に移ってきたころの昼休みにかかっていたのを覚えている。久々の大型新人という感じの第一印象であった。アルバムもグラミーをとったし,400万枚も売れたそうである。ポップス・フォーク色の強いアルバムであった。その後のアルバムではハードロック色が強くなっていったが,最新アルバムはアコースティックな感じにやや戻っているらしい(聞いてみよう)。

この歌は題名と詩の中で繰り返される 'Are you strong enough to be my man? 'という一節から,今風の強い女性のことを歌ったものかなと思って,昔ボブ・ディランが書いた "It Ain't Me, Babe " という曲(強くて,いつも護ってくれて,いつでもそばに居てくれて,というような男を求めているのならそれは僕じゃない,という女性の自立を促す?ような曲)のアンサーソングなんだと勝手に決め込んでいた。その意味でもシェリルは新しい世代のロック・ヒロインなんだと。

歌詞をよく読んでも基本的にその思いは変わらないが,はじめに思っていた「ツッぱっている女性」というイメージよりもっと繊細な思いが歌われているように思う。自分の生き方を模索し,時にはツッぱりながら,同時に弱い自分も見つめていて,そんなありのままの自分を相手に理解して欲しい,やさしく包んで欲しいという気持ちがよく表れている。非常にナイーブで柔軟な感性の持ち主だと思った。でもこんな娘を恋人に持ったらへとへとになるだろうなとも思う。 ' I'm not strong enough ' と言って逃げ出すかもしれない。本当に男と女の間にはいつでも「深くて暗い河」が横たわっているようである。

余談であるが,ネットで検索していたらこのアルバムの少し後に女性ロッカー達が1曲ずつ歌うコンピレーションCDが出されているが,そのタイトルが "Strong Enough ~ Women" というものだった。歌が本人の手から離れて時代の象徴になっていくところをかいま見た気がした。
(初出02.05.30)

youtubeは色々ある中でuploadした人が
one of the best version ever! と言っているので
Sheryl Crow LIVE in NY 2005
https://www.youtube.com/watch?v=x5Yl5j43sDU

ストロング イナッフ(大意。原詩は検索してみてください。)

ああ,今夜は最低の気分
怒りの涙をこらえられそうもない
あんたにはやっぱりわかってもらえそうもなかい
あんたに私の<男>になるだけの強さがあるかい?

何も本当じゃないし,なにも正しくない
だから今夜は独りにしておいて
あんたにはあたしの生き方は変えられないんだから
あんたに私の<男>になるだけの強さがあるかい?

あたしをだまして
 信じるって約束するわ
 あたしをだまして
 だけどどっかに行ったりしないで

あたしには誰にも見せられないもう一つの顔があるわ
生きていく上でのルールを作るの
そんなあたしを愛せるなら愛してみて
あんたに私の<男>になるだけの強さがあるかい?

あたしがあんたのことなんか気にもかけてないよと言った時
あたしが怒って拳を振り回す時
あたしがすっかりめげて立ち直れそうにない時
あんたは私の<男>になるだけの強さを持っていてくれる?            





Tuesday Night Music Club


For once in my life[私の好きな20世紀の唄たち]vol.13 [20世紀の歌]

FOR ONCE IN MY LIFE(フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ)
written by Ron Miller & Orlando Murden
SDJR.JPG
この歌のオリジナルは誰か寡聞にして知らないが,実に多くの人達によって歌われていることだけは確かだ。グレン・キャンベル,スティービー・ワンダー,サミー・ディビスJr,……最近ではヴォンダ・シェパード(アリーmyラブのサントラ)等々。以前から気になっていて,ドラマチックな歌だろうなと思っていたが,いざ訳してみるとなかなか手強く,辞書を引きまくったり人に聞いたり,苦労した。出来上がった訳も実はあまり自信のないまま披露しているのである。

訳してみるとこれはラブソングであるが,同時に人生で一度ぐらいしかない希有な出会い=邂逅をテーマにしている。この歌の主人公は裏を返せばこれまでの人生でそういう決定的な邂逅をしていなかったわけであり,そのまま人生を終わっていたかもしれない。

この人だと思える人には何度か出会えるかもしれないが、それまでの人生を百八十度変えてくれるような存在との出会いとなるとどうだろうか。どんな人にもこのような邂逅が用意されているかもしれない,と考えるとちょっとスリリングだし明日への期待?のようなものも感じさせられる気もする。逆に今までの人生はどうだったのかと、振り返らせてもくれる,そんな歌である。多くの人が歌っているのも、自分の中の邂逅(もしくは邂逅への期待とおののき)を重ねるからなのかもしれない。

その後調べると,作者はモータウンの作家たちで65年に作られ,モータウンのシンガーたちが歌い始め,その後トニー・ベネットそしてスティービー・ワンダーでヒットという流れのようだ。ジャンルを超えたスタンダードとして歌い継がれている歌である。
(初出01.09.18)

youtubeはスティービーのもの
http://www.youtube.com/watch?v=imsB543zqSM

ヴォンダ・シェパードのスローなものもよい
http://www.youtube.com/watch?v=3hc3EksLUh0


フォー・ワンス・イン・マイ・ライフ(大意。原詩は検索してみてください。)

私の人生で初めて
私を必要としてくれる人と出遭えた
そんな人と遭うことをずっと待っていたんだ
もう何も恐れを抱かずに
運命の導くままに進んで行ける
なぜだか自分が強くなれそうな気がする

今ようやく目の前にしている
ずっと前から気付いていた
いつか私の冷たい心を溶かしてくれる人が現れ
夢をかなえてくれるそんな人を

今までとは違う
もう悲しみに傷ついたままではいない
今までは傷つき破れていたけど
初めて出会うことができた
私を見捨てないと思える人に
私はもう独りぼっちじゃない

今では言える、これは私の大事なもの
もう誰も取り上げることはできない
この愛が続く限り、うまくやっていける
そう人生で初めて
私を必要とする人に出遭えた





Song Review: A Greatest Hits Collection


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思い出のグリーン・グラス[私の好きな20世紀の唄たち]vol.16 [20世紀の歌]

The Green, Green Grass Of Home (思い出のグリーン・グラス) 
words by J.Hall music by C.Putman
baez.jpg
お盆や年末年始の頃になると帰省する人々のニュースが流れ,ああ今年は帰らないんだなとふと故郷のことが脳裏に浮かんでくる。日本の都会に住む人達の半分が故郷を持っているのだなあとも思う。

