0224野麦峠スキー場vol.2 [旅日記]
0224この日の午後は乗鞍岳がしっかり見えた。
2日目の朝、この日も晴れてくれた。野麦には以前はスキー場のロッジに泊まっていたが、客の減少や経営者の高齢化もあって、平日など泊まりにくくなったので、1時間ほどの所にある伊那市の宿に泊まるようになった。伊那市は「東に赤石山脈(南アルプス)、西に木曽山脈(中央アルプス)がそびえ、中央部を天竜川が縦断する。」という地勢である。伊那谷という呼び方もあるが盆地というイメージかな。標高は632mである。夏に一度来た(「木曽駒ケ岳『千畳敷カール』」)ぐらいで滞在したことはないのだが、暮らしやすそうな「レトロな街」(看板にあった)である。
南アルプス。
天竜川。
この日も朝8時に宿を出た。丘の上に車を停めて東の伊那の街を撮ってみた。
西には中央アルプス。
境峠は更に除雪が進んでいた。交通量が少ないのがなによりだ。
9:50駐車場着。
平日なので50台ぐらいしか車はなかったが、ゲレンデはきちんと圧雪されていた。
つらら。
地元出身の大関である御嶽海関の幟があった。
今年も拝むことが出来ました。乗鞍岳の美しい姿。
御嶽山の勇姿も。噴火警戒レベルが「2」に引き上げられたとのことだが。
北アルプスもくっきり!
おまけ。実際に見てないが木曽駒ヶ岳も見えるらしい。
コブコブなので行かなかったユリワリ上部から。FBの野麦のサイトから拝借しました。
リフト横の不思議な雪像。何に似てる?
1500円の平日シニア券で3時過ぎまで滑り倒して、無事車に戻った。
実は1週間前に川の段差でこけて、カメラのフィルターを壊し、右足の親指付け根を痛めていたのだった。痛みは引いたと思っていたのだが、スキー靴を履くときは激痛が走った。だんだん身体のあちこちにガタが来るのう。
帰りの境峠。日本遺産と書いてあるが。
道中見えた中央アルプスの山。駒ヶ岳かな?カルデラのようにも見えるなあ。
2日とも好天に恵まれたのはラッキーだった。やはり分水嶺の南だからかな。
参考地図。長野周辺の分水嶺。
帰りはR19~R21と地道を走って、大垣から高速に乗り、12時を超えて西宮料金所を通過。3割引きは大きいからね。各務原付近で19:40にくら寿司に入ったら、入れなかった。「おお、マンボウだったな。」と、この旅で初めてその恩恵?を受けたのだった。最後の食事がコンビニご飯になったのはちょっと悲しかったなあ。面白いのは養老SAでは飲食店は終わっていたのに、多賀SAでは営業していたということだった。岐阜と滋賀の違いに依るんだろうが、高速道路は一律OKでいいのにと、この国の感染対策の柔軟性のなさを改めて感じたことだ。
総走行距離946.4km、燃費13.94km/Lのスキー旅であった。エスクードの雪道走行も試せてよかった。雪がない方がよかったけど。今年も野麦に来られたという確認の旅でもあった。あと何年可能だろう。
旅の戦利品は、地酒「七笑」のパックとささやかな栗きんとん。
途中のSAでつまみを買ったら「良味100選」のシリーズだった。どれも100円+税と安いので気に入って、帰ってからデイリーヤマザキで見つけて買った。佳き。
同じく帰ってからたまたまネットを見たら、車用マルチテーブルを安売りしていたので思わず購入。
でも、これから暖かくなるので不要だったかも(笑)。
2日目の朝、この日も晴れてくれた。野麦には以前はスキー場のロッジに泊まっていたが、客の減少や経営者の高齢化もあって、平日など泊まりにくくなったので、1時間ほどの所にある伊那市の宿に泊まるようになった。伊那市は「東に赤石山脈(南アルプス)、西に木曽山脈(中央アルプス)がそびえ、中央部を天竜川が縦断する。」という地勢である。伊那谷という呼び方もあるが盆地というイメージかな。標高は632mである。夏に一度来た(「木曽駒ケ岳『千畳敷カール』」)ぐらいで滞在したことはないのだが、暮らしやすそうな「レトロな街」(看板にあった)である。
南アルプス。
天竜川。
この日も朝8時に宿を出た。丘の上に車を停めて東の伊那の街を撮ってみた。
西には中央アルプス。
境峠は更に除雪が進んでいた。交通量が少ないのがなによりだ。
9:50駐車場着。
平日なので50台ぐらいしか車はなかったが、ゲレンデはきちんと圧雪されていた。
つらら。
地元出身の大関である御嶽海関の幟があった。
今年も拝むことが出来ました。乗鞍岳の美しい姿。
御嶽山の勇姿も。噴火警戒レベルが「2」に引き上げられたとのことだが。
北アルプスもくっきり!
おまけ。実際に見てないが木曽駒ヶ岳も見えるらしい。
コブコブなので行かなかったユリワリ上部から。FBの野麦のサイトから拝借しました。
リフト横の不思議な雪像。何に似てる?
