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演劇『頭痛肩こり樋口一葉』@新歌舞伎座 [演劇]

演劇『頭痛肩こり樋口一葉』@新歌舞伎座
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3年ぶりの新歌舞伎座。
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もう20年前になるか、TVの劇場中継で偶々こまつ座の『泣き虫なまいき石川啄木』を観て感銘を受けた。他の作品も観たいと思いながら月日が流れて行った。今回観た『頭痛肩こり樋口一葉』は前述の作品の2年前の1984年が初演だったようで、こまつ座の旗揚げ公演だったということを今回知った。以来多くの名女優たちによって再演を重ねてきたようで、今回は主演の樋口夏子(一葉)役の貫地谷しほりをはじめとして、増子倭文江・熊谷真実・香寿たつき・瀬戸さおり・若村麻由美と錚々たる布陣である。
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物語は明治の女流作家の嚆矢である樋口一葉の19歳から亡くなる年までの毎年のお盆の16日の樋口家の様子を描きながら、一葉とその家族が時代の流れに翻弄される様を描いている。お盆は13日に迎え盆を行い、先祖の霊を迎え、14日と15日に家に滞在してもらい供養をして、その翌日の16日に先祖を送る、送り盆を行うのが通例である。
場面が始まる初めに、登場人物が少女の衣装に着替えて次のような盆歌を歌い踊る。遠目だからか初々しい少女たちに見えたのだったよ。
盆盆盆の16日に
地獄の地獄の蓋が開く
地獄の窯の蓋が開く
盆盆盆の16日に
地獄の亡者が出てござる
なんなん並んで出てござる
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井上ひさし氏が創った歌詞かなとも思ったがそうでもないらしい。お盆がこの世とあの世をつなぐ何かだとは思っていたが、「地獄の窯の蓋が開く」というのはなんとも不気味ではある。「科捜研」などで自分にはおなじみの若村麻由美さんが、成仏できないでいる幽霊を明るく美しく可憐に演じていらっしゃっていて、あの世も悪くないかもと思わせてくれた。
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「お盆になりました」という挨拶は自分にはなじみがあって、故郷の村では「盆になりまして」だったかな。毎年13日の日にその年初盆の家々を廻ってお参りしていた。以前は帰省時によくその役目を仰せつかっていたが、都会にずっと暮らしていると、だんだんそういう風習から遠ざかってしまっているなあ。
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一葉の家は農民だった両親が駆け落ちして江戸に出て働き、財を得て直参の株を買い、武家になるが、その後事業に失敗して借金を背負うようになる。一葉も兄の死によって当主となり、否応なく一家を背負わなくてはならなくなった。彼女が小説家を志したことの裏に、元直参の当主としての自恃のようなものが潜んでいたのかも知れないと思った。一葉の死後、重い荷物を一手に背負わなければならなくなった妹の邦子のラストシーンは痛ましかった。
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お芝居全体はユーモアとギャグに溢れ、喜劇の体をなしているが、その中に「世の中全体に張りめぐらされた因縁の糸の網」に絡みつかれ、江戸から明治への時代の濁流に翻弄されながら、女性としていかに生きるか、ともがき苦しんでいる様が写されていて、現代につながる素晴らしい演劇作品だと思ったことだ。願わくば劇場中継の形で、遠目でなく観たいものだとも思ったことだよ。

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演劇『黄昏』@兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール(西宮) [演劇]

演劇『黄昏』(原題: On Golden Pond)
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※写真はwebからいただきました。
我が青春時代のアイドル高橋惠子様が出演する舞台『黄昏』を観に行ってきた。彼女は私より二歳年下だが、『高校生ブルース』でデビューしたのが70年というから自分が高2の時から現在に至るまでスクリーンやテレビドラマに出演し続けているのだった。といっても『おさな妻』や『神田川』『ラブレター』など当時話題になった映画を観た記憶はないのだが。2012年に上映された、隠岐の知夫里島がロケ地だった『カミハテ商店』を観た時は、このような地味な映画に出演する姿勢に感銘を受けた。当ブログでは同じく知夫里島で撮られた映画『KOKORO』の中で少し触れている。