「思い出のグリーングラス」は最初森山良子の歌で知った。都会で傷ついた女性が故郷に帰って癒されるという歌であった。(「悲しい夢見て 泣いてた私 一人都会で迷ったのよ 生まれ故郷に立ったら夢がさめたのよ…。」)その後トム・ジョーンズやジョーン・バエズの歌で原曲を知ると,この歌が単なる望郷の歌ではなくて,「死刑囚が処刑前夜に見た夢」という劇的な内容のものであることを知った。3番があまり生々しいので省略されることも多いらしい。1965年にこの歌を作ったと言われるカーリー・パットマンについてはあまりよく知らないが,この歌は今ではアメリカのカントリーのスタンダードナンバーにまでなっている。

アメリカン・フォークソングに多い「望郷の歌」と「囚人の歌」が一つになったものといえる。前に紹介した「幸せの黄色いリボン」も同じようなテーマだったように思うが,どの歌においても「囚人」に対する偏見や差別意識があまり感じられないのは日本とかなり違うところのようで興味深い。キリスト教を信仰する人々の中では,人を裁くのはあくまで神や法であって,人は誰も弱さを持つ同等な存在だという認識が根底にあるからだろうか。「世間体」や「恥」を重んじるかのような我々にそれを乗り越えることができるだろうか。少しずつ払拭していくしかないのかな,とは思うのだが。

ジョーン・バエズ版は最後のところを「永遠の絆」風に変えているのも面白い。(初出02.01.09)

Toutubeの一つはトム・ジョーンズ
https://www.youtube.com/watch?v=WN3ME-rgpws
ジョーン・バエズ版も
https://www.youtube.com/watch?v=aQhKqlOccHE


思い出のグリーングラス(大意。原詩は検索してみてください。)

故郷の町は昔と変わってなくて
列車から降りて行くとママとパパが待ってくれている
道のむこうからメアリーがこっちに駈けて来る
金髪で真赤な唇の可愛い娘だ
故郷の緑の草原に触れるのは気持ちのいいものだ

 そうみんなが僕に会いに来てくれて 手をふれあい優しく微笑んでくれる
 故郷の緑の草原に触れるのは気持ちのいいものだ

古びた我が家は前と同じように立っている
壁のペンキは乾いてひび割れてはいるが
庭にはあの古いオークの木が残っている
子供の頃よく登って遊んだものだ
小径に沿って恋人のメアリーと散歩する
金髪で真赤な唇の可愛い娘だ
故郷の緑の草原に触れるのは気持ちのいいものだ

ふと目が覚めて周りを見回すと獄舎の冷たい石壁に囲まれていた
やっと気がついたんだ,そう,夢を見ていただけなんだと
そこには看守と悲しげな老神父がいて
僕等は明け方の光の中,手を携えて刑場に向かい
その時僕はもう一度故郷の緑の草原を感じる

 そうみんなが僕に会うために あの古いオークの木蔭に集まってくるんだ
 そうして僕をあの緑の草原の下に埋めてくれる

 
*Joan Baez 版のラスト
(そう僕らはいつかまた一緒にいるだろう)
(あの古いオークの木の蔭で)
(僕らは故郷の草原の下で再会するんだ)


※ジョーンバエズのアルバムでこの曲が入っているのは少ないので探してみてくださいww


Greatest Hits


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Teach Your Children[私の好きな20世紀の唄たち]vol.14 [20世紀の歌]

TEACH YOUR CHILDREN (ティーチ・ユア・チルドレン)          
CSNY.jpg
60年代の終わり,それぞれ一流のロックバンドで活躍していた3人の若者(後で一人増える)が意気投合し,スーパーグループが生まれた。それぞれの名前を冠したバンド名にした。クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングである。ウッドストックという伝説的なロック・フェスティバルで衝撃のデビューを果たし,時代の寵児となった。二年間に3枚のアルバムを残し,解散した(後で何回か復活するが)。この曲は彼らの代表曲の一つであり,70年代という時代を映す曲でもあった。80年代の終わりに行なった復活コンサートで会場一体となって歌っている映像が強く印象に残っている。

歌詞は象徴的な語句が多く難解であるが,当時社会問題にまでなった「世代間の断絶」がテーマだと思われる。英語でジェネレーションというのは30年といわれる。60年代から70年代にかけて世界的に学園紛争が広がる中で,親の世代と若者の世代はついに分かり合うことはできないのか,という問い掛けがこの歌にはある。ただ,表面的にはどんなに理解し得ないように見えても,根っこのところではお互いを理解し,愛し合っているはずだ,という祈りにも似た願いがこの歌の底にもう一つ流れているような気がする。
 彼らを端緒としてその後バンド間の交流・改変が進み,幾つかのスーパーグループが生まれた点でも,彼らのロック史における意味合いは大きい。
(初出01.10.17)

youtubeはこれで
https://www.youtube.com/watch?v=EkaKwXddT_I


ティーチ・ユア・チルドレン(大意。原詩は検索してみてください。)

人生の旅を歩みつつある君たちは
生きる為の指針を持たなくちゃいけない
今の自分自身を大事にしなさい
過去は過ぎ去ってしまったものだから

子供達によく教えてあげなさい
お父さん達の苦しみはもう終わりつつあると
そして彼らに夢を与えてあげよう
彼らが選んだ夢、あなた達がいつかわかる夢を

 彼らがその夢を選ぶ理由を尋ねてはいけない
 彼らがそれを告げても,あなたには理解できないだろうから
ただ彼らをみつめてため息をつきなさい
そうすれば彼らがあなた達を愛していることがわかるはず

しなやかな世代である君達は
親の世代の感じてきたような虞(オソレ)を知らない
どうかその若さで彼らを助けてあげよう
彼らが真実を知って死ぬことができるように

君達の親達によく教えてあげなさい
子供達もこれから苦しみ続けることを
そして彼らに夢を与えてあげよう
彼らが選びとった夢、あなた達がいつかわかる夢を

 彼らがその夢を選ぶ理由を尋ねてはいけない
 彼らがそれを告げてもあなたには理解できないだろうから
ただ彼らをみつめてため息をつきなさい
そうすれば彼らがあなた達を愛していることがわかるはず




