SSブログ
20世紀の歌Ⅱ ブログトップ
前の20件 | -

While My Guitar Gently Weeps[私の好きな20世紀の唄]vol.89 [20世紀の歌Ⅱ]

While My Guitar Gently Weeps
written by George Harrison (1968)
001.jpg
これまでビートルズの曲(ソロも含めて)を取り上げたのは4曲だった。ジョンの曲が2曲、ポールが作ったと思われるものが2曲だったが、ジョージの曲は初めてだ。
002.jpg
過去の記事
IMAGINE
THE LONG AND WINDING ROAD
HAPPY XMAS(WAR IS OVER)
Hey Jude

ビートルズは名曲ぞろいなので、取り上げすぎにならないように、セーブしてきたということもあったが、ジョージの歌も取り上げてみようと思った。"Something"や"Here Comes the Sun"も佳曲だが、自分もギター弾きの端くれなので、「僕のギターは優しくむせび泣いてる」という標題に、何かしら惹かれるものがあったのだろうと思う。

1968年に発売された『ザ・ビートルズ』(別名ホワイト・アルバム)に収録されている。中国の易経の書籍に触発されて書かれたと言われているが、インドから帰国後のメンバー間の不和が反映されてもいるようだ。一つの歌が個別的でありながら、普遍的でもあるという重層性は、前に書いた"THE LONG AND WINDING ROAD"や"Hey Jude"にもあって、ビートルズの楽曲の奥深さを示している。

メンバーの中で最も年下で、一つのアルバムに2曲ぐらいしか入れてもらえないなど不遇でもあった彼だが、レノン=マッカートニーにも決して劣らない才能のきらめきを発揮した曲でもあった。外部ミュージシャンとの交流を盛んに行ったのも彼で、この曲でもギターソロにエリック・クラプトンを起用している。
003.jpg
そこにあるはずの愛が眠っていることに心を痛めているが、言葉ではどうにもならない溝を、自分の弾くギターの音色がやさしく埋めてくれるようだ、というくだりを嚙みしめながら、自分もギターを弾き、歌っていきたいと思ったことだ。

youtube は以下の3つを
The Beatles - WHILE MY GUITAR GENTLY WEEPS (Music Video)
The Beatles - While My Guitar Gently Weeps
CIRQUE DU SOLEIL: While My Guitar Gently Weeps

僕のギターが静かにむせび泣いている中で(大意。原詩は検索してね)

僕は仲間たちの顔を見渡す 
そこにあったはずの愛は眠ってしまっている
その傍らで僕の弾くギターは優しくむせび泣いてる

足元の汚れた床を見まわす 
そこはきれいに掃き清める必要がある
僕のギターはまだ静かに泣いているのに

**
どうして誰も言ってくれなかったんだ?
閉ざされた関係をどうやって開くことが出来たのかを
どんな風に誰かが君たちを操ったのかはわからない
やつらは君たちの大切なものをを買い、売ってしまったのだ

周りを見渡すと この世の中は変化し続けていることに気付く
僕のギターが静かに泣いていく間も
どんな間違いからでも、僕達は学んでいく必要があるんだ
そんな時も僕のギターはただ静かに泣いている

***
どうして君たちの進む方向がずれてしまったのか
そして誤った道までも選んでしまった
いつの間にかあるべき方向と逆になってしまったんだ
誰もそのことを警告しなかった

僕は皆の顔を見渡す 
あったはずの愛は眠ってしまっている
その傍らで僕の弾くギターは優しくむせび泣いてる

足元の床を見まわす 
そこはもっときれいに掃き清める必要がある
僕のギターはまだ静かに泣いているのに


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

マイボニー My Bonnie[私の好きな20世紀の唄]vol.88 [20世紀の歌Ⅱ]

マイボニー My Bonnie
001.jpg
この歌はスコットランド民謡ということなので、この稿(20世紀の唄)の主旨にはややそぐわないかもしれないが、「1962年にリリースされたトニー・シェリダン(Tony Sheridan)のアルバム『マイボニー』で現代風にアレンジされ、世界的に有名になった。」ともあるし、個人的な思い入れもあったので、あえて入れておこうと思う。ちなみにこのアルバムでバックバンドを務めていたのがあのビートルズだったという。詳しくは知らないが。
005.jpg
もともとは3拍子の曲であった"My Bonnie"を8ビートのロックンロールにアレンジして歌われているが、そのことを知ったのはずいぶん後になってからだった気がする。
002.jpg

私がこの歌を知ったのは、高校の音楽の授業で取り上げられたからだった。高校では英語の歌を授業の中で原語で歌うんだ、というのは当時の自分にとっては軽いカルチャーショックだったのかな、と今になって思い出す。
003.jpg
余談だが、その音楽の授業でもう一つ覚えているのは、授業の合間に古今の名曲のレコードを聴くというもので、今でも覚えているのは、イングランドの民謡"Greensleeves"を基にヴォーン・ウィリアムズが作曲した「グリーンスリーヴス幻想曲」という曲で、16歳の時一度聴いただけの曲をいまだに覚えているのは不思議ではある。いい先生だったなあ、と改めて思ったことだ。
グリーンスリーヴス幻想曲 = ヴォーン・ウィリアムズ

さて、歌の内容であるが、歌詞はいたってシンプルで、海の向こうに(天国に?)去って行ってしまった恋人ボニーに、私のもとに帰ってきてほしいと呼びかけるものである。少し調べると、18世紀スコットランドのチャールズ・スチュワート(愛称がBonnie Prince Charlie)への人々の思いが仮託されているという説があったが、だとしても元々あった歌に後から意味づけされたのだろうと推察される。
Charles Edward Stuart
004.jpg

youtubeは以下のものを
My Bonnie (Anthology 1 Version)The Beatles · Tony Sheridan
https://www.youtube.com/watch?v=8KNedjsgnwY&t=4s
My Bonnie The Beatles · Tony Sheridan
https://www.youtube.com/watch?v=hBVff8FH84k

高校時代の合唱を思い起こさせる
青中校友合唱團_My Bonnie
https://www.youtube.com/watch?v=ZrkqEV-K1jo
マイ・ボニー 岡山北公民館
https://www.youtube.com/watch?v=FQAwxhNTWuY


My Bonnie

My Bonnie lies over the ocean,
My Bonnie lies over the sea.
My Bonnie lies over the ocean,
Oh, bring back my Bonnie to me.

**
Bring back, Bring back,
Oh, bring back my Bonnie to me, to me.
Bring back, Bring back,
Oh, bring back my Bonnie to me.

Oh, blow ye the winds o’er the ocean,
And blow ye the winds o’er the sea;
Oh, blow ye the winds o’er the ocean,
And bring back my Bonnie to me.

Last night as I slept on my pillow,
Last night as I slept on my bed,
Last night as I slept on my pillow,
I dreamt that my Bonnie was dead.


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Gentle on My Mind[私の好きな20世紀の唄たち]vol.87 [20世紀の歌Ⅱ]

Gentle on My Mind
written by John Hartford
001.jpg
バンジョーとフィドルを弾き、タップ・ダンサーでもあるジョン・ハートフォードが作ったこの曲を初めて聴いたのは、グレン・キャンベル盤だったかな。あるいは Newgrass と言われるバンドの嚆矢の一つだったThe Bluegrass Allianceのレコードだったかもしれない。発表時期を時系列的に並べると下のようになる。
1967 John Hartford"Earthwords & Music"
1967 Glen Campbell "Gentle on My Mind"
1970 The Bluegrass Alliance "Newgrass"

いずれにしても、作者ハートフォードの名を知ったのは、ずいぶん後になってからだと思う。Allianceのギタリストであるダン・クレアリーのクロスピッキングを一所懸命コピーしたのを懐かしく思い出す。人前で歌うことはほとんどなかったが、ここ数年ライブで歌うようになって、歌詞の正誤を検討したりしたので、この稿でも取り上げておこうと思ったのだった。
Glen Campbell
002.jpg
The Bluegrass Alliance
003.jpg
といっても、彼のことをそれほど知っているわけでもないので、ワーナーによるプロフィール紹介を引用しておく。
 1937年ニューヨークに生まれセントルイスで育つ。ラジオの「グランド・オール・オープリー」を聴くうちバンジョーとフィドルを弾くようになる。1965年居をカントリーのメッカ、ナッシュヴィルに移し翌年RCAと契約する。1968年ハートフォードが作り歌った「ジェントル・オン・マイ・マインド」がグレン・キャンベルにカヴァーされ大ヒット、同年のグラミー賞にノミネートされ、ハートフォードの名前は広く知れ渡った。バーズのカントリー・ロックの名盤誉れ高い『ロデオの恋人』の録音にも参加した。1971年ワーナー・ブラザーズに移籍、伝統的アメリカ音楽であるブルーグラスを発展的に昇華した「ニュー・グラス」ムーヴメントの中核として『エアロ・プレイン』、『モーニング・ビューグル』という2枚の傑作を残した。2011年死去。

それまであまり成功していなかったグレン・キャンベルが、この歌と「恋はフェニックス」のヒットでスターダムに登ったことについては以前少し書いた(恋はフェニックス)。一方ハートフォードの方は、多くのミュージシャン(Dean Martin, Aretha Franklin, Frank Sinatra, Andy Williams and Elvis Presley)によってこの曲がカヴァーされることによって経済的に潤い、「このことが僕に(音楽的)自由を与えてくれた」と言ったそうだが、その後の活動ぶりからそれが垣間見られるのは興味深い。

さて、曲の内容であるが、一緒に暮らしていた女性のもとを去って旅に出るという設定は、「恋はフェニックス」と似ているという符合は興味深い。これらの曲が書かれた60年代後半という時期を象徴する思想が、それまでの束縛やしがらみから逃れて<自由>を手に入れたいという思いに根差していたのだろうか。二人の暮らしに決して満足していないわけではなかったのに、全ての束縛から脱したいという気持ちが勝ってしまったのか。一方で彼が置いていくこれまでの暮らしには、抜きがたい愛着があることも詞の言葉の端々から伝わってくる。