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物語の舞台は、アメリカ・メイン州にある美しい湖(池)「ゴールデン・ポンド」の湖畔にある別荘。この夏もここで過ごすためにやってきた老夫婦の日々が描かれている。夫のノーマン(石田圭祐)は80歳を目前にした元大学の教授。年老いてますます気難しくなっているが、そこには自らの老いと遠からず訪れるであろう「死」への不安も重なっている。一方妻のエセル(高橋惠子)は70歳ぐらいでまだまだ美しく矍鑠(かくしゃく)としており、夫の毒舌を軽くいなしながらやさしく世話をしている。
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夫婦には一人娘チェルシー(瀬奈じゅん)がいるが、一度結婚に失敗し、その後両親とは疎遠になっていた。そのチェルシーが婚約者と13歳の連れ子ビリーを伴って別荘を訪ねてくる。ノーマンとヘルシーは相変わらずぎくしゃくしたやりとりしか出来ずにいるが、二人がヨーロッパに旅行する間預かったビリーと過ごすうちに…。ともすればやや重苦しくなりがちなテーマであるが、ノーマンのアメリカンジョークにまみれた毒舌と、それを明るくいなすエセルの振る舞いで、どこかほのぼのとした雰囲気を醸し出していた。
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邦題の「黄昏」は、原題の "On Golden Pond"(黄金の池にて)とはかけ離れているようにも見えるが、原題では内容がわからないのも確かなので、しみじみとした人生の黄昏時を描いたものということで、悪くない題名と思った。劇中では別荘の室内の場面のみだったが、登場人物の会話を通して、素晴らしい湖の風景が眼前に現れるような感じがして、やはり主役はこの美しい湖畔だったのだ、と原題にも共感するのだった。


『黄昏』という題名から、昔そんな映画があったかなあと思っていたが、後で調べると、やはり1981年度のアカデミー賞受賞作品と原作が同じだった。ヘンリー・フォンダの娘ジェーン・フォンダがこの戯曲を観て感銘を受け、映画化権を取得したと言われている。現実世界でも確執があったといわれるフォンダ父娘の仲が、この映画での共演を機に修復したのかは定かでない。受賞式の数か月後に父ヘンリーは77歳で心臓病のため死去したとある。

映画が公開された81年、私はまだ20代後半だった。その頃観ていたらどんな感想を持っただろう。今回のようにわが身を重ねて観ることはなかったのだろうとは思う。映画版の方もまたレンタルして観てみようと思ったことだ。
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演劇『子午線の祀り』@兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール(西宮) [演劇]

演劇『子午線の祀り』
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演劇『子午線の祀り』は木下順二作の戯曲で、1978年に発表されたものである。2017年に野村萬斎による新演出で上演され、今回芸文でも公演することになったので観ることになった。木下順二についてはあの『夕鶴』を書いた劇作家ということぐらいしか知らなかった。一ノ谷の戦いで源氏に敗れた平家が壇ノ浦の戦いで壊滅するまでというストーリーはもちろん知っているが、それをなぜ取り上げたのか、どういう解釈を施したのか、ということに興味をそそられた。そして『子午線の祀り』という標題にはどんな意味が込められているのか…等々。実際に観たのはもう一ヶ月も前の3月14日だった。すぐに感想を書こうかとも思ったが、もう少し調べて考えをまとめてから、と自分に言い訳をしながら日が過ぎて行った。結局あまり考えもまとまらず、観たという記録のためにメモを残しておこうと思い至ったのであった(笑)。

