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映画『ゴジラ-1.0』(英題: GODZILLA MINUS ONE) [映画]

映画『ゴジラ-1.0』(英題: GODZILLA MINUS ONE)
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『ゴジラ-1.0』を観てきた。年末から話題になっていたが、外出しにくい事情もあって今の時期になってしまった。どの映画館も日に1・2度の上映になっていたが、午後4時の上映があったので、夜のホンキーのライブとセットに出来るなと思ったのだった。この手の特撮映画はほとんど観ないのだが、前に『シン・ゴジラ』は観たなと思って調べると、もう8年も前だった(映画『シン・ゴジラ』)。時の経つことの速さよ。
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さて、今回のこの映画はむしろ海外での評価が高く、それが還流して日本でも評価されてきたという一面もあったようだ。かくいう私もそれに乗って遅ればせながら観に行ったのだが。特に特撮技術が質の落ちた近年のアメリカ映画に比べて素晴らしいという評価だったらしい、知らんけど。
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今回のゴジラは、歴代のゴジラ作品が1946年夏にアメリカ軍によるビキニ環礁核実験の際、放射能の影響で巨大化したものだと大体想定されているようだが、それより一年前に初めてゴジラが出現したことになっている。小笠原諸島にある架空の島「大戸島」には呉爾羅(ごじら)という怪物の伝承があったという話は初代作品にも出ているようだが、1945年の時点ですでに出現していたというのは新しい設定なのかな。核実験以前にある程度巨大だったというのは少々リアリティに欠ける気がするが、この手の作品にそれを求めるのは野暮というものだろう。
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この作品が、戦争末期から敗戦・戦後という流れの中で、それぞれが持っていた負の遺産(マイナス)と闘い、ゴジラとの戦いの中でそれらを乗り越えていく過程を描きたかったのだとすれば、主人公敷島浩一(神木隆之介)が特攻隊員でありながら特攻機の故障として大戸島に不時着し、生き延びたことの負い目から逃れられずにいたこと、もう一人の主人公大石典子(浜辺美波)が家族を空襲で失い、偶然遭遇した孤児の赤ん坊を抱え絶望の中彷徨っていた、という設定が必要だったのかな。
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朝ドラと同じ神木・浜辺のコンビだったので、どう化けるかなと思って観ていた。初めは汚れた顔と服装で、おお、朝ドラとは違う感じと思っていたが、後半になるにしたがって、だんだん朝ドラの二人に近づいて見えてしまって笑ってしまった。シン・ゴジラと違って、時の政府はあてにならないからと、民間の力でゴジラに挑もうとしているのが、昔も今も変わらぬ政治への不信・批判が現れていた点に好感が持てたが、その分「下町ロケット」風になっているので、発想は面白いけど、など突っ込みどころ満載で、そのあたりも楽しめたと思ったことだよ。



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映画『PERFECT DAYS』@シネリーブル神戸 [映画]

映画『PERFECT DAYS』@シネリーブル神戸
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久しぶりに映画を観た。この年末年始は足の怪我で無理だったが、それだけの理由ではなかったかも知れない。何しろ半年ぶりだったのだから。映画も含めてもう少しアクティブに行動すべきかなとも思ったが、この映画を観て、そうでもないのかな、しゃかりきに生きなくても、豊饒な日々を送ることが出来るのかも、このままでもいいのかも、と自身を振り返ることもできた佳き映画であった。
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あの役所広司がトイレの清掃員役で主演する映画だということで、地味な映画かな、と思う反面興味をそそられる設定であった。東京・渋谷を舞台にトイレ清掃員として働く中年男平山の日常を描くということであったが、実際映画が始まると、本当に彼が早朝アパートを出て、清掃員として真面目に働き、仕事が終わると銭湯に行き、行きつけの居酒屋で酎ハイを飲み、家に帰って読みかけの文庫本の続きを飲みながら寝落ちする日々を繰り返し描いていた。
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平山が清掃する様々な公衆トイレはユニークなものが多く、それは「THE TOKYO TOILET プロジェクト」によって造られたもので、外国の方からだとさらに驚嘆するものであっただろう。ドイツ人の監督ビム・ベンダースが"COOL JAPAN"の一つとしてモチーフにしたのもうなずける。それ以外の平山の生活ぶりにも、日本人なら当たり前のことを新鮮に受け止めている視点が随所にうかがえる。
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彼の生き様は平凡でささやかで、それまでの人生のどこかで挫折を味わった結果なのかも、と思わせるところがある。それでいて彼は、毎日のルーティンを生き生きとこなし、楽しんでいるようにも見える。「人生は一つではない」という彼の言葉は、「成功」を求めることが人生の全てではない、ということを実感し具現化しているようにも見える。なぜか映画を観た後で、河島英五の「時代おくれ」という歌が脳裏に浮かんだ。
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木漏れ日。
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こんな方々も出演!
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というわけで、我々からすれば「足るを知る」という市井のささやかな生き方が、ドイツの人から見るとどのように映るか、という映画のように見えた。カンヌ映画祭で評価を受けたのは、そういう理由であったのかもしれない。でも、彼が日々の暮らしの中で、何を大切に思い生きているのかということは、とりもなおさず自分の今を振り返り、内省するに十分な材料を与えてくれた。自分がもう処分してしまったカセットテープで鳴らされる70年代の名曲の数々も、またたどっていきたいと考えている。

映画館を出たのは4時半ごろ。旧居留地では今年から日時を変え、装いも新たにしたルミナリエが始まろうとしていた。この日が最終日だったのかな。まだ暗くなる前できらびやかさはあまりなかったが、偶然見ることができて心の中に灯が点ったような気がした。
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映画『パリタクシー』@kino cinema 神戸国際 [映画]

映画『パリタクシー』@kino cinema 神戸国際
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原題:Une belle course(美しき旅路)2022年フランス製作
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なかなか良いフランス映画、と紹介されていたので観に行くことにした。「免停寸前のタクシー運転手と92歳のマダムのパリ横断旅を描いたヒューマンドラマ」とあったが、パリの街をぐるぐるタクシーで廻っているうちに、様々な事件に巻き込まれていく、というような展開なのかな、と思いながら観たのだが、事前にレビューなど読まなくてよかったと思ったのだった。それくらいよくできた映画だったが、事前に構成を知っているとネタバレになって、感動は3割減になるようにも思われるので、この稿を読んで行ってみようと思われた方は、是非予断を排して観ていただきたいと思う。
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ここでやめるわけにもいかないので、あらすじの一部を紹介しておく。「タクシー運転手として働くシャルルは、金なし・休みなし・免停寸前という人生最大の危機を迎えていた。そんなある日、タクシーに乗せた客マドレーヌから、寄り道しながらパリを横断してほしいと依頼が…。」
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客となった女性マドレーヌは92歳の女性で、これからパリの街の反対側にある養老院に入るという。演じているのはシャンソン歌手のリーヌ・ルノーという方で、実年齢もほぼ同じだが、凛とした気品のある方だった。こんな風に歳をとりたいものだと思った。
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あまり気の進まない仕事だが、金のために引き受けた運転手のシャルルを演じるのはコメディアンのダニー・ブーン。初めはふてくされがちだった彼が、この奇妙な"One Day Trip"の中で次第に変化していく様を見事に演じていた。

二人が立ち寄ったパリの街の場所々々は、彼女の人生にとって特別な意味のある場所だった。そこで語られたのは、戦後間もなくからベトナム戦争の時期までを、時代と闘いながら生き抜いた一人のフランス女性の壮絶な人生だった。
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二人が車で巡ったパリの街の風景はどれも美しかった。これだけでもこの映画を観る価値はあると思われた。この街で生きた彼女の人生は美しかったと言えるだろうか、それとも…。映画の中の節々で印象的に流れていたのはJazzの名曲たちだった。なぜフランス映画でジャズが?とも思ったが、ステファン・グラッペリやジャンゴ・ラインハルトらが、戦後のパリで活躍していたことに思いが及び、何となく腑に落ちた気がした。

サントラではないが3曲ほどyoutubeからあげておく。
Etta James - At Last ようやく私に愛が訪れた…
https://www.youtube.com/watch?v=S-cbOl96RFM
This Bitter Earth - Dinah Washington このほろ苦い地球で、愛はなんのためにあるの…
https://www.youtube.com/watch?v=BmEhO1OiEkY
On The Sunny Side of the Street - Dinah Washington 悩み事は玄関に置いて…
https://www.youtube.com/watch?v=1aG-wt983kc

