『光る君へ』と『大鏡』雑感 [日々の雑感]
『光る君へ』と『大鏡』
紫式部像。
今年の大河ドラマは、『源氏物語』の作者である紫式部と、光源氏のモデルとも言われる藤原道長が主人公になっている。道長についてはいくつかの史書や自身の日記などあるので、ある程度人物像は分かっているが、式部の方は『紫式部日記』以外ほとんど語られていないので、その生涯についてはあまり知られていない。逆に言うとフィクションの要素がいくらでも盛り込めるということになる。物語の序盤で彼女の母が道長の兄道兼に殺されたというくだりなどはその典型だろう。
藤原道長像。
藤原道長の栄華につながる歴史を描いた歴史物語に『大鏡』と『栄花物語』があるが、『大鏡』の方が比較的客観的に描いている(史実に近い)と評価されているからか、高校の古文の教科書には『大鏡』が載っていることが多かった。そのこともあって、授業でも取り上げることが多かったように思う。今となっては遠い記憶であるが。
ドラマでももうすぐ出てくる「花山院の出家」は、中でもよく取り上げていた。兼家が自分の外孫を帝にするため、寵愛する女御(忯子)を亡くして悲嘆する花山帝を息子道兼(粟田殿)を使って唆し、無理やり出家退位させたというお話であった。その結果兼家の外孫である一条帝が即位し、兼家一族に実権が移っていくという流れである。
教科書では他にも、「兼家と兼道の不和」で兼家の不遇時代が語られ、道長の兄道隆の中関白家(伊周・隆家・中宮定子)と道長(中宮彰子)との権力争いを扱った「弓争い」がよく出てきた。定子に仕えていたのが清少納言であり、彰子に仕えていたのが紫式部だった。娘を入内させて外孫を帝にするという権力の握り方(摂関政治)は、道長の「一家立三后」を最盛期としてその後衰退するが、思えば外敵のいない平和な時代だったのかなとも思える。戦後日本の政権争いも、形は変われどどこか似ている気もするのだが。
というわけで、大河ドラマの物語は大なり小なり「歴史其儘と歴史離れ」の組み合わせで出来ているのだが、このドラマは特にフィクション部分が多いと思われるので、脚本家がどのように想像を膨らませながら創作し、史実に収斂させていくのかなというのを興味深く観ていこうと思っている。道長と式部がかつて恋仲であったというのも、全くあり得ない話ではないし、主人公だからねとも思うが、目下興味があるのは、道兼を母の仇として憎んでいる式部が、道兼(七日関白と呼ばれる)の死にどう関わっていくのかな、という点である。そう見て行くとなかなか面白いと思ったことだよ。
紫式部像。
今年の大河ドラマは、『源氏物語』の作者である紫式部と、光源氏のモデルとも言われる藤原道長が主人公になっている。道長についてはいくつかの史書や自身の日記などあるので、ある程度人物像は分かっているが、式部の方は『紫式部日記』以外ほとんど語られていないので、その生涯についてはあまり知られていない。逆に言うとフィクションの要素がいくらでも盛り込めるということになる。物語の序盤で彼女の母が道長の兄道兼に殺されたというくだりなどはその典型だろう。
藤原道長像。
藤原道長の栄華につながる歴史を描いた歴史物語に『大鏡』と『栄花物語』があるが、『大鏡』の方が比較的客観的に描いている(史実に近い)と評価されているからか、高校の古文の教科書には『大鏡』が載っていることが多かった。そのこともあって、授業でも取り上げることが多かったように思う。今となっては遠い記憶であるが。
ドラマでももうすぐ出てくる「花山院の出家」は、中でもよく取り上げていた。兼家が自分の外孫を帝にするため、寵愛する女御(忯子)を亡くして悲嘆する花山帝を息子道兼(粟田殿)を使って唆し、無理やり出家退位させたというお話であった。その結果兼家の外孫である一条帝が即位し、兼家一族に実権が移っていくという流れである。
教科書では他にも、「兼家と兼道の不和」で兼家の不遇時代が語られ、道長の兄道隆の中関白家(伊周・隆家・中宮定子)と道長(中宮彰子)との権力争いを扱った「弓争い」がよく出てきた。定子に仕えていたのが清少納言であり、彰子に仕えていたのが紫式部だった。娘を入内させて外孫を帝にするという権力の握り方(摂関政治)は、道長の「一家立三后」を最盛期としてその後衰退するが、思えば外敵のいない平和な時代だったのかなとも思える。戦後日本の政権争いも、形は変われどどこか似ている気もするのだが。
というわけで、大河ドラマの物語は大なり小なり「歴史其儘と歴史離れ」の組み合わせで出来ているのだが、このドラマは特にフィクション部分が多いと思われるので、脚本家がどのように想像を膨らませながら創作し、史実に収斂させていくのかなというのを興味深く観ていこうと思っている。道長と式部がかつて恋仲であったというのも、全くあり得ない話ではないし、主人公だからねとも思うが、目下興味があるのは、道兼を母の仇として憎んでいる式部が、道兼(七日関白と呼ばれる)の死にどう関わっていくのかな、という点である。そう見て行くとなかなか面白いと思ったことだよ。
0203節分と恵方巻など [日々の雑感]
今年の恵方は東北東。ささやかなる昼餉。
当日の朝にスーパーに行っても、恵方巻に鰯・蜆・豆などだいたい揃う。数年前はフードロスが問題になったこともあったが、予約制やハーフサイズの太巻きなどで改善されているといいのだが。昨年の節分の時に少し調べたのだが、その年の恵方は干支の十干で決まっているようなので、改めてその方位の図を再掲しておく。
この図によると今年は甲辰の年なので恵方は東北東、来年は乙巳で西南西になる。毎年何らかの卜占が行われてその年の恵方の託宣が行われると思っているとややがっかりだが、数ある年中行事の一つとして楽しめばいいのだろう。
ところで、節分の豆まきは大晦日に行われる「追儺」の儀式から来ているという。
今年の2月3日は旧暦では12月24日になるらしい。このずれはほぼ毎年のことであるが、このような場合「追儺」はやはり大晦日に行われるのかな。それが節分の日に移行するようになったのは何時で、なぜか、というのが改めての疑問になった。
さて、一日前の2日の午後、久々に住吉川の山手幹線の少し上で、今年初めてのカワセミを見た。
歩けるようになったといっても、一度にたくさん歩くのは控えているので、少し上流に絞って歩いてみたのがよかったかな。久々に旧友に会えた気がして嬉しかった。以前のように歩き回ってまた会いたいと思ったことだ。
コサギ君もいた。
当日の朝にスーパーに行っても、恵方巻に鰯・蜆・豆などだいたい揃う。数年前はフードロスが問題になったこともあったが、予約制やハーフサイズの太巻きなどで改善されているといいのだが。昨年の節分の時に少し調べたのだが、その年の恵方は干支の十干で決まっているようなので、改めてその方位の図を再掲しておく。
この図によると今年は甲辰の年なので恵方は東北東、来年は乙巳で西南西になる。毎年何らかの卜占が行われてその年の恵方の託宣が行われると思っているとややがっかりだが、数ある年中行事の一つとして楽しめばいいのだろう。
ところで、節分の豆まきは大晦日に行われる「追儺」の儀式から来ているという。
今年の2月3日は旧暦では12月24日になるらしい。このずれはほぼ毎年のことであるが、このような場合「追儺」はやはり大晦日に行われるのかな。それが節分の日に移行するようになったのは何時で、なぜか、というのが改めての疑問になった。
さて、一日前の2日の午後、久々に住吉川の山手幹線の少し上で、今年初めてのカワセミを見た。
歩けるようになったといっても、一度にたくさん歩くのは控えているので、少し上流に絞って歩いてみたのがよかったかな。久々に旧友に会えた気がして嬉しかった。以前のように歩き回ってまた会いたいと思ったことだ。
コサギ君もいた。
0114「とんど焼き」など [日々の雑感]
今年のとんど焼きは1月14日。
毎年一月の第二日曜日には近所の公園で地域のとんど焼きが実施されている。故郷でもほぼ同じものをやっていた、幼少時の記憶があるので、懐かしく、これだけは毎年参加している。飾っていた松飾を焼かなくてはいけないので、参加は必然でもあるのだが。お世話されている方々も高齢になられているので、ずっと続けばいいのだが。足の怪我もまだ癒えていないので、家人に任せようかとも思ったが、片道5百歩ほどなので、歩かねばとひょこひょこ歩いて行った。
年末年始よりもこの行事の方が、この歳も無事過ごして来れたなという気分になるのが不思議だ。今回はそう無事でもなかったのだけれど。足の怪我も今では2分の1荷重になり、19日の診察次第で松葉杖から解放されそうなので待ち遠しい。でもそれからはリハビリが始まるのかな。
というわけで、出歩くといっても車でその辺まで、という状態なので、あまり写真も撮れないでいるが、そんな時期のものを二・三。
FBでバイカオウレン(梅花黄蓮)が咲いていると言っていたので、北山緑化植物園に行ってみた。ここは山歩きになるので無理かな、とも思ったが、北山山荘まではほぼ水平道なので、頑張れば行けるかな、と思ったのだ。
北山山荘入口まで来たが、
こんな看板が。
なんとこの日は貸し切りで山荘内には入れないとのことでがっくり。多分初釜の催しと思われたが、松葉杖でやっと来たのに…、とあきらめきれない思いがした。職員の方に尋ねると、咲くのは2月ごろですよ、と慰められたので気は取り直したが。
今咲いているのはこれですよ、と紹介されたのがスノードロップという花。
群生しているかと思ったが見過ごしてしまいそうにひっそりと咲いていた。可憐な春告げ花ではあった。
さすがにこの時期は花は少なかったが、いくつか。
ミツマタの開花前。
センリョウ?マンリョウ?
スイセン・カンタプリウス。彼岸花科らしい。
十月桜は開花期間が長いなあ。
また2月に来ようと足を引きずって帰ったのだった。
普段は気が付くと日没時間になっていたが、この日は4時半ごろ「夕日は?」と気が付いたので、クラッセの屋上駐車場に行ってみた。なかなか佳き夕陽を見ることができた。
日にち薬の長きことこの上なし!!