Deja Vu


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Many Rivers To Cross[私の好きな20世紀の唄たち]vol.24 [20世紀の歌]

Many Rivers To Cross(遙かなる河)   
          written by Jimmy Cliff
jimmiy.jpg
作者はジミー・クリフ。いわゆるレゲエ・ミュージックの今日の隆盛の礎を築いた人だと言われている。当時は「スカ」と呼ばれていたジャマイカの音楽を世界に知らしめたのは彼らしいが、名声ほどには大金持ちにはならなかったようだ。当時(70年ごろ)イギリスのアイランド・レコードと契約していた彼が、交渉の為かイギリスへ渡り、ドーバー海峡のあたりを本当に彷徨っていた時着想したものだという。レゲエっぽくなく?静かな曲である。

「河を渡る」という試練が人間にあるという表現は聖書の「ヨルダン河」などと似た着想であろうが、恋人に去られたことと結び付けるのはゴスペルにはない新しさなのかもしれない。独りで生きることの厳しさつらさは人間にとって普遍的な試練といえるだろうが、特に現代の男(女)にとっては好きな人と一緒に暮らすというのが、人生最大の大事ということなのかもしれない。

私がこの歌を初めて知ったのはリンダ・ロンシュタットのアルバムであるが、今聞き比べてみると、アレンジもほぼ原曲と同じである。ただ一か所だけ(男女の入れ替えは別にして)歌詞を替えているところがあって(第3連カッコ内がリンダのもの)、ジミーの歌詞だと、男は女に去られてただ途方に暮れているだけだが、リンダの方はより前向きに生き直そうとする姿勢が強調される感じだ。でも原曲の方がより人間らしい感じがして好きだなあ。

この夏自動車のCFで流れていたので、懐かしくなって原曲も聞いてみたのだが、後のボブ・マーリーなどのスーパースターとは比べものにならない、苦しい生活ぶりを知るにつけても、パイオニアであることの大変さを改めて感じさせられた。 
(初出02.09.19)

youtubeはジミー・クリフのもの。これはtry?
https://www.youtube.com/watch?v=SF3IktTk_pQ
大好きなリンダのもの。
https://www.youtube.com/watch?v=9_8KpR49bFI


Many Rivers To Cross(遙かなる河)(大意。原詩は検索してみてください。)

渡るべき多くの河が俺にはある
でも渡る方法は見つかりそうにない
ドーバー海峡の白い岸壁沿いに旅をしていて
彷徨ううちふと道を見失った

渡るべき多くの河が俺にはある
意志の力だけでなんとか生き長らえている
ずっと波に引き裂かれ、波に洗われ続けてきた
かろうじてプライドだけで生き延びている

この孤独は俺につきまとって離れようとしない
独りで生きることがこんなに辛いことだなんて
俺の女は去っていく時一言もわけを言わなかった
俺はただ取り乱して泣くしかないのか
(俺がするべきことはこの河を渡ろうとトライすること)

渡るべき多くの河が俺にはある
だがいったいどこから渡りはじめたらいいのか
俺はぐずぐずと決めかねている
やけになってとんでもない罪を犯しそうに
なったこともあった

渡るべき多くの河が俺にはある
でも渡る方法は見つかりそうにない
ドーバー海峡の白い岸壁沿いに旅をしていて
彷徨ううちふと道を見失った



Singles


Prisoners in Disguise


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MOON RIVER[私の好きな20世紀の唄たち]vol.10 [20世紀の歌]

MOON RIVER(ムーン・リバー)
       music by Henry Mancini, lyrics by Johnny Mercer
moon.jpg
ムーン・リバーという歌は,あのオードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の中で彼女自身が歌った曲らしいが,私にとってはやはり幼い頃TVで見た「アンディ・ウィリアムズ・ショー」の冒頭でアンディがこの歌を歌いながら舞台に登場するシーンと切り離しては考えられない。まだ英語もわからない子供だった私に異国の音楽を初めて教えてくれたものでもあった(ビートルズの方が早かったか)。

長い間曲自体とはあまり接することなく過ぎていったが,最近アイルランドの女性シンガー,メアリー・ブラックのアルバムに入っていて,それが実にしみじみとしたいい演奏だったので興味を持った。もちろん我が校の「早く帰りなさい」のBGMであるからということもある。

短いシンプルな歌詞なのだが,よくわからないままうっちゃっていた。ある時ふと,この「ムーン・リバー(月の河)」は現実の河なのかなと思いついて,それ以来これはアメリカの中南部を流れる大河「ミシシッピー」なのだと勝手に思い込んでいる。歌詞に出てくる," huckleberry friend "の " huckleberry "はコケモモのことだが,また「ハックルベリー・フィンの冒険」のそれでもある。マーク・トウェインはミシシッピを愛し,この作品もまたそこを舞台にしている。少年たちが夢をもってミシシッピを巡り,様々な冒険をしたように,夢を追い続ける大人でありたい。懐かしいミシシッピの思い出を重ねながら…と言っているような気がした。

" Ol' Man River " や " Miss the Mississippi "など,この川のことを歌った歌は数多くあるが,「ムーン・リバー」もその中に密かに入れておきたいと思っている。
(初出 01.05.30 )

youtubeはアンディのがあったので。他も聞き比べるとよい。
http://www.youtube.com/watch?v=jsAvKS1GD6Q
by オードリー・ヘップバーン
https://www.youtube.com/watch?v=vnoPke8tlAs

ムーン・リバー(意訳。原詩は検索してみてください)

ムーン・リバーよ
一マイル以上もある広い河よ
いつかお前の上を優雅に渡ろう
お前は夢を与え,また心を狂わせる
お前の行くところならどこへでもついてゆく

未知の世界へ向かう二人の漂流者
この世にはこんなにも見果てぬ世界がある
私達は旅の行く手に待ち受けているはずの
同じ虹の果てを追いかけて…
懐かしき 我が竹馬の友 
ムーン・リバーと
そして… 私




アンディ・ウィリアムス ベスト・オブ・ベスト ムーン・リヴァー 酒とバラの日々 慕情 ある愛の詩 マイ・ウェイ DQCP-1508


By the Time It Gets Dark


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THE BOXER [私の好きな20世紀の唄]vol.8 [20世紀の歌]