1500円の平日シニア券で3時過ぎまで滑り倒して、無事車に戻った。
実は1週間前に川の段差でこけて、カメラのフィルターを壊し、右足の親指付け根を痛めていたのだった。痛みは引いたと思っていたのだが、スキー靴を履くときは激痛が走った。だんだん身体のあちこちにガタが来るのう。
帰りの境峠。日本遺産と書いてあるが。
道中見えた中央アルプスの山。駒ヶ岳かな?カルデラのようにも見えるなあ。
2日とも好天に恵まれたのはラッキーだった。やはり分水嶺の南だからかな。
参考地図。長野周辺の分水嶺。
帰りはR19~R21と地道を走って、大垣から高速に乗り、12時を超えて西宮料金所を通過。3割引きは大きいからね。各務原付近で19:40にくら寿司に入ったら、入れなかった。「おお、マンボウだったな。」と、この旅で初めてその恩恵?を受けたのだった。最後の食事がコンビニご飯になったのはちょっと悲しかったなあ。面白いのは養老SAでは飲食店は終わっていたのに、多賀SAでは営業していたということだった。岐阜と滋賀の違いに依るんだろうが、高速道路は一律OKでいいのにと、この国の感染対策の柔軟性のなさを改めて感じたことだ。
総走行距離946.4km、燃費13.94km/Lのスキー旅であった。エスクードの雪道走行も試せてよかった。雪がない方がよかったけど。今年も野麦に来られたという確認の旅でもあった。あと何年可能だろう。
旅の戦利品は、地酒「七笑」のパックとささやかな栗きんとん。
途中のSAでつまみを買ったら「良味100選」のシリーズだった。どれも100円+税と安いので気に入って、帰ってからデイリーヤマザキで見つけて買った。佳き。
同じく帰ってからたまたまネットを見たら、車用マルチテーブルを安売りしていたので思わず購入。
でも、これから暖かくなるので不要だったかも(笑)。
0223野麦峠スキー場vol.1 [旅日記]
0223野麦峠スキー場ラビット上部の、定点観測している枯れ木の樹氷。
0222
二月の初めから、いつ行こうかと待ち構えながら、例年にない悪天候続きのため、ずるずると予定を延ばしていた。野麦は信州でも南の方に位置するので、晴天率も高く、伊那ICまではチェーン規制もまずないのだが、今冬は南岸低気圧が繰り返し寄せてくるので、関ヶ原あたりも雪に埋まっている状況だった。23日だけ晴れとの予報だったので、前日の22日に出発することにしたのだった。朝10時過ぎに家を出たが、朝の時点では八日市から先が規制中だったので、そこから国道に下りるか、新名神回りにするのか決めかねていた。
11:40、大津SA着。琵琶湖の向こうに雪をかぶった比叡の山々が。
道路情報を見ると規制解除しているような。半信半疑で先を進む。八日市から先も通れて、無事関ヶ原を通過して大垣からR21へ。時間があったのと高速代の節約のためだったが、土岐からまた高速に乗ったので無意味だったかも。でも岐阜で給油というのもあったから仕方がない。いつもは各務原から坂祝バイパスを北上して、多治見に抜けるのだが、今回は今渡で左折し、土岐に抜ける道を選んでみた。土岐の手前に道の駅「志野織部」があったので立ち寄ってみた。
陶磁器の展示館「陶游館」。
館内は陶磁器でいっぱい。
お雛様も。
アマビエ様まであった。
駐車場を歩いていると、丘の上にも何かあるのに気付いた。
美濃焼のショップ・卸商社が集まる「織部ヒルズ」という商業団地が隣接していたのだった。
一つの店に入ってみた。
どの店も出入り自由のようで、陶磁器好きにはたまらない場所だなあと思ったが、先を急ぐのでざっと見ただけで道の駅を後にした。
土岐IC~小黒川ICと走って18時には伊那の宿に着いた。
夕食は去年も行った居酒屋「串正」で。
0223
朝、8時過ぎに宿を出て野麦に向かう。権兵衛トンネルの手前から見た雪山。
R19の藪原から県道に入ると道路に雪が。
境峠まではまだまだなのに、雪がびっしり付いているのは珍しい。チェーンを付けずにどこまで行けるか不安だったが、Snow ModeとHill Descent Controlを駆使して、なんとか境峠を越えてスキー場にたどり着くことが出来た。スバルもスバらしかったが、スズキのAWDも負けていないなと思ったことだよ。
スキー場は寒かった。最上部で-12℃。
晴れていたがこの日は乗鞍岳も御嶽山も雲がかかって見えなかった。
それでも、いい天気いい雪に恵まれて楽しく滑ることが出来た。やはり野麦は佳き。
3時過ぎまで滑って車に戻る。来た道をまた帰るのはためらわれたが、松本回りは時間もお金もかかるので再び境峠を目指す。
Snow Mode。
朝よりも除雪が進んでいて、なんとか権兵衛トンネルを通過できた。
帰りの車から見た雪山。
夜はワンコイン・イタリアンのCONAで。
前に訪れた時、大阪難波にもあると聞いて行ってみたがつぶれていた。こちらは安泰のようで安心した。
街を歩くと、ブラジルやフィリピンの食材店があってびっくり。
外国人労働者たちがこちらでも頑張っているんだな。
酔っ払い、歩き疲れて宿に帰り、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見ながら就寝。
0222
二月の初めから、いつ行こうかと待ち構えながら、例年にない悪天候続きのため、ずるずると予定を延ばしていた。野麦は信州でも南の方に位置するので、晴天率も高く、伊那ICまではチェーン規制もまずないのだが、今冬は南岸低気圧が繰り返し寄せてくるので、関ヶ原あたりも雪に埋まっている状況だった。23日だけ晴れとの予報だったので、前日の22日に出発することにしたのだった。朝10時過ぎに家を出たが、朝の時点では八日市から先が規制中だったので、そこから国道に下りるか、新名神回りにするのか決めかねていた。
11:40、大津SA着。琵琶湖の向こうに雪をかぶった比叡の山々が。
道路情報を見ると規制解除しているような。半信半疑で先を進む。八日市から先も通れて、無事関ヶ原を通過して大垣からR21へ。時間があったのと高速代の節約のためだったが、土岐からまた高速に乗ったので無意味だったかも。でも岐阜で給油というのもあったから仕方がない。いつもは各務原から坂祝バイパスを北上して、多治見に抜けるのだが、今回は今渡で左折し、土岐に抜ける道を選んでみた。土岐の手前に道の駅「志野織部」があったので立ち寄ってみた。
陶磁器の展示館「陶游館」。
館内は陶磁器でいっぱい。
お雛様も。
アマビエ様まであった。
駐車場を歩いていると、丘の上にも何かあるのに気付いた。
美濃焼のショップ・卸商社が集まる「織部ヒルズ」という商業団地が隣接していたのだった。
一つの店に入ってみた。
どの店も出入り自由のようで、陶磁器好きにはたまらない場所だなあと思ったが、先を急ぐのでざっと見ただけで道の駅を後にした。
土岐IC~小黒川ICと走って18時には伊那の宿に着いた。
夕食は去年も行った居酒屋「串正」で。
0223
朝、8時過ぎに宿を出て野麦に向かう。権兵衛トンネルの手前から見た雪山。
R19の藪原から県道に入ると道路に雪が。