彼が71年に発表したNewgrassの傑作と言われる"AEREO-PLAIN"というアルバムを以前聴いた時は、それほど斬新とは感じられなかった。そこにモダンでおしゃれなサウンドを期待していたからかな、と今になって思う。彼の創ろうとした音楽は、ルーツミュージックに根差しながら、それらの音楽の持っている縛りや決まりごとを排して、どこまでも心の赴くままに自在に演奏し、唄うことではなかったかと思う。死ぬまで"Rambling Hobo"であり続けた彼の音楽を、もう少し追いかけてみたいと思ったのだった。

youtubeは以下の4曲を。他にも沢山!!
Gentle On My Mind John Hartford
https://www.youtube.com/watch?v=7cSqJMKvnso
Gentle On My Mind Glen Campbell
https://www.youtube.com/watch?v=mfMnNqn-hKg
Gentle On My Mind - The Bluegrass Alliance
https://www.youtube.com/watch?v=qXXUU3IU1tk
Gentle On My Mind John Hartford,Glenn Campbell&Ricky Skaggs



ジェントル・オン・マイ・マインド(大意。原詩は検索してみてください。)

君の扉はいつも開いていて
君の道を自由に歩けると知っているから
僕は君の寝椅子の後ろに寝袋を
丸め隠したままにしてしまう
忘れ去られていた約束や絆や
手紙の干からびたインクの染みに
僕が縛られることはないとわかっていたんだ
君は僕の記憶の中の川沿いの
田舎道にいつもとどまっている
僕の心の中でいつも変わらず優しいままで

岩や、支柱にからんだ蔦にしがみつくことじゃない
一緒に歩く2人はお似合いと思ったからと
誰かが僕にかけた言葉のせいでもない
この世界は罵りもしない代わりに許そうともしないと
ただ知ることが僕を束縛するんだ
僕は線路沿いに歩いて気づく
君が僕の記憶の川のそばの
田舎道を歩いていることを
何時間でも僕の心の中でただ優しいままで

麦畑や物干しロープ
廃品置き場やハイウェイが僕たちの間に入り
振り返ったら僕がいなくなっていたと
他の娘が母親に泣きついていても
僕は黙って走るかもしれない
僕の頬に喜びの涙が跡を残すかもしれない
夏の太陽が僕を焼き、僕の視力を奪うかもしれない
そんな時でも僕には君が歩いている姿が見える
僕の心に穏やかに流れる川沿いのあの田舎道を

どこかの鉄道操車場で
ぐつぐつがたがた音を立てる大鍋から
スープをカップに入れる
僕の髭はざらざら、石炭を積み上げた山
汚い帽子を目深に下ろして顔を覆う
ブリキのカップを両手で包み
胸に君を抱き寄せるふりをして気づく
僕の記憶の川辺の田舎道で
君が手を振っていることを
僕の心の中でいつも微笑みながらいつも優しく


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Wasted On The Way(時は流れても)[私の好きな20世紀の唄たち]vol.86 [20世紀の歌Ⅱ]

Wasted On The Way(時は流れても)
   written by Graham Nash
   Daylight Again(Crosby,Stills & Nash)1982
001.jpg
CSN(&Y)が70年に発表した曲"Teach Your Children"については以前書いていた(Teach Your Children)。わずか2年で解散した後も時折再結成していたらしいが、82年の"Daylight Again"はスルーしていた。88年の"American Dream"(CSN&Y)は購入したように思う。まあ、マニアではないのでね。標記の曲を知ったのは98年の"Carry On"(2枚組ベスト盤)によってであった。

当時この曲に惹かれたのは、たぶん間奏でフィドルが使われていたからだと思う。当時自分のバンドに女性フィドラーがいて、彼らのファルセットも駆使した緻密なコーラス・ワークも、このメンバーだったらなんとかなりそうと思ったのではないか。残念ながらその後メンバーの二人が遠くに異動して実現できなかったのだった…。

この歌はGraham Nashが40歳の時につくったようだ。70年代初めにアルバム "Déjà Vu" で大ブレイクして巨万の富を手にしただろう彼らだが、スーパースターの常として、酒やドラッグに溺れたり、バンド内の確執や男女関係のもつれなどが、彼らのその後の人生を阻害しただろうということは容易に推察される。そんな人生の結節点に立って、これまで色々無駄な時間も費やして来たけど、それを乗り越えて新たな道を探ることが出来るんだ、と歌っていて、今の自分を重ねることが出来ると改めて思ったことだ。
002.jpg
先日亡くなったDavid Crosbyは長年薬物中毒に苦しんだようだ。その彼を支え続けたのがナッシュだったと言われているが、その二人も近年は不仲だったという。人間関係の難しさをつくづく感じる今日この頃であるが、いつか天上の世界でまた友情を取り戻して欲しいと思うのだった。 R.I.P.,David

youtubeはスタジオ録音のものとライブ盤を。

Wasted on the Way (2005 Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=LUccF58bgwY

Wasted On The Way - Crosby, Stills And Nash Live
https://www.youtube.com/watch?v=Kg-Qdrr3XSk


時は流れても (大意。原詩は検索してみてください。)

まわりを見渡してごらん
目の前に見える僕の人生が
これまで過ごしてきた日々よりも
もっと良くなっているということを

今では僕は年を重ねて
欲しかった以上のものを手に入れた
だけど もっと前から始めていたら
もっとよかったと思ったりする

*
やり直せる時間はたっぷりあるさ
人生の時々の分かれ道で
僕たちが人生の途中で無駄にしてしまった時間を
橋の下にはたくさんの水の流れがある
その流れが僕たちに押し寄せて
どこかに連れていってくれるのにまかせよう

ああ 君も若かった時
自分の出してきた答えをすべて疑ってきたかい?
きみは自信満々のダンサーたちを
羨ましいと思ったことはなかったかい?

今君のまわりを見てごらん
君は自分が欲しいと思ったものを
手に入れようとしなくちゃね
僕の周りの友達を見てごらん
彼らは自分にふさわしいものを求めて
そして手に入れてきたんだよ

**
やり直せる時間はたっぷりあるさ
人生の時々の分かれ道で
僕たちが人生の途中で無駄にしてしまった時間を
橋の下にはたくさんの水の流れがある
その流れが僕たちに押し寄せて
どこかに連れていってくれるのにまかせよう

***
愛を償う時間はたっぷりあるさ
人生の時々の分かれ道で
僕たちが人生の途中で失ってしまった愛を
橋の下にはたくさんの水の流れがある
その流れが僕たちに押し寄せて
どこかに連れていってくれるのにまかせよう


Daylight Again


Carry on


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Song For Canada(カナダの歌)[私の好きな20世紀の唄たち]vol.85 [20世紀の歌Ⅱ]

Song For Canada(カナダの歌)
001.jpg
 written by Ian Tyson & Pete Gzowski
 "Early Morning Rain"所収(1965)

イアン・タイソンの曲を[20世紀の歌]で取り上げるのはこれで4度目である。フォークデュオ "Ian & Sylvia" については高校の頃までは名前ぐらいしか知らなかった。他のアーティストがカバーしているのを聴いて、誰が作った歌かと調べると、イアンの作だったという具合であった。古今の佳曲を発掘して?歌っている自分には相応しい出会いの形だったかもしれない。
SOMEDAY SOON(Bluegrass 45)
Summer Wages(J.D.Crowe & New South)
Four Strong Winds(Brothers Four)
そのイアンが昨年の暮れ(2022.12.28)に亡くなったというニュースを知った。89歳というから大往生と言っていいのかも知れない。最期までカウボーイであり続けた彼の生涯を偲び、これからも彼の歌を歌い継いでいきたいと思う。お疲れ様、イアン。R.I.P.
002.jpg
さて「カナダの歌」であるが、カナダにおけるフランス系の住民とイギリス系住民との軋轢を扱った歌である。特にケベックでは、先に入植したのはフランスからの移民で、後になってイギリス人が入植し、イギリス領になってからは「イギリス系ロイヤリスト中心のアッパー・カナダ、ケベックを含むフランス系中心のローワー・カナダに分かれて行き、…」(wiki)。この歌が書かれた頃はベトナム戦争に対する反戦運動なども絡んで、複雑な国内情勢が背景にあったようだ。
冬のケベック・シティーとセントローレンス川。
003.jpg
発表された当時はそこそこヒットしたが、評価は賛否両論あったようで、民族の対立や社会的格差が複雑に絡み合っていると、単純に「みんなで一つになろう」というようなメッセージを出されても、もろ手を挙げて賛同する気持ちになれないだろうということは、理解できなくもない。美しいメロディと素晴らしい詞を持つこの歌が、"For Strong Winds" が第二のカナダ国歌と言われたようにはならなかったのは、そういう事情があったのだろうと推察できる。

今、世界のあちこちで民族紛争が起こり、解決の兆しも見えない状況が続いているのを見ると、長い歴史の中で複雑にねじれあったこれらの問題の難しさを感じてしまう。でも、時間をかけてでもいつかは融和できるはず、という希望を持ち続けることも、「一つの地球」に生きる私たちには必要なことなのだろうとも思う。だから、この歌も一時の毀誉褒貶にめげることなく、多くの人々によって歌い続けられるべき歌なのだろうと思ったことだ。

youtube はあまりなかったが以下の4曲を。

Song For Canada Ian & Sylvia
https://www.youtube.com/watch?v=Y95TnSLdFfU
Song For Canada (Live) Ian & Sylvia
https://www.youtube.com/watch?v=J8CNSZx2fIc

カナダの歌 Ryoko Moriyama 中学生の時この人の歌で知ったのだった
https://www.youtube.com/watch?v=M7KfD6otryA

Song For Canada The Mitchell Trio
https://www.youtube.com/watch?v=07cWsZHDC4Y


カナダの歌(大意。原詩は検索してみてください。)

なぜ互いに話し合うことができなくなっているの
今ではどちらも変わっていっているというのに
随分長い間互いにいがみ合ってきてしまったね
でもまだ多くのことを分かち合っているはずさ

**
一本の大きな川が海に向かって流れ続けている
ただ一つの川が永遠に流れている
この土地には二つの国が岸辺に沿って在るけど
そこには一本の川が自由に流れているのさ

どうして私たちがそこに存在しないかのように振舞うのか
あなたが見つけたこの新しい憎悪はいったい何?
これまでたとえどんなに不当な扱いを受け痛みを感じたとしても
あなたを抑えつけたのは決して私たちではない

***

誇り高く生きるあなたを嬉しく思っていることをどうして解ってくれないの?
あなたが自分の力でうまくやって来たことは解っているんだ
そうして手に入れた誇りがあればもう理解してくれてもいいはず
これからは一人で立ち続けなくてもいいんだということを