THE BOXER Paul Simon
ps.jpg
「ボクサー」は,S&Gとしての最後のアルバムとして出された『明日に架ける橋』のB面の1曲めの歌である。今CDで聞くとB面に裏返して針を下ろす時の,ときめきに似た感じがなくなってちょっと味気ない気がする。このアルバムは他にも「明日に……」や「コンドルは飛んでいく」など全曲が名曲というアルバムなのだが,特にこの曲は録音に何十時間もかけたというエピソードがあるくらい,彼らの思い入れがつまった曲なのだと思う。最初この美しい曲を聞いた時は,プロボクサーの歌かなと思っていたが,歌詞をよく見ると,田舎を飛び出した貧しい若者が都会の味気なく,貧しく,孤独な生活の中で,もがき苦しんでいることが描かれていて驚いた。都会で独りで生きるということは常に何かと闘い続けることであって,闘うことをやめた瞬間に彼は周りから繰り出されるパンチに打ちのめされ,存在を失ってしまう。当時高校から大学へと進み,更に見知らぬ街で独り生きていた私には,十分自己を重ねるに足る歌であった。特にリフレーンの Li la li...というコーラスのバックで鳴るドラムスの一撃が,まるで自分が殴りつけられているように響いて来たものである。

ポール・サイモンはS&G解散後もソロで多くのアルバムを出し,活躍を続けてきた。
その間グラミー賞も何度か受賞しているが,私にとってのポール・サイモンはやはり「サウンド・オブ・サイレンス(沈黙の音)」や「アイ・アム・ア・ロック(私は岩)」であり,S&Gのポールである。

youtubeはセントラルパークのリユニオンコンサートのもの
http://www.youtube.com/watch?v=qy1hXDOenOY
ショーン・コルヴィンとアリソン・クラウスのライブ版
https://www.youtube.com/watch?v=lNEq0NNH1AM

ボクサー (大意。原詩は検索してみてください)

僕はただの貧しい若者だ
めったに身の上話はしないけど
ポケットいっぱいのはっきりしない
嘘の口約束なんかで
僕の反抗精神はすり減っていったのさ 
全ての嘘や冗談っていっても
どうせ人は自分の聞きたいことを聞いて
他のことは聞かないものだけどね

                    
僕が故郷の家を飛び出してきた頃は
見知らぬ人に囲まれたほんの子供だった
変に静かな駅の中を怖がりながら走り
身をかがめて,粗末な服を着た奴らの住む
貧しい街を求めて行った そこには
そういう奴らが不思議と集まってくる   

職人並みの給料でいいからと
仕事を捜したけど見つからなかった
七番街の娼婦たちに誘惑されただけさ
本当のところ僕がひどく孤独だった時は
そこで少しは慰められたものだけど

歳月は僕の周りをうねるように過ぎ
僕のような人間でもその中で翻弄され
僕は以前より年をとって
未来よりはまだ若い 当たり前だね
変化に変化を重ねても
僕らがどっちみち変わりばえのしない
人間だってことはちっとも変じゃないんだ
変化を重ねても大して変わっちゃいない…

                    
冬服を広げながら ここから逃げ出して
たまらなく故郷に帰りたくなったんだ
ニューヨークの街の冬みたいに
身を切るような寒さのない故郷に…
僕を導き,故郷へ誘う


荒野に独り立つボクサー
彼の職業は戦士
彼が泣き叫ぶまで打ちのめしたり
切り刻んだりする敵のグラブの一撃を
彼は決して忘れない
怒りと恥辱の中で
「僕は逃げる,僕は逃げる」
と叫びながらも
彼はまだそこに踏みとどまっている



Bridge Over Troubled Water


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青春の光と影[私の好きな20世紀の唄たち]vol.17 [20世紀の歌]

joni.jpg
BOTH SIDES NOW(青春の光と影) 
written by Joni Mitchell

 この歌は現在も第一線で活躍しているカナダ出身のシンガー・ソングライターであるジョニ・ミッチェルのほぼデビュー作であるといってよい。ヒットさせたのはジュディ・コリンズという美人フォークシンガー(68年)であった。ジュディは以前紹介したCS&Nが「青い目のジュディ」という歌を捧げた事でも有名である。「青春の光と影」という邦題は当時よくあるネーミングだが,当時美しいメロディとも相俟(まっ)て,感傷的で甘酸っぱい印象で受け止めていた。

 今改めて歌詞を見てみると,すごく象徴的で深遠な詩であることに驚く。少女の頃にイメージしていた「雲」や「愛」や「人生」が,大人になっていく過程で全く相反する見方がある事を知っていく。それは世間の常識によるものであったり,自分自身の変化によるものであったりするわけだが,多くの場合それは「幻滅」という形をとるのであろうか。

 でも,この歌には単に夢見がちだった少女が,大人になって現実を知っていくというパターンとは違う何かが歌われているように思う。少女の幻想とも大人の幻想とも違う幻想を模索し続けようとする意志のようなものが,うまく訳せない部分から感じられるようだ。

 ジョニ・ミッチェルが十代の終わりにこれを書いたというのは驚嘆に値する。彼女はこの歌の通り,少女のままでもなく安っぽい大人になりきるのでもなく,常に柔らかい感受性を武器に自分と世界を見つめ続けてきたのだろう。それが彼女の作品が40年にもわたって常に<現在>であり続けた秘密のようである。     
(初出02.02.27)

youtubeは JUDY COLLINS 76年のライブバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=rQOuxByR5VI
Joniのものも
https://www.youtube.com/watch?v=Pbn6a0AFfnM
もう一つ Randy Scruggs が「永遠の絆」のラストに弾いたギターソロ。美しい!
https://www.youtube.com/watch?v=CQolNW6SNEs

青春の光と影 (大意。原詩は検索してみてください)

天使の髪の弓なりの形や流れる感じ
空にそびえるアイスクリームのお城
あたりに広がる羽毛の峡谷
小さい頃雲をそんなふうに見ていた
                      
でも今では雲はただ太陽の光をさえぎるだけ
人々に雨や雪を降り注ぐだけ
私は色々な体験をしたかも知れないのに
雲がいつもそれをさえぎってきた
                      
私は雲を両面から見てきた
上からと下からと,いずれにせよ
今私が思い返すのは雲の幻想の方
結局私は本当に雲のことを知ってはいない

月や女神たちや大観覧車
目の回るようなダンスの感じ
全てのおとぎ話が実在するかのように
私は愛というものをそんなふうに見ていた

でも今ではそれは別の世界のお話だよって
そう笑い飛ばしながら
あなたは恋人のもとを去っていく
もしまだ愛しているなら気づかれないで
自分の愚かさをさらけ出さないで     
                                       