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彼女が人生を終えるにあたって「すべてが一瞬の夢のよう」と語っていた。ふと中島敦の『山月記』の中の「理由も分からずに押し付けられたものをおとなしく受け取って、理由も分からずに生きてゆくのが、我々生き物のさだめだ。」という言葉が頭をよぎった。そして芥川龍之介の『黄粱夢』という小説のことも。この小説は古代中国の故事成語「邯鄲の枕」から作られた作品で、盧生という青年が、夢で自分の波乱万丈の人生を見るのだが、目が覚めてみると、眠る前に炊き始めていた黍の鍋もまだ煮え切らないほどの時間だった…。

二作続けて終活的映画を観てしまったことだよ。

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映画『生きる LIVING』@TOHOシネマズ 西宮OS [映画]

映画『生きる LIVING』
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この映画は、1952年の黒澤明の日本映画『生きる』のリメイク作品で、小説家のカズオ・イシグロが脚本を書いた作品である。黒沢作品は観たことはないのだが、60年も前の作品を今取り上げるのは、作品が現代的な意味を持っているからなのだろうとは思ったが、いぶかしさはやや残っていた。
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事前に黒沢映画の内容は少し見ていた。「市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。ある日胃癌で余命幾ばくもないことを知り、…」という展開は、リメイク版でもほぼ同じだった。
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舞台は1953年、第2次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員ウィリアムズ(ビル・ナイ)は、自分の人生を空虚で無意味なものと感じていた。舞台がロンドンに変わっても、いわゆる「お役所仕事」は日本と変わらないなと思って観ていた。悪しき官僚主義を批判した作品でもあるという両作品だが、地域の陳情を各部署でたらいまわしにする部分は、まさに「あるある!」に満ちていて思わず笑ってしまった。
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官僚主義の批判といえば、太宰治が晩年に書いた小品『家庭の幸福』があって、作中に「家庭の幸福は諸悪の元」という言葉があって、家庭を大事にするという美徳が、官僚的エゴや保身につながる危険を指摘していた。尤も、家庭を顧みず好き放題しているように見える太宰が言うと「おまいう」と言ってしまいそうでもあったが(笑)。
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さて、医師から余命半年と宣告されたウィリアムズは、仕事を放棄し、海辺のリゾート地で酒を飲んで馬鹿騒ぎするも満たされない。そんな時、酒場でのピアニストとのやり取りの中で歌ったのが、スコットランド民謡の望郷の唄「The Rowan Tree」(ナナカマドの木)であった。ここに第一の転機があったように思われる。日本盤でこれにあたるのが、主人公が最期に歌った「ゴンドラの唄」である。ここにはカズオ・イシグロの新たな視点が込められているのだと思う。
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ウィリアムズはロンドンに戻り、かつての部下であったマーガレットと再会し、バイタリティ溢れた彼女とのやり取りの中で、余命半年の中で「生きる」ことについて考え直すのだった。そして、かつて自らお蔵入りにしていた「市民公園」を造ることに奔走するのだった…。
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人が「生きる」とはどういうことなのか、という問いかけは、全ての人間に突き付けられている命題ではあるが、この作品は60年前の日本で現代的問題であったことが、60年後から見てもやはり同時代的課題であり続けているということを我々に見せてくれたということなのかもしれない。黒沢作品も一度観てみたいと思ったことだ。
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<参考>
O' Rowan Tree
written by lady nairne

Oh, rowan tree! Oh, rowan tree ! Thou'lt aye be dear tae me
Entwined thou art wi' mony ties o’ hame and infancy
Thy leaves were aye the first o' spring, thy flow'rs the summer pride
There wasnae sic a bonny tree in a' the countryside
Oh! rowan tree !

How fair wert thou in summer time, wi' a' thy clusters white
How rich and gay thy autumn dress, wi’ berries red md bright
W e sat eneath thy spreading shade, the bairnies round thee ran
They pu’ d thy bonnie berries red and necklaces they strang
Oh! rowan tree!

On thy fair sterm were mony names, which now nae mair
I see But they’re engraven on my heart, forgot they ne’er can be
My mother! Oh! I see her still, she smil'd our sports to see
Wi’ little Jemnie on her lap, wi' Jamie at her knee!
Oh! rowan treel

Oh! there arose my father’s prayer, in holy evenings calm
How sweet was then my mother’s voice, in the Martyr’s psalm
Now a' are gane! W e meet nae mair meath the rowan tree
But hallowed thoughts around thee twine o’ hame and infancy
Oh! rowan tree!


『ゴンドラの唄』
作曲:中山 晋平 作詞:吉井 勇

いのち短し 恋せよ少女
朱き唇 褪せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日の ないものを

いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ少女
波に漂う 舟の様に
君が柔手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを



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映画『レジェンド&バタフライ』 [映画]

映画『レジェンド&バタフライ』
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3カ月も前から「東映70周年を記念して製作された歴史大作」と大々的にキャンペーンが張られていたので、観てみようと思った。11月に主演の木村拓哉と岐阜出身の伊藤英明が「ぎふ信長まつり」に出席した際46万人も集まったというキムタク人気とはいかなるものかという興味もあった。もちろん綾瀬はるかの濃姫を観たいというのもあったが(笑)。火曜日の朝9時に行ったが、終わったら12時半になっていた。
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3時間近い長い映画だったが、帰蝶の輿入れから本能寺の変までを描くのだから仕方がないともいえる。せめて大河の総集編ぐらいの長さは必要だろうから。信長についてはこれまで数多くの映画やドラマが作られているので、今更とも思ったが、わざわざ歴史大作とあるので何か新解釈があるのかな、と思っていたが、かなり強引な解釈で作られていた。もともと濃姫については、輿入れの時期以外はほとんど資料がないようなので、逆に自由な解釈が可能だったともいえるかな。
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森鴎外の『歴史其儘と歴史離れ』以来、歴史物語を史実に忠実に書こうとするものと、史実から離れて自由に空想を膨らませた作品に分かれるようだ。この映画はもちろん後者なので、歴史ファンタジーと割り切って観れば、そんなに悪い作品ではないとは思うが、大向こうの歴史ファンからは酷評されるだろうなとも思った。今年の大河『どうする家康』にどこかつくり方が似ているなと思ったら、同じ脚本家だったのには笑ってしまった。大河ドラマもこれからどんどん変わっていくのだろうか。
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本作での信長は、内心の弱さを尊大な態度で糊塗しているような青年として描かれている。そんな彼が敵対する美濃の姫君と政略結婚をする。互いに寝首を掻こうとするような関係だったが、隣国駿河から今川義元の大軍が攻め込んできて、絶望的な状況に方策が見つからないでいる信長の背中を押したのは、ほかならぬ濃姫であった。桶狭間で奇跡の勝利を得た後は美濃を攻略し、天下布武への道を歩んでいく。
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侵略や殺戮を繰り返す信長は、次第に人の心を失っていき、魔王と呼ばれるようになっていった…。人間信長として描こうとすると、史実と言われていることも若干変えて行かないといけなくなるのかな。その典型は明智光秀で、比叡山焼き討ちも、安土城での家康の饗応事件も、史実とは逆の描き方をしているように見えた。魔王だった信長が人間らしい心を取り戻した時、見限った光秀が本能寺の変を起こしたという展開にしたかったのかな。
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キムタク演じる信長は、信長である前にキムタクだなあと思ってしまう。大河で演じている岡田准一の方が役への入り込み方がすごいなと思うのは私だけだろうか。ともあれ、信長と濃姫が敵対感情から始まりながら、次第に支えあう夫婦になっていくという歴史ファンタジーと割り切れば面白い映画だと言えるだろう。


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映画『すずめの戸締まり』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『すずめの戸締まり』
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新海誠監督のアニメを観るのは3回目である。今回は東日本大震災を取り上げていて、その描写に賛否両論が出ているというのもちらっと聞いていたので、どのような描かれ方をしているのか、という興味もあった。実際に観てみると、確かにこれまで震災を取り上げたニュースやドキュメンタリー番組で出ていた震災後の情景も描かれていたが、同時に日本の他の地方における<災い>の予兆も描かれていて、阪神淡路大震災を体験した自分にとってもそれほどきつい感じは受けなかった。実際に家族を失った方々にはもっと違う受け止めがあるのだろうとも思われるが。