****
孤独な北の川も一つに集まって流れているよね
そこにはただ一つの川が永遠に流れている
この土地には二つの国が岸辺に沿って在るけど
そこにはただ一本の川が…それはあなたと私




nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

コンドルは飛んでいく[私の好きな20世紀の唄]vol.84 [20世紀の歌Ⅱ]

El Condor Pasa(コンドルは飛んでいく)
written by Daniel Alomía Robles & Paul Simon
001.jpg
Daniel Alomía Robles
003.jpg
この歌は、[20世紀の唄]vol.8で書いた"THE BOXER"も入っている、サイモン&ガーファンクル1970年のアルバム "Bridge over Troubled Water" のA面2曲目の歌である。このアルバムはS&Gとしての最後のアルバムになり、名曲揃いなので取り上げるべき曲は他にもいくつかあるのだが。
Simon & Garfunkel
002.jpg
"El Cóndor Pasa" の題名から分かるように、原曲はアンデスのフォルクローレの楽曲であり、ポールがそのメロディの一部を借りて、詞を付けたようだ。演奏もロス・インカスの演奏に他の楽器の演奏や歌を重ねて作られたようである。原曲のこの部分は、もともと歌のない器楽曲だったようで、ポールの書いた詞に「コンドル」という語は使われていない。
Los Incas
004.jpg
ポールがなぜこのような試みをしたのかは定かではない。南米のフォルクローレの物悲しい旋律に、これまで自分たちが創ってきた音楽とは違う可能性を感じたのだろうか。ソロになってからのポールは、その後のアルバムの中に、レゲエやアフリカの民族音楽などを次々と取り入れているから、ひょっとしたらこの曲はそういった試みの嚆矢と言えるかもしれないと勝手に思っている。

歌詞はシンプルなものだが、選ばれた一つ一つの詩句にはそれぞれ込められた意味や背景があるのかも知れない。例えば、"sparrow" には "Tiny(Little) Sparrow" という歌が、"hammer" には "If I Had a Hammer" という歌があるというように。全体としては抑圧や束縛から解放されて、自由な生き方を求めるというような趣旨になるだろうか。コンドルという語は使われていないが、地上からはるか離れた大空を悠々と飛翔するコンドルに対する憧憬のような気持ちが、この歌詞の背景にあったのかも知れない。

カタツムリでは何故いけないのか、とか、ハンマーはいいのか、など突っ込みどころがないわけではないが、〇よりはむしろ〇〇でありたい、という語り方が内包する矛盾だと言えなくもない。こういう自問自答を繰り返しながら、人はより良い自分を求めて生きていくものだ、と考えるべきなのだろう。

この歌で二人はコーラスをせず、ポールとアートがそれぞれの部分をソロで歌っている。ポールの部分は抑圧に打ち勝とうとする部分を力強く、アートの部分は俗世から離れて高い空を自由に軽やかに飛翔しようと願う部分を繊細に歌い上げ、一つのトータルな楽曲になっているのが素晴らしいと思ったことだよ。この歌は特に日本で大ヒットしたので、歌うのをためらう時もあったが、改めて60年代末という時代を映す歌として口ずさんでいこうと思う。

youtubeは以下のものを。

El Condor Pasa/Simon & Garfunkel
https://www.youtube.com/watch?v=enHUwJIE00c
コンドルは飛んで行く ロス・インカス
https://www.youtube.com/watch?v=yYkBOGyh3xY
アンデスの音楽 Ticona Cesar コンドルは飛んで行く
https://www.youtube.com/watch?v=ujYqWzQEs-k


コンドルは飛んでいく(大意。原詩は検索してみてください)

蝸牛よりも 雀でありたい
そうさ そうなれるなら
きっとそうするさ

釘よりも ハンマーでありたい
そうさ そうなれるなら
きっとそうするさ

**
遠く 空高く翔び立って行きたいなあ
こちらへあちらへと自由に飛び交う白鳥のように
人間は大地に縛りつけられて
その悲しい叫びを世界へ向けて発している
最も悲しい叫び声を

街の通りより 森でありたい
そうさ そうなれるなら
きっとそうするさ

足の下に この地球を感じていたい
そうさ できるのなら
きっとそうするさ


Bridge Over Troubled Water


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

アメリア・エアハート [私の好きな20世紀の唄たち] vol.83 [20世紀の歌Ⅱ]

AMELIA EARHART'S LAST FLIGHT
written by Red River Dave McEnery
001.jpg
アメリア・エアハートは、アメリカのカンザス州アッチソン出身の女性飛行家で、1932年に大西洋単独横断飛行に女性初で成功し、脚光を浴びる。数々の飛行記録を樹立した後、1937年7月、赤道上世界一周を目指して飛行中に南太平洋上で消息を絶った。標記の歌はそのことを歌った "Topical Song" である。アメリカのフォーク・シーンなどではこうした社会的事件を扱った歌が少なくない。前回取り上げたウディ・ガスリーの "Deportee" もそうした歌の一つである。
002.jpg
アメリアの乗った飛行機はその後発見されなかったため、スパイ説や日本軍に撃墜された等々様々な説が現在に至るまで飛び交っているようだが、本稿の主旨からは離れてしまう部分があるのでやめておく。私自身『アメリアを探せ―甦る女流飛行作家伝説』(青木冨貴子)という本をかつて購入したことがあるくらいだが、実はちゃんと読んでいなかったのだ(笑)。

私がこの歌を知ったのは、ブルーグラス・バンドの "The Country Gentlemen" と"The Greenbriar Boys" のアルバムに入っていたからだった。どちらも大学に入ってすぐぐらいに聴いて、バンドで演奏していた。特にジョン・ダフィの間奏が飛行機が墜落していく様を上手く演奏しているように思われたので、よくバンドで真似をしたのを覚えている。
The Country Gentlemen
003.jpg
The Greenbriar Boys
004.jpg
他でこの歌を歌っている演奏は寡聞にして知らずにいたが、今回改めて検索してみたら、原作者の "Red River Dave McEnery"(50年代に活躍したテキサス出身のカントリーシンガー)のものとイギリスの70年代のカントリーロックロックバンド "Plainsong" のものがヒットした。こちらはかのイアン・マシューズが入っていたバンドで、"In Search of Amelia Earhart" という、アメリアのことをテーマにしたコンセプトアルバムのようだ。また探して聴いてみようと思ったことだ。ブルーグラス版の方ではカットされていた2番の歌詞も判ったのは良かった
Red River Dave McEnery
005.jpg
Plainsong
006.jpg

最近観たTV番組『RBG最強と呼ばれた女性判事~女性たち~百年のリレー』で、自由と平等を求めた女性たちの百年にわたる闘いを紹介する中に「世界一周を目指して空に散った女性パイロット」としてアメリアが紹介されていた。つまらない予断は排して、冒険飛行家として次々に新たな挑戦を続けていた女性の不運な事故と受け止めて、この歌をこれからも口ずさんでいこうと思ったことだ。

youtubeは本文中で紹介したものを。他にもあるかも。
Country Gentlemen 1969 - Amelia Earhart's Last Flight

The Greenbriar Boys 1962 - Amelia Earhart's Last Flight
https://www.youtube.com/watch?v=TQse8frEcMI
Dave McEnery - Amelia Earhart's Last Flight
https://www.youtube.com/watch?v=l0JtiOuXZck
Plainsong 1972 - Amelia Earhart's Last Flight
https://www.youtube.com/watch?v=hrCu3Pkqzgg
カナダ・オタワの現役ブルーグラスバンドの演奏も。
The Amelia Earhart song by Wil Ryder and the OCBB



アメリア・エアハート最後の飛行(大意。原詩は検索してみてください。)

洋上の船から見上げた空に小さな斑点が見え
アメリア・エアハートはその悲しい日の飛行を続けていた
7月2日のその日、相棒のヌーナンと共に
彼女の飛行機は遠い海の彼方に消えた

**
美しい美しい野原が広がっている
遠く離れた美しいかの地には
どうか安全な着陸をアメリア・エアハート
さよなら、世界初の女性飛行家よ

彼女は飛行位置を無線で伝え、全ては順調だと言った
燃料タンクの残りは少なかったが
彼女の単葉機に燃料を補給しようとハウランド島に立ち寄り
その後再び世界中を飛び回ろうとしていた

さて30分後にSOSが聞こえた
信号は弱かったが彼女の声はまだ勇敢だった
ああ、サメが泳ぐ海で彼女の飛行機はその夜墜落した
青い太平洋の海の中の墓の中に

人々は私の話したこの凄惨な悲劇を今知るのだ
私たちは彼女が再び無事生還することを祈っている
一方では彼女の飛んだ経路をたどってみる人々もいるだろうが
この先何年も私たちはアメリアと彼女の乗った飛行機のことを決して忘れないだろう

**
美しい美しい野原が広がっている
遠く離れた美しいかの地には
どうか安全な着陸をアメリア・エアハート
さよなら、世界初の女性飛行家よ



nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

DEPORTEE(流れ者) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.82 [20世紀の歌Ⅱ]

DEPORTEE(流れ者)
written by Woody Guthrie & Martin Hoffman・訳詞:田川律
001.jpg
この歌は、1948年のカリフォルニア州オークランドからメキシコに追放される28人のメキシコ人農場労働者を運んでいる飛行機の墜落事故を取り上げたもので、ウディ・ガスリーがこの事故にインスパイアされて、詩「追われ人(ロスガトスの飛行機事故)」を書き10年後にマーティン・ホフマンによって曲がつけられたということである。メキシコから出稼ぎ労働者として入国した彼らの死を、メディアは不法入国者であるからという理由で、名前も公表せずただ"DEPORTEE" とだけ伝えたのだった。
012.jpg
013.jpg
010.jpg
私がこの歌に初めて接したのは、加藤登紀子の1978年のアルバムに入っていた日本語版によるものであった。当時姉からもらったカセットテープの中に入っていたので、アルバムの中の自作ではない曲として、流して聴いていたのだが、今に至るまで覚えていたのは、心に残る何かがあったのだろう。その後1980年に公開された映画『9時から5時まで(9 to 5)』を観て、映画にも出演していたドリー・パートンによるサウンドトラックの中にこの曲があり、ウディのつくった歌だったんだ、と初めて気付いたのであった。
004.jpg
この歌に改めて注目したのは、数年前トランプ政権による米墨国境の「壁」建設のニュースがあったからだと思う。ウディの歌から70年以上経った今でも、不法入国者の問題が解決されないでいるという現実には驚くばかりだ。背景にあるのは南北問題などの経済格差があり、不法であると分かっていても、生活のために密入国してでも働かなくてはならない側面もあると思われる。翻ってわが国でも、技能実習生とうたって賃金の安い東南アジアからの労働者を受け入れている問題もあり、決して他人事ではない。