毎年一月の第二日曜日には近所の公園で地域のとんど焼きが実施されている。故郷でもほぼ同じものをやっていた、幼少時の記憶があるので、懐かしく、これだけは毎年参加している。飾っていた松飾を焼かなくてはいけないので、参加は必然でもあるのだが。お世話されている方々も高齢になられているので、ずっと続けばいいのだが。足の怪我もまだ癒えていないので、家人に任せようかとも思ったが、片道5百歩ほどなので、歩かねばとひょこひょこ歩いて行った。
年末年始よりもこの行事の方が、この歳も無事過ごして来れたなという気分になるのが不思議だ。今回はそう無事でもなかったのだけれど。足の怪我も今では2分の1荷重になり、19日の診察次第で松葉杖から解放されそうなので待ち遠しい。でもそれからはリハビリが始まるのかな。
というわけで、出歩くといっても車でその辺まで、という状態なので、あまり写真も撮れないでいるが、そんな時期のものを二・三。
FBでバイカオウレン(梅花黄蓮)が咲いていると言っていたので、北山緑化植物園に行ってみた。ここは山歩きになるので無理かな、とも思ったが、北山山荘まではほぼ水平道なので、頑張れば行けるかな、と思ったのだ。
北山山荘入口まで来たが、
こんな看板が。
なんとこの日は貸し切りで山荘内には入れないとのことでがっくり。多分初釜の催しと思われたが、松葉杖でやっと来たのに…、とあきらめきれない思いがした。職員の方に尋ねると、咲くのは2月ごろですよ、と慰められたので気は取り直したが。
今咲いているのはこれですよ、と紹介されたのがスノードロップという花。
群生しているかと思ったが見過ごしてしまいそうにひっそりと咲いていた。可憐な春告げ花ではあった。
さすがにこの時期は花は少なかったが、いくつか。
ミツマタの開花前。
センリョウ?マンリョウ?
スイセン・カンタプリウス。彼岸花科らしい。
十月桜は開花期間が長いなあ。
また2月に来ようと足を引きずって帰ったのだった。
普段は気が付くと日没時間になっていたが、この日は4時半ごろ「夕日は?」と気が付いたので、クラッセの屋上駐車場に行ってみた。なかなか佳き夕陽を見ることができた。
日にち薬の長きことこの上なし!!
2024年の年頭 [日々の雑感]
ホーム神社の初詣は今年は横から。
年末になってやっとシーネも外れて風呂にも入れるようになった。私の退院のすぐ後に、今度は近くに住んでいる娘がコロナに罹患して、10日あまり寝込んでいたが、なんとか回復して大晦日を家族で迎えることが出来た。
1月1日、この日は晴れの予報だったので、一応潮芦屋の海岸に初日の出を拝みに行ってみることにした。6時半ぐらいに家を出て、なるべく歩く距離が短い所に車を停めて歩いてみた。ほんの100mぐらいだが、段差もあって大変だった。今回は家人の介助付き。
晴れていたが対岸の山際には雲がたれ込めていた。
振り向くと残月が。
雲の隙間にかろうじて初日が現れた。
上の雲から出るまで待とうかとも思ったが、既に30分以上ほぼ片足立ちでいたので、帰ることにした。
もう少し待っていたらこんな朝日が見れたかも。FB友達よりいただいた。
帰るとTVでは恒例のダイヤモンド富士が映されていたのでゲット。
お節をいただく。
午後になって、毎年参拝している綱敷天満神社へ初詣に。元々すいているからというのが理由の一つだったが、近年参拝者が増えていて、駐車場もやっと入れるぐらいだった。
行列も長く時間もかかりそうだったので、家族に参拝してもらい、自分は脇にある臥牛の石像の足を撫でて、怪我の快癒を祈ることにした。
行列は遅々として進んでいなかったので、脇の道を歩いて上がり、拝殿を横から撮ってみた。
再び列の所に戻ったが、とても時間がかかりそうだったので、遠くから拝んだことにして私が先ほど通った道から破魔矢を返しに行って、新しいものを購入してこの日は帰ることにした。
そのまま帰るつもりだったが、前にちらっと参拝したことのある、魚崎の神社の傍を通ると、「猿田彦神社」があり、すごく空いていたので参拝したのだった(笑)。
こんな参り方でご利益はあるのかしらとも思ったが、しっかりお参りしたからよしとしよう。
帰って休んでいると、テレビから警報アラートが。能登半島で強い地震ということだった。その後大津波警報も出て、どんな被害になるのかと思われた。被害が大きくないことを祈るばかりだ。
かくして元旦の日は暮れた。もうしばらくは松葉杖生活が続くが、確実に快方には向かっていると思って、もう少し頑張ろうと思った。前年は家人が骨折をして、自分は違うと思ったりもしたが、どうもこの歳になると避けては通れないのかもしれないなあ。齢をとって骨折すると、そのまま衰えが来て…、という話はよく聞いていたが、どこか他人事のように受け止めていた。確かにひと月あまり使っていない左足は、心なしか細くぷよぷよになって来ているように感じられるので、面倒くさがらずにリハビリに精を出し、前向きに生きていかねば、と年頭に際し改めて思ったことだ。
月遅れの家族からの誕生日プレゼントたち。
エンゼルスの大谷君のカレンダーは貴重かも。
年末になってやっとシーネも外れて風呂にも入れるようになった。私の退院のすぐ後に、今度は近くに住んでいる娘がコロナに罹患して、10日あまり寝込んでいたが、なんとか回復して大晦日を家族で迎えることが出来た。
1月1日、この日は晴れの予報だったので、一応潮芦屋の海岸に初日の出を拝みに行ってみることにした。6時半ぐらいに家を出て、なるべく歩く距離が短い所に車を停めて歩いてみた。ほんの100mぐらいだが、段差もあって大変だった。今回は家人の介助付き。
晴れていたが対岸の山際には雲がたれ込めていた。
振り向くと残月が。
雲の隙間にかろうじて初日が現れた。
上の雲から出るまで待とうかとも思ったが、既に30分以上ほぼ片足立ちでいたので、帰ることにした。
もう少し待っていたらこんな朝日が見れたかも。FB友達よりいただいた。
帰るとTVでは恒例のダイヤモンド富士が映されていたのでゲット。
お節をいただく。
午後になって、毎年参拝している綱敷天満神社へ初詣に。元々すいているからというのが理由の一つだったが、近年参拝者が増えていて、駐車場もやっと入れるぐらいだった。
行列も長く時間もかかりそうだったので、家族に参拝してもらい、自分は脇にある臥牛の石像の足を撫でて、怪我の快癒を祈ることにした。
行列は遅々として進んでいなかったので、脇の道を歩いて上がり、拝殿を横から撮ってみた。
再び列の所に戻ったが、とても時間がかかりそうだったので、遠くから拝んだことにして私が先ほど通った道から破魔矢を返しに行って、新しいものを購入してこの日は帰ることにした。
そのまま帰るつもりだったが、前にちらっと参拝したことのある、魚崎の神社の傍を通ると、「猿田彦神社」があり、すごく空いていたので参拝したのだった(笑)。
こんな参り方でご利益はあるのかしらとも思ったが、しっかりお参りしたからよしとしよう。
帰って休んでいると、テレビから警報アラートが。能登半島で強い地震ということだった。その後大津波警報も出て、どんな被害になるのかと思われた。被害が大きくないことを祈るばかりだ。
かくして元旦の日は暮れた。もうしばらくは松葉杖生活が続くが、確実に快方には向かっていると思って、もう少し頑張ろうと思った。前年は家人が骨折をして、自分は違うと思ったりもしたが、どうもこの歳になると避けては通れないのかもしれないなあ。齢をとって骨折すると、そのまま衰えが来て…、という話はよく聞いていたが、どこか他人事のように受け止めていた。確かにひと月あまり使っていない左足は、心なしか細くぷよぷよになって来ているように感じられるので、面倒くさがらずにリハビリに精を出し、前向きに生きていかねば、と年頭に際し改めて思ったことだ。
月遅れの家族からの誕生日プレゼントたち。
エンゼルスの大谷君のカレンダーは貴重かも。
2023年 今年の BEST SHOT !? [日々の雑感]
この一年で観た美しい風景などを振り返ってみる。
0101 潮芦屋から大阪湾の向こうに初日の出を望む。
0217 めいほうスキー場山頂部から乗鞍岳を望む。
御嶽山の厳かな姿も。
0312 城南宮の圧巻の枝垂れ梅。
0424 六甲山腹「黒五谷」のクリンソウ
今年も咲いていた六甲山腹のクリンソウ。去年より1週間早い。
0516「ヒマラヤの青いケシ」など@六甲高山植物園
牧野博士の展示もあった。
0525「モネの庭」@高知県安芸郡北川村
0526「牧野公園」
手作り感満載の公園だった。
0526「轟(とどろ)の滝」など
0804 白島海岸など(草刈り帰省記その2)
その1・3もあるよ。
0908 自室で観る今秋の「酔芙蓉」
0920 ウスイロツユクサ(薄色露草)など
身近な場所にこんな変種を発見。
1002 摩耶天上寺のアサギマダラ
渦森展望公園では見られなかったのは残念だった。
1025 牧野植物園(秋の高知旅vol.1)
1026 仁淀ブルー(秋の高知旅vol.2)
夏だったらもっと素晴らしかったかも。
1124 さよなら「妙見の森ケーブル」
この後左足首を骨折してしまい、入院・手術することに。1カ月の療養のかいあって、29日にシーネを外し、左足荷重3分の1で歩けるようになった。同じ松葉杖でも片足歩行より段違いに楽になった。久しぶりに風呂に入れたのが何よりの幸せだった。もう少し療養に精を出して、来年は元のように歩き回りたいものだ。今月の総歩数5580歩なり。でも12月を除けば充実の一年だったと思ったことだよ。いや、そう思いたい。
0101 潮芦屋から大阪湾の向こうに初日の出を望む。
0217 めいほうスキー場山頂部から乗鞍岳を望む。
御嶽山の厳かな姿も。
0312 城南宮の圧巻の枝垂れ梅。
0424 六甲山腹「黒五谷」のクリンソウ
今年も咲いていた六甲山腹のクリンソウ。去年より1週間早い。
0516「ヒマラヤの青いケシ」など@六甲高山植物園
牧野博士の展示もあった。
0525「モネの庭」@高知県安芸郡北川村
0526「牧野公園」
手作り感満載の公園だった。
0526「轟(とどろ)の滝」など
0804 白島海岸など(草刈り帰省記その2)
その1・3もあるよ。
0908 自室で観る今秋の「酔芙蓉」
0920 ウスイロツユクサ(薄色露草)など
身近な場所にこんな変種を発見。
1002 摩耶天上寺のアサギマダラ
渦森展望公園では見られなかったのは残念だった。
1025 牧野植物園(秋の高知旅vol.1)
1026 仁淀ブルー(秋の高知旅vol.2)
夏だったらもっと素晴らしかったかも。
1124 さよなら「妙見の森ケーブル」
この後左足首を骨折してしまい、入院・手術することに。1カ月の療養のかいあって、29日にシーネを外し、左足荷重3分の1で歩けるようになった。同じ松葉杖でも片足歩行より段違いに楽になった。久しぶりに風呂に入れたのが何よりの幸せだった。もう少し療養に精を出して、来年は元のように歩き回りたいものだ。今月の総歩数5580歩なり。でも12月を除けば充実の一年だったと思ったことだよ。いや、そう思いたい。
12月の満月は「コールド・ムーン」 [日々の雑感]
12月の満月は「コールド・ムーン」
これは26日の"COLD MOON"EVE。月齢13.42
リビングセンターの屋上駐車場から撮影。
12月の満月をネイティブ・アメリカンはCOLD MOONと呼ぶそうだ。季節によっては日本人には理解しにくい名前もあるが、こちらは寒い時期だから違和感がない、というか普通だね(笑)。日本にも「寒月」という語があって、晩冬の季語らしい。漱石の『猫』にも水島寒月なる登場人物がいたなあ。モデルは私の高校時代のアイドル寺田寅彦らしいが、俳句をよくする漱石ならではの命名だな、と改めて思ったことだ。
12月はずっと松葉杖生活で、歩けない以外はまあまあ元気なので、時間を持て余す日々ではある。この歳になると1週間たつのは早いなあ、と常々感じていたが、日にち薬の状況に置かれると、毎週金曜日の診察までがやたら永く感じられる。というわけで、この日は今年最後のバンド練習を、と須磨の工房に赴いた。無理に練習することもないのだが。
練習の一コマ。自分の写真はないなあ。
昔学生バンド間で流行っていたらしい"This is the Girl I Love"など数曲新たな曲を練習した。また1月のライブでやることになりそうだ。
かのローランドの名器がこんな状態になっているのに遭遇!!