2016年の『君の名は。』は、男女の身体が入れ替わるという「とりかへばや物語」だったが、同時に彗星の破片の落ちた町を時空を超えて救う、というお話でもあった。「糸の結びは、時間を超えて繋がる」という言葉がこの物語のリアリティを支えていたと思われた。
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2019年の『天気の子』は、異常気象による長期間にわたる雨で東京が水没するというお話で、祈ることで短時間、局地的だが確実に雲の晴れ間を作る能力を持った少女が描かれていた。
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いずれも地球の長い歴史の中で起こり得る様々な災いと、かなわぬながらそれと闘いながら生きている人間、という視点があったように思われた。今回はどうかとみると、太古からこの列島に繰り返し襲っている大地震を、地中に封じ込められている「ミミズ」が地表に現れて暴れるという設定で描かれていた。
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物語は、宮崎県の海辺の町で叔母の環と2人で暮らす17歳の女子高校生岩戸 鈴芽が、扉を探しているという旅の青年・宗像草太(閉じ師)と出会うところから始まる。彼のことが気になって山の中にある廃墟に入って行った鈴芽は、一つの扉を見つけて開けてしまう。そこはこの世と異世界(常世)の境にある扉で、鈴芽はそこに挿してあった要石(かなめいし)を抜いてしまい、地中に封じ込められていた「ミミズ」が姿を表し、この世に災厄をもたらそうとする。地震を起こすのは地中のナマズが暴れるからだ、と昔は言われていたようだが、そこから発想された怪物なのかなと思われる。
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ダイジン(要石から開放された)によって鈴芽が持っていた三脚の椅子の中に閉じ込められた宗像と一緒に日本各地の廃墟を訪れ、「扉」を閉めて回るのだが、旅はやがて鈴芽がかつて被災し、母を失った東北の地に向かうことになる…。
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ここに至って、ミミズとの闘いの旅は、震災で母を失った喪失感の中で生きていた鈴芽と、姉から鈴芽を託され、その重圧と闘いながら育ててきた環の再生の物語となっていく。

閉じ師は陰陽師を連想させるし、要石や常世や宗像の唱える祝詞のような呪文は日本古来の神道に似た何かを感じさせる。総じて今回の作品はより宗教的な色が強まっているような気がするが、人は目の前に死が迫っているかもしれない時でも、持てる生を精一杯生きて行くべきなのだという考えは、既存のどの宗教よりも実存的といえるのかな、と思ったことだ。今回も実写以上に美しい風景描写が素晴らしかった。美しい山河に包まれて今生きていることの貴重さを思ったことだ。


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映画『ラーゲリより愛を込めて』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『ラーゲリより愛を込めて』
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シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された、実在の日本人捕虜・山本幡男を描いたこの映画は、2年前ぐらいから話題になっていたが、ようやく上映されることになったので観ることができた。主人公の山本さんは、私の故郷隠岐の島の西の島の出身だったということにも興味を惹かれたが、義父がやはりシベリア抑留者だったし、叔父一家も満州から命からがら帰国したということも、ずっと心の中にこびりついていたというのもあった。
どちらも生前にもっとお話を聞いていたらという、悔いのようなものもあったので、実話を元にしたこの映画を観て、少しでも当時のことに思いを馳せたいと思ったのだった。

原作は辺見じゅんのノンフィクション小説「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」である。実話を元にして作られた映画とはいえ、フィクションも入っていると思われるので、後で読んでみようと思っている。
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物語は1945年の中国・大連から始まる。満鉄のハルビン特務機関で働いていた 幡男(二宮和也)は妻モジミ(北川景子)と4人の子供たちと穏やかに暮らしていた(後で調べたらモジミさんは私の故郷の五箇村の出身と知って二度びっくり)。日本が降伏し、ソ連が侵攻する前夜、必ずまた逢えると約束して妻子を日本に帰らせ、自分は大連に残ったが、ソ連軍に拘束され、それからの長い抑留生活が始まるのだった…。
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満州からの帰国がどれだけ大変だったかということは、叔父からも少し漏れ聞いていたので、そのことを重ねながら観ていた。夫のいない中4人の子供を連れての帰国は過酷な体験だっただろうと推察された。「もはや戦後ではない」と言われる時期に生まれ育った自分には遠い昔の物語としか当時受け止められていなかったが、映像化されたものを見ると、収容所の劣悪な環境(極寒の中での過酷な労働・劣悪な食事etc.)が生々しく伝わってきた。
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他の抑留者たちが絶望のあまり命を断とうとしたり、脱走しようとしたりする中、彼は希望をもって生き延びようとする。家族と無事再会することが「希望」だとも思われたが、どうもそれだけではないようにも思える。抑留仲間の中には家族を亡くしたり、自らの変節を恥じて自暴自棄になっている者もいたが、 幡男の励ましや生きる姿勢に感化され、考えを変えていく。絶望の中でも人はなぜ生きるのか、という問いかけがここにはあるように思われた。
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話は変わるが、幡男は「俳句のみならず、山本は日本の古典、落語、さらにはカントやヘーゲルといったドイツの哲学者について語るなどの博識さで、一同を楽しませた」とある(wiki)。彼だけが特別な記憶力を持っていたということなのかもしれないが、当時の人たちが、学んだことを記憶にとどめておこうという努力のすさまじさが感じられた。翻って現代に生きる自分たちが、おびただしい情報を束の間頭に入れては忘れていっていることは果たして正しいことなのだろうか、と考えてしまった。

実際に映画を観るなり原作を読んでいただく方がより感銘が深まると思われるのでここでやめておく。遺書のことについてもネタバルになるので。

最後に一つ。どんなに素晴らしい思想でも、生きていることの手触りのようなものから乖離してしまったら、単なる誇大妄想でしかなくなる、ということを、現在ウクライナに対して侵攻を行っているロシアの独裁者に対して思わずにはいられない。いい映画を見せてもらった。
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映画『エルヴィス』@TOHOシネマズ西宮OS [映画]

映画『エルヴィス』
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エルヴィス・プレスリーの伝記映画をやっているというので、映画館を探したが、7月1日封切ということで、どの映画館も一日一回の上映であった。TOHOシネマズ西宮OSが12:40~なのでこちらで観ることに。まあ、全ての上映館を合わせると朝から夜までやっているので、選ぶことは出来るか(笑)。

「キング・オブ・ロックンロール」と称されるエルビス・プレスリーについては今さら説明の必要もないだろうが、カントリーにリズム&ブルースを加味したロックンロールという、新しい音楽を生み出した革命児という形容には、いまいちピンと来ないものがあった。エルビスの映画は「ブルー・ハワイ」などの彼が主演したハリウッド映画や、カムバックした後の『エルビス・オン・ステージ』などのドキュメンタリー映画はあったが、本格的な伝記映画はあまりなかったように思う。
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それはともかく、この映画では彼の幼少期の境遇に始まって、サン・レコードからのデビュー、悪徳マネージャーと言われたトム・パーカー大佐との出会い等々丹念に描かれていて、今までぼんやりとしか分かっていなかったことの幾つかが得心できたのはよかった。
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幼少期にメンフィスの黒人社会の中の白人用住宅に住んでいた彼が、ブルースやR&Bに親しんでいたのはごくごく自然なことだったように思う。だから、彼が歌うカントリーがR&Bと融合してロックンロールと呼ばれる音楽になったことに驚いたのは、だれよりも旧弊な周囲の白人社会の人々であったのだろう。私のような後の世代の人間が、彼の音楽にさほど違和感を抱かず、「音楽の革命」という言葉になじめないでいるのは、公民権法が成立する以前の保守的なアメリカ社会に身を置いていなかったからかも知れない。劇中でハンク・スノウと共演している場面があって、さすがにそこでは両者の立ち位置の違いがはっきり見てとれて面白かったが。
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全編を通して強く伝わってきたのは、彼の歌に対する情熱と愛、そしてやさしさと弱さと孤独だった。突出したソロアーティストであったがゆえに、強欲なマネージャーと知りつつ、敏腕でもある大佐に頼り、最後まで切ることはできなかった。ワーカーホリックになる程の過酷なライブ公演を強いられ、続けながら、処方ドラッグの乱用で自らの命を縮めてしまった。彼の周囲に、大佐に対抗できるような人材がいれば…、とも思ったが、これだけのスーパースターなら、どう転んでも不可避な結末だったのかも知れない。
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エルヴィス役のオースティン・バトラーは歌もステージアクションも素晴らしかった。この手の映画に出てくる役者さんはどなたも歌が上手いねえ。トム・パーカーを演じたトム・ハンクスの陰影のある演技も良かった。そして、これまでやや敬して遠ざけていた感のあったエルヴィスを、またじっくり聴いてみようと思いながら映画館を後にした。
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ELVIS - Original Motion Picture Soundtrack
https://www.youtube.com/watch?v=FymNn1HYKAc


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映画『ベルファスト』@シネリーブル神戸 [映画]

映画『ベルファスト』
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この映画は、北アイルランド・ベルファスト出身で、俳優・監督・舞台演出家として世界的に活躍するケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品である。アカデミー賞の有力候補ということで観たのだが、この稿を書いている時点で、脚本賞を受賞したとの報があった。このところ観た映画『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を、『コーダあいのうた』が作品賞と助演男優賞・脚色賞をとったというから、すごい映画を次々と観たんだなあと思ったことだ。まあ、そういう評判の映画を選んで観ているので、当たり前と言えばあたりまえなのだが(笑)。