ウディについては以前一度取り上げた(RAMBLIN' ROUND)。あの歌は大砂嵐から逃れてカリフォルニアに移動した季節労働者(Okie,Hoboなどと呼ばれた)を歌ったものなので、国内的難民問題だともいえよう。日本語に訳されると「さすらい人」「流れ者」「ならず者」となり、やや美化された感じも受けるが、実際はもっと侮蔑的なニュアンスを持っているのだろうと思われる。"DEPORTEE"という語も直訳すると「被追放者」「強制送還された人」となるので「流れ者」という呼び方から受けるイメージとはかなり異なる。

当初この歌の訳詞を書いたのは加藤登紀子と思い込んでいたが、改めて調べると、音楽評論などをされている田川律(たがわただす)という方だと知った。彼は大阪生まれで、阪大文学部を卒業後「大阪労音」事務局に勤務され、その後上京して中村とうよう氏らと「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加したとある。日本におけるフォーク・ロックの受容を啓蒙する先駆者のお一人であったのだ。訳詞はウディの詞のやや激しい表現は避けているが、ほぼ原詩に忠実な名訳だと思われるので、私のつたない訳より彼の詞を引用させていただこうと思う。
003.jpg
この歌はその後ピート・シーガー、ボブ・ディラン、ザ・バーズ、アーロ・ガスリー、ナンシー・グリフィスなど多くのミュージシャンによってカバーされている。悲しいことだが、この歌が今なお同時代的な意味を持ち続けていることの証であろう。
011.jpg

youtube は以下のものを。他にも多数ある。
Deportee (Plane Crash At Los Gatos) Woody Guthrie
https://www.youtube.com/watch?v=qu-duTWccyI
Bob Dylan, Joan Baez - Deportees (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=xAXV4JmuNrs
DOLLY PARTON DEPORTEE (9TO5 - SOUNDTRACK)
https://www.youtube.com/watch?v=Ec0A-bVqLlw
Arlo Guthrie, "Deportee"
https://www.youtube.com/watch?v=c2eO65BqxBE
Nanci Griffith Deportee (Plane Wreck at Los Gatos)
https://www.youtube.com/watch?v=BpR4u9-Gd9Y


DEPORTEES(流れ者)訳詞:田川律

桃の実は今赤く染まり
オレンジも刈り入れが終わった
あなたたちはメキシコへ帰る
わずかなお金を手にして

**
さよならホワン さよならロザリタ
Adios mis amigos, Este susi Maria
誰もあなたの名前を知らず
ただ流れ者と呼ぶ

監視の目をくぐって来た よけいもの
仕事が終れば帰って行く
600マイルかなたのメキシコへ
追われ にくまれ きらわれて

さよならホワン さよならロザリタ
Adios mis amigos, Este susi Maria
誰もあなたの名前を知らず
ただ流れ者と呼ぶ

飛行機はロス・ガトスの空で
火と燃えて丘に墜落
枯葉のように散ったあなたたち
ラジオじゃ名前も言わず

人間と認められず
死んでさえ 名前も知られず
その手で育てたオレンジさえ
口にするうれしさも知らず

さよならホワン さよならロザリタ
Adios mis amigos, Este susi Maria
誰もあなたの名前を知らず
ただ流れ者と呼ぶ

Goodbye to my Juan, goodbye, Rosalita,
Adios mis amigos, Jesus y Maria;
You won’t have your names when you ride the big airplane,
All they will call you will be “deportees”


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

On The Sunny Side Of The Street [私の好きな20世紀の唄たち] vol.81 [20世紀の歌Ⅱ]

On The Sunny Side Of The Street (1930)
written by Dorothy Fields & Jimmy McHugh
001.jpg
1930年に作られたこの曲は、ジャズのスタンダードとして受け入れられているが、元々はブロードウェイのミュージカルの劇中歌だったようである。ジャズでは初めは歌無しの器楽演奏が主流だったようだが、その後サッチモことルイ・アームストロングをはじめ多くのシンガーたちに歌われるようになったという。ジャズ門外漢の私でも以前からよく耳にしていて知っていたほどの名曲である。

002.jpg
私がレコードを買って聴いたはじめは、Willie Nelson が1978年に出したスタンダード・アルバム "Stardust" によってである。その後2・3年毎に出された続編のアルバムは大体聴いていた。カントリー畑のミュージシャンによるスタンダード曲というのがなじみやすかったのだろう。一方、私のアイドルである Linda Ronstadt が84年に出したスタンダード集 "What's New" や "Lush Life" も聴いたが、あまりなじめなかったのは、オーケストラの編曲になるものだったためのような気がする。好みというのは実に微妙なものだ。

003.jpg
もう一つ、1999年に出された小野リサの "DREAM" というアルバムにもこの曲が入っていたのだった。ボサノバにアレンジされたこの曲を聴いた時は、軽い衝撃を受けた、というのはやや大げさ?ポルトガル語で歌われた歌詞の、「サニーサイド・オブ・ザ・ストリーチ」の語尾がいまだに頭から離れずにいる(笑)。その後、2006年の "Jambalaya - Bossa Americana-" など異ジャンルに挑むものを割と好んでいたのかも。

やはり極めつけは、この半年の間毎朝のようにこの曲がTVで流れていたことだろうか。この曲をテーマにした映画であっても、この国に暮らす多くの人にこれほどのインパクトは与えなかっただろうと思われた。少なくともこの曲の入ったアルバムの売り上げには相当貢献しただろうと想像される(笑)。戦中から戦後にかけてこの曲が日本でも受容されていたという設定はさほど無理はないと思うけど、親子三代にわたって、この曲が彼女たちの精神的支柱であり続けたというのは、フィクションならではというところか。劇中で世良公則が歌っていたものは、さすが元プロ(今でもプロか)と思わせる歌唱だった。
004.jpg

"sunny side" という語は私たちがよく演奏している曲の中にも散見される。人生の明るい側面を見て生きようという姿勢は、アメリカンでおおらかな感じを受ける。拝金主義に抗する生き方が、少なくとも歌の中には在った時代だったと思ったことだ。日本の演歌にも「襤褸は着てても心は錦~」のような歌詞があるが、こちらはやや歯を食いしばって頑張る、という姿勢に見えるのは、やはり国民性の違いなんだろうか。

youtubeは記事で取り上げたものを。他にもたくさんあるけどね。
Louis Armstrong - On The Sunny Side Of The Street (1956)
https://www.youtube.com/watch?v=wQnBvO2qla0
Willie Nelson - On the Sunny Side of the Street
https://www.youtube.com/watch?v=m6DJdiPQmGc
On The Sunny Side Of The Street - Lisa Ono
https://www.youtube.com/watch?v=38-g4vn7NyI
On The Sunny Side Of The Street (English Version)
https://www.youtube.com/watch?v=c_4XHMNZQp4
[カムカムエヴリバディ] 世良公則「On the Sunny Side of the Street」
https://www.youtube.com/watch?v=ot_Xxa5lhUk

明るい表通りで (大意。原詩は検索してみてください。)

コートをつかみ 帽子をかぶって
嫌なことは玄関に置いて外に出よう
人生はきっと素敵なものなんだよ
明るい表通りを歩けば

カタカタっていう音が聞こえないかい?
君のステップが奏でる楽し気な音が
人生はこれで完璧さ
明るい表通りを歩けば

以前はよく日陰の通りを歩いていたものさ
嫌なことをみんな心に溜めながら
でももう恐れることはしない
彷徨っていた自分は生まれ変わったのさ

1セントも持っていなくても
気分はロックフェラーに負けないほど豊かなのさ
足元の砂埃が金色に輝いているから
明るい表通りを歩けばね


Classic Louis Armstrong


Stardust


DREAM


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

The End of the World(この世の果てまで) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.80 [20世紀の歌Ⅱ]

The End of the World(この世の果てまで)
001.jpg
written by Arthur Kent and Sylvia Dee
sung by Skeeter Davis

「この世の果てまで」はカントリー・ポップの嚆矢であるといわれるスキーター・デイヴィスの62年のヒット曲である。作曲はアーサー・ケント、作詞はシルビア・ディー。ディーはシナトラの "TOO YOUNG" を書いた人でもあるらしい。62年というと私は小学校の2年だったので、同時代に聴いていたはずもないが、いつの間にか知っていた歌の一つである。ラジオでその折々にかかっていたのかな。日本では後発のブレンダ・リーの方が当時有名だったということだが、youtubeで今聴いてみても聞き覚えはなかった。調べると日本人アーティストを含め、実に多くのカヴァーが出ているのに驚く。
003ブレンダ・リー.jpg
邦題の「この世の果てまで」から、去って行った恋人をどこまでも追いかけていく、といった風に受け取られがちで、自分もそう思っていたのだが、実際は、当時デイヴィスの父親が亡くなって悲しんでいる気持ちを汲み取って、ディーが書いたのだという。最愛の人を失った今、もうこの世界に全く意味がないようにしか思われない、という気持ちが歌われていたのだった。「私の心は世界の終わりと感じているのに、私の心臓は勝手に鼓動し、涙は勝手に流れているのはなぜ?」
002.jpg
作詞者がそこまで意図したのかどうかは分からないが、大げさに言うと認識と実存の対比のようなものが表現されていると思ったことだ。「人の命は地球より重い」という言葉があるが、最愛の人を亡くしてしまうと、この世に生きている意味、果てはこの世の存在自体が無くなってしまったような気持ちになることは分かる気もする。でも、世界はそういうことなどなかったかのように存在し続けているのだが…。
004カーペンターズ.jpg
そういう意味でも、邦題は直訳の「世界の終わり」でよかったのかも知れない。ちなみに、村上春樹の小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)にはこの歌の歌詞の一節がエピグラフとして引用されているが、彼はこの歌を正しく受け止めていたということの証左なのかも知れない。この歌も人々の思いを受け止めながら、これからも歌い続けられるのだと思う。