この楽器のように、自分の身体もリペアして、新しい年を迎えたいものだ、と思ったことだよ。
1227 ベランダから撮った満月。月齢14.51
ちょっと見小望月と変わらん気もした。
これは26日の"COLD MOON"EVE。月齢13.42
リビングセンターの屋上駐車場から撮影。
12月の満月をネイティブ・アメリカンはCOLD MOONと呼ぶそうだ。季節によっては日本人には理解しにくい名前もあるが、こちらは寒い時期だから違和感がない、というか普通だね(笑)。日本にも「寒月」という語があって、晩冬の季語らしい。漱石の『猫』にも水島寒月なる登場人物がいたなあ。モデルは私の高校時代のアイドル寺田寅彦らしいが、俳句をよくする漱石ならではの命名だな、と改めて思ったことだ。
12月はずっと松葉杖生活で、歩けない以外はまあまあ元気なので、時間を持て余す日々ではある。この歳になると1週間たつのは早いなあ、と常々感じていたが、日にち薬の状況に置かれると、毎週金曜日の診察までがやたら永く感じられる。というわけで、この日は今年最後のバンド練習を、と須磨の工房に赴いた。無理に練習することもないのだが。
練習の一コマ。自分の写真はないなあ。
昔学生バンド間で流行っていたらしい"This is the Girl I Love"など数曲新たな曲を練習した。また1月のライブでやることになりそうだ。
かのローランドの名器がこんな状態になっているのに遭遇!!
この楽器のように、自分の身体もリペアして、新しい年を迎えたいものだ、と思ったことだよ。
1227 ベランダから撮った満月。月齢14.51
ちょっと見小望月と変わらん気もした。
1222「冬至」から年の瀬へ2023 [日々の雑感]
相生橋から住吉川を見る。まだ川を歩くことはできない。
ほぼ毎年冬至については書いているので、今年も書こうかと思ったが、松葉杖生活が続いているので、住吉川はおろか近所の公園の散歩も出来ないでいる。この日は歩数が一番多かったが500歩止まり。
家の中では松葉杖を使ってそれなりに生活できているが、やはり外を自由に動き回ることが出来ないのは、それなりにストレスがあるなあ。それでも車の運転は出来るので、日に一度は外出するようにはしている。
車のボンネットにこんな虫が。
冬至のこの日は術後3週間目の受診だった。傷口は塞がっているとのことでシールは剥がされたが、シーネは後一週間は付けねばならないとのこと。シーネが取れたら自由にシャワーが出来るのでもう少しの我慢かな。それから左足に少しずつ荷重をかけて…、と続くのだが。
というわけで、毎年冬至を迎えると、ここまで無事に生きられたな、と再確認していたのだが、それどころではない歳末の日々ではある。
<参考>過去の「冬至」記事はこちらから。
1222「冬至」から年の瀬へ
1222 「冬至」の頃の風景
ほぼ毎年冬至については書いているので、今年も書こうかと思ったが、松葉杖生活が続いているので、住吉川はおろか近所の公園の散歩も出来ないでいる。この日は歩数が一番多かったが500歩止まり。
家の中では松葉杖を使ってそれなりに生活できているが、やはり外を自由に動き回ることが出来ないのは、それなりにストレスがあるなあ。それでも車の運転は出来るので、日に一度は外出するようにはしている。
車のボンネットにこんな虫が。
冬至のこの日は術後3週間目の受診だった。傷口は塞がっているとのことでシールは剥がされたが、シーネは後一週間は付けねばならないとのこと。シーネが取れたら自由にシャワーが出来るのでもう少しの我慢かな。それから左足に少しずつ荷重をかけて…、と続くのだが。
というわけで、毎年冬至を迎えると、ここまで無事に生きられたな、と再確認していたのだが、それどころではない歳末の日々ではある。
<参考>過去の「冬至」記事はこちらから。
1222「冬至」から年の瀬へ
1222 「冬至」の頃の風景
中秋の名月2023 [日々の雑感]
今年の中秋の名月は9月29日だった。19:10 月齢14.35
今年は珍しく十五夜が満月と重なるので味わおう、などとニュースでは言っているが、紹介するアナウンサーの口調も心なしか歯切れが悪い感じだ。ちなみに、去年の中秋の名月は9月10日で、3週間も早く、こちらの方が気になるくらいなのだが(中秋の名月2022)。
9月30日 19:00 月齢15.35
薄曇りだったが、芒と一緒に撮ってみようと芒の元へ行ってみた。少し雲が途切れてなんとか撮れた。
旧暦(太陰太陽暦)は朔望月(新月~満月~新月)に沿って作ってあるので、十五夜はほぼ満月になるように調整してある。29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設けて、一年を354日と定めているが、それだと太陽暦より11日短いので、3年に一度閏月を入れて再調整しているのである。
10月1日 月の左に明るい星が。木星?
普段から今月の十五夜の月齢は?と気にかけている自分ではあるが、いつも誤差の範囲だなというところに落ち着くのが常なので、「次は7年後」などと言わず、毎年静かに「中秋の名月」を味わえばいいのだと思ったことだ。てか、「一番グダグダ言っているのはお前だよ」とは天の声か。
月餅は中国の中秋節に由来するお菓子のようだ。
FBにバンド仲間のD君が美しい十五夜を上げていたので拝借(笑)。須磨の海岸で撮ったらしい。
来年の大河に出る紫式部が『源氏物語』を書いた時、須磨の巻の「今宵は十五夜なりけり」という光源氏の述懐から書き始めたという…。
同じくバンド仲間のHDさんが高知で撮ったという月も。
朝の不思議な秋空。
今年は珍しく十五夜が満月と重なるので味わおう、などとニュースでは言っているが、紹介するアナウンサーの口調も心なしか歯切れが悪い感じだ。ちなみに、去年の中秋の名月は9月10日で、3週間も早く、こちらの方が気になるくらいなのだが(中秋の名月2022)。
9月30日 19:00 月齢15.35
薄曇りだったが、芒と一緒に撮ってみようと芒の元へ行ってみた。少し雲が途切れてなんとか撮れた。
旧暦(太陰太陽暦)は朔望月(新月~満月~新月)に沿って作ってあるので、十五夜はほぼ満月になるように調整してある。29日の月(小の月)と、30日の月(大の月)をそれぞれ6回ずつ設けて、一年を354日と定めているが、それだと太陽暦より11日短いので、3年に一度閏月を入れて再調整しているのである。
10月1日 月の左に明るい星が。木星?
普段から今月の十五夜の月齢は?と気にかけている自分ではあるが、いつも誤差の範囲だなというところに落ち着くのが常なので、「次は7年後」などと言わず、毎年静かに「中秋の名月」を味わえばいいのだと思ったことだ。てか、「一番グダグダ言っているのはお前だよ」とは天の声か。
月餅は中国の中秋節に由来するお菓子のようだ。
FBにバンド仲間のD君が美しい十五夜を上げていたので拝借(笑)。須磨の海岸で撮ったらしい。
来年の大河に出る紫式部が『源氏物語』を書いた時、須磨の巻の「今宵は十五夜なりけり」という光源氏の述懐から書き始めたという…。
同じくバンド仲間のHDさんが高知で撮ったという月も。
朝の不思議な秋空。
0908 自室で観る今秋の「酔芙蓉」 [日々の雑感]
今秋も観ることが出来た酔芙蓉の酔移。
酔芙蓉がもう咲いていると知って、去年も蕾の枝を頂いた西郷川河口公園に行ってみると、確かに咲いていた。
例年より随分早いなあ。去年の記事を見ると10月の初めだった(1005 酔芙蓉の酔移)。公園のお世話をされているおじさんに、蕾のある枝を2・3本分けてもらえるようお願いした。夕方また来るつもり。
公園内の花々。
千日紅。
鶏頭。
十月桜。こちらもずいぶん早い。
千日紅と少し違うなあ。
家のベランダにいつの間にか咲いていたこの花は?