当日ホールに入ると客席がほぼ満席であることに驚いた。喫煙室が閉鎖されているのは仕方がないと思ったが、それにしてもあまりに密ではないか。ライブハウスと違って黙して観るだけだからといって…、とライブハウスの置かれた状況を知る者にとってはちょっと承服しかねる感じもした。後で調べると「兵庫県の緊急事態宣言解除および3月8日以降のイベント開催制限緩和(収容率50%→100%)に伴い」一月末に再募集したとのことであった。演劇界もこの一年公演が出来ない時期も長かっただろうから、解禁→それっ!となるのも分からなくはないけれど、花見はいいだろうと殺到するのとあまり変わらない気もした。
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舞台はメビウスの帯のような起伏のあるスロープが設営されているというシンプルなもので、その舞台装置だけで屋島の戦いから壇ノ浦の戦いまでを3時間かけて演じるという大胆なもので、観る側の想像力に訴えるという大胆な方法のように思われた。今回の公演は2017年に狂言師の野村萬斎による新演出ということだが、どこか能舞台のような象徴的な世界と感じられるのはそこから来るものなのかなと思った。
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物語は、我々もよく知っている壇ノ浦の合戦をクライマックスに、平家、源氏それぞれの動きが描かれているのだが、それを平家方の新中納言平知盛と源氏方の源義経の置かれた状況と心情を中心に展開されていく。一の谷の合戦で嫡男知章を死なせてしまい屋島に逃れて再起をはかろうとする知盛であるが、平家の滅亡を予感しながらも源氏との決戦で死命を決しようと考えていく(キーパーソンの影身の内侍役の若村麻由美は美しかった)。一方の義経は兄頼朝との兄弟の絆に寄りかかりながら、政治的酷薄さをもって弟に対する頼朝との溝は深まるばかりで、戦功を挙げることでその溝を埋めようと無理な戦いに挑んでいく。
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壇ノ浦の戦いで雌雄を決したのは、他にも様々な要因があるだろうが、壇ノ浦周辺の潮の流れの変化だとも言われている。義経の読みが功を奏したともいえるが、運命を決めたのは人間たちの営みを司る天の星の持つ力なのかもしれない、というように物語は進んでいるように思われた。「子午線」といえば明石市を思い起こすが、それは明石市を東経135度子午線が通っているからで、子=北と午=南を結ぶ子午線はあらゆるところを通っている。北の空には北極星があり、東から上り西に沈む月の動きにより、一つの子午線上には潮の満ち引きが生じる。私たちの営みも個々の意思によって動いているように見えて実は星や太陽や月の司るこの天地の動きに委ねられているのかな、というようなことを考えさせられたのであった。
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なんかやっぱり訳が分からなくなってきたのでこの辺で止めるが、最後に劇中で平家物語の原文を「群読」という形で出演者全員が朗読している場面が心に残った。原文の力強さ美しさが強く伝わってきた。かつて教室で「平家」を教えた時に全員で朗読させてみたいと思いながらなかなかできなかったなあ、とほろ苦く思い出すのであったよ。

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舞台『正しいオトナたち』@芸術文化センター阪急中ホール(西宮) [演劇]

舞台『正しいオトナたち』
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真矢ミキ主演の四人劇だということで行ってきた。他にも近藤芳正・中嶋朋子・岡本健一という名だたる演技派の俳優たちが出るというのも楽しみだった。こういう演劇を地方都市のホールで観ることが出来るのはある意味すごいことなのかもしれない。蛇足だが奇しくも去年の同じころ(8日だったか)に同じホールで演劇(『セールスマンの死』)を観た後のトイレで膀胱の疾患を発見したのだった。なぜかその時見た芝居については書いていない。動揺していたのかな。

閑話休題、この『正しいオトナたち』というお芝居は、ヤスミナ・レザというフランスの劇作家が2007年に発表した戯曲『大人は、かく戦えり』をもとにしたものらしい。ちなみにこの作品は2011年にフランス・ドイツ・ポーランド・スペイン合作で映画化されている(邦題は『おとなのけんか』)。戯曲の方はローレンス・オリヴィエ賞、トニー賞など、世界的な演劇賞を総ナメにしたらしい。
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舞台はウリエ家の居間での、数時間のやり取りがリアルタイムで展開されるという、ある意味地味な展開のものである。役者の演技力に負うところの大きい作品だ。ウリエ夫妻の家に、ウリエ家の息子を棒で殴って怪我をさせた相手の両親(レイユ夫妻)が尋ねてきた場面から始まる。ウリエ家の妻ヴェロニック(真矢)と夫のミシェル(近藤)は寛大さを装いつつ、怪我をさせた相手の息子の非を指摘し、暗に謝罪を求める…。