境峠まではまだまだなのに、雪がびっしり付いているのは珍しい。チェーンを付けずにどこまで行けるか不安だったが、Snow ModeとHill Descent Controlを駆使して、なんとか境峠を越えてスキー場にたどり着くことが出来た。スバルもスバらしかったが、スズキのAWDも負けていないなと思ったことだよ。
スキー場は寒かった。最上部で-12℃。
晴れていたがこの日は乗鞍岳も御嶽山も雲がかかって見えなかった。
それでも、いい天気いい雪に恵まれて楽しく滑ることが出来た。やはり野麦は佳き。
3時過ぎまで滑って車に戻る。来た道をまた帰るのはためらわれたが、松本回りは時間もお金もかかるので再び境峠を目指す。
Snow Mode。
朝よりも除雪が進んでいて、なんとか権兵衛トンネルを通過できた。
帰りの車から見た雪山。
夜はワンコイン・イタリアンのCONAで。
前に訪れた時、大阪難波にもあると聞いて行ってみたがつぶれていた。こちらは安泰のようで安心した。
街を歩くと、ブラジルやフィリピンの食材店があってびっくり。
外国人労働者たちがこちらでも頑張っているんだな。
酔っ払い、歩き疲れて宿に帰り、ロシアのウクライナ侵攻のニュースを見ながら就寝。
0220 住吉川の河津桜咲き始める [日々の散策]
映画『コーダあいのうた』@109シネマズHAT神戸 [映画]
『コーダあいのうた』(原題:CODA)アメリカ・フランス・カナダ合作。
家族の中でただ1人の健聴者である少女が、素晴らしい歌の才能を持っていることを見出され、夢に向かって格闘するドラマ、ということで観に行った。2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるらしい。実話をもとにしているかどうかは不明だが、リメイクするに値する映画だということなのだろう。原題の "CODA" は音楽用語なのかな、と思っていたが、「Children of Deaf Adults(耳の聴こえない両親に育てられた子ども)」の意だということを初めて知った。TVの会見等や講演会などで、傍らで手話で内容を伝えているのは目にしていたが、耳の不自由な方が少なくないんだなあ、ぐらいの認識しかなかった。
この映画は、2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるとのことで、なぜ再び作られたのかという事情はよく分からないが、いい映画だったからということは間違いないことだろう。素晴らしい作品でも、時がたつと忘れ去られてしまうというのは、めまぐるしく新たな情報が通り過ぎていく現代社会の常なので、一定期間をおいて再び世に問いかけるというのは意味があることなのかもしれない。
物語の舞台は明示されていないが、ロケ地がマサチューセッツ州グロスターだったようなので、そこの港町とイメージして構わないだろう。映画の中でバークリー音楽大学の入学試験に車で向かうという場面もあったし。その街で漁師をして暮らしている一家があって、両親と兄が聾者である中で、一人だけ健聴者である少女ルビー(エミリア・ジョーンズ)が物語の主人公である。幼いころから家族の手伝いをして、漁や獲れた魚を市場に卸す作業をしていた。その一方で、CODAとして家族の中では手話を使っていたため、会話に不慣れな所もあり、級友からは好奇と嘲りの目で見られ、内向的になっていた。
そんな中で、学校の合唱部に入部したことが、彼女の何かを変えていく。顧問の先生がルビーの歌の才能に気付き、特別指導をしていく中で、バークリーへの進学を勧める。希望を抱くルビーだが、そうなると家業を助けることが出来なくなってしまう。家族はどのように反応したのか、そしてルビーはどう決断するのか…。何か最近よく観ているBSの『英雄たちの選択』風になってしまったが、これ以上はネタバレになるので。
母親ジャッキー役のマーリー・マトリンも父親フランク役のトロイ・コッツァーも聴覚障害を持つ俳優だという。彼らが演じる家族は、野放図なくらい明るく奔放で、我々の持っているかもしれない先入観を見事に壊してくれていた。映画だからかも知れないけど。ルビーは本来持っている明るさの外側に、周囲に対する心の殻を被っているデリケートな心情を巧みに表現していた。最初はおずおずと歌っていた彼女が、次第に殻を破って伸びやかな歌声に変わっていくのが興味深かった。
合唱部の発表会の場面で、突然すべての音が30秒ほど消えた時があった。ああ、これがルビーの家族が観ているコンサートの情景なんだと思った。終わりの方の場面で、ルビーがジョニ・ミッチェルの"Both Sides Now" を歌っている時、突然手話を交えて歌い出したのだが、ルビーの中で何かが変わっていった瞬間だったのだと思う。いつも思うのだが、よく知っている歌が映画の中で使われると、全く別の輝きを持つことに驚く。いい歌、いい映画を見せてもらった。
マーリー・マトリンのインタビューの一部を最後に紹介しておく。
「この映画を見た人に、この映画に登場するような、耳の聞こえない親を持つ子供が実際に存在するということを知ってもらいたい。私たちの生活に手話というコミュニケーション手段が欠かせないのだということも。それに、同じような物語は山ほどあります。毎日のように起きています。こういった物語を伝えていく必要があります。この物語を皆と共有できる機会を持てて、とても嬉しい」
CODA I Both Sides Now - Emilia Jones I Music Video
<参考>
映画とは直接関係ないが、CODAについて興味深い記事があったのでリンクを貼っておく。
「耳の聴こえない親に育てられた、聴こえる子どもたち『コーダ』は何を抱え、何に苦しんでいるのか」(五十嵐 大)
https://bunshun.jp/articles/-/38612
青春の光と影[私の好きな20世紀の唄たち]vol.17
https://hobot2.blog.ss-blog.jp/2015-04-20
家族の中でただ1人の健聴者である少女が、素晴らしい歌の才能を持っていることを見出され、夢に向かって格闘するドラマ、ということで観に行った。2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるらしい。実話をもとにしているかどうかは不明だが、リメイクするに値する映画だということなのだろう。原題の "CODA" は音楽用語なのかな、と思っていたが、「Children of Deaf Adults(耳の聴こえない両親に育てられた子ども)」の意だということを初めて知った。TVの会見等や講演会などで、傍らで手話で内容を伝えているのは目にしていたが、耳の不自由な方が少なくないんだなあ、ぐらいの認識しかなかった。
この映画は、2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるとのことで、なぜ再び作られたのかという事情はよく分からないが、いい映画だったからということは間違いないことだろう。素晴らしい作品でも、時がたつと忘れ去られてしまうというのは、めまぐるしく新たな情報が通り過ぎていく現代社会の常なので、一定期間をおいて再び世に問いかけるというのは意味があることなのかもしれない。