余談だが、過日「**家の男たち」というドラマの再放送がTVで流れていて、酔っぱらった男たちが「懐かしい 痛みだわ …」とがなっているのを聴いて、これは古いカントリーの曲かな、誰かが訳詞したのかな、と思って聴いていたが、聖子ちゃんの "Sweet Memories" だと後でわかった。83年の作品らしいが、同じ8分の6拍子ということもあって、どこか標記の歌と似ているなあと思った。そっくりというほどではないが、何かしら影響を受けていたのかも知れないと思ったことだよ。


youtubeは以下のものを。多くのカヴァーがあるので検索してみるとよい。

Skeeter Davis ~ The End of The World (1962)
https://www.youtube.com/watch?v=sonLd-32ns4
The End Of The World · Brenda Lee
https://www.youtube.com/watch?v=sCRT1gp436Q
End Of The World · Nancy Sinatra
https://www.youtube.com/watch?v=DIqKVONXSMk
Carpenters - The End of the World
https://www.youtube.com/watch?v=ThK5M8Ttzpw
おまけ?
SWEET MEMORIES - English
https://www.youtube.com/watch?v=78YgE2zLbyg


世界の終わり(大意。原詩は検索してみてください。)

どうして太陽は輝き続けているの?
どうして波は岸辺に打ち寄せ続けるの?
知らないのね この世界が終わっているってことを
あなたが私をもう愛してくれないのだから

どうして鳥たちは歌い続けているの?
どうして星たちは天上で輝いているの?
知らないのね この世界が終わっているってことを
あなたの愛を失ったときに世界は終わってしまったの…

**
朝目が覚めて 私は戸惑う
どうして周りのすべてが前と同じなの?
私はどうしてもわからない
どうやってこれからの人生を歩んでいったらいいのか…

どうして私の心臓は鼓動を続けているの?
どうして目から勝手に涙が溢れくるの?
知らないのね 世界が終わってしまっていることを
あなたが私にサヨナラを告げたときに…

**
朝目が覚めて 私は戸惑う
どうして周りのすべてが前と同じなの?
私はどうしてもわからない
どうやってこれからの人生を歩んでいったらいいのか…


End of the World


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

ピアノ・マン (Piano Man) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.79  [20世紀の歌Ⅱ]

Piano Man(ピアノ・マン)
written by Billy Joel
001.jpg
ニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のシンガーソングライターであるビリー・ジョエルを初めて聴いたのは、77年のアルバム"The Stranger"だったと思う。その頃AOR(Adult-Oriented Rock)という曖昧なジャンルの呼称が使われた時期で、そういうジャンルの一つと思って受け入れていたのかな。その後 "52nd Street"('78)"Glass Houses"('80)"Songs in the Attic"('81)あたりまではアルバムが出ると買っていたような気がする。そんな中で"The Stranger""Just the Way You Are""Honesty" などやはりAOR風な曲を好んでいたように思う。
002.jpg
表題の"Piano Man"は曲は知ってたけど、それほど印象に残ってはいなかった。この曲は私がビリーを知る前の73年に出された同名のアルバムに入っていたので、リアルタイムに聴いた訳ではなかったということもあったのかも知れない。ソロとしての2枚目にあたるこのアルバムは、彼にとって初のゴールド・ディスク認定作品らしく、出世作といっていいのかも知れない。メジャーデビューする前、バーでピアニストとして働いていた頃のことを歌ったものだろうと思われる。後になってライブでは必ず歌われる彼の代名詞のような作品になったのだった。

半年前の2月、TVドラマで『六畳間のピアノマン』というのをやっていて、ビリーの歌かなと思いながら観ていた。冒頭から主人公の上司のひどいパワハラの場面が出てきて、一旦観るのをやめようと思ったが、全4回だからと終わりまで観たら素晴らしい作品であった。主人公はパワハラを受けた結果か、交通事故死してしまうのだが、生前動画投稿サイトで「六畳間のピアノマン」と名乗ってこの歌を歌い、生きることに傷ついた人々を励ましていたのだった…。彼が叫ぶように歌っている "Sing us a song, you're the piano man" というフレーズが胸にしみた。「歌ってくれよ、お前はピアノマンだろう」
004.jpg

改めて歌詞をたどってみると、ビリーらしき人物がそれほど大きくはないミュージックバーでピアノを弾きながら歌っている。土曜日の夜になると彼の歌を聴きに様々な人間が店に集まってくる。昔の思い出に浸りたい人、いつか陽の当たる場所に出ようともがいている人…。皆行き詰まった日常を束の間忘れ、安らぎを求めている。ビリー自身もその一人だったかもしれないし、そんな人々を少しでも励ましたいというのが彼の歌の原点だったのだろうという気もする。だからスーパースターになった後でもこの歌を歌い続けているのかな。
003.jpg

『六畳間~』の原作『逃げ出せなかった君へ』を書いた安藤祐介さんもこの歌から多くのインスパイアを受けたのだろう。私はというと、それまでさほど気にかけず聞き流していた曲が、映画のテーマソングになって見直すという体験を過去にもいくつかしてきた。多分歌をサウンドとしてだけ聴いていたからということなのだろうが、そして「20世紀の歌」を書くことの動機の一つでもあるのだが、改めてこの歌を聴き、歌ってみようという気持ちになったことだ。

youtubeは以下の三つ。

Official Video から。歌の内容が映像化されていてよく分かる。
Billy Joel - Piano Man (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=gxEPV4kolz0

Elton John and Billy Joel - Piano Man live
https://www.youtube.com/watch?v=fcYSSYnf_l8

「六畳間のピアノマン」版は見つからないのでこんなのを
Piano Man(NHKドラマ「六畳間のピアノマン」ver.)をアコギでサラッと弾き語り!
https://www.youtube.com/watch?v=vcdkfmcNZ4o


ピアノ・マン(大意。原詩は検索してみてください。)

土曜日の夜9時になると
いつもの客たちが店になだれ込んでくる
俺の隣の席には爺さんが一人座っていて
お気に入りのジン・トニックをすすっている
俺に向かって「おい若いの、懐かしいのを一曲演ってくれよ
どんな曲だったかちゃんとは覚えてないけど
あの甘く切ない曲だったよ
俺が若かったころは完璧に覚えていたんだ

**
La, la-la, di-dee-da
La-la, di-dee-da, da-dum

***
歌ってくれよ、ピアノマンだろ
今夜俺達の為に歌ってよ
みんなあのメロディに浸りたいんだ
お前の演奏は俺達を元気にしてくれるんだ

バーテンダーのジョンは俺の友達
酒はタダで飲ませてくれる
ジョークは上手いし煙草の火もさっと点ける奴さ
でもこんなところでくすぶっているような奴じゃないんだ
奴は言ってた「こんなところにずっといたら参っちゃうよ」
いつもの笑顔も消えて
「俺は映画スターにだってなれるはずなんだ
ここから抜け出せたらの話だけどな」

ポールは不動産業の傍ら小説を書いている奴だ
嫁探しをする暇もないんだって
奴と話してるデビーは今も海軍にいるのさ
たぶんずっとこんな感じだろうな
ウェイトレスの彼女は世の中の駆け引きを勉強中
客に上手に酒を飲ませながらね
そうさ、みんな孤独という酒を分け合って飲んでいる
でも独りで飲んでいるよりはずっとましさ

大勢の客たちで大繁盛の土曜日の夜さ
マスターはにっこりして俺を見る
みんなが俺の演奏を目当てで来ていると分かっているからさ
つかの間つらい現実を忘れるためにね
ピアノの響きは店内をカーニバルに変え
マイクからはビールの香りもする
客たちは席に座って俺にチップを投げ
そして言うんだ「まだこんなところで歌っているつもりかい」って

**
La, la-la, di-dee-da
La-la, di-dee-da, da-dum

***
歌ってくれよ、ピアノマンだろ
今夜俺達の為に歌ってよ
みんなあのメロディに浸りたいんだ
お前の演奏は俺達を元気にしてくれるんだ



六畳間のピアノマン (角川文庫)


ピアノ・マン


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Lone Star State of Mind[私の好きな20世紀の唄たち] vol.78 [20世紀の歌Ⅱ]

Lone Star State of Mind(孤高のカウボーイの気分)
  written by Fred Koller, Patrick Alger & Gene Levine
  sung by Nanci Griffith
001.jpg
テキサス州オースティン出身のナンシー・グリフィスについては、これまで「20世紀の歌」の中で何度か触れてきた。というのは彼女が敬愛するソングライター達の曲をカヴァーした2枚のアルバム、"Other Voices, Other Rooms"('93)と "Other Voices, Too"(’98)を愛聴していて、そのおかげで多くのミュージシャンを「再発見」することが出来たからであった。実はそれまでにも88年に日本盤で出た "BEST ROUNDER"/Nanci Griffith というアルバム(元のCDは84・6年)を買って聴いていたのだが、フォーキーなサウンドがやや地味に感じられたのか、それほど熱心に聴いたわけでもなかった。名曲 "Once in a Very Blue Moon" も入っていたのにねえ。今考えるとこちらの方が彼女のやりたかったものだったのかも知れない。
002.jpg
そんな彼女がメジャーレーベルのMCAレコードに移籍して87年に出したのが"Lone Star State of Mind" で、表題の曲はそのトップを飾る曲である。アルバムはビルボードの23位まで上り、彼女はカントリー・スターの座を確立していく。作ったのはナンシーでなく上記の3名の共作ということであるが、Patrick Algerはギターで参加しているので、音楽をやっている仲間 と一緒に作ったということなのかもしれない。