まだまだ未知の花多し。
さて、家に帰って水責め(バケツ一杯の水に漬ける)にした(写真なし)。
翌朝、寝過ごして起きたらもう咲いていた。
7:57
7:58
9:49
10:40
13:19
13:38
15:20
15:24
15:25
16:50
18:15
翌朝。蕾だった左の花が咲いていた。
8:46
12:36
18:19
今秋も二日にわたって、酔芙蓉の妖艶な色の変化を楽しむことが出来た。家の近くに咲いていたら、こんなことをする必要もないのに、とも思ったが、一つの花の変化を定点観測するには、このやり方も悪くないと改めて思ったことだ。
酔芙蓉がもう咲いていると知って、去年も蕾の枝を頂いた西郷川河口公園に行ってみると、確かに咲いていた。
例年より随分早いなあ。去年の記事を見ると10月の初めだった(1005 酔芙蓉の酔移)。公園のお世話をされているおじさんに、蕾のある枝を2・3本分けてもらえるようお願いした。夕方また来るつもり。
公園内の花々。
千日紅。
鶏頭。
十月桜。こちらもずいぶん早い。
千日紅と少し違うなあ。
家のベランダにいつの間にか咲いていたこの花は?
まだまだ未知の花多し。
さて、家に帰って水責め(バケツ一杯の水に漬ける)にした(写真なし)。
翌朝、寝過ごして起きたらもう咲いていた。
7:57
7:58
9:49
10:40
13:19
13:38
15:20
15:24
15:25
16:50
18:15
翌朝。蕾だった左の花が咲いていた。
8:46
12:36
18:19
今秋も二日にわたって、酔芙蓉の妖艶な色の変化を楽しむことが出来た。家の近くに咲いていたら、こんなことをする必要もないのに、とも思ったが、一つの花の変化を定点観測するには、このやり方も悪くないと改めて思ったことだ。
0830 Super Blue Moon [日々の雑感]
曇りと思っていたのに、うっすらと見えた月。月齢14.11(旧暦ではこの日が望月)
前夜保険で撮った小望月(笑)。
今月は満月が二度あるので、その月は"Blue Moon"と呼ばれるそうだ。実際に青く見える月を指すこともあるようだが、あの名曲"Blue Moon of Kentucky"はどっちなんだろうな。また、この夜の満月は一年で一番大きい(地球に近い)月なので"Super Moon"と呼ばれる。合わせると"Super Blue Moon"ということになる。でも肉眼で見る分にはさほど変わらない気もする、と言ったら野暮になるんだろうな。
"once in a blue moon"という成句があって「ごくまれに」という意味で使われるが、Blue Moon がめったに見られないということに由来するという。
ちなみに、この20年のBlue Moonのあった年が出ていたので転載しておく。
1999年1月2日・31日 1999年3月2日・31日 2001年11月1日・30日
2004年7月2日・31日 2007年6月1日・30日 2009年12月2日・31日
2012年8月2日・31日 2015年7月2日・31日 2018年1月2日・31日
2018年3月2日・31日 2020年10月1日・31日
写真はイメージです。
なるほどほぼ三年おきだが、年に二度あることもある。「ごくまれ」と感じるかどうかは人それぞれかな。月の周期と暦のめぐり合わせによるものなので、昔の人ほど不思議さは感じない気もする。ライブの日程などを見ていると「今月は金曜日が5回あるな」というのを「ごくまれ」と思ったりもする(笑)。人々の何かにつけて「月に思いを寄せる」ことの一つとして"Super Blue Moon"を観るのが佳き、と思ったことだよ。
余談になるが、ナンシー・グリフィスの85年の歌に"Once in a Very Blue Moon"がある。"very"が加わっているので、「ごくごくまれに」ということになるのかな。めったに逢えない、もしくは別れた恋人のことを歌ったものだが、美しく青い月のイメージが重なった佳曲である。
Nanci Griffith - Once In A Very Blue Moon
0831 23:20 月齢15.2
前夜保険で撮った小望月(笑)。
今月は満月が二度あるので、その月は"Blue Moon"と呼ばれるそうだ。実際に青く見える月を指すこともあるようだが、あの名曲"Blue Moon of Kentucky"はどっちなんだろうな。また、この夜の満月は一年で一番大きい(地球に近い)月なので"Super Moon"と呼ばれる。合わせると"Super Blue Moon"ということになる。でも肉眼で見る分にはさほど変わらない気もする、と言ったら野暮になるんだろうな。
"once in a blue moon"という成句があって「ごくまれに」という意味で使われるが、Blue Moon がめったに見られないということに由来するという。
ちなみに、この20年のBlue Moonのあった年が出ていたので転載しておく。
1999年1月2日・31日 1999年3月2日・31日 2001年11月1日・30日
2004年7月2日・31日 2007年6月1日・30日 2009年12月2日・31日
2012年8月2日・31日 2015年7月2日・31日 2018年1月2日・31日
2018年3月2日・31日 2020年10月1日・31日
写真はイメージです。
なるほどほぼ三年おきだが、年に二度あることもある。「ごくまれ」と感じるかどうかは人それぞれかな。月の周期と暦のめぐり合わせによるものなので、昔の人ほど不思議さは感じない気もする。ライブの日程などを見ていると「今月は金曜日が5回あるな」というのを「ごくまれ」と思ったりもする(笑)。人々の何かにつけて「月に思いを寄せる」ことの一つとして"Super Blue Moon"を観るのが佳き、と思ったことだよ。
余談になるが、ナンシー・グリフィスの85年の歌に"Once in a Very Blue Moon"がある。"very"が加わっているので、「ごくごくまれに」ということになるのかな。めったに逢えない、もしくは別れた恋人のことを歌ったものだが、美しく青い月のイメージが重なった佳曲である。
Nanci Griffith - Once In A Very Blue Moon
0831 23:20 月齢15.2
台風6号&7号 [日々の雑感]
8月15日午後の住吉川。遊歩道が少し冠水しているが大事には至らず。
8月に入ってから二つの大きな台風が日本列島を襲った。
台風6号は私が帰省した8月3日の少し前から沖縄の辺りにとどまっていて迷走していた。初めは中国大陸の方に進むと思われたので、山陰地方は大丈夫かなと思っていたが、その後向きを東に変えながらぐずぐずしている。そのため帰省中はずっと天気が良くてよかったが、その後進路を北に変えて、結局沖縄~九州あたりに甚大な被害をもたらした。
台風自体は自らの力では動かないので、太平洋や大陸の高気圧、あるいは偏西風に乗って動くというのがこれまでの受け止め方と思っていたが、どうも違ってきているらしい。
無事帰って来られてホッとしていると、今度は台風7号が接近してきた。こちらも初めは関東地方に進むと言われていたが、その後次第に進路を西寄りに変え、紀伊半島~明石を通過し、北に抜けた。
15日は京阪神も朝からほとんどの鉄道が計画運休し、百貨店やスーパーの休業情報も相次いだ。近所のスーパーはどうかな、と家人にたしなめられながらも潮芦屋に車を走らせると、
風は結構強く吹いていたが、雨はそこそこで、こちらのお店は開いていた。従業員の方が通勤できるかとか、いろいろ条件があるんだろうと思われた。
午後になって住吉川にも行ってみた。川は増水していたが、ここ数年で一番というほどではなかった。
六甲ライナーの下を少し歩いたが、横殴りの風が強くて早々に退散した。
2018年の台風21号で冠水被害のあった青木の「サンシャインワーフ」(⇒参照)の様子も見に行ってみた。
冠水の心配はなさそうだった。食べ物屋さんは閉まっていたが、いくつかの店は開いていた。一通り視察?を終えて、怒られないうちに帰った(笑)。
自宅の周辺はさほどの被害がなく済んだが、帰省の帰りに通った鳥取の琴の浦や鹿野、千代川や佐治川などが豪雨による被害を蒙っているというニュースには心が痛んだ。一方で、関東や新潟の農地には雨が降らず、稲が立ち枯れようとしているとも聞く。素人目にも分電ならぬ分水する方途はないのかと思ってしまう。中国のように人工増雨の試みもしている国もあるが、地球環境に及ぼす影響を考えると、もろ手を挙げて賛成することもできない。悩ましいが、これから科学の力を注力すべき分野であることは確かなように思ったことだ。
秋の兆し「葛の花」がもう咲き始めていた。
8月に入ってから二つの大きな台風が日本列島を襲った。
台風6号は私が帰省した8月3日の少し前から沖縄の辺りにとどまっていて迷走していた。初めは中国大陸の方に進むと思われたので、山陰地方は大丈夫かなと思っていたが、その後向きを東に変えながらぐずぐずしている。そのため帰省中はずっと天気が良くてよかったが、その後進路を北に変えて、結局沖縄~九州あたりに甚大な被害をもたらした。
台風自体は自らの力では動かないので、太平洋や大陸の高気圧、あるいは偏西風に乗って動くというのがこれまでの受け止め方と思っていたが、どうも違ってきているらしい。
無事帰って来られてホッとしていると、今度は台風7号が接近してきた。こちらも初めは関東地方に進むと言われていたが、その後次第に進路を西寄りに変え、紀伊半島~明石を通過し、北に抜けた。
15日は京阪神も朝からほとんどの鉄道が計画運休し、百貨店やスーパーの休業情報も相次いだ。近所のスーパーはどうかな、と家人にたしなめられながらも潮芦屋に車を走らせると、