それぞれが公正で進歩的な考えであると自認している親たちは、冷静に事態を収めようとするのだが、話し合いは次第にほころび出しエスカレートしていって、それぞれの本音をさらけ出していく。きっかけは些細なことで、弁護士であるレイユ家の夫アラン(岡本)の携帯に訴訟に関する電話が次々にかかり、あたりかまわずぞんざいに対応する夫に妻アネット(中嶋)の不満が爆発して、それはウリエ夫妻にも伝染して事態はとんでもないことになっていく…。
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見始めた時の感想は、これはやはりフランスを舞台にしたものなので、日本ではそもそもの始まりが違うなというものだった。日本では怪我をさせられた方の親が子供を連れて相手の家に怒鳴り込むか、逆に怪我をさせた側が謝りに行くというのが多くのパターンかなと思えるからだ。日本では今でもパブリックな人間関係というものがやや希薄であるような気がする。尤も、最近のモンスター・ペアレンツなどは、またまた異様な関係を作っているのかもしれないが。

そういう民度の違いはあるが、普段は公正さを装っている大人たちが、一皮むけばむき出しの自我や敵意を内に持っていて、些細なことから露呈する…、という構図は洋の東西を問わず同じなのかな、とも思った。「正しい大人」であろうとしていることがいかに付け焼刃に過ぎないかもしれない、ということに警鐘を鳴らしている作品と言えるかもしれない、とわが身を振り返ったのであったよ(笑)。
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それぞれの役者さんの演技は素晴らしく、真矢さんは天真爛漫に素を出していると感じたし、近藤・岡本の男性陣もキャリアに裏付けられた老獪な演技だった。特にアネット役の中嶋さんはTVで見るより(失礼)ずっとスタイリッシュで美しく、その彼女が酔っ払ってグチャグチャになっていくくだりは、この劇のハイライトではないかと思ったことだよ。

舞台『正しいオトナたち』スペシャルPV
https://www.youtube.com/watch?v=-ZxD3nIg83c

映画『おとなのけんか』(原題:CARNAGE)
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ミュージカル『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』@新歌舞伎座 [演劇]

ミュージカル『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』
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この二人芝居の形をとるミュージカルは、アメリカのブロードウェイで上演され、その後お隣の韓国でもクリスマスシーズンの定番ミュージカルとして毎年上演されている作品のようだった。今回、田代万里生と平方元基が公演によっては逆の配役になるというコンセプトで日本初上演されたのだが、内容についてはほとんど知らないまま、新歌舞伎座の公演チケットが格安で手に入ったからというので行ったのだった(笑)。

前日が自分のライブで、かなりお酒も飲んでいたので、寝不足の目をこすりながら電車で阪神電車に乗り、11時半に上本町駅に降り立った。取り敢えず昼を食べようと駅近くの店を探して、最強の麻婆豆腐をうたっている「菜都」というお店で昼を食べた。
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麻婆豆腐は美味しかったが、リピートしようというほどには感じなかった。それより観劇前だからとビールだけにとどめたのだが、迎え酒としては十分すぎたようで、その後の観劇を困難にしたのであったよ(泣)。
新歌舞伎座は駅前の超近代的なビル「上本町YUFURA」の6階にあった。時代は変わる!だねえ。
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収容人員1,638人と言われる客席は、3階席まであって舞台との距離が近いということであった。確かに2階席がかなり前にせり出していて、それを感じられたが、座席はやや硬いなと思った。
公演が始まってすぐに睡魔に襲われ、それと闘いながら110分の長丁場を観た。しっかりとは観られてはいなかったので、webからあらすじを引用しておく。