物語の舞台は明示されていないが、ロケ地がマサチューセッツ州グロスターだったようなので、そこの港町とイメージして構わないだろう。映画の中でバークリー音楽大学の入学試験に車で向かうという場面もあったし。その街で漁師をして暮らしている一家があって、両親と兄が聾者である中で、一人だけ健聴者である少女ルビー(エミリア・ジョーンズ)が物語の主人公である。幼いころから家族の手伝いをして、漁や獲れた魚を市場に卸す作業をしていた。その一方で、CODAとして家族の中では手話を使っていたため、会話に不慣れな所もあり、級友からは好奇と嘲りの目で見られ、内向的になっていた。
そんな中で、学校の合唱部に入部したことが、彼女の何かを変えていく。顧問の先生がルビーの歌の才能に気付き、特別指導をしていく中で、バークリーへの進学を勧める。希望を抱くルビーだが、そうなると家業を助けることが出来なくなってしまう。家族はどのように反応したのか、そしてルビーはどう決断するのか…。何か最近よく観ているBSの『英雄たちの選択』風になってしまったが、これ以上はネタバレになるので。
母親ジャッキー役のマーリー・マトリンも父親フランク役のトロイ・コッツァーも聴覚障害を持つ俳優だという。彼らが演じる家族は、野放図なくらい明るく奔放で、我々の持っているかもしれない先入観を見事に壊してくれていた。映画だからかも知れないけど。ルビーは本来持っている明るさの外側に、周囲に対する心の殻を被っているデリケートな心情を巧みに表現していた。最初はおずおずと歌っていた彼女が、次第に殻を破って伸びやかな歌声に変わっていくのが興味深かった。
合唱部の発表会の場面で、突然すべての音が30秒ほど消えた時があった。ああ、これがルビーの家族が観ているコンサートの情景なんだと思った。終わりの方の場面で、ルビーがジョニ・ミッチェルの"Both Sides Now" を歌っている時、突然手話を交えて歌い出したのだが、ルビーの中で何かが変わっていった瞬間だったのだと思う。いつも思うのだが、よく知っている歌が映画の中で使われると、全く別の輝きを持つことに驚く。いい歌、いい映画を見せてもらった。
マーリー・マトリンのインタビューの一部を最後に紹介しておく。
「この映画を見た人に、この映画に登場するような、耳の聞こえない親を持つ子供が実際に存在するということを知ってもらいたい。私たちの生活に手話というコミュニケーション手段が欠かせないのだということも。それに、同じような物語は山ほどあります。毎日のように起きています。こういった物語を伝えていく必要があります。この物語を皆と共有できる機会を持てて、とても嬉しい」
CODA I Both Sides Now - Emilia Jones I Music Video
<参考>
映画とは直接関係ないが、CODAについて興味深い記事があったのでリンクを貼っておく。
「耳の聴こえない親に育てられた、聴こえる子どもたち『コーダ』は何を抱え、何に苦しんでいるのか」(五十嵐 大)
https://bunshun.jp/articles/-/38612
青春の光と影[私の好きな20世紀の唄たち]vol.17
https://hobot2.blog.ss-blog.jp/2015-04-20
0214 六甲山に雪 [日々の散策]
雪化粧をした今朝の六甲山。
このところ寒い日が続いていたが、この朝の外気温は7℃だった。暖かいなと思いながら、ふと山の方を見ると白くなっていた。雪だ、と思ったが、気温が高いのになぜ、とも思った。ここのところ南岸低気圧が次々とやってきて、関東地方に積雪が、とニュースで騒いでいた(なぜ東京の時ばかり大騒ぎになるのかといつも思うが)。この雪もその一環なのかなと思われた。
山が見える所を探して歩いたので、朝なのに5000歩を超えてしまった。
変わり映えはしないが、それぞれの場所からの写真。
一瞬信州の伊那あたりの街にいるような錯覚をおこした。実はこの日から野麦峠に旅立とうかと思っていたのだが、中央道の南部もチェーン規制があるようなので断念。天気予報でも雪・雪・雪なので、「晴れ」「パウダー」を必須とする高齢中級スキーヤーには、なかなか条件がそろわないのであった。
この朝も同じ鳥が。ビンズイかアオジかも。
ムクドリ集団。
蝋梅。
前日も足湯に行ったが、おっちゃんが掃除をしていたので断念。この日は9時半ぐらいに行ったが、湯の深さが20cmぐらいあって、これが正しい足湯なんだと得心。
見苦しい写真で失礼。
午後の住吉川。河津桜の蕾が膨らんでいた。もうすぐ開花。
紅梅もきれいに。
ロイヤルの屋上から見た夕日。
2月15日の満月(月齢14.23)。
月遅れの十五夜ですな。ちなみに2月の満月は「スノームーン」(雪の月)。
このところ寒い日が続いていたが、この朝の外気温は7℃だった。暖かいなと思いながら、ふと山の方を見ると白くなっていた。雪だ、と思ったが、気温が高いのになぜ、とも思った。ここのところ南岸低気圧が次々とやってきて、関東地方に積雪が、とニュースで騒いでいた(なぜ東京の時ばかり大騒ぎになるのかといつも思うが)。この雪もその一環なのかなと思われた。
山が見える所を探して歩いたので、朝なのに5000歩を超えてしまった。
変わり映えはしないが、それぞれの場所からの写真。
一瞬信州の伊那あたりの街にいるような錯覚をおこした。実はこの日から野麦峠に旅立とうかと思っていたのだが、中央道の南部もチェーン規制があるようなので断念。天気予報でも雪・雪・雪なので、「晴れ」「パウダー」を必須とする高齢中級スキーヤーには、なかなか条件がそろわないのであった。
この朝も同じ鳥が。ビンズイかアオジかも。
ムクドリ集団。
蝋梅。
前日も足湯に行ったが、おっちゃんが掃除をしていたので断念。この日は9時半ぐらいに行ったが、湯の深さが20cmぐらいあって、これが正しい足湯なんだと得心。
見苦しい写真で失礼。
午後の住吉川。河津桜の蕾が膨らんでいた。もうすぐ開花。
紅梅もきれいに。
ロイヤルの屋上から見た夕日。
2月15日の満月(月齢14.23)。
月遅れの十五夜ですな。ちなみに2月の満月は「スノームーン」(雪の月)。
0212今朝の散歩&足湯 [日々の散策]
朝の潮芦屋浜。
このところ毎朝寒いので、車に行って外気温を確かめ、その足で潮芦屋方面に移動して歩く、というのが最近の朝のルーティンになっている。海沿いの松林を歩いていると、
こんな鳥が。
ツグミのようにも見えるが、光の加減が羽がやや緑がかって見えた。
これはカワラヒラ。
水場で仲良く水を飲むヒヨドリ。
その後モールの駐車場に移動。
このコンビニの裏に足湯があるのだ。前から知っていたけど入ったことはなかった。
2日前の朝の散歩中、足湯に入っている人を見かけた。
その時は「寒いのに」と思っていたが、この日試してみることにしたのは何でだろう?