歌の内容は、かつて一緒に暮らしていたが、今では遠く離れたところにいる昔の恋人が、電話をかけてきた。突然の電話に困惑しながらも懐かしさから話をする。どうやら彼はまた自分の所に来て一緒に暮らさないかと言っているようだ。そんな彼の申し出に心ひかれる気もするが、自分はデンヴァーで新しい生活を始めている。彼の住む町コーパス・クリスティはテキサス州最南端の海岸の町で1000マイルも離れているが、その距離以上に二人の関係ももう離れてしまっているのではないか。揺れ動く気持ちも感じながらカリフォルニア・ワインを独り飲んでいる…。
009.jpg
"Lone Star State" はテキサス州の愛称でもあるらしいが、そこに一人で輝いている星としての自分を重ねているのだろうか。さらに言うとジョン・ウェイン演じるさすらいのカウボーイの姿も。「男は昔の恋人のことをいつまでも思っているが、女はきっぱり忘れることが出来る。新しい恋で上書きするから…」と誰かが言っていたが、必ずしもそうでないのかも知れないと思う。ナンシーが歌っているので女性を主人公に擬してみたが、ドン・ウィリアムスも歌っているからなあ。まあ、それぞれが自分の思い出の一幕を重ねて聴き歌えばいいのだろう。
006.jpg
さて、このアルバムでスターダムに上った彼女だが、カントリースターである自分に違和感を覚えたのか、数枚のアルバムを出した後エレクトラに移籍する。その活動の中で生まれたのが、上記のトリビュート・アルバムであった。日本の一過性のフォーク・ブームとは違って、フォークソングの連綿と続く潮流の中で、時代を超えていい歌と思えるものを取り上げ、私たちに提示してくれたことの功績は大きいと思う。「こんないい歌もあるよ」と歌ってくれた彼女の歌で、ケイト・ウルフやジョン・プラインなどの素晴らしいミュージシャン達を知ることが出来たのを嬉しく思う。自分のささやかなライブの中で「こんないい歌があるよ」と歌っているのも、その流れの中にあるのかな。

004.jpg
005.jpg

youtubeは次の2つを。ブルーグラスでやっているものもあった。
Nanci Griffith Lone Star State of Mind
https://www.youtube.com/watch?v=0HETJr-G5F0
Don Williams - Lone Star State of Mind
https://www.youtube.com/watch?v=N0tV4XWOYGQ


孤高のカウボーイの気分(大意。原詩は検索してみてください。)

君からの電話にちょっとびっくり
ずいぶん久しぶりだったから
あの蒸し暑いテキサスの夜
二人で海に泳ぎに行って以来だった

コーパス・クリスティはずいぶん遠い感じがする
距離のことではなく
今でも君を笑顔にさせるために
君にあげられるものは
少なからずあると思っているけど

**
(でも)今私はデンヴァーに独りいて
カリフォルニアワインをちびちび飲っている
一晩中君のことを思いながら
まるで孤高のカウボーイのような気分で

ちょうどジョン・ウェインの深夜映画を観ていた
女の子を助けて馬に乗り、去っていった
エンドロールが流れているとき
いつか彼が女の子のもとに戻ってきたらいいのにと思った

**

***
ここから君の家の戸口まで1000マイル以上もある
もし今こちらを発てば明日にはそこに居ることもできる
ギターだけをケースに入れて
本当はそんなに遠くはないよね
さっき君は電話でこっちには君の居場所があるよと言ってくれた

**


Lone Star State of Mind


Other Voices Other Rooms


Other Voices, Too (A Trip Back To Bountiful)


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

サークル・ゲーム[私の好きな20世紀の唄たち] vol.77 [20世紀の歌Ⅱ]

The Circle Game
written by Joni Mitchell

Buffy Sainte-marie
001.jpg
この歌は1970年公開の映画『いちご白書』の主題歌としてヒットしたので知っていた。歌っていたのはカナダのネイティブアメリカンでシンガーソングライターのバフィー・セントメリーだったので、ずっと彼女が作ったのだと思い込んでいたが、作ったのはジョニ・ミッチェルだったと後になって知った。それでもバフィーの独特のビブラートで歌われるメロディが今でも耳について離れないから、気分的には彼女の歌だというイメージである。そういえば前に取り上げた「青春の光と影」もジュディ・コリンズの歌だと思っていたなあ。
002.jpg
少し調べて見ると、この歌が作られたいきさつが書かれてあった。1965年頃、カナダのフォーククラブに出演していたジョニは、同じくフォークシンガーとして活動していたニール・ヤングが歌った"Sugar Mountain"という歌を聴き、その返歌として作ったのがこの歌だということである。ニールは20歳を過ぎたらこれまで女の子相手にやっていたロックンロールバンドなどやっていられない、青春は終わったのだと歌っていて、2歳年上だったジョニはそれに対するアンチテーゼの歌で、これからの人生も捨てたもんじゃないという趣旨で書いたのだという。
Joni Mitchell
003.jpg
この歌を最初に録音したのはイアン&シルビア(67年4月)で、次いでバフィーが67年7月に録音したとされている。ジョニ自身は3枚目のアルバム(70)で初めて録音したということである。"Circle Game"という語は調べてみてもよく分からない。歌の中で出てくるメリーゴーランドから連想した彼女の造語かと思われる。私は例によって歌の内容もよく考えず、仏教的輪廻のような世界観を勝手に想像していた。"Life is like the circle game" とでもいうように。人生はメリーゴーランドのように繰り返し廻り回っていくものだという歌詞からすると、私の勝手な思い込みの解釈もあながち的外れではなかったのかなという気もする。人生の無常を感じるようになった今でも時々ふと"round and round and round …" というフレーズが頭の中を駆け巡るのだった。

バフィー・セント・メリーについてよく知っているわけではないが、70年代にベトナム反戦運動やアメリカ原住民解放運動に熱心だったという。彼女が作った歌としては知っているのは、"Soldier Blue"やドノバンが歌った"Universal Soldier"ぐらいだろうか。ブルーグラスでも取り上げられている "Many a Mile" は彼女も歌っているが、作ったのはPatrick Skyという人らしい。今回調べてみて分かったのは82年の映画『愛と青春の旅立ち』の主題歌で、ジョー・コッカーとジェニファー・ウォーンズのデュエットでヒットした "Up Where We Belong" が彼女と夫君のジャック・ニッチェの共作だったということだった。調べて見るもんだね。

youtubeは以下の2つを。他にもいろいろある。

Buffy Sainte-marie The Circle Game
https://www.youtube.com/watch?v=Tqpx0xKAGvE

Joni Mitchell The Circle Game (Official Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=5NEkJhBHh54


サークル・ゲーム(大意。原詩は検索してみて下さい。)

物心ついた頃は様々な事への好奇心が生まれ
捕まえたトンボを瓶に入れておいたり
空いっぱいにとどろく雷鳴に驚いたり
流れ星に涙したりした

**
そして季節は巡ってゆき
ペンキの塗られた木馬は上がったり下がったり
時間という回転木馬に捕らえられて
後戻りすることはできず、たどってきた道を振り返ることしかできない
そしてサークルゲームの中でぐるぐる回り続けるの

それから10年の歳月が過ぎ
澄んで凍った小川をスケートで滑るように成長した
もう少し大人になったらという言葉になだめられ
いつかという希望が夢を育んでくれる

今では16回の春と16回の夏が過ぎて
おもちゃの車は街を走る本物の自動車に
みんながこう言う、時間を大切に今を楽しめ。
じきに大人になってしまい、いつか足を引きずって
自ら時の流れを遅らせるようになってしまうから

そしてまた年が巡り少年はもう二十歳になった
彼の夢は思い描いていたものより少し小さくなっちゃったけど
その代わり新たな夢が、たぶんより良く豊饒な夢が
人生を締めくくる年が巡ってくるまでね



Soldier Blue: Best of the Vanguard Years


The Circle Game


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Brown Mountain Lights[私の好きな20世紀の唄たち] vol.76 [20世紀の歌Ⅱ]

Brown Mountain Lights(ブラウン山の不思議な光)
   Written by Scott Wiseman(62)
Lulu Belle and Scotty
001Lulu_Belle_and_Scotty_National_Barn_Dance.jpg
この歌を初めて聴いたのは大学一年の頃で、当時のバンド仲間が持っていたブルーグラス・バンド"The Country Gentlemen" のアルバムであった。たぶん日本盤のベストアルバムだったと思うが、初出は "Bringing Mary Home(66)" 。コード進行が変わっていて、ちょっとエキゾチックな雰囲気の曲だなと思ったことを覚えている。演奏することがなかったのは、一年生バンドには難しいと思ったからかも知れない。
002.jpg
余談になるが、当時貧しい下宿生だった私は、友人とアンプ・スピーカー・レコードプレイヤー・カセットデッキなどを一人ずつ分けて買って、私の下宿の部屋に置いて聴いていた。自分でレコードを買うことはできないので、先輩や友人から借りてはカセットに録音していたのだ。今となっては懐かしい思い出であるが。
003.jpg
その後この歌のことは忘れていたが、90年代になってTony Rice が "Plays And Sings Bluegrass(93)" で取り上げているのを聴いて、いつか演奏したいものだと思いながらまた月日が流れて行った。2004年にアメリカ南部を旅した時、ブルーリッジ山脈に沿って走る "Blueridge Parkway" をドライブしたのだが、ノース・キャロライナのあたりで "Brown Mountain Lights" という怪奇現象があるという看板を見つけて、この曲と関係があるのではないかと思い至ったのだった(アメリカ南部の旅 vol.3 @ Blueridge Parkway)。
brown.jpg
旅行記を当ブログに書いたのは2016年で、そのうちこの曲についても「20世紀の歌」に書こうと心の隅で思っていたのだが、延び延びになっていたのだった(どんだけー!)。
The Brown Mountain。
004.jpg
今から100年も前にノース・キャロライナのブラウン山の付近で何度も見られたというこの不思議な「光」の正体が何であるかはよく分からない。宇宙から来たものと考えれば今でいう火球か彗星の類かも知れないし、UFOだと言う人もいるだろう。また、地上で発生したものであるなら、メタンガスなどが発生してそれが発火したものだろうか。いずれにしても当時の人々にとって不思議な現象であっただろうことは想像に難くない。
005.jpg
006.jpg
この歌を書いたカントリー・ミュージシャンのScott Wisemanの解釈も、当時の様々な受け止め方の一つだったのだろう。「光」を墓場からよみがえった幽霊=GHOSTが手に持ったランタンの光だというのは興味深い解釈ではある。アメリカはヨーロッパ諸国(日本もか)に比べて歴史が浅いので、そのコンプレックスから超常現象に惹かれるのだという説を以前聞いたことがあるがどうだろう。そういえばC.G.の上記のアルバムにある"Bringing Mary Home"も少女の幽霊の話だった。望郷の歌や殺人の歌に並べて、ゴーストの歌の系列もあってもいいと思われる(知らんけど)。