「人気短編小説家のトーマスは、幼なじみのアルヴィンの突然の死に際し、弔辞を読むために故郷へ帰って来る。しかし、葬儀が始まるというのに、アルヴィンへ手向ける言葉が思い浮かばない。すると死んだはずのアルヴィンが目の前に現れ、トーマスを自らの心の奥深くへと導いていく。そこには延々と続く本棚があり、トーマスの思い出と積み重ねた人生の本当の物語を書いた原稿や本が存在していた。アルヴィンは、その中から弔辞に相応しい2人の物語を選び、トーマスの手助けを始める。しかし、トーマスはそれを拒み、助けを借りずに弔辞を書くと言い張るが、アルヴィンは気にもとめず、次々と物語を選び、語っていく。果たして、弔辞は完成するのか・・・。
いくつもの物語が語られるにつれ、2人の間に存在した数々の埋もれてしまっていた小さな結びつきが明らかになっていく。」
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幼馴染の二人だったが、トーマスは短編小説家として成功し、アルヴィンは故郷でひそやかに書店の主人として生活している。親友の死に際して、弔辞を読むために帰るのだが、自分だけの力で成功していたと思い込んでいるトーマスは弔辞が読めないでいる。突然目の前に現れたアルヴィンの亡霊(実はトーマスの内なる声?)と対話しているうちに、アルヴィンから実は大きな啓示を受け続けていたのだと気づいていく…、ということだったのかな。キャッチコピーの「君が僕を追いかけていたのではなく いつも君を追いかけていたのは僕だった」という言葉がそれを表しているのだと思った。
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舞台の左袖で、キーボードとチェロとチューバ(だったかな)という最小ユニットでの演奏が素晴らしく、二人の演技を盛り上げていたのが特に印象に残った。どの公演でもいいのでDVDなどあったら、もう一度きちんと観たいと思ったけどあるのかな?

youtubeで米韓の公演の一部が公開されていたので載せておく。
The Butterfly - The Story of My Life - Will Chase & Malcolm Gets - Broadway
https://www.youtube.com/watch?v=Phs1LOM_p90
ミュージカル『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』韓国公演プロモーション映像
https://www.youtube.com/watch?v=P9N1lRe_lqs

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演劇『A列車に乗っていこう』&「元町ジャム会」@兵庫県立芸術文化センター(西宮)& James Blues Land(神戸元町) [演劇]

演劇『A列車に乗っていこう』
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「いつまでもたおやかな女優・石田ひかりと新世代女優の松風理咲の二人芝居」ということで観に行った。題名がジャズの "TAKE THE A-TRAIN" から来ているのだろうというのもあったかな。実際エンディングテーマに件の曲が流れたのだが、曲の内容とそれほど関係があったようには思えなかった。曲から受ける感じが「行き先なしの汽車」のイメージだからかな。小説などでも有名なポップやロックの曲名を題名にしているのを時折見かけるが、読者の興味を引くためだけのものも多いような気がする。
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登場人物は二人だけで、難病を患っていたらしい少女そら(松風理咲)と、少女の看護師でもあり個人教師でもある時枝(石田ひかり)は、ある日病院を出て二人だけで列車に乗ってどこかへ向かう。設定も詳しくはわからないまま観ているのだが、少女は初めて病院を出て外の世界を見たのではないかと思われた。少女は初めて見た現実の街の遠くに高い塔があるのを見て時枝に尋ねるのだが…。
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二人の乗った列車は様々な土地を通り過ぎ、そこで見た様々な景色について時枝に質問し、時枝はやさしくそれに答える。この世の様々な事象の意味について、アリストテレスに始まってデカルトやカント、儒教や般若心経、果ては宮沢賢治まで持ち出して説明する。わかりやすい言葉で説明するのだが、テーマが次々と展開するので、理解する前に次の場面に移ってしまうので、ちょっとついていくのが大変だった(笑)。二人芝居だからということもあるだろうが、膨大なセリフを覚えなければならない二人の女優さんは大変だったろうと思った。

もうすぐ50台にならんとしている石田さんだが、その透明感のある美しさは健在だった。姉のゆり子さんを美魔女と呼ぶなら、ひかりさんは「永遠の美少女」と呼びたい気がした。一方、現役美少女の松風さんも透明な美しさと可憐さを持ち、とても病人とは見えない感じもややあったが、お二人の醸し出す穏やかで幻想的な雰囲気が、ともすれば理屈が勝って観念的なやり取りになってしまいそうなお芝居をやさしく柔らかく進行させていたように思われた。