初足湯。
朝早かったからか、くるぶしあたりまでしかお湯はなかったが、十分温かくて寒さは感じなかった。タオルは持ってきておくべきだったと思ったが(笑)。
午後の散歩。
ジョウビタキ。
メジロ。
高台から見た大阪湾。幻想的。
夕方近くなって、FBで西郷川河口公園の河津桜が咲いているというので行ってみた。
住吉川のものもまだ蕾なのにと思っていたら、案の定河津桜はまだだった。
咲いていたのは十月桜だった。これと間違えたのではないか。
ここに河津桜がたくさんあるのは知っていたが、十月桜もあったのは新たな発見ではあった。
また河津桜が咲いた頃に来ようと思って公園を後にした。
西郷川河口の水鳥たち。
このところ毎朝寒いので、車に行って外気温を確かめ、その足で潮芦屋方面に移動して歩く、というのが最近の朝のルーティンになっている。海沿いの松林を歩いていると、
こんな鳥が。
ツグミのようにも見えるが、光の加減が羽がやや緑がかって見えた。
これはカワラヒラ。
水場で仲良く水を飲むヒヨドリ。
その後モールの駐車場に移動。
このコンビニの裏に足湯があるのだ。前から知っていたけど入ったことはなかった。
2日前の朝の散歩中、足湯に入っている人を見かけた。
その時は「寒いのに」と思っていたが、この日試してみることにしたのは何でだろう?
初足湯。
朝早かったからか、くるぶしあたりまでしかお湯はなかったが、十分温かくて寒さは感じなかった。タオルは持ってきておくべきだったと思ったが(笑)。
午後の散歩。
ジョウビタキ。
メジロ。
高台から見た大阪湾。幻想的。
夕方近くなって、FBで西郷川河口公園の河津桜が咲いているというので行ってみた。
住吉川のものもまだ蕾なのにと思っていたら、案の定河津桜はまだだった。
咲いていたのは十月桜だった。これと間違えたのではないか。
ここに河津桜がたくさんあるのは知っていたが、十月桜もあったのは新たな発見ではあった。
また河津桜が咲いた頃に来ようと思って公園を後にした。
西郷川河口の水鳥たち。
0209 青木バッティングセンター [日々の雑感]
0209 青木バッティングセンター
以前、阪神電車の線路沿いを歩いていた時、偶然見つけたのがこのバッティングセンターだった。青木駅から200m西に行ったところにあり、駐車場もあったのでいつか行こうと思っていたのだが。
外観はこんな感じ。
どこにも店名が書いてないのは不思議だった。唯一入り口のガラス戸に貼ってあったのがこのステッカーだけど、少し違う気もするなあ。
バッティングセンターに最後に行ったのは、かれこれ30年前だったように思う。一応中学時代は軟式野球部に所属していたので、全くの素人ではないのであるが、ブランク50年以上ではそうも言えないだろう。
店内の様子。なかなかきれいである。
自動販売機でカードを購入する。(1回券400円、3回券1000円、7回券2000円、12回券3000円)1000円のカードを買ってゲートに入った。まごまごしていたら、おっちゃんが入ってきて教えてくれた。後でネットで調べると、おっちゃんが不愛想で2度と行かない、とのコメントが散見されたが、この日は機嫌が良かったのかも知れない。
私の顔を見て80km?と口走ったので、少しムッとしたが、当然と言えば当然なので、軟球の80kmで打ち始めたが、初めは球が見えなかった。動体視力が相当衰えているのを痛感した。それでも10球目ぐらいから当たるようになり、ライナー性の打球もいくつか。
ゲートの後ろにカメラを置いて記念の自撮り。動画からのキャプチャー。
後で入ってきた元高校球児らしい体躯のお兄ちゃんが、硬球で鋭い当たりを連発していたので、ちょっとしゅんとなってしまった。齢はとりたくないのう。
3回目に硬球も試してみたが、さすがに手に衝撃があった。3ゲームも打つと少し汗ばんできて、いい運動になった気がした(冷や汗だったかも)。コロナ禍が続く中、ウォーキング以外の運動で、一人で出来るので、時々来てバットを振ろうかなと思ったことだよ。次もおっちゃんの機嫌が良いといいんだけど。
以下、2月上旬の散歩の中の写真をいくつか。
だいぶん咲いてきた梅の花。
梅にメジロ。
ジョウビタキもよく見かける。
ヒヨドリ。
菜の花。
夕陽。
以前、阪神電車の線路沿いを歩いていた時、偶然見つけたのがこのバッティングセンターだった。青木駅から200m西に行ったところにあり、駐車場もあったのでいつか行こうと思っていたのだが。
外観はこんな感じ。
どこにも店名が書いてないのは不思議だった。唯一入り口のガラス戸に貼ってあったのがこのステッカーだけど、少し違う気もするなあ。
バッティングセンターに最後に行ったのは、かれこれ30年前だったように思う。一応中学時代は軟式野球部に所属していたので、全くの素人ではないのであるが、ブランク50年以上ではそうも言えないだろう。
店内の様子。なかなかきれいである。