予備知識なしに観たのだが、いきなりヴァン・モリソンの "Down to Joy" が流れてきたのでびっくり。一時期好きで何枚かCDも持っているので、声を聞いただけで彼と分かった。北アイルランドの厳しい気候と彼の歌声は妙にマッチしている。ほぼ全編が彼の歌声に包まれていたのは望外の喜びであった。彼もまたベルファストの出身だったということを今回知った。
Van Morrison - Down to Joy (Official HQ Audio) [from "Belfast"]

物語の舞台は1969年のベルファストの街。この街で生まれ育った少年バディは、街中が顔見知りという環境の中で、家族や友達に囲まれ、映画や音楽を楽しむ「完璧」な生活を送っていた。しかし8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだった街は反目と殺戮の世界へと変わってしまう。彼らの家族はプロテスタントなのだが、彼が好意を寄せる少女キャサリンの家はカトリックで、北アイルランドでは少数派に属している。これまで同じ街の住民として分け隔てなく付き合って生活していたのに…。
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「北アイルランド紛争」という言葉はぼんやりと知っていたし、IRAという過激派組織によるテロ活動のニュースも耳に入ることはあったが、どこか対岸の火事のように受け止めていた部分はあった。映画を観てもよく分からないところがあったので、少し調べてみた。正確な所はいまだによくつかめてはいないが、自分の確認のために少し書いておく。

1649年のクロムウェルによるアイルランド侵略(事実上の植民地化)以降多くのプロテスタントがアイルランドに入植し、島に住むカトリック教徒を圧迫した。1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併する(実質的にはイギリスによるアイルランド併合)。1840年代後半、ジャガイモの不作が数年続き大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果多くのアイルランド人がアメリカへ移住する(Irish diaspora)。私たちがアメリカン・ルーツミュージックの一つとしてアイリッシュ系のフォークソングなどを享受しているのはこれに由来するのだった。

アイルランド独立戦争(1919年 - 1921年)が終わり、1921年12月6日英愛条約が締結され、1922年12月6日アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスター地方の6県は北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。この映画の舞台となった1969年のベルファストの街は、複雑な内乱の中、カトリックとプロテスタントの対立が局所的に爆発したものなのかなと思われた。そしてこの争いは98年の「ベルファスト合意」まで続くのだった。
北アイルランドから見たアイルランドとの国境。
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こういう凄惨な状況の中であっても、バディや家族たちが前向きに、時にユーモアを忘れず暮らしていく様子が心に残った。いよいよ危険を避けるため、生活のためロンドンに移住することを選ぶのだが、住み慣れた故郷を離れることが簡単であるはずがなかった。祖国を奪われることがどんなに耐えられないものか、ということを今のウクライナの人々の気持ちを重ねて観てしまった。宗教の対立というものが現在でも世界のあちこちで紛争の種になっていることを考えると、人々を救うための宗教がどうしてこのような争いを生んでしまうのだろう、と暗澹たる気持ちになってしまったことだ。
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この映画は、無益な争いを引き起こしてしまう人間の愚かさと、そんな中でも人は前を向いて生きて行けるし、生きていかねばならないのだ、という祈りにも似た思いが込められていると思ったことだ。
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映画『コーダあいのうた』@109シネマズHAT神戸 [映画]

『コーダあいのうた』(原題:CODA)アメリカ・フランス・カナダ合作。
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家族の中でただ1人の健聴者である少女が、素晴らしい歌の才能を持っていることを見出され、夢に向かって格闘するドラマ、ということで観に行った。2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるらしい。実話をもとにしているかどうかは不明だが、リメイクするに値する映画だということなのだろう。原題の "CODA" は音楽用語なのかな、と思っていたが、「Children of Deaf Adults(耳の聴こえない両親に育てられた子ども)」の意だということを初めて知った。TVの会見等や講演会などで、傍らで手話で内容を伝えているのは目にしていたが、耳の不自由な方が少なくないんだなあ、ぐらいの認識しかなかった。

この映画は、2014年のフランス映画『エール!(英語版)』の英語リメイクであるとのことで、なぜ再び作られたのかという事情はよく分からないが、いい映画だったからということは間違いないことだろう。素晴らしい作品でも、時がたつと忘れ去られてしまうというのは、めまぐるしく新たな情報が通り過ぎていく現代社会の常なので、一定期間をおいて再び世に問いかけるというのは意味があることなのかもしれない。
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物語の舞台は明示されていないが、ロケ地がマサチューセッツ州グロスターだったようなので、そこの港町とイメージして構わないだろう。映画の中でバークリー音楽大学の入学試験に車で向かうという場面もあったし。その街で漁師をして暮らしている一家があって、両親と兄が聾者である中で、一人だけ健聴者である少女ルビー(エミリア・ジョーンズ)が物語の主人公である。幼いころから家族の手伝いをして、漁や獲れた魚を市場に卸す作業をしていた。その一方で、CODAとして家族の中では手話を使っていたため、会話に不慣れな所もあり、級友からは好奇と嘲りの目で見られ、内向的になっていた。
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そんな中で、学校の合唱部に入部したことが、彼女の何かを変えていく。顧問の先生がルビーの歌の才能に気付き、特別指導をしていく中で、バークリーへの進学を勧める。希望を抱くルビーだが、そうなると家業を助けることが出来なくなってしまう。家族はどのように反応したのか、そしてルビーはどう決断するのか…。何か最近よく観ているBSの『英雄たちの選択』風になってしまったが、これ以上はネタバレになるので。

母親ジャッキー役のマーリー・マトリンも父親フランク役のトロイ・コッツァーも聴覚障害を持つ俳優だという。彼らが演じる家族は、野放図なくらい明るく奔放で、我々の持っているかもしれない先入観を見事に壊してくれていた。映画だからかも知れないけど。ルビーは本来持っている明るさの外側に、周囲に対する心の殻を被っているデリケートな心情を巧みに表現していた。最初はおずおずと歌っていた彼女が、次第に殻を破って伸びやかな歌声に変わっていくのが興味深かった。
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合唱部の発表会の場面で、突然すべての音が30秒ほど消えた時があった。ああ、これがルビーの家族が観ているコンサートの情景なんだと思った。終わりの方の場面で、ルビーがジョニ・ミッチェルの"Both Sides Now" を歌っている時、突然手話を交えて歌い出したのだが、ルビーの中で何かが変わっていった瞬間だったのだと思う。いつも思うのだが、よく知っている歌が映画の中で使われると、全く別の輝きを持つことに驚く。いい歌、いい映画を見せてもらった。
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マーリー・マトリンのインタビューの一部を最後に紹介しておく。
「この映画を見た人に、この映画に登場するような、耳の聞こえない親を持つ子供が実際に存在するということを知ってもらいたい。私たちの生活に手話というコミュニケーション手段が欠かせないのだということも。それに、同じような物語は山ほどあります。毎日のように起きています。こういった物語を伝えていく必要があります。この物語を皆と共有できる機会を持てて、とても嬉しい」
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CODA I Both Sides Now - Emilia Jones I Music Video


<参考>
映画とは直接関係ないが、CODAについて興味深い記事があったのでリンクを貼っておく。
「耳の聴こえない親に育てられた、聴こえる子どもたち『コーダ』は何を抱え、何に苦しんでいるのか」(五十嵐 大)
https://bunshun.jp/articles/-/38612

青春の光と影[私の好きな20世紀の唄たち]vol.17
https://hobot2.blog.ss-blog.jp/2015-04-20



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映画『リスペクト』@OSシネマズミント神戸 [映画]