私たちがこの世で生きているということには限りがあり、「生まれて」「生きて」「死ぬ」だけだということは自明のことなのに、そのことをどう受け止めたらいいのか、と苦しみ思い悩みながら日々を送っている。時に哲学者の言葉や宗教的な啓示に縋りながら。二人の列車の旅はそういう私たちの人生の歩み方をなぞっているようにも見えた。再び街に戻った二人だが、少女は初めに街の向こうに見えた「塔」の正体を見ようと歩きだしていく…。「塔」とはいったい何なんだろうか。ふと太宰の小説の中の一節を思い起こした。

「われ、山に向かいて目を挙ぐ――詩篇、第百二十一」。『桜桃』の冒頭に掲げられたこの句は、私の中で折に触れて反芻される詩句であるが、劇中の「塔」もそれに似た何かかなあとぼんやり思いながらホールを出た。この劇は北村想さんの書下ろしのようだが、是非そのシナリオをちゃんと読んでみたいと思ったことだよ。

「元町ジャム会」
さて、この日は元町でブルーグラスのジャム会がバッティングしていたが、遅ればせながら駆け付けた。お店に入ったのは5時半過ぎで、参加者もやや少なくなっていたが、残られていたレジェンドたちにサポートしていただいて、気持ちよく演奏することができました。ご一緒していただいた皆さんありがとうございました。
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演劇『Sing a Song』@兵庫県立芸術文化センター(西宮北口) [演劇]

演劇『Sing a Song』@兵庫県立芸術文化センター(西宮北口)
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兵庫県立芸術文化センターでの演劇は去年の秋に『チック』を観て以来だ。
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今回も平日の午後の公演だった。事前の知識としては太平洋戦争中の軍の慰問の話で、戸田恵子と大和田獏が出演するということぐらいだった。座席は2階の前から2列目で少し遠かったが上から全体を見渡せるのはよかった。客席は前の『チック』と違ってほぼ満席だった。主演陣がベテランのせいか、プロモートの違いなのか。後で調べるとほぼ一ヶ月にわたって全国のあちこちを巡演しているらしい。力の入れ方もなかなかのもののようだ。

戸田恵子演じる三上あい子という歌手と彼女の才能にほれ込んでいるマネジャー(大和田獏)たちが軍の要請で南方の日本軍の慰問に出かけるという話である。あい子のモデルになっている歌手は、かの「ブルースの女王」と言われた淡谷のり子である。
1930年頃の写真。
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別れのブルース 淡谷のり子
https://www.youtube.com/watch?v=MPn6zyoW-W8
彼女の戦時中のエピソードについては少し聞いたことがあったが、改めて調べてみると「戦時中、軍歌を拒み、モンペ姿も拒絶して華やかなドレス姿で慰問に赴き、禁止されてもブルースで兵士を励ました。」とある(wiki)。舞台の方もほぼ同じコンセプトで進行していた。
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それにしてもたった6人の出演で、場面は憲兵の部屋・南方の島の日本軍基地の部屋・鹿児島の基地(たぶん知覧の特攻隊基地)・慰問のステージなどしかないが、その中でのやり取りや服装でそれぞれの空間の外の情景を浮かび上がらせるのはすごいことだと思った。これが演劇の力なのだろうな。また、主人公あい子(戸田)の歌が素晴らしかった。公演に向けて淡谷のり子の歌も相当研究したと思われるのだが、元々歌も上手い人だったのだと後で調べて分かった。「別れのブルース」や「雨のブルース」などの淡谷のレパートリーもそれ以外の歌も素晴らしかった。
劇とは関係ないが彼女の歌をyoutubeで。
眠れない夜の窓辺で/戸田恵子
https://www.youtube.com/watch?v=8dVxLA9k8H4
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今、朝ドラの「わろてんか」でもお笑い軍団の戦地慰問が取り上げられているが、淡谷の反骨ぶりはその比ではないようだった。始末書の厚さが数センチになるほどの検閲の嵐を乗り越えられたのは、彼女の歌に対する強い信念もあったのだろうが、何よりも戦地の兵隊さんたちの「本当の歌」を求める声が強かったからではないか。時勢に迎合する歌でなく本物の歌を求める声に応えて、自分が本当にいいものだと信じる歌を歌い続ける。ささやかながら人前で歌っている自分も、その姿勢を少しでも見習いたいと思ったことだよ。