もう一つ興味深いのは、歌の主人公の幽霊が南部の農園に雇われていた黒人奴隷だったということである。農園主と老奴隷は家族以上の絆で結ばれていて、死んでもなお失踪した主人を探して歩き回っているというストーリーは、奴隷制廃止論に対するアンチテーゼとも受け取れる。そういえば前に取り上げたザ・バンドの"Old Dixie Down"も南北戦争を南部の視点から描いていた歌だった。アメリカ南部の社会で南北戦争以前の世に対する郷愁のようなものが未だに根強く残っているのかなあとも思わせる。そしてそれは、現代アメリカで政権交代前のトランプ元大統領を支持する人々が少なくないことと無関係ではないのかも知れない。だとしたら、今日のアメリカ社会の「分断」は相当根深いものだということになるのだろう。
007.jpg
まあ日本にも「人魂(ひとだま)」という言葉があるから、アメリカ特有ということでもないのかも知れない。歌にはその時代時代の人々の気持=願いが反映されているものだから、そういったことを受け止めながらこの歌も聴き、また歌っていくべきなのかなと思ったことだよ。

youtubeでは他のミュージシャンのカバーもあるが、以下の4つを紹介しておく。
Lulu Belle and Scotty - The Brown Mountain Light (c.1962).
https://www.youtube.com/watch?v=MlbQ1zsE2nQ
Brown Mountain Light Country Gentlemen
https://www.youtube.com/watch?v=b-bSdnbw5eg
Kingston Trio-Brown Mountain Light
https://www.youtube.com/watch?v=MRjtpyK784o
Tony Rice and The Brown Mountain Lights
https://www.youtube.com/watch?v=_5G_dWxlTQE

ブラウン山の不思議な光(大意。原詩は検索してみて下さい。)

古い幌馬車で旅をしていたころ
一夜を過ごすために低地で露営していた
谷の縁の向こうに月が鈍く輝いている中で
私たちはブラウンマウンテンの光が現れるのを待っていた

**
山の上高く谷の底深く
それは天使の輪のように光り輝いていた
そして霧が出て消えていく間に光を失っていった
遥か空の向こうに
来る夜も来る夜も夜が明けるまで
一人の孤独な老奴隷が墓からよみがえってきて
探し続けている
ずっといなくなったままの主人のことを…

ずっと昔一人の農園主が
この広い山の中に一人で狩りに来た
農園主が行方不明になったのはその時だったそうだ
そして彼は二度と帰ってこなかった

農園主が信頼していたこの年老いた奴隷は
ランタンを手に昼も夜も主を探し続けたが徒労に終わった
今ではその老奴隷も死んでしまったが
彼の魂はこの世にとどまり
ランタンは今でも光を発し続けている


Sweethearts of Country Music by LULU & SCOTTY BELLE (2008-03-18)


25 Years


Plays & Sings Bluegrass


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Goodbye Yellow Brick Road[私の好きな20世紀の唄たち] vol.75 [20世紀の歌Ⅱ]

Goodbye Yellow Brick Road  邦題:黄昏のレンガ路
Written by Elton John & Bernie Taupin 1973
001.jpg

エルトン・ジョンについては伝記映画のレビューで少し触れた(映画『ロケットマン』)。その映画を観て、それまでエルトンが詞も曲も書いていると思い込んでいたが、詞の方は一度決別した時期があった以外は、ほとんどバーニー・トーピンが書いていたのだと知った。ファンなら知っていて当然のことだが、当時ろくにクレジットも見ずに、レンタルで借りてカセットテーブに録音して聴いていたぐらいだから、ある意味仕方のないことかも知れない。

売れないバンドマンだったエルトンが、リバティ・レコードの募集広告に応募した時、同じく応募していたバーニーと出会い、コンビを組む。それからのサクセスストーリーは書くまでもないほどである。ド派手な衣装でスーパースターへの階段を登っていくエルトンとそれを陰で支えるバーニーという構図だろうか。バーニーが書く詞は、次第にエルトンの生きざまを投影したものになっていったのかも知れない。都会育ちのエルトンに比べて、バーニーはロンドンから200キロ北にある電気も通らない農家の出身のようなので、環境の落差はエルトンの比ではなかっただろうと推察される。
002.jpg
標題の曲は1973年発表されエルトンの最高傑作とも言われるアルバム "Goodbye Yellow Brick Road" に収録されている。エルトンとのコンビを休止するのはもう少し後のようだが、この曲の中に急激にスターダムに上り、ヒット曲を量産しなくてはならないことへの疲れや違和感が表されているような気がする。あくまでも私の主観によるものではあるが。最初の数節をその主観によってあえて意訳すると、「お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ 俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった (とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ」となる。歌詞の解釈については様々な説があるようだが。
003.jpg
"Yellow Brick Road" はミュージカル映画『オズの魔法使い』の中で、エメラルドの都"OZ"に向かう「黄色いレンガ道」として出てくる。この道に続くオズの国は果たして理想の国なのか、それとも欲望渦巻く幻想の理想郷に過ぎないのか。バーニーにとってはどうも後者であったように思われてならない。歌詞を見ると結構ストレートにその時期のエルトンの状況を危惧し、諭している内容のようにも見える。そんな詞にこんな素晴らしい曲を付け、アルバム・タイトルにもしたエルトンって…、と思ってしまう。ゲイでもあったエルトンと常に仕事を共にして緊密な関係であったバーニーだが、音楽と私生活をきっちり峻別して、仕事上のベストパートナーであり続けた二人の関係には、我々には計り知れない互いへのリスペクトと絆があったのだろうと思う。
004.jpg
一度は袂を分かっていたバーニーが再び全曲を作詞した83年のアルバム"Too Low for Zero" に収録されている "I'm Still Standing" という曲がある。詞の真意はともかく、二人が再びタッグを組んで世に立ち向かおうとしている歌のように思えた。思えばバーニーは、一緒にいる時も離れている時も常にエルトンのことを見守ってきたのだろう。


youtubeは次の三つを。

Elton John - Goodbye Yellow Brick Road Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=DDOL7iY8kfo

Sara Bareilles - Goodbye Yellow Brick Road (Live Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=eAti8JNmJi8

Goodbye Yellow Brick Road · Queens Of The Stone Age
https://www.youtube.com/watch?v=PyBAI7MGXTs



さよなら黄色い煉瓦路 (大意。原詩は検索してみて下さい。)

お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい 
いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ 
俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった 
(とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ

俺をずっと引き留めておくなんて無理だってわかってたはずだ
お前と約束した覚えはない
俺はお前の友達のための贈り物なんかじゃない
ブルースを歌うにはまだ若すぎるんだ

*
だから黄色いレンガの道とはおさらばだ
あんな金持ちが大騒ぎしている所はたくさんさ
お前の住むペントハウスに俺を閉じ込めておくことはできないよ
田舎に帰って田圃でも耕すつもりさ

**
森の中でイボガエルを狙って鳴いている
フクロウのもとに帰るんだ
おお、俺はやっと決めたんだ
黄色いレンガ道の向こうにある世界に行くってことを

そしたらお前はいったいどうする?
奴らはいつかきっとお前の乗った飛行機を撃ち落とすぞ
お前を再び地に足の着いた暮らしに戻すには
2・3杯のウォッカトニックが必要かもな

多分俺の代わりはすぐに見つかるさ
俺ぐらいの奴はいくらでもいる
地面を這いつくばってお前に近づき
分け前にありつこうと嗅ぎまわっている俗物どもがな

*
**


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Today I Started Loving You Again [私の好きな20世紀の唄たち] vol.74 [20世紀の歌Ⅱ]

Today I Started Loving You Again(2度目の恋)
written by Merle Haggard & Bonnie Owens (1968)
001.jpg
マール・ハガードについては前に一度書いた(Silver Wings)。実はこの歌については最近まで知らなかった。youtubeをググっていて偶然出てきた曲だったように思う。題名に惹かれたといっていいのかもしれない。別れた恋人ともう一度やり直したいという歌は数多いが、「許してほしい」「僕がばかだった」「今夜行ってもいいかい」などという内容の歌がほとんどなのに、この歌はそういったことに一切触れず「もう一度君を愛することから始めたい」という気持ちを歌っているように思われたからだ。
002.jpg
相手の気持ちへの配慮(忖度?)が全く語られていないのは、独善的であるということと紙一重のような気もするが、相手が自分の思いを受け入れてくれなくても仕方ない、ただ今日自分が苦しみの上にたどり着いた気持ちを淡々と述べただけだとすると、究極の無私の愛の歌だと言うと言い過ぎかな。この歌は「神への愛」を歌ったものだという説を述べている御仁がいて、全面的には賛同できない気もするが、キリスト教の国では究極にはそうなるのかとも思う。
003.jpg
歌う人聴く人によって、それぞれ自分の置かれた状況に応じて解釈することが出来る歌であるからこそ、シングルのB面に入れられていた地味な歌なのに、多くのシンガーによってカヴァーされているということなのかも知れない。
004.jpg
この歌はrefrain1つとverse1つのシンプルな構成である。アメリカの多くのトラディショナルな歌は、先ず皆で唱和するrefrain部といくつかのverseによって成立しているのが伝統的な形と思っていたが、そう決まっているわけでもないのだと思った。そういえば40年代のカントリーソングには短いものも多いのかもしれないと思ったので、またおいおい調べてみようと思ったことだ。


youtubeはたくさんある中で以下のものを紹介しておく。

Merle Haggard - Today I Started Loving You Again
https://www.youtube.com/watch?v=7PY2yW9Biyo
Today I Started Loving You Again· Emmylou Harris
https://www.youtube.com/watch?v=Nxc7ZkGJsZk
Sheryl Crow & Willie Nelson - "Today I Started Lovin' You Again"
https://www.youtube.com/watch?v=2wWeLRdQVGA
John Fogerty - Today I Started Loving You Again.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=pCQYquSFKok

2度目の恋(大意。原詩は検索してみて下さい。)

今日私は、再びあなたを愛し始めた
私はこれまでずっといたところに戻ってきたんだ
心の痛手を癒すのに十分な時間あなたを忘れようとしてきた
そして今日、私は再びあなたを愛し始めたんだ

何百万粒の涙を流しさえすればなんとか生きていけるだろうと考えた
私はなんて愚かだったのだろう
私は気づくべきだったんだ 最悪の事態はまだ来ていないことを
そして私にとって本当につらい涙を流す時は始まったばかりだということを

今日私は、再びあなたを愛し始めた
私はこれまでずっといたところに戻ってきたんだ
心の痛手を癒すのに十分な時間あなたを忘れようとしてきた
そして今日、私は再びあなたを愛し始めたんだ


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Four Strong Winds(風は激しく) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.73 [20世紀の歌Ⅱ]