私は愛を両面から見てきた
勝つとか負けるとか,いずれにせよ
今私が思い返すのは愛の幻想の方
結局私は本当に愛のことを知ってはいない

                    
涙やおそれや 誇らしく
はっきりと大声で「愛してる」と叫ぶこと
夢や計画やばか騒ぎ
私は人生というものをそんなふうに見ていた

でも今では全ての友人が変な態度を
彼らは首を振り私が変わったって言うの
日々の暮らしの中で
何かを失って何かを手に入れたから

                    
私は人生を両面から見てきた
与えるのと貰うのと,いずれにせよ
今私が思い返すのは人生の幻想の方
結局私は本当に人生のことを知ってはいない


                   


Clouds


the very best of judy collins


Will the Circle Be Unbroken


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ソングオブバーナデット[私の好きな20世紀の唄たち]vol.27 [20世紀の歌]

jenifer.jpg
Song Of Bernadette    
     written by Leonard Cohen, Jennifer Warnes, Bill Elliott

この歌はvol.23で紹介した"Bird On A Wire"と同じアルバムに入っていた曲で,何となく好きな曲の一つであったのだが,この秋のTVドラマ「アルジャーノンに花束を」の主題歌であると知って驚くと同時に,こんな古い地味な曲がなぜ主題歌として取り上げられたのだろうと興味をそそられた。ちなみに「アルジャーノン」は何年か前の読書感想文の課題図書だった。

作者の言葉を引用すると「この曲は79年にヨーロッパでバスの中でレナードと私が作ったもの。実は私バーナデットという名前だったんだけどジェニファーに変えたの。(ルルドの)ベルナデットと私が失ったバーナデットを考えながら書いた歌なの」ということである。そういうことを考えながら歌詞を読むといくつかのことが浮かび上がってくる。

一つはベルナデットの伝説である。彼女は1858年2月11日14才の時に、マサビエル(ルルド)の洞窟で聖母マリアの出現を目撃したとされている。彼女の話は人々に受け入れられず,気違い扱いもされたが,わずかな理解者がそこに礼拝堂を作り,彼女自身はあまり顧みられることなくそこで地味に働き,35才で生涯を閉じる。だが,以来その地は聖地となり,毎年500万人以上の人々が洞窟の涌き水の恵みを受ける為,ルルドへ巡礼に来るようだ。この歌の中では彼女は,「見返りを求めず,愛を与え続ける人」の象徴として描かれているようだ。

また.この歌には「癒されるべき悲しみ(不幸)に満ち満ちているこの世」が描かれている。全ての人々の中にあまねく存在する「原罪」に似た「悲しみ」は受け止める人々によって様々であろう。環境破壊や民族・宗教紛争のようなものを想定することも出来るだろう。「アルジャーノン」の中でも「取り返しのつかない罪」のひとつが取り上げられているようだ。この歌の作者は,それらに更に食い違いから別れてしまったかつての恋人との間の「不幸」をも重ねている。性急さや裏切りといった,愛し合うが故の色々な齟齬の為に別れざるを得なかった二人。人間は別れてから初めて,「愛」が「奪い・求める」ものでなく,「許し・与える」ものだと気付くものなのだろうか。
(初出02.12.24)

<追記>この稿を書いてから13年後に再び「アルジャーノン」がリメイクされて放映中である。世相の変化と何かしら関係あるのかな、とふと思うがまだよく判らない。ドラマと原作をそれぞれみて考えてみようかな。今回の主題歌はベッド・ミドラーの「ローズ」で、これまたしぶい選曲である。

youtubeはジェニファーのもの。画面がルルドのベルナデット。
https://www.youtube.com/watch?v=ziUORDGmHqM
Aaron NevilleとLinda Ronstadtのもの。初めて聞いた。
https://www.youtube.com/watch?v=4Miy9OgOfS0


ソング・オブ・バーナデット (大意。原詩は検索してみてください)

バーナデットという名の一人の少女がいた
そのお話をずっと前に聞いたことがあった
彼女は天国の女王様を見たことがあって
その姿を魂の奥深くに留めていた
誰も彼女の見たことを信じようとせず
誰も彼女の聞いたことを信じようとしなかった
その一方でこの世は癒されるべき悲しみに満ちていた
神よ、どうかこの世にお慈悲を

おびただしい数の心が壊れているのが見える
あなたと私の心も同じだった
二人がしてしまった取り返しのつかないことの為に
ズタズタに引き裂かれてしまった二つの心
だから今こそ私はあなたを抱きしめてあげたい
どうか私にあなたを抱きしめさせて
かつてバーナデットがそうしたように

私達は色々な経験をしてきた,落ちたり上がったり
私達はたいてい落ち込んだり性急になったりして
時々は自分達の犯してしまった過ちを償おうと
試みたりもしている


今夜,今夜こそ私はじっとしていられない
心の中に真実の喜びを見いだしたから
心の奥底に忘れずにいたあの少女
あのバーナデットの歌を思い起こしながら

おびただしい数の心が壊れているのが見える
あなたと私の心もそうだった
二人がしてしまった取り返しのつかないことの為に
ズタズタに引き裂かれてしまった二つの心
だから今こそ私はあなたを抱きしめてあげたい
どうか私にあなたを抱きしめさせて
かつてベルナデットがそうしたように
今こそ私はただあなたを抱きしめてあげたい
どうか私にあなたを抱きしめさせて
かつてバーナデットがそうしたように



ソング・オブ・バーナデット 〜レナード・コーエンを歌う


The Grand Tour


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You've Got a Friend [私の好きな二十世紀の唄たち]vol.7 [20世紀の歌]

jtca.jpg
You've Got a Friend  ( 君の友達 )  
Written by Carole King
Recorded by James Taylor