もう70年以上前の出来事が描かれているのだが、近頃のわが国の情勢を見ていると対岸の火事とはとても思えない。メディアへの規制や情報操作など表現の自由を侵しかねない状況がひたひたと押し寄せているように感じられる。今の私達も一人ひとりがこの息苦しい空気をはねつける強さを持ち続けなければならないと強く思った。年をとってもすごく美しい歌を歌い続けた淡谷さんのように…ね。



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舞台『チック』@兵庫県立芸術文化センター(西宮北口) [演劇]

舞台『チック』
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演劇を生の舞台で観たことはほとんどなかった気がする。TVでやっているのはいくつか観ていると思うけど。やはり事前に情報を集めて、チケットを購入してというのが面倒くさいからだろうか。そういえば音楽のライブも事前に予約してというのはあまりない気がするなあ(笑)。今回ひょんなことから知人に薦められてこの舞台を観に行くことになったが、劇の内容は後述するとして、これからはこういったライブ(落語などの古典芸能も含めて)も観に行きたいなと思ったことだ。
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喫煙ルームには舞台のモニターが。
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『チック』は、ヴォルフガング・ヘルンドルフの児童文学『14歳、ぼくらの疾走:チックとマイク』をロベルト・コアルが戯曲化し、2011年にドイツで初演された作品らしい。なお原作を同じくするファティ・アキン監督の映画『50年後のボクたちは』が近々大阪・神戸で上映予定らしいが、偶然の符合だろうか。
映画『50年後のボクたちは』予告編

物語の舞台はドイツ。主人公のマイクは14歳の少年。不動産業で大儲けして若い女と浮気する父と、それが原因で酒びたりになっている母が毎日のように口げんかしていることに嫌気がさしている。学校でも目立たず、誰からも注目されないマイクは、憧れのタチアーナからも誕生日に呼んでもらえず悶々とした日々を送っている。そんな時ロシアからやってきた変な転校生チックと知り合う。夏休みにひょんなことから親戚の車を無断で借りて、ハンブルグに向かって不思議な旅をするという青春ロードムービー(演劇だが)と言っていいだろう。
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5人の演者で何役も演じるという、アクロバティックというか省エネというか、それを早替わりでやるのがすごかった。一つの回るステージで全ての場面をまかなったり、客席の最前列を使ってハンドルだけのドライブ場面を演じたり、ラジコン・カーを走らせて旅の移動をイメージさせたり、大がかりな舞台装置を使わずに、観客の想像力にゆだねるやり方はなかなか斬新であったことだよ(笑)。マイク役を篠山輝信、チック役を柄本時生というTVでもよく顔を見る役者さんが出ているのに、チケットがそれほどお高くなかったのにはそういう理由があったのかな、とも思う。
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物語の大半の流れはマイクのモノローグでつながれているため、長い台詞回しが多く、よく台詞を覚えられるなあと感心もしたが、そのあたりはやや朗読劇のようでもあった。一人で三役もこなしていたあめくみちこさんの「怪演」ぶりに、チック役の柄本さんが思わず吹き出す(演技?)場面もあったりと、演劇ならではのライブ感を感じることができた。十代の頃の悶々とした感じはもう遠い記憶になってしまったが、自分の中にも確かにあったそういう記憶を呼び覚ましてくれた、いいお芝居であった。あめくさんのTVドラマとうって変わった演技もいまだに蘇って来ることだよ。

※写真は舞台・演劇のニュースサイト「エントレ」からいただきました。

14歳、ぼくらの疾走: マイクとチック (Y.A.Books)


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