風は結構強く吹いていたが、雨はそこそこで、こちらのお店は開いていた。従業員の方が通勤できるかとか、いろいろ条件があるんだろうと思われた。
午後になって住吉川にも行ってみた。川は増水していたが、ここ数年で一番というほどではなかった。
六甲ライナーの下を少し歩いたが、横殴りの風が強くて早々に退散した。
2018年の台風21号で冠水被害のあった青木の「サンシャインワーフ」(⇒参照)の様子も見に行ってみた。
冠水の心配はなさそうだった。食べ物屋さんは閉まっていたが、いくつかの店は開いていた。一通り視察?を終えて、怒られないうちに帰った(笑)。
自宅の周辺はさほどの被害がなく済んだが、帰省の帰りに通った鳥取の琴の浦や鹿野、千代川や佐治川などが豪雨による被害を蒙っているというニュースには心が痛んだ。一方で、関東や新潟の農地には雨が降らず、稲が立ち枯れようとしているとも聞く。素人目にも分電ならぬ分水する方途はないのかと思ってしまう。中国のように人工増雨の試みもしている国もあるが、地球環境に及ぼす影響を考えると、もろ手を挙げて賛成することもできない。悩ましいが、これから科学の力を注力すべき分野であることは確かなように思ったことだ。
秋の兆し「葛の花」がもう咲き始めていた。
0730 土用の丑の日 [日々の雑感]
我が家のささやかな「土用の丑の日」ランチ。
今年の土用の丑の日は7月30日だそうだ。去年は7月23日と8月4日の2回もあったりしたから、バラバラな感じは否めない(0723土用の丑の日)。土用は立秋(春夏冬も)の前約18日間を指すので毎年ほぼ変わらない(今年は7月20日~8月7日)が、丑は旧暦の日めくりを十二支で表すので毎年変わるのだ。季節毎の行事・風習としては最も振れ幅の大きいものと言っていいだろう。
丑の日に鰻を食べるという風習は、かの平賀源内の思い付きによるらしいが、「う」の付く食べ物を食べるという説や、しじみ・あんころ餅など多説あって、スーパーもそれに追従しているようだ。どうせなら土用全体を暑さ克服期間として、滋養のあるものを売り出せばいいのにと思うが、それでは逆に売れないのかな。記念日に弱い国民気質があるのかも知れない。
うの付く食べ物で滋養のあるものといえば、牛をまず思い浮かべるので、我が家では、高騰している鰻は少しにして、ローストビーフをセットにして土用の丑の日の食としてみた。庶民の知恵と言っておこう(笑)。
我が説に合致した「うな牛」(webより)
それにしても暑い日が続いて、日々の暮らしが大変だ。数日前身体がだるいと思って熱を測ると38℃近くあった。熱中症かコロナを疑ったが、どうも軽い食あたりだったようだ。胃腸薬を飲んで一晩寝たら治まった。暑さで抵抗力が弱っていたのは確かなように思われた。以来、日中のウォーキングは控えて、なるべく朝晩に歩くようにしている。
それでも、少し前までは夕方5時ごろでも暑くてたまらんな、と思っていたのに、日の翳りが少し早まってきたようにも思える。まだまだ暑い日が続くが、夕方の散歩の中では秋の気配が忍び寄って来ているようだ。
今年の土用の丑の日は7月30日だそうだ。去年は7月23日と8月4日の2回もあったりしたから、バラバラな感じは否めない(0723土用の丑の日)。土用は立秋(春夏冬も)の前約18日間を指すので毎年ほぼ変わらない(今年は7月20日~8月7日)が、丑は旧暦の日めくりを十二支で表すので毎年変わるのだ。季節毎の行事・風習としては最も振れ幅の大きいものと言っていいだろう。
丑の日に鰻を食べるという風習は、かの平賀源内の思い付きによるらしいが、「う」の付く食べ物を食べるという説や、しじみ・あんころ餅など多説あって、スーパーもそれに追従しているようだ。どうせなら土用全体を暑さ克服期間として、滋養のあるものを売り出せばいいのにと思うが、それでは逆に売れないのかな。記念日に弱い国民気質があるのかも知れない。
うの付く食べ物で滋養のあるものといえば、牛をまず思い浮かべるので、我が家では、高騰している鰻は少しにして、ローストビーフをセットにして土用の丑の日の食としてみた。庶民の知恵と言っておこう(笑)。
我が説に合致した「うな牛」(webより)
それにしても暑い日が続いて、日々の暮らしが大変だ。数日前身体がだるいと思って熱を測ると38℃近くあった。熱中症かコロナを疑ったが、どうも軽い食あたりだったようだ。胃腸薬を飲んで一晩寝たら治まった。暑さで抵抗力が弱っていたのは確かなように思われた。以来、日中のウォーキングは控えて、なるべく朝晩に歩くようにしている。
それでも、少し前までは夕方5時ごろでも暑くてたまらんな、と思っていたのに、日の翳りが少し早まってきたようにも思える。まだまだ暑い日が続くが、夕方の散歩の中では秋の気配が忍び寄って来ているようだ。
0722 芦屋の花火大会 [日々の雑感]
芦屋川の鵺塚橋付近から観た花火。
私が越してきた頃からすでに芦屋浜の花火大会はあった。当時はまだ南芦屋浜(潮芦屋)はなかったので、今の芦屋カナルの辺りから打ち上げていた。近かったので1Fの家のベランダからも見えたし、高層階のお宅にお邪魔して観ていた時もあった。当日は周辺に交通規制が敷かれ、車の出入りがややこしいと思って終わるころまで外に出ていた時もあったなあ。家の周辺や敷地内にまで見物客の車が入り込んできて閉口した時もあった。
潮芦屋が出来てからは一番南の人工浜で打ち上げられるようになってからは、近所の喧騒はなくなったのは良かったが、花火は遠くなったのは少し寂しい(どっちやねん)。夕方家に帰ろうと車を走らせていると、阪神芦屋駅から会場に向かう人の列が数珠つなぎになっているのに驚く。こんなに集まって、トイレとか大丈夫なんかな、と要らぬ心配をしてしまう。
今年は芦屋川の鵺塚橋から観る人がいるらしいと聞いて、ウォーキングがてら行ってみることにした。辻々に警官が立っていて交通整理をしている。鵺塚橋。ここの歩道は広いので絶好の観覧場所かも。
橋を渡って右岸沿いに歩いてみた。川床にも見物客がたくさんいて、花見のようにシートを敷いて座っていた。近所の人たちが多いんだろうな。
喧騒の会場にまで行かなくても、ここから遠目に観ればいいって感じ?自分たちもそうだけど。
川沿いの歩道から少しだけ観た。うまく撮れなかったけど写真をいくつか。
帰ってからwebで調べると「第45回芦屋サマーカーニバル Ashiya Dancing Fireworks Show (花火ショー)」ということだった。
入場も有料になっており、「砂浜鑑賞エリア:入場料 一般3000円、学生1500円、3歳~小学生500円、障がい者1500円。東エリア:イス付き観覧席 5000円。西エリア:アリーナ席(2~4名) 人数によって価格が異なる、カップル席(2名)2万3000円、特別A席(1名)7500円、グループ席(4名)2万円。」とある。有料化となったのはいつからなのかよく判らないが、かつての「地域のささやかな花火大会」とはずいぶん違ったものになっているようだ。
自分としては、来年以降も、離れたところから少しだけ観賞するということになりそうだ。
去年のものがyoutubeにあったので載せておく。これを見れば十分?
芦屋サマーカーニバル2022 花火大会のハイライト♪
https://www.youtube.com/watch?v=E7zs7GXjT3k
私が越してきた頃からすでに芦屋浜の花火大会はあった。当時はまだ南芦屋浜(潮芦屋)はなかったので、今の芦屋カナルの辺りから打ち上げていた。近かったので1Fの家のベランダからも見えたし、高層階のお宅にお邪魔して観ていた時もあった。当日は周辺に交通規制が敷かれ、車の出入りがややこしいと思って終わるころまで外に出ていた時もあったなあ。家の周辺や敷地内にまで見物客の車が入り込んできて閉口した時もあった。
潮芦屋が出来てからは一番南の人工浜で打ち上げられるようになってからは、近所の喧騒はなくなったのは良かったが、花火は遠くなったのは少し寂しい(どっちやねん)。夕方家に帰ろうと車を走らせていると、阪神芦屋駅から会場に向かう人の列が数珠つなぎになっているのに驚く。こんなに集まって、トイレとか大丈夫なんかな、と要らぬ心配をしてしまう。
今年は芦屋川の鵺塚橋から観る人がいるらしいと聞いて、ウォーキングがてら行ってみることにした。辻々に警官が立っていて交通整理をしている。鵺塚橋。ここの歩道は広いので絶好の観覧場所かも。
橋を渡って右岸沿いに歩いてみた。川床にも見物客がたくさんいて、花見のようにシートを敷いて座っていた。近所の人たちが多いんだろうな。
喧騒の会場にまで行かなくても、ここから遠目に観ればいいって感じ?自分たちもそうだけど。
川沿いの歩道から少しだけ観た。うまく撮れなかったけど写真をいくつか。
帰ってからwebで調べると「第45回芦屋サマーカーニバル Ashiya Dancing Fireworks Show (花火ショー)」ということだった。
入場も有料になっており、「砂浜鑑賞エリア:入場料 一般3000円、学生1500円、3歳~小学生500円、障がい者1500円。東エリア:イス付き観覧席 5000円。西エリア:アリーナ席(2~4名) 人数によって価格が異なる、カップル席(2名)2万3000円、特別A席(1名)7500円、グループ席(4名)2万円。」とある。有料化となったのはいつからなのかよく判らないが、かつての「地域のささやかな花火大会」とはずいぶん違ったものになっているようだ。
自分としては、来年以降も、離れたところから少しだけ観賞するということになりそうだ。
去年のものがyoutubeにあったので載せておく。これを見れば十分?