自動販売機でカードを購入する。(1回券400円、3回券1000円、7回券2000円、12回券3000円)1000円のカードを買ってゲートに入った。まごまごしていたら、おっちゃんが入ってきて教えてくれた。後でネットで調べると、おっちゃんが不愛想で2度と行かない、とのコメントが散見されたが、この日は機嫌が良かったのかも知れない。
私の顔を見て80km?と口走ったので、少しムッとしたが、当然と言えば当然なので、軟球の80kmで打ち始めたが、初めは球が見えなかった。動体視力が相当衰えているのを痛感した。それでも10球目ぐらいから当たるようになり、ライナー性の打球もいくつか。
ゲートの後ろにカメラを置いて記念の自撮り。動画からのキャプチャー。
後で入ってきた元高校球児らしい体躯のお兄ちゃんが、硬球で鋭い当たりを連発していたので、ちょっとしゅんとなってしまった。齢はとりたくないのう。
3回目に硬球も試してみたが、さすがに手に衝撃があった。3ゲームも打つと少し汗ばんできて、いい運動になった気がした(冷や汗だったかも)。コロナ禍が続く中、ウォーキング以外の運動で、一人で出来るので、時々来てバットを振ろうかなと思ったことだよ。次もおっちゃんの機嫌が良いといいんだけど。
以下、2月上旬の散歩の中の写真をいくつか。
だいぶん咲いてきた梅の花。
梅にメジロ。
ジョウビタキもよく見かける。
ヒヨドリ。
菜の花。
夕陽。
0204琵琶湖バレイスキー場 [日帰り旅]
0204琵琶湖バレイスキー場。ゲレンデから眼下に琵琶湖の絶景が。
週末は北陸あたりが大雪になりそうなので、この日近場でと琵琶湖バレイに行くことにした。チェーンも安いのを買ったけど、できれば使いたくないので。初スキーとしては遅めになったが、この歳になってもまだ頑張れるぞと確認する意味合いもなくはない。いつも足慣らしで終わるのが常なのだけど。
7時過ぎに家を出て、名神・湖西道路と走ると9時半過ぎにはスキー場に着いた。やはり近いね。駐車場は上から三つ目あたりに入れることが出来た。
駐車場からの情景。
ロープウェイに乗る。ここだけは定員まで乗せるのでかなり密。窓際に黙して立つ。
前日の予報では3時まで曇りだったが、割と晴れていたのでラッキー。
琵琶湖大橋遠望。
スキー場遠望。これは昼過ぎに撮ったもの。
ハイシーズンなので全リフト運行かと思ったが、そうではなかったのが残念。でも風景を見に来たようなものだから佳しとする。
スキー場の背後を琵琶湖が囲む情景は美しい。
琵琶湖テラスにも行ってみた。
不思議な氷の造形。偶然の技?
再びゲレンデへ。
スキー板も靴もいつダメになってもおかしくない状態で、今冬買ったのはスキーパンツのみだが、減量の成果かずいぶんスリムに見えるのが少しうれしい。
相変わらずスキーはちょっともうまくならないけどね。
晴れてないと普通のスキー場でしかない琵琶湖バレイなので、行かれる場合は是非天気の良い日を選ぶのが良いと思ったことだ。スキー抜きでも絶景を楽しむことが出来ます。
何より近いのがいい。
往復197.7kmで16.4km/lと好燃費であった。雪道走行の練習にはならなかったなあ。
週末は北陸あたりが大雪になりそうなので、この日近場でと琵琶湖バレイに行くことにした。チェーンも安いのを買ったけど、できれば使いたくないので。初スキーとしては遅めになったが、この歳になってもまだ頑張れるぞと確認する意味合いもなくはない。いつも足慣らしで終わるのが常なのだけど。
7時過ぎに家を出て、名神・湖西道路と走ると9時半過ぎにはスキー場に着いた。やはり近いね。駐車場は上から三つ目あたりに入れることが出来た。
駐車場からの情景。
ロープウェイに乗る。ここだけは定員まで乗せるのでかなり密。窓際に黙して立つ。
前日の予報では3時まで曇りだったが、割と晴れていたのでラッキー。
琵琶湖大橋遠望。
スキー場遠望。これは昼過ぎに撮ったもの。
ハイシーズンなので全リフト運行かと思ったが、そうではなかったのが残念。でも風景を見に来たようなものだから佳しとする。
スキー場の背後を琵琶湖が囲む情景は美しい。
琵琶湖テラスにも行ってみた。
不思議な氷の造形。偶然の技?
再びゲレンデへ。
スキー板も靴もいつダメになってもおかしくない状態で、今冬買ったのはスキーパンツのみだが、減量の成果かずいぶんスリムに見えるのが少しうれしい。
相変わらずスキーはちょっともうまくならないけどね。
晴れてないと普通のスキー場でしかない琵琶湖バレイなので、行かれる場合は是非天気の良い日を選ぶのが良いと思ったことだ。スキー抜きでも絶景を楽しむことが出来ます。
何より近いのがいい。
往復197.7kmで16.4km/lと好燃費であった。雪道走行の練習にはならなかったなあ。
節分・立春そして春節 [日々の雑感]
今年の我が家の恵方巻はこんな感じ。サラダとのコラボが不釣り合い?