 この曲はキャロル・キングが作って自分のアルバム "Tapestry"にも入れているが,シングルでヒットしたのはジェームス・テーラーだったと記憶している。二人とも70年代を代表するシンガー&ソングライターで,その呼び名の草分けと言ってもいいようなスーパースターである。しかもこの二人は一緒に暮らしていたこともあったように記憶している。この歌は,かつて一緒に暮らしていた二人が,今は別々に暮らしているが,離れていてもつながりは消えていないことを呼びかけているような歌だが,何よりも彼ら自身のことを歌っているのかもしれない。でも,男女の関係に限定した歌でもないので,身の回りの友達を想定して受け止めたほうがいいかも知れない。
 高校の英語の教科書にもよく載っていて,今の若い人達も意外に知っているので驚くことがある。「明日に架ける橋(S&G)」や「レットイットビー」に比べるとさりげないが,隠れた名曲といっていいだろう。余談だが,ジェームスは若いころ自分の精神状態がおかしいと感じて,自ら精神病院に入院したというエピソードを以前聞いて,その開明的な精神に感銘を受けたことを今でも覚えている。日本ではまだまだ障害を持っている人や,罪を犯して償い終えた人に対する拒否反応のようなものが強いから。
(初出 01.03.23)

youtubeは71年のライブ映像。後ろのピアノはキャロル?
http://www.youtube.com/watch?v=s2o7n27Dw9w

君の友達 (大意。原詩は検索してみてください)

君が落ち込んで混乱していて
手をさしのべて欲しいとき
そして何事もうまくいかないとき
目を閉じて僕のことを考えてごらん
僕はすぐにそこへ飛んでいって
どんなに真っ暗な闇でも明るくしてあげる

(refrain)
君はただ僕の名を呼ぶだけで
僕はどこにいても
君に逢うために走って行くよ
冬,春,夏,秋どんなときでも
ただ僕を呼ぶだけで
僕はいつでもそこにいる
友達なんだから

頭上に広がる空が
みるみる暗くなり雲で覆われて
あの冷たい北風が吹き荒れ始めたら
顔をしっかり上げて大声で僕の名を呼ぶんだ
僕がすぐに君の所に行ってドアをたたくよ

友達がいるって素敵なことだろう?
世間はとても冷たくて
君を傷つけたり見捨てたり
ほうっておくと魂まで
奪われてしまったりする
けどそれじゃいけないんだ

友達がいるって素敵なことだろう?
友達がいるって素敵なことだろう?
君には友達がいる




Mud Slide Slim And The Blue Horizon


Tapestry


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Vincent [私の好きな20世紀の唄たち]vol.6 [20世紀の歌]

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Vincent (Starry Starry Night) ヴィンセント(星降る夜)  
      written by Don McLean

 今回はマイナーなものを一つ。この歌は以前NHKでやっていたテレビドラマ「アリーmyラブ」(レンタルDVDあり)のサントラ盤のヴォンダ・シェパードの歌で知ったが,ドン・マクリーンの名は以前から知っていた。「アメリカン・パイ」という歌で一世を風靡したが,わりと寡作で他に" And I Love You So "と あと幾つかしかヒット曲はないと思う。僕は2枚組みのベスト盤を持っているが,半分ぐらいはトラッドや古いカントリーである。でもミュージシャンからは尊敬を受けている人らしく,ロバータ・フラックのヒットで知られる「やさしく歌って(Killing Me Sofly with His Song)」(ちなみにこの曲は以前ネスカフェのCMで流れていた)は彼に捧げられた歌だそうな。いわば “Musician’s Musician “ とでもいうべき存在だったのだろうか。
 この歌の題名「ヴィンセント」はあの印象派の画家ヴァン・ゴッホのことである。この歌の他に画家や絵画をとりあげた歌を寡聞にして知らないが,歌詞を読んでいると狂気の人といわれたゴッホが実にナイーブな心優しい人であったことがひしひしと伝わってくる。そしてこの歌に描かれている絵の数々をもう一度見直してみたくなる,そんな歌だ。
 誠意を持っていろいろなことに取り組み,いろいろな人に接していけばいくほど,深く傷ついてしまうような人間の在り方をこの歌はよく示しているようだ。(初出 01.02.15 )

youtubeはゴッホの絵がスライドショーになっていていい感じ
http://www.youtube.com/watch?v=Gi_P8XwrSCU

ヴィンセント(星降る夜)(大意。原詩は検索してみてくださいね)
  ※この歌詞はヴォンダ・シェパード版です。 ドンのはもっと長いので割愛。

満天の星降る夜よ
私の心の奥の暗闇を照らす両の目で
パレットをブルーとグレーに塗り
夏の昼間の光景を見晴らす

丘の陰影よ
木々(糸杉?)や水仙をスケッチし
雪のようなリネンに覆われた大地の上を
吹き抜ける微風や冬の北風を捕らえ
微妙な色彩で描く

今私はわかる気がする
あなたが私に言おうとしていたことが
どのようにしてあなたが失いそうな正気を
守ろうとたたかい
どのようにしてあなたが人々の心を
解放しようとしたか
人々はあなたの言葉に耳を貸さず,
また聞く術も持たなかったけど 
今ではあなたの声に聞き入るだろう

満天の星降る夜よ
明るく輝き燃えたつような花
紫色の霞の中に渦巻いている雲は
ヴィンセントのチャイナ・ブルーの瞳に反射し
色彩は微妙に色合いを変化させ
早朝の琥珀色の麦畑や
苦しみを刻み、吹きさらされた大地が
優れた芸術家の慈愛に満ちた手によって癒されてゆく

今私はわかった
あなたが私に言おうとしていたことが
人々はあなたの言葉に耳を貸さず,
また聞く術も持たなかったけど 
今ではあなたの声に聞き入るだろう

満天の星降る夜よ




American Pie


アリー・myラブ ~ハート・アンド・ソウル サウンドトラック2 featuring ヴォンダ・シェパード


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MR. BOJANGLES [私の好きな20世紀の唄たち]vol.4 [20世紀の歌]