芦屋サマーカーニバル2022 花火大会のハイライト♪
https://www.youtube.com/watch?v=E7zs7GXjT3k
ゴーヤ・アサガオ&ユウガオ [日々の雑感]
今年もベランダのゴーヤが葉を茂らせている。
去年までは葉は茂るのだが、実は小さいのがいくつか生るぐらいだった。やはり地植えじゃないとだめなのかなあ、と思っていたが、今年は早くからいくつか実をつけ、お店に出てるのには見劣りするが、去年より5割増しの大きさの収穫があった。苗が当たりだったのかな。
早速いただいた。しばらくは買わなくていい…のかな。
家人が茂り過ぎた葉を間引いているのを見て、ひょっとして葉も食べられるんじゃ?と調べてみると、ワタも種も葉も食べられるとあった。試しに炒飯やパスタに混ぜ込んでみると、違和感なく食べられた。なんか戦時中の食糧不足の折、野草を採って食べていたという話に似ているけどね。
アサガオは2年前だったか多年草のものを植えていたら、翌年もいつの間にか蔓を伸ばして咲いてくれている。
この桔梗も同じく。
これもかな。マーガレット。
少し前夕顔の花を見て(これは瓢箪だったか)、苗を探してみたけど見つからなかった。ゴーヤがあまり実を付けないから代わりに植えてみてもいいかなと思ったのだが。
考えてみると、夜咲く花は一般には受け入れられないのだろう、とも思ったが、ふと種ならあるかもと思いついて、ホームセンターに行ってみるとありましたがな。
播く時期としては少し遅かったようだがダメもとで播いてみた(7月2日)。
7月6日。なんと芽が出ているではないか。
7月10日。もう葉が何枚か。
というわけで、この稿で観察記を続けていくので、時々覗いてみて下され。
見事花を咲かせてくれよ。
7月20日
蔓が出てきたので支柱を立ててみた。
9月3日
順調に育っているように見えたが、何度か咲きそうになってはしぼんでいくというのが続いた。
これが最後の蕾かな。
改めて調べると、種を播く時期は2・3カ月前だったようで、実は生らなくても花は咲くだろう、との目論見は外れてしまったようで残念。来年覚えていたらリベンジしたいものだ。
9月27日
この日の朝、ベランダを見ると咲き終わったユウガオが。
前の晩に咲いたものがもうしぼんでしまったようだ。もう終わったと思って観察をやめていたのだった。
そう思っていると、急に気温が下がった10月初めに新たな蕾が出て来て、
10月5日
午後4時ごろ家人から「咲いてる」のLineが。
夕方帰って撮ったもの。
「返り花」「二度咲」「狂い咲」もしくは「返り咲き」ともいうようだが、酷暑で終わろうとしていたのが、開花に適度な気温になって間違えて咲いたのだろう。一度でも見ることが出来て良かった、と思ったことだ。
去年までは葉は茂るのだが、実は小さいのがいくつか生るぐらいだった。やはり地植えじゃないとだめなのかなあ、と思っていたが、今年は早くからいくつか実をつけ、お店に出てるのには見劣りするが、去年より5割増しの大きさの収穫があった。苗が当たりだったのかな。
早速いただいた。しばらくは買わなくていい…のかな。
家人が茂り過ぎた葉を間引いているのを見て、ひょっとして葉も食べられるんじゃ?と調べてみると、ワタも種も葉も食べられるとあった。試しに炒飯やパスタに混ぜ込んでみると、違和感なく食べられた。なんか戦時中の食糧不足の折、野草を採って食べていたという話に似ているけどね。
アサガオは2年前だったか多年草のものを植えていたら、翌年もいつの間にか蔓を伸ばして咲いてくれている。
この桔梗も同じく。
これもかな。マーガレット。
少し前夕顔の花を見て(これは瓢箪だったか)、苗を探してみたけど見つからなかった。ゴーヤがあまり実を付けないから代わりに植えてみてもいいかなと思ったのだが。
考えてみると、夜咲く花は一般には受け入れられないのだろう、とも思ったが、ふと種ならあるかもと思いついて、ホームセンターに行ってみるとありましたがな。
播く時期としては少し遅かったようだがダメもとで播いてみた(7月2日)。
7月6日。なんと芽が出ているではないか。
7月10日。もう葉が何枚か。
というわけで、この稿で観察記を続けていくので、時々覗いてみて下され。
見事花を咲かせてくれよ。
7月20日
蔓が出てきたので支柱を立ててみた。
9月3日
順調に育っているように見えたが、何度か咲きそうになってはしぼんでいくというのが続いた。
これが最後の蕾かな。
改めて調べると、種を播く時期は2・3カ月前だったようで、実は生らなくても花は咲くだろう、との目論見は外れてしまったようで残念。来年覚えていたらリベンジしたいものだ。
9月27日
この日の朝、ベランダを見ると咲き終わったユウガオが。
前の晩に咲いたものがもうしぼんでしまったようだ。もう終わったと思って観察をやめていたのだった。
そう思っていると、急に気温が下がった10月初めに新たな蕾が出て来て、
10月5日
午後4時ごろ家人から「咲いてる」のLineが。
夕方帰って撮ったもの。
「返り花」「二度咲」「狂い咲」もしくは「返り咲き」ともいうようだが、酷暑で終わろうとしていたのが、開花に適度な気温になって間違えて咲いたのだろう。一度でも見ることが出来て良かった、と思ったことだ。
0702『半夏生(はんげしょう)』 [日々の雑感]
「半夏生」の頃に咲くハンゲショウ(半夏生・半化粧)。
雑節の「半夏生」は夏至から数えて11日目ということで、今年は7月2日。田植えのリミットを示す日だったようで「八十八夜」(茶摘みの時期)と同じく、農業の目安の日なので、これといって行事があるわけではない。時期を一にするので植物のハンゲショウがビジュアル的には重なるんだな。
この時期に蛸を食べるという風習は関西のスーパーでは根付いている。
我が家でもここ数年の風習にはしている。ミーハー?
またこの時期には「半夏雨」といって、梅雨の終わりに大雨が降ることが多かったらしく、近年はそれが激化した「線状降水帯」になっている。
こちらはこれ以上毎年やってくるのは御免蒙りたいが、毎年所を変えて来襲するのは避けられないので、備えるしかないだろうな。各自治体も河川の改修や道路などの排水対策など、対策出来ることは尽くす必要があるだろう。被災された方々にはお見舞いを申し上げたい。
この日、近所の打出天神社でも夏越の祓をやっているというので、夕方ちょっと覗いてきた。
打出小槌伝説のある神社だそうだ。
こちらも新暦の6月30日の実施だった。神社によってはもっと遅くまで茅の輪くぐりをやっているようだ。
この時期、住吉川にも新たな夏の花が。
赤い芙蓉。
キダチチョウセンアサガオ。前と違う場所に。
キカラスウリ。雨のせいか少し痛んでいた。夕方から咲く花。
合歓の花の一種?
家のベランダにもあるアロエコスモ。花を見たのは初めて。
今年は捩花(ネジバナ)をよく見る。今まで気が付かなかっただけか?
露草。こちらは朝咲く花だね。
白い木槿。
これは
そうこうしているうちにもう七夕飾りが出現。せわしないなあ。
7月の満月はバックムーン(牡鹿月)。奈良だと似合うかも。
雑節の「半夏生」は夏至から数えて11日目ということで、今年は7月2日。田植えのリミットを示す日だったようで「八十八夜」(茶摘みの時期)と同じく、農業の目安の日なので、これといって行事があるわけではない。時期を一にするので植物のハンゲショウがビジュアル的には重なるんだな。
この時期に蛸を食べるという風習は関西のスーパーでは根付いている。
我が家でもここ数年の風習にはしている。ミーハー?
またこの時期には「半夏雨」といって、梅雨の終わりに大雨が降ることが多かったらしく、近年はそれが激化した「線状降水帯」になっている。
こちらはこれ以上毎年やってくるのは御免蒙りたいが、毎年所を変えて来襲するのは避けられないので、備えるしかないだろうな。各自治体も河川の改修や道路などの排水対策など、対策出来ることは尽くす必要があるだろう。被災された方々にはお見舞いを申し上げたい。
この日、近所の打出天神社でも夏越の祓をやっているというので、夕方ちょっと覗いてきた。
打出小槌伝説のある神社だそうだ。
こちらも新暦の6月30日の実施だった。神社によってはもっと遅くまで茅の輪くぐりをやっているようだ。
この時期、住吉川にも新たな夏の花が。
赤い芙蓉。
キダチチョウセンアサガオ。前と違う場所に。
キカラスウリ。雨のせいか少し痛んでいた。夕方から咲く花。
合歓の花の一種?
家のベランダにもあるアロエコスモ。花を見たのは初めて。
今年は捩花(ネジバナ)をよく見る。今まで気が付かなかっただけか?
露草。こちらは朝咲く花だね。
白い木槿。
これは
そうこうしているうちにもう七夕飾りが出現。せわしないなあ。
7月の満月はバックムーン(牡鹿月)。奈良だと似合うかも。
0630 夏越の大祓@綱敷天満神社 [日々の雑感]
綱敷天満神社(石屋川)の「茅の輪くぐり」。
水無月祓へまたをかし(徒然草)。
旧暦の6月末に一年の半分を終え、それまでの穢れを祓って夏を乗り切るという行事が「夏越の大祓」である。一年の半分という意味では新暦でも構わないと思うが、本来は半月後にあたるので、7月2日の「半夏生」の後になるはずだというのがいつも気にはなる。
30日は雨の予報だったので、前日の午後に神社に行ってみた。
幟や木組みは出来ていたが、肝心の茅の輪がまだなかった。ふと横を見ると、
鋭意作成中であった。
前日の夕方に完成するんだとある種感慨深かった。
スーパーに行って、銘菓「水無月」を探してみた。
以前は探し回ったものだが、今は大概どのスーパーでも売っている。
前日に食べさせていただいた。日持ちしないからね。
去年は5月に家人が足を剥離骨折した後だったので、入念に神牛さまの足をさすったが、今年はそそくさと茅の輪をくぐって退出した。喉元過ぎれば…ですな。
0630「水無月祓(夏越の祓)」
とまれ、一年の半分を滞りなく過ごせたことには感謝せざるべからず。これからの暑い夏を乗り切りたいものだ。
少し前の暑かった日、涼を求めて住吉道の水平道を歩いた。紫陽花が綺麗だった。
この花は?
この樹なんの樹。
これは実で分かる。ヤマモモの巨木。
朝ドラで「夕顔」をやっていたので探したがなかなか見つからない。瓢箪の花はユウガオの花にきわめて近いそうだ。
瓢箪の花。フェンス越しだったので正面から撮れなかったが可憐な花だ。
また探してみよう。
水無月祓へまたをかし(徒然草)。
旧暦の6月末に一年の半分を終え、それまでの穢れを祓って夏を乗り切るという行事が「夏越の大祓」である。一年の半分という意味では新暦でも構わないと思うが、本来は半月後にあたるので、7月2日の「半夏生」の後になるはずだというのがいつも気にはなる。
30日は雨の予報だったので、前日の午後に神社に行ってみた。
幟や木組みは出来ていたが、肝心の茅の輪がまだなかった。ふと横を見ると、
鋭意作成中であった。
前日の夕方に完成するんだとある種感慨深かった。
スーパーに行って、銘菓「水無月」を探してみた。
以前は探し回ったものだが、今は大概どのスーパーでも売っている。
前日に食べさせていただいた。日持ちしないからね。
去年は5月に家人が足を剥離骨折した後だったので、入念に神牛さまの足をさすったが、今年はそそくさと茅の輪をくぐって退出した。喉元過ぎれば…ですな。
0630「水無月祓(夏越の祓)」
とまれ、一年の半分を滞りなく過ごせたことには感謝せざるべからず。これからの暑い夏を乗り切りたいものだ。
少し前の暑かった日、涼を求めて住吉道の水平道を歩いた。紫陽花が綺麗だった。
この花は?