毎年恵方巻のフードロスが取りざたされているが、今年は3日の夜8時ごろに近くのスーパーに行ったら、朝たくさん並んでいた恵方巻がすべてなくなっていた。量を減らして売り切ったとしたらよいことなのだろう。コンビニでも予約制になったりしているようだから、この狂乱もやっとおさまりそうだ。
今年は2月1日が旧暦の1月1日になるようだ。ちょうどひと月遅れになるのは珍しいなと思った。旧正月が年によって太陽暦の1月中旬から2月中旬の間を移動することは漠然と知っていたが、改めて調べてみると「旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。」とある(wiki)。ちなみに2021年の旧正月は2月12日だったようで、インバウンドで旧正月(春節)の休暇を利用して来日する日が年によって違うと感じていた理由が腑に落ちた。日本では大々的に旧正月を祝う地方はほとんどないからなあ。
南京町の春節祭(webから)。
一方節分と立春は毎年日が決まっているが、これは立春を含む二十四節気が、太陽の動きをもとにして作られているからで、太陽暦とのずれがほぼないのだった。太陰暦が年によって実際の季節とずれてしまうのを補完する意味合いがあったのだろう。
「古今和歌集」巻第一春歌の初めに、
ふる年に春立ちける日よめる 在原元方
年の内に春はきにけりひととせを こぞとやいはむことしとやいはん
という歌が置かれているが、これは例えば2021年は2月12日が新年で、立春がその前に来たことを歌ったものだろう。他愛のない歌であるが、暦と二十四節気のずれを皮肉ったもので、それはそれで興味深い。
この時期の鳥たち。
日本人が顧みなくなった旧正月の風習を、中国や近隣の国々が大事にしているというのは、どういうことだろうと考えたりする。そこには、明治維新の結果、西欧化を急ぐ中で旧来の風習を、旧弊として簡単に捨て去ってしまった部分は、少なからずあったのではないか。そしてそれは1945年の敗戦の後にもあったのではないかという気がする。それは、大事なことを進歩という名のもとにいとも簡単に捨ててしまう、この国の国民性のようなものと関係があるのではないかと思ったりしている。お隣の国で春節に合わせて五輪を開催しているのを横目に、他愛のないことをつぶやく瘋癲老人であった。
立春の日の宵月(月齢3.19)。
毎年恵方巻のフードロスが取りざたされているが、今年は3日の夜8時ごろに近くのスーパーに行ったら、朝たくさん並んでいた恵方巻がすべてなくなっていた。量を減らして売り切ったとしたらよいことなのだろう。コンビニでも予約制になったりしているようだから、この狂乱もやっとおさまりそうだ。
今年は2月1日が旧暦の1月1日になるようだ。ちょうどひと月遅れになるのは珍しいなと思った。旧正月が年によって太陽暦の1月中旬から2月中旬の間を移動することは漠然と知っていたが、改めて調べてみると「旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。」とある(wiki)。ちなみに2021年の旧正月は2月12日だったようで、インバウンドで旧正月(春節)の休暇を利用して来日する日が年によって違うと感じていた理由が腑に落ちた。日本では大々的に旧正月を祝う地方はほとんどないからなあ。
南京町の春節祭(webから)。
一方節分と立春は毎年日が決まっているが、これは立春を含む二十四節気が、太陽の動きをもとにして作られているからで、太陽暦とのずれがほぼないのだった。太陰暦が年によって実際の季節とずれてしまうのを補完する意味合いがあったのだろう。
「古今和歌集」巻第一春歌の初めに、
ふる年に春立ちける日よめる 在原元方
年の内に春はきにけりひととせを こぞとやいはむことしとやいはん
という歌が置かれているが、これは例えば2021年は2月12日が新年で、立春がその前に来たことを歌ったものだろう。他愛のない歌であるが、暦と二十四節気のずれを皮肉ったもので、それはそれで興味深い。
この時期の鳥たち。
日本人が顧みなくなった旧正月の風習を、中国や近隣の国々が大事にしているというのは、どういうことだろうと考えたりする。そこには、明治維新の結果、西欧化を急ぐ中で旧来の風習を、旧弊として簡単に捨て去ってしまった部分は、少なからずあったのではないか。そしてそれは1945年の敗戦の後にもあったのではないかという気がする。それは、大事なことを進歩という名のもとにいとも簡単に捨ててしまう、この国の国民性のようなものと関係があるのではないかと思ったりしている。お隣の国で春節に合わせて五輪を開催しているのを横目に、他愛のないことをつぶやく瘋癲老人であった。
立春の日の宵月(月齢3.19)。
0202雪の「美山かやぶきの里」@京都府南丹市美山町 [日帰り旅]
茅葺屋根の雪は半ば屋根から落ちていたが、それはそれで風情ある集落だった。
雪の京都に行ったのはもう2週間も前だった。その時美山まで足を伸ばそうかとも思ったが、時間がなかったので断念していた。それからずっと寒い日が続いたので、少しは雪が見られるかなと、この日車を走らせた。11時過ぎに出て、舞鶴道の丹南篠山口から地道を東へ。神戸からはこちらのルートの方がいい気がしたのだ。
13時ごろ道の駅「京都新光悦村」でトイレ休憩。
「博士ちゃん」で紹介されていたという「大黒本しめじ」があったので購入。
この辺りまでの道には雪が全くなかったので、これはダメかなと思いながら走っていると、次第に道端に残っている雪が見えてきた。
14時、かやぶきの里の駐車場に到着。
大きな雪だるま?がお出迎え。
駐車場の傍の川に出てみた。
由良川はこんなところを流れているんだ。曽禰好忠の『由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな』の歌にあるように、宮津が河口なのでここがその上流とは意外だった。
雪の中に藁の三角錐の形の藁のようなものが点在していた。
藁ではなく「茅塚」といって、刈った茅をこうやって乾燥させているのだった。かやぶきの里ならではだな。
集落を遠望。
瓦屋根の方が雪が残っているのが面白い。茅葺の方が勾配が急で雪がずり落ちやすいんだな。
集落を歩いてみた。
立派な道標。観光地なんだなと改めて思う。
雪に埋もれた祠と見えたのは「放水銃」といって消防用のホースが格納されているのだった。
屋根からずり落ちた雪が軒下まで積み上がっている。子供の頃の実家を思い出した。
私が10歳の頃はちょうど38豪雪の頃で、冬中根雪があり、屋根から落ちた雪に囲まれて、冷蔵庫の中にいるようだった。そんな記憶もよみがえってきた。
高台にある鎌倉神社。
文字通り古民家のカフェが営業していたので入ってみた。
間取りは昔のままのようだが、襖や障子の一部はガラス戸になっていた。
広い縁側の席に座って珈琲を頼んだ。窯焼きのピザも美味しそうだったけど。
茅葺の屋根の端とガラス戸に映ったランプ風の電灯。佳き。
故郷の家で寛いでいる気分で、美味しい珈琲を頂いた。
門番をしてくれていたワンちゃん、ありがとうね。