MR. BOJANGLES(ミスター・ボージャングル)
nitty.jpg
僕自身はこの曲をNITTY GRITTY DIRT BANDの歌として聞いたが,作者はJERRY JEFF WALKERというニュー・カントリーの若者で60年代の終わりの作。ニューオリンズの刑務所で出会った一人の老いぼれたタップ・ダンサーの物語である。一杯の酒のために年老いて死ぬまで好きな踊りを続けるこの老ダンサーの物語は,既成の権威に反抗しながらポジティブな生き方のイメージをつかみかねていた当時の若者の心の奥底に,何かしら響くものがあったに違いない。ささやかでもいい,手ざわりのある生き方。地位や名声とは対極の価値観がこの歌の底には流れている。自分が本来求めていたものは何だったのかという問いかけを,人生に行き詰まった時に思い起こさせてくれる。この曲は後に世紀のエンターテイナー,サミー・デイビスJr.の十八番になるのだが,彼の中にも同じ思いがあったに違いない。そして僕はまだ学生で,大学を続けようか迷っていたころ,阪急六甲の近くの,きたない「カウボーイ」という店で下手くそなヨーデルを歌っていたおっちゃんのことを思い出す。(初出 01.01.09)

youtube のリンクはニッティの熊本阿蘇での演奏
http://www.youtube.com/watch?v=j3YMyW0SqmU

ミスター・ボージャングル(大意。原詩は検索してみてください。)

僕はボージャングルという名の男を知っている
彼はいつもすりきれた靴で踊っていた
白髪頭に破れたシャツ,バギー・パンツと
古いソフトシューズを履いて
彼はとても高くジャンプして軽やかに着地するんだ

僕が彼とはじめて出会ったのは
ニューオリンズの刑務所の中で
その時僕はひどく落ち込んでいたんだ
彼はそんな僕を煙草をふかしながら
優しい遠い眼差しをして
人生について語りはじめた
そしてふっと笑って靴のかかとをカチっと鳴らした

彼はボージャングルと名乗って
房内をまわって軽く踊った
ズボンをたくし上げスタンスをきめて
高くジャンプし,靴のかかとをカチっと鳴らし
ふっと笑って,乱れた衣服を直した

「ボージャングル,ボージャングル,踊ってよ」

彼は田舎廻りのミンストレル・ショーに入って
南部中を踊ってまわっていたんだ
涙をながしながら彼と愛犬がさまよい歩いた
15年間を語ってくれた
その愛犬の突然の死のことを
20年経った今でも彼は嘆き悲しんでいる

今でも彼は機会がある度に安酒場で踊っている
一杯の酒とチップのために
僕はカントリー・バーに入り浸って
一杯やるためにずっと過ごすんだが
彼は頭を振って,彼がそうしていると
誰かが彼にねだるんだ
「ねえ…」「ねえ,ボージャングル,踊ってよ」



Jerry Jeff Walker Plus


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THE LONG AND WINDING ROAD [私の好きな20世紀の唄たち]vol.5 [20世紀の歌]

THE LONG AND WINDING ROAD (長く曲がりくねった道)
p0.jpg
この歌はビートルズの最後のアルバム「LET IT BE」に収められていた曲である。この頃はビートルズのメンバーの仲は相当こじれていて,特にジョンとポールの仲は最悪だったようだ。上記のアルバムも実はビートルズ自身ではなくプロデューサーが編集して製作したものである。
ビートルズのほとんどの曲のクレジットは "Lennon & McCartney" となっているが,実際は二人で作ったのでなく,それぞれが一人で作ったものも多いようである。この曲はポールが作った曲。そして曲の中で呼びかけている相手は,その時最も仲がこじれて訣別寸前だったジョンであると言われている。どんなに仲の良かった友でも,ささいなことからひびが入り,いつの間にか溝が深くなってしまうこともある。どうにかしてもう一度昔のつながりを取り戻したい,という切ない思いが痛いほど伝わってくる。このアルバムを出したあとビートルズは解散し,二人はついに和解することなく,ジョンの死を迎えることになる。だがジョンにもポールの気持ちは伝わっていて,二人が離れていてもお互いを「心の友(soul mate)」と感じていたのは,その後の二人の言動からもうかがえるし,また強くそう信じたいと思う。(初出 01.01.30 )

<追記> 今ポールがひょっとしたら最後になるかもしれない来日公演をしているが,体調を崩しているようで心配だけど…。 (2014年5月のコメントww )



youtubeはいろいろあるけどこれ
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=the+long+and+winding+road&tid=859032e8d51fb822ca13db7fc977295b&ei=UTF-8&rkf=2

長く曲がりくねった道(大意。原詩は検索してみてくださいね)

長く曲がりくねった道が
君の心の扉に続いている
それは決して消えることのない道
以前はその道は見えていたのだが
いつもここまでしか導いてくれない
君のところまで導いてほしい

あのひどい嵐の暗闇の中で
雨が全てを流し去ってしまった
残ったのは涙の水たまりだけ
一条の光を求めて泣いている
どうして僕をここに置き去りにするの
道を教えてほしい

何度も独りぼっちになって
何度も泣いたよ
君にはわからないだろうが
他のいろいろな道も試してみたんだ

でも気がついてみると また
あの長く曲がりくねった道にもどっている
君がずっと前に僕を置き去りにした所へ
僕をこんな所に待たせたままにしないで
君の所へ導いてほしい



Let It Be


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REDWOODHILL[私の好きな20世紀の唄たち]vol.20 [20世紀の歌]

REDWOOD HILL(レッドウッド・ヒル)  
      written by Gordon Lightfoot
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この歌をつくったのはゴードン・ライトフットというカナダのシンガー・ソングライターで71年の作品(アルバム名は" Summer Side Of Life ")である。60年代から彼の曲は多くのミュージシャン達にとり上げられていたが,ブレイクしたのはこの曲の後に出したアルバム "SUNDOWN "で#1ヒットを出してからである。彼の歌は60年代フォークの頃から知っていて(「朝の雨・フォーラヴィンミーetc.」)よく口ずさんでいた。「朝の雨」はジェット機時代のhoboの歌でP.P.&Mなどのカヴァーが有名である。私は彼の2枚の自選ベストCDを持っているが,そのどちらにも入っていない,マイナーな曲ではある。

レッドウッドというのはアメリカ西海岸に生育する杉の一種で,カリフォルニアの北に大原生林があり,国立公園になっている。ウディガスリーの" This Land is Your Land " (我が祖国)という歌の中に " From the Redwood Forest, to the Gulfstream Water " という一節があって,アメリカの象徴のようなものかな,と思っていた。この歌ではRedwood Hillを「母なる自然(Mother Nature)」が宿る所としている。彼女が怒っているのは,自分の生んだ人類達が謙虚さを忘れ,自らをこの地球の主人と勘違いして我が物顔に振る舞い,ついにはこの美しい地球を汚し,滅亡させてしまおうとしていることに対してであろう。