この樹なんの樹。
これは実で分かる。ヤマモモの巨木。
朝ドラで「夕顔」をやっていたので探したがなかなか見つからない。瓢箪の花はユウガオの花にきわめて近いそうだ。
瓢箪の花。フェンス越しだったので正面から撮れなかったが可憐な花だ。
また探してみよう。
春分(3/21~)とWBC [日々の雑感]
ベニバスモモ(紅葉李)。今年名前を知った。
今年の春分は3月21日。これは毎年ほぼ変わらないが、旧暦はと見ると2月30日(閏年じゃないのに)とある。これは年によってずいぶん変わるから、春分は暦とは別の形で人々には受け入れられていたのだろう。二四節気全部にいえることだけど。
仏教伝来以前は春分は種苗の時期で豊穣を祈るもの、秋分は収穫の時期で収穫に感謝するものであったようだ。仏教が伝来すると、太陽が真西(彼岸=西方浄土)の方向に沈むことから、「到彼岸」(彼岸に達する)を願う行事として両者が混交したと考えられている。暦が一般に広まる江戸中期までは、寺社とか庄屋ぐらいから教えてもらっていたのだろう。
この時期の花々をいくつか。
彼岸桜? たぶん違うな。
初めて見た花いくつか。
この辺りでは遅いモクレン。例年よりは早いけど。
前庭の落ち椿。城南宮の庭みたい?
スノーフレーク(鈴蘭水仙)。
色の濃い桜としか分からないがきれい。
そんな彼岸の時期にWBCがあった。今回は各国チームに現役大リーガーが出場するので日本も苦戦するだろう、一次ラウンドを勝ち抜ければ上々、と思っていたが、全勝優勝できたのは素晴らしかった。
勝因は色々あるだろうが、印象深かったのは、2・3年目の若手投手の実力を見抜いて選出し、彼らが大舞台に臆することなく力を発揮したことだった。日系若手MLB選手のヌートバーもそうだった。ネームバリューで選出しがちだが、勝てるチームにするという観点から人選した栗山監督はじめとしたスタッフの信念が感じられた。これから他のスポーツにも波及していくことが期待される。
朝8時からの試合は、ブランチを食べながら観られるのでいいと思っていたが、12時近くまで目が離せなかったので、いつもの昼寝が出来ず往生しましたわ(笑)。
一応翌日のスポーツ紙は買いましたけどなにか。
今年の春分は3月21日。これは毎年ほぼ変わらないが、旧暦はと見ると2月30日(閏年じゃないのに)とある。これは年によってずいぶん変わるから、春分は暦とは別の形で人々には受け入れられていたのだろう。二四節気全部にいえることだけど。
仏教伝来以前は春分は種苗の時期で豊穣を祈るもの、秋分は収穫の時期で収穫に感謝するものであったようだ。仏教が伝来すると、太陽が真西(彼岸=西方浄土)の方向に沈むことから、「到彼岸」(彼岸に達する)を願う行事として両者が混交したと考えられている。暦が一般に広まる江戸中期までは、寺社とか庄屋ぐらいから教えてもらっていたのだろう。
この時期の花々をいくつか。
彼岸桜? たぶん違うな。
初めて見た花いくつか。
この辺りでは遅いモクレン。例年よりは早いけど。
前庭の落ち椿。城南宮の庭みたい?
スノーフレーク(鈴蘭水仙)。
色の濃い桜としか分からないがきれい。
そんな彼岸の時期にWBCがあった。今回は各国チームに現役大リーガーが出場するので日本も苦戦するだろう、一次ラウンドを勝ち抜ければ上々、と思っていたが、全勝優勝できたのは素晴らしかった。
勝因は色々あるだろうが、印象深かったのは、2・3年目の若手投手の実力を見抜いて選出し、彼らが大舞台に臆することなく力を発揮したことだった。日系若手MLB選手のヌートバーもそうだった。ネームバリューで選出しがちだが、勝てるチームにするという観点から人選した栗山監督はじめとしたスタッフの信念が感じられた。これから他のスポーツにも波及していくことが期待される。
朝8時からの試合は、ブランチを食べながら観られるのでいいと思っていたが、12時近くまで目が離せなかったので、いつもの昼寝が出来ず往生しましたわ(笑)。
一応翌日のスポーツ紙は買いましたけどなにか。
節分と恵方巻 [日々の雑感]
我が家のささやかな恵方巻。豆・鰯・蜆もあるけど。
今年の節分の恵方巻を食べる時の恵方は南南東だそうである。毎年節分になると「今年の恵方」が提示され、我々一般人はその説に従って恵方に向かって巻き寿司を丸かぶりしている。もともと関西の方にあった風習であるが、これが全国に広まったのはあるコンビニの戦略に発するとも言われている。
節分の朝の空。
なぜ節分に恵方巻なのか、立春の前日以外にも三つの節分があるが、それはどうなのか、とぼんやり思っていたが、その時期が過ぎるといつの間にか忘れていたという具合であった。今年はコロナ禍のもとしばらく縮小していた中国の「春節」の大移動が復活しているというニュースを見て、旧正月と節分・立春との関係などについて改めて考えてみたのだった。暇人であるゆえかな。
中国・中華圏における2023年の春節は1月22日だそうである。その前日である1月21日から1月27日まで7連休になり、多くの人々が故郷への帰省や海外旅行などで大移動するのだ。その恩恵をインバウンドの受け入れで日本も受けるのだが、今回はゼロコロナをやめたせいで感染爆発した中国からの入国を厳しくしたので、その報復措置やなんやでややこしくなっていたようだが。
神戸南京町の春節祭(webより)。
日本の暦の旧正月も今年は1月22日だそうで、たまたま中国のそれと一致したのかな?太陰暦による旧正月と太陽の運行に基づく二十四節気の立春(前日の節分)は一致するのが望ましいようだが、そんなことはめったにない。古今集の在原元方の歌に「年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」があるが、これは(旧)正月になる前に立春になったことをうたったものである。今年はそうではないのでこの歌の意味もないのだけれどね。
恵方巻と似たものに「恵方詣り(えほうまいり)」があって、「1月1日(元日)にその年の恵方にある社寺に参拝してその年の幸福を祈願する」とある。両者は源を一つにするのではないかと調べてみると、今年の恵方参りの恵方はやはり南南東であった。その年の福徳を司る神様「歳徳神」がおられる方角のことでその年の恵方は干支の十干によって決まるらしい。詳しい説明は省くが、図もあったのであげておく。
恵方参りがなぜ流行らないかというと、それが日本ではすたれてしまった旧正月だということと、どの寺社にとってもメリットがないからかと思われる。今年はうちの寺社が恵方だとは言えないからね。いずれにしても恵方に向かって何かすることに意味があるのであって、巻き寿司の丸かぶりに限定することはないのであった。
立春の日の月は小望月。
平安時代には陰陽道に基づいた「方違え(かたたがえ)」という風習があって、その日行く方角が忌むべき方角(「塞がり(ふたがり)」)だった場合、一旦別の方角に行って滞在し、改めて目的の場所に行ったりした。面倒くさいが、平安貴族はある意味暇人だったのかもしれない(笑)。『源氏物語』で方違えに行った源氏がその屋敷で美しい女性(空蝉だったかな)に出逢い…、というくだりがあった記憶があるが、そういう出逢いはまんざら悪くはないなあ、とも思ったことだよ(笑)。
長々と駄文を連ねてきたが、恵方巻は楽しい風習の一つではあるが、フードロスを出してまでやらなくてもよいという結論になったのかな。我が家の恵方巻も今年はハーフサイズを一個ずつ食べて終了と相なったのあった。
スーパーでもハーフが多かった。努力の跡あり?
春近し、いや、もう春たちぬ?どっちやねん。
今年の節分の恵方巻を食べる時の恵方は南南東だそうである。毎年節分になると「今年の恵方」が提示され、我々一般人はその説に従って恵方に向かって巻き寿司を丸かぶりしている。もともと関西の方にあった風習であるが、これが全国に広まったのはあるコンビニの戦略に発するとも言われている。
節分の朝の空。
なぜ節分に恵方巻なのか、立春の前日以外にも三つの節分があるが、それはどうなのか、とぼんやり思っていたが、その時期が過ぎるといつの間にか忘れていたという具合であった。今年はコロナ禍のもとしばらく縮小していた中国の「春節」の大移動が復活しているというニュースを見て、旧正月と節分・立春との関係などについて改めて考えてみたのだった。暇人であるゆえかな。
中国・中華圏における2023年の春節は1月22日だそうである。その前日である1月21日から1月27日まで7連休になり、多くの人々が故郷への帰省や海外旅行などで大移動するのだ。その恩恵をインバウンドの受け入れで日本も受けるのだが、今回はゼロコロナをやめたせいで感染爆発した中国からの入国を厳しくしたので、その報復措置やなんやでややこしくなっていたようだが。
神戸南京町の春節祭(webより)。
日本の暦の旧正月も今年は1月22日だそうで、たまたま中国のそれと一致したのかな?太陰暦による旧正月と太陽の運行に基づく二十四節気の立春(前日の節分)は一致するのが望ましいようだが、そんなことはめったにない。古今集の在原元方の歌に「年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ」があるが、これは(旧)正月になる前に立春になったことをうたったものである。今年はそうではないのでこの歌の意味もないのだけれどね。
恵方巻と似たものに「恵方詣り(えほうまいり)」があって、「1月1日(元日)にその年の恵方にある社寺に参拝してその年の幸福を祈願する」とある。両者は源を一つにするのではないかと調べてみると、今年の恵方参りの恵方はやはり南南東であった。その年の福徳を司る神様「歳徳神」がおられる方角のことでその年の恵方は干支の十干によって決まるらしい。詳しい説明は省くが、図もあったのであげておく。
恵方参りがなぜ流行らないかというと、それが日本ではすたれてしまった旧正月だということと、どの寺社にとってもメリットがないからかと思われる。今年はうちの寺社が恵方だとは言えないからね。いずれにしても恵方に向かって何かすることに意味があるのであって、巻き寿司の丸かぶりに限定することはないのであった。
立春の日の月は小望月。
平安時代には陰陽道に基づいた「方違え(かたたがえ)」という風習があって、その日行く方角が忌むべき方角(「塞がり(ふたがり)」)だった場合、一旦別の方角に行って滞在し、改めて目的の場所に行ったりした。面倒くさいが、平安貴族はある意味暇人だったのかもしれない(笑)。『源氏物語』で方違えに行った源氏がその屋敷で美しい女性(空蝉だったかな)に出逢い…、というくだりがあった記憶があるが、そういう出逢いはまんざら悪くはないなあ、とも思ったことだよ(笑)。
長々と駄文を連ねてきたが、恵方巻は楽しい風習の一つではあるが、フードロスを出してまでやらなくてもよいという結論になったのかな。我が家の恵方巻も今年はハーフサイズを一個ずつ食べて終了と相なったのあった。
スーパーでもハーフが多かった。努力の跡あり?