さて、もう少し歩いてみよう。
屋根の上にはジョウビタキ。
どこを歩いても風情があった。平日で観光客も少なかったので余計にしみじみとした雰囲気でよかった。
15:30、駐車場に戻った。ルーフキャリアを付けてSUVらしくなった愛車。
帰る途中、道の駅「美山ふれあい広場」にも立ち寄った。
地元産の「美山牛乳」の自販機があったので買ってみた。大きなタンクがあったのでここに集積しているのかな。
17時ごろ、雲の具合なのか不思議な夕日が見えたので、車を停めて撮ってみた。
思い付きでふらっと行った美山だったが行ってよかった。この週末再び雪になりそうなので、その後に行くのがいいかもしれない。道路事情もあるからタイミングは難しいけど。
今回の戦利品。
雪の京都に行ったのはもう2週間も前だった。その時美山まで足を伸ばそうかとも思ったが、時間がなかったので断念していた。それからずっと寒い日が続いたので、少しは雪が見られるかなと、この日車を走らせた。11時過ぎに出て、舞鶴道の丹南篠山口から地道を東へ。神戸からはこちらのルートの方がいい気がしたのだ。
13時ごろ道の駅「京都新光悦村」でトイレ休憩。
「博士ちゃん」で紹介されていたという「大黒本しめじ」があったので購入。
この辺りまでの道には雪が全くなかったので、これはダメかなと思いながら走っていると、次第に道端に残っている雪が見えてきた。
14時、かやぶきの里の駐車場に到着。
大きな雪だるま?がお出迎え。
駐車場の傍の川に出てみた。
由良川はこんなところを流れているんだ。曽禰好忠の『由良のとを 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな』の歌にあるように、宮津が河口なのでここがその上流とは意外だった。
雪の中に藁の三角錐の形の藁のようなものが点在していた。
藁ではなく「茅塚」といって、刈った茅をこうやって乾燥させているのだった。かやぶきの里ならではだな。
集落を遠望。
瓦屋根の方が雪が残っているのが面白い。茅葺の方が勾配が急で雪がずり落ちやすいんだな。
集落を歩いてみた。
立派な道標。観光地なんだなと改めて思う。
雪に埋もれた祠と見えたのは「放水銃」といって消防用のホースが格納されているのだった。
屋根からずり落ちた雪が軒下まで積み上がっている。子供の頃の実家を思い出した。
私が10歳の頃はちょうど38豪雪の頃で、冬中根雪があり、屋根から落ちた雪に囲まれて、冷蔵庫の中にいるようだった。そんな記憶もよみがえってきた。
高台にある鎌倉神社。
文字通り古民家のカフェが営業していたので入ってみた。
間取りは昔のままのようだが、襖や障子の一部はガラス戸になっていた。
広い縁側の席に座って珈琲を頼んだ。窯焼きのピザも美味しそうだったけど。
茅葺の屋根の端とガラス戸に映ったランプ風の電灯。佳き。
故郷の家で寛いでいる気分で、美味しい珈琲を頂いた。
門番をしてくれていたワンちゃん、ありがとうね。
さて、もう少し歩いてみよう。
屋根の上にはジョウビタキ。
どこを歩いても風情があった。平日で観光客も少なかったので余計にしみじみとした雰囲気でよかった。
15:30、駐車場に戻った。ルーフキャリアを付けてSUVらしくなった愛車。
帰る途中、道の駅「美山ふれあい広場」にも立ち寄った。
地元産の「美山牛乳」の自販機があったので買ってみた。大きなタンクがあったのでここに集積しているのかな。
17時ごろ、雲の具合なのか不思議な夕日が見えたので、車を停めて撮ってみた。
思い付きでふらっと行った美山だったが行ってよかった。この週末再び雪になりそうなので、その後に行くのがいいかもしれない。道路事情もあるからタイミングは難しいけど。
今回の戦利品。
神戸ホンキートンク2月のスケジュールなど [神戸ホンキートンクライブ日程]
日はまた昇ると思いたいですがね。(1月31日の日の出)
オミクロン株が全国的に感染爆発して、再々度の蔓延防止措置が発出されてしまいました。今回の株は感染力は強いが重症化は少ないとか、飲食店以外の感染の方が多いとも言われていますが、行政の施策は一年前と変わりがないもののように思われます。結局はマンボウを出したということで国民の自粛の気持ちが強くなることに頼っているかのような。その結果飲食店には相変わらず時短を強いることになってしまっていますね。
ライブハウスも、せめて10時までの営業にしてもらえたら、少しは何とかなりそうに思うのですが、そういう事情は考慮されないみたいですね。正しくコロナを恐れるというのは、お店もお客も感染防止策をきっちりやって、人数制限のもと営業することと思うのですが、実際は解除されたら集まり騒ぎ、マンボウが出たらお店に行かなくなる、の繰り返しのように思われます。ピークアウトを待つしかないのでしょうか。
神戸ホンキートンク2月のスケジュールがFBにアップされたので転載します。バンド出演は今のところ多くはないですが、時短を守りながら頑張って営業されているようです。今自粛されているバンドも状況によってはやることになるかもですので、お店に問い合わせの上お越しください。
一年前にやったこの曲、何の邪気払いにもならなかったなあ。
Corona Stay Away From Me
神戸ホンキートンク
神戸市中央区加納町2-2-2
Tel:078-241-2161
神戸ホンキートンク2月のスケジュール
(クリックすると少し大きくなります)
それでは、今月もよろしくお願いいたします。
オミクロン株が全国的に感染爆発して、再々度の蔓延防止措置が発出されてしまいました。今回の株は感染力は強いが重症化は少ないとか、飲食店以外の感染の方が多いとも言われていますが、行政の施策は一年前と変わりがないもののように思われます。結局はマンボウを出したということで国民の自粛の気持ちが強くなることに頼っているかのような。その結果飲食店には相変わらず時短を強いることになってしまっていますね。
ライブハウスも、せめて10時までの営業にしてもらえたら、少しは何とかなりそうに思うのですが、そういう事情は考慮されないみたいですね。正しくコロナを恐れるというのは、お店もお客も感染防止策をきっちりやって、人数制限のもと営業することと思うのですが、実際は解除されたら集まり騒ぎ、マンボウが出たらお店に行かなくなる、の繰り返しのように思われます。ピークアウトを待つしかないのでしょうか。
神戸ホンキートンク2月のスケジュールがFBにアップされたので転載します。バンド出演は今のところ多くはないですが、時短を守りながら頑張って営業されているようです。今自粛されているバンドも状況によってはやることになるかもですので、お店に問い合わせの上お越しください。
一年前にやったこの曲、何の邪気払いにもならなかったなあ。
Corona Stay Away From Me
神戸ホンキートンク
神戸市中央区加納町2-2-2
Tel:078-241-2161
神戸ホンキートンク2月のスケジュール
(クリックすると少し大きくなります)
それでは、今月もよろしくお願いいたします。