60年代から70年代にかけての時代はベトナム戦争反対に始まって,若者たちのドロップアウト,フラワームーブメントがサンフランシスコなどから起こり,既成の価値観を次々と若者たちが否定していった時代であった。そんな中で従来のキリスト教的な価値観も否定され,当時(今でも)黒人と並んで虐げられた存在であったネイティブ・アメリカン(アメリカン・インディアン)の宗教の中の「母なる自然(Mother Nature)」という観念に彼ら若者が惹き込まれていったのだろうと思う。そういえばあのビートルズも," Mother Nature's Son "という歌を同じ頃書いていたな。ライトフットもそういう潮流に乗った形でこの歌を書いたのだろうか。そして後になって大して深みがない歌だと思ったのだろうか。だとすれば,この歌は激変する時代に咲いたあだ花だったといえるのかもしれないし,パイオニアであることに常につきまとう試行錯誤と混沌?の過程と見ることもできるのかもしれない。

フラワームーブメントも学生運動も,その後一部の急進派を除き急激に衰えていったようだが,彼らの精神は近頃の環境保護運動やエコロジーといった動きとして受け継がれているのだと思う。
(初出02.04.25)

youtubeはライトフットのスタジオ録音
https://www.youtube.com/watch?v=U4_1GF3kc1w
ブルーグラスファンにはおなじみのCountry Gentsのもの
https://www.youtube.com/watch?v=-Iy_il0AyoM


レッドウッド・ヒル(大意。原詩は検索してみてくださいね)

僕はあのレッドウッドの丘に登った
雨の降る日だった
群衆のいるところよりはるかな高みに上がり
母なる自然としばらく語り合った
               
彼女は彼女が心をこめて創り出した
全ての生き物に対する愛と
その中でも僕たち人間たちへの
深刻な憂いを語ってくれた
                   
  彼女は泣き続けながらも
  こんな慈愛に満ちた言葉を語ってくれた
  自然は自然であるということは
  人間達の都合などで勝手に変える
  ことはできないのだということを

僕は彼女を慰めようとしたけど
彼女はいつまでも静まらなかった
哀しみの雨はとめどなく降り続け
丘を下っていく僕に降り注いだ


  彼女は泣き続けながらも
  こんな慈愛に満ちた言葉を語ってくれた
  私が無垢な自然であること
  それはどんな人間たちの手によっても
  変えられないのだということを
                    
僕は彼女を慰めようとしたけど
彼女はいつまでも静まらなかった
僕はあの日のことを忘れることはないだろう
母なる自然がレッドウッドの丘で涙を流した
日のことを



Gord's Gold: Greatest Hits (Rpkg)


Live in Japan


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恋はフェニックス[私の好きな20世紀の唄たち]vol.12 [20世紀の歌]

恋はフェニックス( By The Time I Get To Phoenix )
                Words & Music by Jimmy Webb
Recorded by  Glen Campbell

Greatest Hits



恋はフェニックスという邦題からすると,どんなロマンチックな恋の歌かと思うが,これは別れの歌である。60年代から70年代にかけての洋楽の題名は「恋は~」とか「悲しき~」など内容と関係なく?付けられるものが多かった。この名を付ければ売れるというジンクスのようなものがあったのだろうか。この曲は作者のジミー・ウェブにとっても歌ったグレン・キャンベルにとっても出世作となった(68年)。グレンはスタジオミュージシャン(ギター)としての長い下積みを経てこの曲でスーパースターになったが,まだカントリー・ロックが流行る前,カントリーの側からロック・ポップスにクロスオーバーしていった中の一人だと思う。スタジオ・ミュージシャンとして多くの音楽に関わっていたからなのかな。

ジミーも,この曲以来グレンをはじめ多くの人に曲を提供して現在に至っているのだが,リフレーンを持たない一続きの物語(バラッド)のような歌詞も,特異なコード進行も彼の才能の非凡さをよく示している。
この歌に出てくる「僕」は年下の男の子で,「彼女」から自立しようとしているのかななどと色々状況を詮索してしまうのだが,遠ざかろうとしながら「彼女」のことが気になって仕方がないところが行間からしみじみと伝わってくる。二人は憎み合って別れたのではない。どんなに愛し合っていても「別れ」なければならないことはある,という「関係」というものの持つ哀しい宿命のようなものを感じさせてくれる歌ではある。
余談だが,この歌が出た頃ある雑誌で,地図上でこの歌に沿って旅をしてみて,「こんなコースはおかしい」と異を唱えた御仁がいたがどうだろうか,お試しあれ。でもそんな詮索をこの歌にするのは,それこそ「野暮」なのかもしれないが。

 余談ついでに書いておくと,グレン・キャンベルのヒット曲のひとつ " Gentle On MyMind " を書いたジョン・ハートフォードという人が先日亡くなった(1937~2001)。この歌を書いた後シンガー・ソングライターとして活躍しながら,オールドタイムやブルーグラスなどのルーツ・ミュージックにも傾倒し,それらの保存や継承にも力を注いだ人だった。バンジョー,フィドル(ヴァイオリン)の名手でもあった。謹んで哀悼の意を表する。 ※この稿の初出は2001.7.12に発行したものである。

Youtubeはグレンのライブから
http://www.youtube.com/watch?v=mUg5p3BncuQ

ジョンと競演のGentle On MyMindも付録で
http://www.youtube.com/watch?v=TW7OFAir3OQ&feature=share

恋はフェニックス        

フェニックスに着く頃,彼女は目を覚ましているだろう
そしてドアのところにはさんでおいたメモを見つけるだろう
「僕は出ていく」というくだりを読んで笑い出すだろう
前にも何度かおなじようなことがあったから

アルバカーキに着く頃,彼女は仕事に出ているだろう
ランチの途中で家に電話を掛けているかもしれない
でも彼女は呼び出し音がずっとなり続けるのをきくだけ
壁にむなしくひびいて …… それだけ

オクラホマに着く頃彼女はもう寝ているだろう
そっと寝返りを打ち,僕の名を呼んでいるかもしれない
そして泣くだろう,僕が本当に出ていったんだと思って
何度も何度もそのことを告げようとしたのに
彼女は僕が本当に出ていくとは思っていなかった……




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