映画『リスペクト』
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Aretha Franklin
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バンドを一緒にやっているN君がFBで紹介していたので、ソウルの女王アレサ・フランクリンの半生を描いた伝記映画を観てきた。アレサ役を演じたジェニファー・ハドソンは、アレサ本人から生前に指名されていたということで、まるでアレサの魂が乗り移ったかのような圧倒的な歌唱が何より心を揺さぶった。といってもそれほどアレサ自身もハドソンのこともよく知っていたわけではなかったのだけど(笑)。2006年公開の「ドリームガールズ」は確か観た記憶があるのだが、まあ、どの映画を観ても誰が演じていたかはあまり記憶に残らない性分ではあるなあ。
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アレサの名はさすがに知っているが、これまでちゃんと聴こうとしてきたわけではなかった。だから映画の感想も門外漢としてのそれであるので、彼女のファンにとってはつまらない感想になることをお許しいただきたい。例えばキャロルキングの "(You Make Me Feel Like) A Natural Woman"を最初に録音したのはアレサだったとか、ビートルズの "Let It Be"もそうなんだということに驚いたりしたのだった。また、彼女が生涯にグラミーを20回も受賞していたということにも驚いた。まあ、門外漢が興味を持ち始めるのはこういうことがきっかけなんだな。ちなみに、かのアリソン・クラウスは第一位の21回受賞というのにもこれまた驚いたのだが。
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アレサの父親はデトロイトでは説教者として有名な教会の牧師であり、映画でも彼の邸宅でのパーティに多くの名士たちやミュージシャンが集う場面から始まる。貧しい身から努力してのし上がるといったよくあるサクセスストーリーとはちょっと違うなと思った。少女の頃からその抜群の歌唱力で天才と称されたアレサだが、幼少期は大人たちのパーティの余興に駆り出されていた。また、父親の母親へのDVや、本人も12歳ぐらいで、妊娠・出産したり、夫から暴力を受けたりしているがそれらは抑制された描写で匂わせているだけにとどめられていた。かのキング牧師とも親交があり、黒人の人権のために尽力もしている父娘ではあるが、その裏には重く暗い澱のようなものが潜んでいたのかも知れない。
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1961年にコロムビア・レコードからデビューするが、当初はポップスシンガーとして売り出していて、また本人もただヒット曲が欲しいだけのようでもあったので、あまり大きな反響が得られなかった。66年にアトランティック・レコードに移籍し、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオでレコーディング作業をした時に彼女に転機が訪れたように描かれていた。楽譜もない状態で演奏を重ねながら曲を仕上げるという方法をとる中で、アレサの中で自分の歌を歌いたいという欲求が芽生えてきたのかな。標題の"Respect"は、この曲の制作過程で彼女が真のソウルシンガーに脱皮していった様がよく分かった気がした。バックコーラスの "just a little bit" というフレーズの繰り返しが耳に残った。
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それにしても何を歌ってもソウルになってしまうアレサも映画の中のハドソンもすごいシンガーだなと思わずにはいられなかった。帰ってからも二人の歌唱を何度も反芻するのであった。
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アレサ・フランクリン リスペクト 1967 / Respect



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映画『ドライブ・マイ・カー』@シネ・リーブル神戸 [映画]

映画『ドライブ・マイ・カー』@シネ・リーブル神戸
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村上春樹が2013年に発表した短篇小説が原作で、西島秀俊が主演のこの映画が、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞したというのでこの日観に行った。水曜日なので客は少ないだろうと高をくくっていたが、意外に多かったので??と思っていると、サービス・デイだったのだ。老人はそのあたりちゃんとリサーチしてから行くべきと思ったことだ(笑)。
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原作は読んでいなかったが、「ノルウェーの森」と同様ビートルズの曲にインスパイアされたものなのかな、と思いなら観ていたが、最後までその曲が流れることはなかった。まあ、テーマソングにするなんていうベタな作り方もしないとは思ったけど。後でビートルズの曲を聴くと何となく重なり合う部分があるような気がしてくるのが不思議だ。

179分という長い映画なので、途中で寝てしまいはしないかと心配だったが、淡々とした描写が続く割にはミステリー仕立てな部分もあって、終わりまで引き入られて観ることができた(浜口竜介監督の脚本がいいから?)。物語は二部構成になっているようで、一部の終わりにキャストのテロップが流れたので、思わず時計を見てしまったが、場合によってはここで休憩を挟むように設定されているのかもしれない。
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舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)は脚本家の妻・音(霧島れいか)と幸せに暮らしているように見えたが、音には悠介にはうかがい知れない秘密の性癖があった…。その秘密を語ることなく音は突然の病で亡くなってしまう。この映画では劇中劇のように実際の劇の場面や、音が悠介とのセックスの後に浮かんできた演劇の1節を口承する場面で構成されているが、一部では『ゴドーを待ちながら』が扱われている。現実のストーリーとシンクロしていると思われるが、その劇についてよく知っていないと難解ではある。
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第二部では妻の死後2年たって、喪失感を抱えながら生きていた悠介は、広島での演劇祭の演出を担当することになり、15年乗り続けている愛車サーブ(SAAB)で出掛ける。
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その演目はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』である。公募で選ばれたのは日本語・中国語・手話などを話す俳優たちで、その読み合わせの場面が多くを占めている。この多言語劇ともいうべき試みは興味深いものだった。
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広島の地で協会からの要請で、悠介は自分の愛車の運転を若く寡黙な女性ドライバーのみさき(三浦透子)にゆだねることになる(Baby, you can drive my car)。
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その彼女も重く克服できない過去を抱いて生きていた。かつて音と関係を持ち、物語の鍵を握るかのような若き俳優高槻(岡田将生)もからみ、登場人物たちはそれぞれ抱えきれない過去と対峙して生きていく…。
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人間存在の不条理性を追求した作品ともいえるこの映画は、どんな状況でも人は生きて行かなくてはいけないという<さだめ>のようなものを私たちに突き付けているように見えた。そして<癒し>はその先に待っているのかもしれない。

Baby, you can drive my car
And maybe I’ll love you



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映画『Arc アーク』@109シネマズHAT神戸 [映画]

映画『Arc アーク』@109シネマズHAT神戸
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少し前にドラマ10で『半径5メートル』というドラマをやっていて、何とはなしに見ていたが、なかなか面白かったので最後まで見た。「半径5メートル」の足もとから世の中が見える…、というキャッチフレーズで、雑誌社を舞台にしながら、身近な視座から世相を切り取ってみるとどうなるか、という作品であった。主役を演じていたのが、昔朝ドラ『べっぴんさん』のヒロインを演じていた芳根京子だった。久しぶりに観たと思うが、何となく儚げで頼りなさそうな中に芯の強さを感じさせる役柄をうまく演じているように見えた。
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そんな彼女が主演する映画『Arc アーク』の初日舞台挨拶の記事をネットで見て、これはめぐり合わせかなと思って観ることにした(笑)。原作は中国系アメリカ人のSF作家ケン・リュウ氏による短編小説『円弧』で、「30歳のまま一切老いなくなった不老不死の女性・リナ(芳根)を主人公とする物語。芳根は本作で19歳から100歳超までと幅広い年齢層を演じた。」とのことだった。SF映画はあまり観ないのだが、コロナ禍の巣籠り生活に飽いたからなのかもしれない。

映画を観ての第一印象は、それほどSF的ではなかったということだ。所どころ特撮を取り入れているようだが、それは実写では無理な部分を補う程度のもののように見えた。
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物語の前半は、すれっからしの少女だったリナ(芳根)が、ひょんなことから「ボディワークス」の主宰者エマ(寺島しのぶ)に拾われ、そこで働くようになる。この会社は、大切な人の遺体を生きていた姿のまま保存できるように施術する(プラスティネーション)というものだった。このやり方は古代エジプトのミイラに始まり、人類の歴史の中で連綿と続いている営為の現代版ともいえるように思われた。
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私自身の経験から言うと、祖母の時までは土葬だったのに、父の時から火葬になったことを否応なしに受け入れたということがある。火葬を当然のこと(仕方のないこと)として受け止めているが、灰になるのは忍びないというのも分からないでもない。ただ、この物語のように半永久に生きていた時の姿を残すのも何だかなあと思ってしまう。
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後半は、エマの弟で天才科学者の天音(岡田将生)が、ボディワークスの技術を発展させた不老不死の施術を編み出し、リナは最初の施術を受けた女性となる。エマの施術の中に不老不死への願いが内包されていたものを、弟が突き進めていったのだとも考えられる。「永遠の若さ」とはまた、現代社会における「アンチエイジング」の考え方の先にあるものとも言えるだろう。不死の人間だらけになった社会はいったいどうなるだろうか、というのが後半の展開なのだが、元々荒唐無稽な仮説であるがゆえに、多くの矛盾や突っ込みどころ満載のお話になってしまったようだ。
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こういうお話にリアリティを求めるのは所詮無理な話ではあるのだが、永遠の若さを手に入れることによる様々な矛盾について、突っ込んだりしながら、逆に限りある命の尊さに思いを致す、というのがこの映画の観方の一つなのかもしれない。「30歳の頃にもう一度戻れたら」と考える自分に、「何度も30歳=人生をやり直せたら本当にいいのかい?」と自問するように。
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150歳を過ぎたリナは、ついに不老不死の施術を停止し、自然な老いと死を迎えようとする。彼女が若い頃捨てた息子(小林薫)が、自分よりはるかに年上になって現れ、不老不死の施術を拒否し、末期がんの妻(風吹ジュン)と生死を共にしたいと考えてから50年の歳月が経っていた。それだけの時間をかけてやっと、彼女は自分たちのしてきたことの無意味さに気が付いたということなのだろうか。
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最後に、これほどの科学の進歩の中にあって、人々の生活風景は現代日本のそれと同じにしか見えないし、癌も撲滅出来ていてもいいのになあ、といろいろ突っ込みながら観ていたが、作品にとってそういうことはどうでもよかったのだろうな、とも思った。作者は壮大な仮説を投げかけて、限りある命を生きるとは、人類の進歩とは、について考えてほしかっただけなのかもしれない。主演の芳根さんはこの作品でも、どこか頼りなげな中に芯の強さを感じさせる演技をしていた。これが彼女の真骨頂なのかな、と思ったことだよ。