春近し、いや、もう春たちぬ?どっちやねん。
0125この冬一番の寒さ?! [日々の雑感]
朝の気温-3℃@芦屋浜。確かにこの冬一番の寒さだった。
この日が寒さの底になるだろうということは、少し前からメディアでも報じられていた。ただ、六甲山の南に隠れているような位置の神戸・芦屋に雪が降るかどうかは、なかなか予想が難しいらしく、前日の朝の予報では24日の深夜に降雪とあったが、午後にはそれが無くなっていた。夕方5時ごろに雪が降り始めその後やんだが、どうなるか分からない感じだった。
25日朝、外に出てみるとうっすらと白くなっていたが、積もってはいなかった。
車は真っ白に。
西浜公園もこんな感じ。
Footprints in the Snow.
西池は凍ってはいなかった。
庭駆け回る犬のように、雪と聞くと出歩いてしまうが、この日は朝から元町の病院に行く予定があったので、車で行けるかどうかという確認のためでもあったのだ、と長い言い訳かな。
六甲山もうっすら白く。
この辺りは雪の影響はなさそうなので、8時半に車で家を出てR43を西へ。思ったより道は空いていたが、摩耶の陸橋の辺りから道が白くなってきた。橋は気温が低いからかな、と思っていたが、生田川の辺りで渋滞が始まり、車列が止まってしまった。神戸も西の方は雪がまだついているようだ。六甲の山が低くなっているからかなと思った。自分の車はAWDだし雪道には比較的慣れているが、皆恐る恐る走っているように見える。数日前から予告があってもまさかと思うのかも知れない。後でもっと雪の多い各地の大渋滞のニュースを見たが、いざという時の備えはまだまだのように見える。
車列が動きそうにないので北の山手幹線に迂回することにした。
途中の路地にはまだ雪が残っていた。
山手幹線からは意外なほどスムーズに進み、9:20には無事県警本部横の駐車場に着いた。
内視鏡検査と先週のCT検査の結果は大丈夫でほっとしたが、ハルナールというα1遮断薬を三ヶ月分処方されて飲むことになった。
ご褒美ランチは御影の王将で。びっくりするほど安くて美味しかった。
翌26日の朝、この日も0℃だった。西池の水もうっすら凍っていた。
寒い日が何日か続かないと凍らないようだ。
大阪湾の夜明け。
<参考>
最強寒波、兵庫の交通網や生活直撃 JR運休、道路渋滞…大学入試開始時間も繰り下げ
“冬の線状降水帯”=JPCZ。初めて知った言葉、覚えておこう。
正しくは「日本海寒帯気団収束帯」(Japan sea Polar air mass Convergence Zone:JPCZ)らしい。
この日が寒さの底になるだろうということは、少し前からメディアでも報じられていた。ただ、六甲山の南に隠れているような位置の神戸・芦屋に雪が降るかどうかは、なかなか予想が難しいらしく、前日の朝の予報では24日の深夜に降雪とあったが、午後にはそれが無くなっていた。夕方5時ごろに雪が降り始めその後やんだが、どうなるか分からない感じだった。
25日朝、外に出てみるとうっすらと白くなっていたが、積もってはいなかった。
車は真っ白に。
西浜公園もこんな感じ。
Footprints in the Snow.
西池は凍ってはいなかった。
庭駆け回る犬のように、雪と聞くと出歩いてしまうが、この日は朝から元町の病院に行く予定があったので、車で行けるかどうかという確認のためでもあったのだ、と長い言い訳かな。
六甲山もうっすら白く。
この辺りは雪の影響はなさそうなので、8時半に車で家を出てR43を西へ。思ったより道は空いていたが、摩耶の陸橋の辺りから道が白くなってきた。橋は気温が低いからかな、と思っていたが、生田川の辺りで渋滞が始まり、車列が止まってしまった。神戸も西の方は雪がまだついているようだ。六甲の山が低くなっているからかなと思った。自分の車はAWDだし雪道には比較的慣れているが、皆恐る恐る走っているように見える。数日前から予告があってもまさかと思うのかも知れない。後でもっと雪の多い各地の大渋滞のニュースを見たが、いざという時の備えはまだまだのように見える。
車列が動きそうにないので北の山手幹線に迂回することにした。
途中の路地にはまだ雪が残っていた。
山手幹線からは意外なほどスムーズに進み、9:20には無事県警本部横の駐車場に着いた。
内視鏡検査と先週のCT検査の結果は大丈夫でほっとしたが、ハルナールというα1遮断薬を三ヶ月分処方されて飲むことになった。
ご褒美ランチは御影の王将で。びっくりするほど安くて美味しかった。
翌26日の朝、この日も0℃だった。西池の水もうっすら凍っていた。
寒い日が何日か続かないと凍らないようだ。
大阪湾の夜明け。
<参考>
最強寒波、兵庫の交通網や生活直撃 JR運休、道路渋滞…大学入試開始時間も繰り下げ
“冬の線状降水帯”=JPCZ。初めて知った言葉、覚えておこう。
正しくは「日本海寒帯気団収束帯」(Japan sea Polar air mass Convergence Zone:JPCZ)らしい。
1.17 あれこれ [日々の雑感]
公園の白梅咲き始める。
もう28年になるのか。TVでは30年経つと震災の記憶が失われてしまうと解説していた。自分では忘れているつもりはなかったが、そうかもしれないとも思う。突然の災害に備えるといっても、せいぜい週一度の水汲みと備蓄ぐらいしかやってないのが実情である。時々点検していた懐中電灯の電池も、改めて調べてみると電池が液漏れしていたりする。せめてこの機会に点検することぐらいはしようと思うのだった。
さて、この日は自分にとっても大事な用事のある日だった。2018年の暮れに膀胱の腫瘍が見つかり、2度の手術を経て定期的に内視鏡の検査を受けていたのだが、去年の7月の検査で、3年3カ月再発していないということで、これからは紹介していただいたクリニックをホーム・ドクターとして診てもらうことになったのだった。定期的に受診して尿検査を受ければいいのかなと思っていたが、どうもそうではなくて、もうしばらく半年ごとの内視鏡検査と、時にはCTも受けなくてはならないことになって、この日元の病院でCT検査をすることになったのだった。
それなら今まで通り元の病院で診てもらう方がややこしくなくていいと思うのだが、もっと重篤な患者のケアを優先したいということのようなので、自分は快方に向かっていることの証左だと納得するしかないだろうな。いつ再発するかは全く分からないので、定期的に検査してもらえるのは有難いことではある。
昼は検診時の常として?回転寿司で外食して帰り、昼寝してから午後住吉川に歩きに行った。
カワセミ。今年は下流に雌がいるなあ。
朝あまり歩けなかったので、2号線から西に回り道をしていると、最近開店したと思われるお洒落な八百屋さんがあった。
菊芋が店頭にあったので、それと4種の珍しい野菜のセットを購入。翌日美味しくいただいた。
元住吉神社から南に歩いていると、公園の中にこんもりとした丘があって、忠魂碑かなと思って近づいてみたら「東求女塚古墳」とあった。
前に東明の「処女塚古墳」を見に行った時(この間も東明八幡神社に行ったな)、そこから東西2キロの場所にそれぞれ東求女塚古墳・西求女塚古墳があると知って、そのうち行ってみようと思っていたのに、その後忘れてしまっていた。こんな風に偶然遭遇するなんてびっくり。西の方も忘れずに行ってみようと思ったことだ。
車に乗り込むと、午後に12時間遅れで2度目の黙とうが中継されていたので、車の中で黙とうをした。朝できなかったのでよかった。かくして震災から28年目の一日は終わったのであった。
もう28年になるのか。TVでは30年経つと震災の記憶が失われてしまうと解説していた。自分では忘れているつもりはなかったが、そうかもしれないとも思う。突然の災害に備えるといっても、せいぜい週一度の水汲みと備蓄ぐらいしかやってないのが実情である。時々点検していた懐中電灯の電池も、改めて調べてみると電池が液漏れしていたりする。せめてこの機会に点検することぐらいはしようと思うのだった。
さて、この日は自分にとっても大事な用事のある日だった。2018年の暮れに膀胱の腫瘍が見つかり、2度の手術を経て定期的に内視鏡の検査を受けていたのだが、去年の7月の検査で、3年3カ月再発していないということで、これからは紹介していただいたクリニックをホーム・ドクターとして診てもらうことになったのだった。定期的に受診して尿検査を受ければいいのかなと思っていたが、どうもそうではなくて、もうしばらく半年ごとの内視鏡検査と、時にはCTも受けなくてはならないことになって、この日元の病院でCT検査をすることになったのだった。
それなら今まで通り元の病院で診てもらう方がややこしくなくていいと思うのだが、もっと重篤な患者のケアを優先したいということのようなので、自分は快方に向かっていることの証左だと納得するしかないだろうな。いつ再発するかは全く分からないので、定期的に検査してもらえるのは有難いことではある。
昼は検診時の常として?回転寿司で外食して帰り、昼寝してから午後住吉川に歩きに行った。
カワセミ。今年は下流に雌がいるなあ。
朝あまり歩けなかったので、2号線から西に回り道をしていると、最近開店したと思われるお洒落な八百屋さんがあった。
菊芋が店頭にあったので、それと4種の珍しい野菜のセットを購入。翌日美味しくいただいた。
元住吉神社から南に歩いていると、公園の中にこんもりとした丘があって、忠魂碑かなと思って近づいてみたら「東求女塚古墳」とあった。
前に東明の「処女塚古墳」を見に行った時(この間も東明八幡神社に行ったな)、そこから東西2キロの場所にそれぞれ東求女塚古墳・西求女塚古墳があると知って、そのうち行ってみようと思っていたのに、その後忘れてしまっていた。こんな風に偶然遭遇するなんてびっくり。西の方も忘れずに行ってみようと思ったことだ。
車に乗り込むと、午後に12時間遅れで2度目の黙とうが中継されていたので、車の中で黙とうをした。朝できなかったのでよかった。かくして震災から28年目の一日は終わったのであった。