映画『Arc アーク』予告編


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映画『ノマドランド』OSシネマズミント神戸 [映画]

『ノマドランド』(原題: Nomadland)
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ノマド(nomad)の語源はフランス語で「遊牧民」や「放浪者」を意味するらしい。最近では「ノマドワーカー」といって「時間と場所にとらわれずに働く人、もしくはそういった働き方」としても使われているようだ。コロナ禍の中でリモートワークをする人々が増え、その結果田舎暮らしを楽しみながら、仕事はリモートでという暮らし方も出てきているようで、それはそれで新しいライフスタイルが生まれてきているということなのだろう。映画の中では車に寝泊まりしながら各地を放浪する人々のことを指しているようだった。かつて貨物列車に無賃乗車しながら各地を彷徨う人を"Hobo"と呼んだようだが、ノマドは現代のホーボーなのかもしれない。
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この映画は60歳を過ぎた主人公の女性が、オンボロの中古バンで各地を巡り、その土地々々で仕事をしながら暮らすロードムービーで、アメリカ中西部の自然の景色が美しいということで観ることにした。封切されて時間が経っていたので、どの映画館も一日一回の上映になっていて適当な時間帯がなく迷ったが、9:40開始のミントに行くことにした。朝一の三宮ならそれほど密になることもなく、終わったらさっさと帰ればいいと思ったのだった。席をとった時は空いているように見えたが、始まってみるとそこそこ(といっても知れているが)お客さんが入ってきたので少しびっくり。おまけに隣が空いている席を選んだのに、隣におっちゃんが座ってきて、マスクを耳に引っ掛けたままだったので、少しビビッて「マスクしてもらえますか」と思わず言ってしまった(笑)。
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原作はジェシカ・ブルーダーが2017年に発表したノンフィクション『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』である。2008年のリーマンショック以来未曾有の経済危機が全世界を襲い、その余波はリタイア世代にも容赦なく押し寄せてきて、多くの高齢者が家を手放すことになった。彼らは自家用車で寝泊まりし、職を求めて全米を彷徨うことになった。「現代のノマド」の誕生である。映画の主人公ファーン(フランシス・マクドーマンド)もその一人であった。彼女はネバダ州のエンパイアで石膏採掘の会社の社宅で暮らしていたが、会社は不況で閉鎖され、街そのものがゴーストタウンと化す。夫を亡くし住む家も失ったファーンは古いバンに最低限の家財道具を詰め込み、日銭仕事を探しながら国中を放浪する旅を続けるが…。
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ノマド仲間のリンダ(実在のノマドらしい)やデヴィッド(デヴィッド・ストラザーン)との交流の中で彼女はノマドとしての生き方を学んでいく。印象的な言葉は、教師時代の教え子から「先生は今ホームレスなの?」と聞かれて、「私はハウスレスだけどホームレスじゃないわ」と答えたことだった。姉や家族のもとに帰ったデヴィッドから「一緒に住まないか」と誘われ断ったファーンの中には、開拓時代のアメリカ人の自由を希求する心=ノマド魂が醸成されてきていたのだろうか。もう一つは、息子を亡くしてノマドになり、ノマドとしての生き方を人々に教えているボブがファーンに語った、「ノマドの良さは、別れ際に『またどこかの路上で会おう』と言うところだ」という言葉だ。そこには生き死にを超えた人と人との絆というものを感じさせてくれる何かがあるように思われた。
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もちろんこの映画には、格差社会化している現代アメリカ社会の問題が色濃く投影されている。そしてそれは現代日本の社会にも忍び寄っている。戦後の高度成長期に生まれ育ってきた私たちの世代は、故郷を離れ都会で働き、他人同士が暮らす都会の中で小さな家族を守ってきた。そういった社会のありようは果たして正しかったのか、そしてこれからの社会はいったいどうあるべきなのか。ファーンのいうように「それぞれの心の中にホームがある」と考えるのがいいのか…。答えのない問いを次々と脳裏に思い浮かばせながら、そそくさと電車に乗ったのだった。日曜日の三宮はやはり怖いからね(笑)。

ファーンの旅したネバダの砂漠地帯の風景は素晴らしかった。前に旅したコロラドのボールダーに似た風景もあって何か懐かしかった。
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映画『おらおらでひとりいぐも』@109シネマズHAT神戸 [映画]

映画『おらおらでひとりいぐも』
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この映画の原作は2017年に芥川賞を受賞した若竹千佐子の同名小説である。当時TVで紹介されているのを観て興味を持っていたが、その後読もうと思いながら忘れていた。タイミングを逃すとすぐ過去のものになってしまう。55歳のときに夫に先立たれ、それから小説修行を始めたと聞いて驚いたものだった。「年老いても咲きたての薔薇」という茨木のり子の詩を連想したり、中年の星だなと思ったりしていた。もう一つ興味をそそられたのは標題であった。これは宮沢賢治の詩『永訣の朝』の中の言葉だろうと思ったので、賢治に関わる何かが書かれているのかな、と思っていたが違っていた。賢治の詩では、もうすぐ死のうとしている最愛の妹であり同志でもあった賢治の妹とし子とのやり取りが描かれていたのだった。妹を失う悲しみに浸っているかのような賢治を見て妹が発した言葉が上記の言葉だったのだ。詩では「Ora Orade Shitori egumo」とローマ字表記になっていた。衆生のために生きようとしていながら、妹の死を受け止められずにいる賢治を叱咤し、励ます言葉であったようにも思われた。
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翻ってこの映画(小説)では、突然愛する夫に先立たれ、生きる意味を失おうとしていた主人公の桃子が、自身との対話を重ねる中で、次第に「おらおらでひとりいぐも」という心境になっていくという内心のドラマが描かれていた。夫の死の意味を自分に問い返しているうちに、自分の内なる声が聞こえてきて、その声は一人二人と増えてきて…という具合に物語は展開していく。「おらだばおめだ、おめだばおらだ」とささやきかける内心の声とのやり取りを映像化するのは難しいだろうなと思ったが、映画では濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎という個性あふれるキャラクターが出てきて桃子とやり取りするという手法で、なかなか面白いやり方だと思ったことだ。
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75歳の主人公桃子を演じているのは田中裕子で、白髪のわりに若々しい肌にやや違和感があったが、逆に彼女の飄々とした演技が、暗くなりがちなテーマのこの映画に、何か明るい未来さえ感じさせてくれて、この映画に救いをもたらしているともいえる。若き日々の回想の中の桃子役は蒼井優が演じていて適役と思ったが、亡くなった夫の周造役をあの東出昌大が演じていて、こちらは若い頃から死ぬまでを一人で演じていた。桃子の心の中では、いつまでも若い頃のままだということなのだろうか。
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桃子は、岩手の片田舎で息苦しさを感じながら成長し、意に添わぬ結婚から逃げるように、そして「自由な女」になるために家を飛び出して東京に出てくる。自分も含めて地方から都会に出て働いていた同時代の若者はおおむね同じような気分であったように思う。だから「それで自由になったのかい」と自分自身にも問いかけながら観てしまった。映画の中の桃子は、自由を求めて都会に出てきたはずなのに、今度は愛する夫に尽くすという形で自由を奪われる人生を歩んだのだろうか。夫に先立たれ子供たちは離れていくという時になって、初めて「心の自在さ」を手に入れたということなのだろうか。もしそうなら自分のこれからの人生もそう捨てたもんじゃないのかも知れないけど。「自由」という概念の難しさについては、前にクリストファーソンの歌について書いた時少し触れた(俺とボビー・マギー)が、死ぬまでこの問いは続くんだろうな。
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桃子は単調な日々の中で内なる声を聞いていると、あれほど忌み嫌っていた故郷の方言でしゃべっていることに気が付く。遠い過去からつながっている命の連鎖の中に、自分もいるのだと思い至る。そして毎日図書館に通い、地球が誕生してからの46億年の生命の歴史を調べる日々を送る。気の遠くなるような時の流れの中で、一人の人間の生き死にはどういう意味があるのか…。これまたなかなか重いテーマで、この稿でこれ以上書くのは難しいのでここで筆を止めるが、こうした重いテーマを軽やかな描写で展開するこのドラマは、様々な含蓄を含んでいて、観る者にもう一度自分と自分を取り巻く世界に思いを馳せることを促す、そんな映画だったなと思ったことだよ。
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おらおらでひとりいぐも (河出文庫)


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映画『ワイルド・ローズ』@なんばパークスシネマ [映画]

Wild Rose
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映画を観るのは4ヵ月ぶりだった。自分が行く映画はそんなに観客が多くて密になるようなことのない映画が多いのだが、そもそも劇場がずっと閉鎖だったものね。この映画も神戸のシネリーブルで夕方一回だけの上映だったので、3時ごろの上映があるなんばパークスシネマに行くことにした。ここは前にハンク・ウィリアムスの伝記映画『アイ・ソー・ザ・ライト』を観た劇場だった。ついこの間と思っていたのにもう4年も前になるのか。

スコットランドの港町グラスゴーに住むカントリー好きの女の子が、ナッシュビルに行ってカントリー・スターになることを夢見て…、というサクセスストーリーで、主演の女優が吹替なしで歌っていてすごく上手だ、という程度の予備知識で観たのだが、映画は予想を良い意味で裏切る出来のものだった。
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先ず主演のジェシー・バックリーであるが、3月に見た『ジュディ虹の彼方に』で、ジュディのイギリス公演中のマネージャー役をしていた女性を演じていた人だと分かった。その時調べてこの映画のことも目に入っていたと思われるが、「ジュディ~」より一年前に公開された映画だったので、観ることになるとは思っていなかったのだろうと思われる。ジュディを演じたレニー・ゼルウィガーの歌も素晴らしかったが、シンガーソングライターとしても活躍しているという彼女の歌はまさに圧巻だった。
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物語は覚醒剤の横流しの罪で服役していたローズ=リン・ハーランが出所する場面から始まる。アメリカのカントリー・ミュージックを知っている人々がほとんどいないグラスゴーで生まれ育ったローズはなぜかカントリー・ミュージックに心酔し、いつかカントリーの聖地ナッシュビルに行ってカントリー・スターになることを夢見ていた。ここが一番設定として無理があるところだが(笑)。一方、やや無軌道に自分の気持ちのままに生きてきたため、若くして子供を二人産み、シングルマザーとして生きてきた。ハンディをいくつも抱えた彼女が本当に夢をかなえることはできるのだろうか…。
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紆余曲折あった末、彼女はそれまで彼女の夢を阻み、「自分の責任を果たせ」と説教され続けてきた母親の助けによって、夢だったナッシュビルに行くことが出来たが、そこは彼女が思い描いていたところではなかった…。これ以上はネタバレになるので控えるが、最後にステージで自分のオリジナル曲 "Glasgow (No Place Like Home)" を歌った場面にすべてが集約されていたように思った。歌の中の "Yellow Brick Road" は「オズの魔法使い」に出てくる言葉で、ここでも「ジュディ~」と何かつながっているなあと感じた。「黄色いレンガ路」は「エメラルドの都」へと続く道で、スターダムへの道の比喩でもある。そういえばエルトン・ジョンの "Goodbye Yellow Brick Road" も似たような気持ちを歌っていたのかなと思ったことだよ。
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設定にやや無理を感じる部分もあるが、単なるサクセス・ストーリーに終わらず、現代に生きる人たちが、様々な軋轢を乗り越えて自分の夢をあきらめず生きようともがく姿に共鳴を感じながら観ることが出来た。劇中で本人が歌う、ジョン・プラインやエミル―の曲なども素晴らしかったが、彼女が愛するカントリーの名曲も心に響いたし、前に立ち寄ったナッシュビルの街の映像も懐かしく見ることが出来た。
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自分が行った劇場ではそろそろ上映終了のようだが、これから始まるところもあるようなので、下の公式ページで調べて行かれるとよいと思う。

「ワイルド・ローズ」公式ホームページ
https://cinerack.jp/wildrose/

youtubeからジェシーの歌声を。他にもたくさんあるよ。
Jessie Buckley Performs 'Glasgow'
https://www.youtube.com/watch?v=bwezASGXxvE
Jessie Buckley -Angel from Montgomery
https://www.youtube.com/watch?v=FKEmC7olNFQ



Wild Rose


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映画『ジュディ虹の彼方に』@OSシネマズミント神戸 [映画]

映画『ジュディ虹の彼方に』
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本物のジュディ。Judy Garland (1922~1969)
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少し前からTVで宣伝していたので観ることにした。ジュディ・ガーランドは1939年の映画『オズの魔法使』で主役の子役として活躍し、挿入歌の「虹の彼方に(Over The Rainbow)」がヒットしたというくらいしか知らなかったが、TV広告の「ラスト7分―魂の『オーバー・ザ・レインボー』」という殺し文句に惹かれたからかもしれない。

上映時間の関係でミント神戸にしたので電車で行ったが、コロナ騒ぎになってから初めて乗るので少し緊張した(笑)。チケットを購入するとき、座席表が一つ置きに色違いになっていたので、係のおねえさんに聞くと、今回のことで座席は一つおきに設定してあるとのことだった。コロナ対策だね。効果のほどは分からないけど。平日の午後なのでお客さんは20人程度だった。これなら離れた席に座ることが出来るね。

主演の女優がボイストレーニングを積んで、全く吹替なしで演じたということは聞いていたが、その女優が2001年の『ブリジット・ジョーンズの日記』で主役だったレニー・ゼルウィガーだったと知って驚いた。なぜかその映画は観ていたのだが、当時役作りのために13kgも体重を増やして撮影に臨んだ彼女が、今回の役柄とほぼ同じ年齢になって姿を現していることに感慨を覚えた。ずいぶん痩せているが(今回の撮影のために減量した?)、口元の感じやシャイな微笑みに当時の彼女がオーバーラップした。
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映画の内容は、「オズの魔法使」で知られるハリウッド黄金期のミュージカル女優ジュディ・ガーランドが、47歳の若さで急逝する半年前の1968年冬に行ったロンドン公演の日々を描いたもの、ということである。「オズ」撮影時の場面も時々オーバーラップとして出てくるが、少女時代の演技や歌唱についてはほとんど映像としては出てこない。むしろミュージカル映画の大スターとしてハリウッドで売り出されたジュディが、ダイエットを管理され、寝る時間もないまま酷使されて、そのことが生涯彼女のトラウマになっている…、という風に描かれているのだと思った。
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ジュディは当時ハリウッドでダイエット薬として使用されていた覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになる。そして生涯薬物乱用から逃れられず、5回の結婚と離婚を繰り返した彼女の人生は壮絶だ。娘の一人はライザ・ミネリだが、その後2人の子を産み、その子たちと生活のためにドサ回りなどをするが、困窮はとどまらず、ついにより多い報酬を得るために、子等を元夫のもとに残しロンドン公演に旅立つ。
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彼女は子供たちとの平穏な生活を望んでいたのか、それとも銀幕やステージで輝き続ける女優・歌手でいたかったのか、おそらくどちらも本当の彼女だったに違いない。
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レニー・ゼルウィガーの歌と演技は素晴らしかった。もっと歌の場面を多くしてもらいたいと思ったほどだった。印象に残った歌は、「20世紀の歌」でも取り上げた"FOR ONCE IN MY LIFE"がしみじみと心に沁みた。限りある残りの人生でいったい何ができるのか、何がしたいのか…などと考えながら映画を観終えた。
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『ジュディ 虹の彼方に』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=w5r4Q2DSRyM

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映画『ロニートとエスティ彼女たちの選択』@シネ・リーブル神戸 [映画]

映画『ロニートとエスティ彼女たちの選択』(原題:Disobedience)
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ネットを見ていたら、朝の情報番組でおなじみだったが半年前にフリーになった女子アナのUさんが、この映画に感銘を受けたという記事を見たので、観てみようと思ったのだった。ミーハーな奴。シネ・リーブルにやっと来たと思ったら朝10時と夕方5時半の2回しか上映していない。そこで雨の日曜日に行くことにした。行ってみると4階の大きなホールでの上映だったが、10人ぐらいしかお客さんはいなかった。人気があるから大きなホールというわけでもなさそうで、意味不明だ。
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『ナチュラルウーマン』で第90回アカデミー外国語映画賞を受賞したチリのセバスティアン・レリオ監督がメガホンをとっているとのことだが、寡聞にして知らなかった。主演女優の一人レイチェル・ワイズが製作に入っているようなので、どうも彼女がこの監督に惚れ込んでこの映画を撮ろうとしたのではないかと思われた。もう一人の主演女優レイチェル・マクアダムズもアカデミー級の女優のようだが、初めて知った名前だった。どちらの映画もトランスジェンダーがテーマになっている点では共通している。
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原作はイギリスの作家ナオミ・オルダーマン(Naomi Alderman)が2006年に書いた自伝的小説 "Disobedience"(不服従)だということだ。映画を観ていて時代がいまいち分からなかったが、彼女は74年生まれなので、現代が舞台なのだろう。ロンドン郊外のユダヤ教コミュニティの小さな街という設定なので、周囲から少し離れた環境なのかもしれない。ちょっと不思議な街のような印象を受けた。そこが閉鎖的な社会であることを暗示しているのかもしれない。
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物語はユダヤ教の指導者ラビを父に持つロニート(レイチェル・ワイズ)が、父の死の報を受けて住んでいたニューヨークから故郷の街に帰ってきたところから始まる。ロニートは若い頃幼馴染のエスティ(レイチェル・マクアダムズ)と恋仲になってしまうが、父親や厳格な戒律を持つユダヤ教社会はそれを許さず、ロニートは故郷を飛び出してニューヨークで写真家になっていた。久しぶりに再会したエスティは教師になっていて、驚いたことに同じ幼馴染でラビの後継者にならんとしているドヴィッドと結婚していたのだった。それを知ったロニートは、一度はすぐにでもニューヨークに帰ろうとするのだが…。
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原題の「不服従」という言葉はややきつい印象も受けるが、寛容でない社会に囲まれて生きていくとき、それに抗うにはよほど強い意志を持たねばならないだろうと考えると、決してそうではないのかもしれない。一口にトランス・ジェンダーといっても様々な形があり、軽々に理解したような顔をして語ることもできない気がする。ここ数年そのようなテーマ・モチーフで描かれた映画やドラマをいくつか観たが、それらはどれも固定的な価値観が生む偏見と闘うことの一つ一つの例であるのだと思って、自分に引き寄せて観るべきなんだろうと改めて思った。
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最初の場面だったので見落としそうになったが、父のラビが教会で倒れるときに、「あらゆる生き物の中で人間だけが、自分の意志によって自由に選択をすることが出来る動物だ」と説いた言葉を思い出した。かつてユダヤ教のコミュニティから娘を追放した父が、自らの死を前にして娘への赦しともとれる言葉を吐いたことに、何か救いのようなものを感じた。
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一見様々な社会の軛(くびき)から解放されて、少しは自在に生きられるようになったのかな、とも思える今の自分であるが、なかなかどうして、人間は死ぬまで「社会的動物」であり続けるしかないのだろうなとも思う。若い頃読んだ詩の一節がふと頭に浮かんだ。
「不服従こそは少年の日の記憶を解放する」(『少年期』)


レイチェル・ワイズ×レイチェル・マクアダムス主演!映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=qwnNtmQNiDc



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映画『パラサイト 半地下の家族』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『パラサイト 半地下の家族』
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カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した映画だということで観に行った。パラサイト(寄生・共生)というと、99年ごろ流行った「パラサイト・シングル(Parasite single)」という言葉が思い浮かぶ。大学を卒業して就職しても家を出ず、親の家にずっと暮らしている若者たちを表す言葉だったが、今検索してもこの映画しか出てこないのは、反響の大きさを表しているのだと思う。前の年に同じパルムドールを受賞した『万引き家族』と似たコンセプトの映画のようだったが、実際観てみるとやはりお国柄の違いもあるようで、興味深かった。
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「半地下の家族」とは、ソウル市の最下層の貧民街にあるビルの、半分地下に埋もれたような部屋に暮らす人たちのことを指すようだが、実際そういう半地下の部屋を持つビルが多いのかどうかは、寡聞にして知らない。部屋の細く高い窓からは、路地が下からの目線で見え、住んでいる人たちが本当に最下層の暮らしをしていることを象徴しているように思われた。水圧の関係か部屋の一段高いところにあるむき出しのトイレも、何か汚物にまみれて生活しているかのような感じを受けた。
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主人公は一応キム・ギウという若者なのかな。妹もいて、どちらも大学受験に何度も失敗しているが、能力はありそうなのに、予備校に行く金がないためプータロウをするしかない。父親はいくつも事業に失敗し、元ハンマー投げの選手だった母親も加えた家族で、宅配ピザの箱の製作の内職で糊口をしのいででいる始末だ。
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そんなキム・ギウのもとに幼馴染のソウル大生から、留学中に家庭教師の代役を頼まれることから物語は急展開していく…。極端な格差社会にして学歴社会でもある現代韓国だが、一流大学に行くためにもお金がないとどうしようもないわけで、二人の幼馴染の間にもすでに格差が厳然とあるわけだ。
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ひょんなことから上流階級の娘の家庭教師をすることになるが、続いて妹が美術の家庭教師に、父親がお抱え運転手に、そして母親が家政婦としてそのお邸に入り込んでいく過程は、素晴らしく頭脳的で、いつの間にか上流階級の家族の間に寄生していくさまは痛快なほどである。しょぼくれた生活をしていた少し前からは考えられないほど家族に取り入っていた。こんな素晴らしい能力?を持ちながら、これまでそれを生かせずにいたのは、まさに貧困故であったと言いたいのだろうか。
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ただ、物事はそううまくいくはずもなく、もう一組のパラサイト家族との暗闘が絡んで、事態はとんでもない悲劇に突き進んでいく…。
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話の中で北の首領様を揶揄している場面もあったので、ひょっとしたらこの家族は脱北者の家族なんだろうかなと思った。現代日本社会もたいがい格差社会になりつつあるが、韓国のそれはさらに輪をかけたすさまじさのように見えた。そして他の多くの国々もまた格差社会になってしまっているこの世界に、強烈な鉄槌を加えた映画なのだと思った。私たちはもっと怒らなければならないのだというように。


第72回カンヌ国際映画祭で最高賞!『パラサイト 半地下の家族』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=VG9PjxVMd08

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映画『アルツハイマーと僕 〜グレ・キャンベル 音楽の奇跡〜』@神戸アートビレッジセンター(新開地) [映画]

"Glen Campbell: I'll Be Me"
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Glen Travis Campbell
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グレン・キャンベルが亡くなったのは2年前の2017年8月8日、81歳だった。晩年のグレンがアルツハイマーを発症していたのはなんとなく知っていた気がする。2011年8月に発表されたアルバム "Ghost on the Canvas" をなぜか買っていたので、その時に病気のことも知ったのだろうが、その年齢になったら誰にでもあり得ることだからなあ、ぐらいに受け止めていたような気がする。
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その2011年の6月に、自分が半年前にアルツハイマーと診断されたことを発表した(75歳)。そして最後のアルバムを出したのだが、実はそれで終わりではなかったのだった。その年の8月から2012年11月まで1年以上にわたり、"Good Times – The Final Farewell Tour" と銘打って、北米とヨーロッパのツアーを行っていたのだ。自身の子供たちのうち3名をバックバンドに加え、文字通り家族一体となって、病気と闘いながらのコンサートツアーだった。
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他の病気と違って、ミュージシャンがアルツハイマーになり、それが進行するということは、ミュージシャンとしての<死>を意味する。楽器も弾けなくなり、歌も歌えなくなるからだ。それは<死>以上につらいことだったに違いない。だが、彼はそれをあえて公表し、演奏を続けることを通して病気と闘っていこうとした。何が彼をそうさせたのだろう、と考えながら映画を観ていた。
グレンを語るミュージシャンたち。
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齢をとってから運動をしたり楽器を演奏したりするのは、老化防止になるということはよく聞き、自分もそうかなと思いながら実行したりもしている。彼を襲った病気はそんな考えを吹き飛ばすように確実に進行していく。ツアーの終わりごろには本当に歌もギターもおぼつかなくなってしまうさまが赤裸々に映像化されていて痛ましい。アルツハイマーという病気がどのようなものか、そしてこれからこの病気を克服する医療が生まれることを願ってツアーを行い、このドキュメンタリー映画を撮らせたのだろうか。
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どんな自分も自分だ、という強い信念が彼の一生を貫いていたのかもしれない。そうありたいと思う自分もいるが、なかなか常人にできることではないなあ、と思いながら映画を観終わった。2014年に作られた映画がなぜ今日本で公開されることになったのかはよく解らない。兵庫でも1館しか上映していないのもよくわからないが、今後さらに多くの上映館が出てくるかもしれない。
公式サイトURL
http://wowowent.jp/illbeme/

2014年4月、78歳でグレンは長期間のアルツハイマー治療施設に入所し、その3年後に息を引き取った。彼の最晩年のアルバムを聴きなおしながら、最期までミュージシャンであり続けようとした彼の生きざまを反芻していきたい。

映画のエンディングに流れた曲。
~Not gonna miss you - Lyrics~
https://www.youtube.com/watch?v=tZ5KZgIC1fM

Glen Campbell: I'll Be Me
https://www.youtube.com/watch?v=F13AslSXg7w

Glen Campbell Biography: Still On The Line (2001) ~ Full Length Original
https://www.youtube.com/watch?v=2H5Ans_W3Vg


Ghost on the Canvas


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