Four Strong Winds
   written by Ian Tyson
001.jpg

少し前に Mary Chapin Carpenter がリモートでこの歌を遠く離れた仲間と一緒に歌っている動画を観た。
Edmonton Folk Music Festival Four Strong Winds Sing-a-Long, with Mary Chapin Carpenter
https://www.youtube.com/watch?v=dwNeJhMCWWw
Mary Chapin Carpenter
010.jpg
彼女自身はカナダの人ではないようだが、カナダのアルバータ州にあるエドモントで毎年開かれているフォーク・フェスティバルがコロナ禍の関係で開催されないので、フェスティバルを待ち望む人たちへのオマージュとして作られたもののようだった。この歌がカナダ・アルバータを象徴しているものだということに改めて感銘を受けた。前に「孤独の旅路(Heart of Gold)」について書いた時、ニール・ヤングがこの歌をよく取り上げ、彼の持ち歌になっているかのようだとも書いたことを思い出した。
002.jpg
003.jpg
この歌はカナダのフォーク・デュオ "Ian & Silvia" の曲であるが、最初に録音したのは "Brothers Four" だったらしい。私もそれでたぶん高校生の頃聴いたと思う。下のEP盤のジャケットには見覚えがあるかも。
004.jpg
初期の"Ian & Silvia"を初めて聴いたのは大学生の終わりごろ輸入盤の2in1のCDを見つけてからだと思う。それまで日本盤で出ていたカントリーロック風になってからのものは一つ持っていたけれども。男女のデュオだからかコーラスのとり方が独特で、PP&MやS&Gに比べるとややなじめなかった気がする。パイオニアだからなのかちょっと凝りすぎたきらいがあると思うのは私だけかもしれないが。

歌の内容は、かつて恋人であった女性を故郷に残して、仕事を求めてアルバータに行く。生活が安定したら呼び寄せて一緒に暮らしたいと願うが、現実は厳しく…、といったところだろうか。前に取り上げた"Summer Wages" も似たような趣旨の歌だったような気がするが、いつもテンガロンを被って歌っているイアンは歌の主人公をさすらいのカウボーイ風に設定したい志向があるのかな(笑)。この歌がカナダの第二の国歌(と言えば大げさだが)のように愛されているというのはちょっと不思議だ。ガスリーの「我が祖国(THIS LAND IS YOUR LAND)」がアメリカの国とそこに生きる人々を歌ったものであるというのとは少し違うからだが、リフレインの歌詞に激しい風と荒海に囲まれ、冬は雪に閉ざされるカナダの国土で、自然と戦いながら生きる人々の姿を重ねるからだろうか。もちろん、イアンがカナダフォーク界のレジェンドであることや、ニール・ヤングの功績も大きいのだろうが。
アルバータ(webより)。
005.jpg
006.jpg
蛇足だが、中学生の頃聴いた森山良子のアルバムに"Song for Canada"という歌があり、後になってそれがイアン・タイソンの作と知った。カナダのケベックがフランス系の移民とイギリス系の移民でいがみ合っていることを憂えた歌らしい。その中に "Two nations in the land, that lies along its shore. But just one river rolling free."という一節があって、こちらの方が民族の融和を歌っているようにも思うが、あまりに政治的過ぎて万人に受け入れにくいのかなとも思われた。

youtubeは以下のものを。他にもたくさんあるので調べるとよい。

Ian & Sylvia ~ Memories ~ "Four Strong Winds"
https://www.youtube.com/watch?v=W--5urrdUsU
Ian and Sylvia - Four Strong Winds
https://www.youtube.com/watch?v=B3m7ckGhnsc
THE BROTHERS FOUR - FOUR STRONG WINDS
https://www.youtube.com/watch?v=B52Zl2AFh9E
Neil Young - Four Strong Winds (Live at Farm Aid 2004)
https://www.youtube.com/watch?v=7vWBvt9oaKc

おまけ
Song For Canada (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=J8CNSZx2fIc
カナダの歌 森山 良子
https://www.youtube.com/watch?v=M7KfD6otryA



風は激しく(大意。原詩は検索してみて下さい。)

**
4つの激しい風は地を吹き抜け
大地を取り巻く7つの海の波はあくまでも高い
すべての事象は変わらぬ営みを続けている
僕たちの良き日々は過ぎ去り
僕は新たな土地へ向かおうとしている
もう一度戻ってくることができたらまた君と会えるだろうか

僕はアルバータに行こうと考えている
秋には気候のいいところだ
友達も何人かいるし仕事にもありつけるだろう
でも今でも君が気持ちを変えてくれたらと願っている
それをもう一度君に告げたら…
でも今までも何度も同じことを繰り返してきたんだよね

**
4つの激しい風は地を吹き抜け
大地を取り巻く7つの海の波はあくまでも高い
すべての事象は変わらぬ営みを続けている
僕たちの良き日々は過ぎ去り
僕は新たな土地へ向かおうとしている
もう一度戻ってくることができたらまた君と会えるだろうか

もし雪が降りだす前にそこに行けたら
そこでの暮らしがうまく行くようだったら
僕が汽車賃を送ったら君に来てもらえるかもしれない
でもその頃にはもう冬になっていて
君がすることはあまりないだろう
あの激しい風がそこにはきっと吹きすさんでいるから

**
4つの激しい風は地を吹き抜け
大地を取り巻く7つの海の波はあくまでも高い
すべての事象は変わらぬ営みを続けている
僕たちの良き日々は過ぎ去り
僕は新たな土地へ向かおうとしている
もう一度戻ってくることができたらまた君と会えるだろうか



Ian & Sylvia - Greatest Hits


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

PARADISE [私の好きな20世紀の唄たち] vol.72 [20世紀の歌Ⅱ] [20世紀の歌Ⅱ]

PARADISE
written by John Prine
001.jpg
カントリー・フォーク・シンガーのジョン・プラインが4月7日に亡くなった。死因がCOVID-19による合併症の為だったということに驚いた。二度の癌手術を受けていたためということもあるだろうが、3月26日に入院してから2週間足らずの死であった。改めて今回のコロナウィルスの重篤化の速さを恐ろしく思った。
近年のJohn Prine
002.jpg
彼についてよく知っていたわけではなかった。セルダム・シーンがAct 2で取り上げて知ってはいたが、アルバムの中の一曲という認識でしかなかったのだった。長田弘の『アメリカの心の歌』で彼のことが取り上げられていたので聴いてみようと2枚のアルバムを買ったのはもう10年ぐらい前だっただろうか。何度か聞いたのだがそれっきりで、忙しさにかまけて?CD棚の肥やしになっていた。今回彼のことを改めて調べていく中で、実は他の何曲かもよく聴いていたということに気づいた。"Other Voices, Other Rooms" (93)でナンシーと歌っている"Speed Of The Sound Of Loneliness"や
Nitty Gritty Dirt Bandの "Will The Circle Be Unbroken (Volume Two)"(89)で本人が歌っている "Grandpa Was A Carpenter" などである。
003 bonnie-raitt-john-prine.jpg
005 nancy.jpg
また、だいぶ前に "THE DUTCHMAN" という歌について書いた時に、スティーヴ・グッドマンの追悼アルバムを買ったのだが、そのライナー・ノートを書き、アルバムの中で4曲も歌っていたのがジョンだったということを改めて知って驚き、無頓着・無自覚でいたわが身を恥じたが、その時は違うところに興味が行っていたので仕方ないとも思う。気づいた時点で学び直すしかないね(笑)。二人の親交ぶりやスティーヴがジョンのギターの先生だった?ことなど、興味深いことがいろいろ解ったのはよかった。
004 john and steve.jpg
さて "PARADISE" であるが、「天国」のことではなくて、西ケンタッキーにあった炭鉱町の名であった。事実をもとにした歌かどうかは定かでないが、ジョンの父親の生まれ故郷がこの街で、炭鉱が閉鎖されてからイリノイに転居し、ジョンが生まれたのだろうか。先に挙げた "Grandpa Was A Carpenter" は「僕のおじいちゃんは大工だった」という歌なので、彼は自身を「大工の孫で炭鉱夫の息子」に擬していると見ることもできるのかな。カントリー・シンガーの原点とでもいう位置にみずからを置いて、その視点から様々な曲を書いているのだと言えるのかもしれない。そして私は自分の祖父が鍛冶屋だったことをそれに重ねたりする。石炭というかつては時代の先端を行くエネルギー産業のために、美しい風土を破壊し、用がなくなったら廃棄していくという現代(アメリカ)社会の在り方に対する批判の目がそこにはある。だが彼はそれを声高に叫ぶのではなく、ただありのままを少しユーモアを込めて語っているように見える。

彼の歌は時に難解な歌詞も多くて、理解できないでいるものも多いが、残りの人生の中で少しずつ読み解いていきたいと思ったことだ。課題曲は少なくなさそうである(笑)。

youtube は本人のものと早くからカヴァーしたものを。
Paradise John Prine
https://www.youtube.com/watch?v=DEy6EuZp9IY
John Denver - Paradise (with lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=9hFDgSOf53M
The Seldom Scene - Paradise - 1974
https://www.youtube.com/watch?v=xHVCvRm60ao
おまけ。ボニーとアリソン。
Angel from Montgomery Bonnie Raitt and Alison Krauss
https://www.youtube.com/watch?v=olLKuxOVMzY

歌に沿って街を探索した記事があって面白いので引用しておく。
A trip to Paradise

パラダイス (大意。原詩は検索してみて下さい。)

子供の頃両親が生まれた西ケンタッキーに
一家で旅をした
その時見たさびれた古い町を今でも思い出す
記憶が擦り切れるくらい何度も

***
父さん、俺をまたミューレンバーグ郡に連れて行ってよ
パラダイスという街があるグリーン川のほとりに
息子よ、すまない 今言われてももう遅いよ
ピーボディの石炭列車が全て運び去ってしまったんだよ

時にはグリーン川のすぐそばまで行ってみたこともあったんだ
エイドリー・ヒルの廃墟になった古い監獄の跡にも
そこは蛇のような匂いのする所で俺達はピストルの試し撃ちをした
でも撃ち殺したのはサイダーの空き瓶だけだった

石炭の採掘会社が世界一の巨大シャベルを持ってやって来て
樹々をなぎ倒し大地を丸裸にしてしまった
奴らは大地が使い物にならなくなるまで石炭を掘り尽くして
それが人類の進歩だとまで言ったんだ

俺が死んだらその灰をグリーン川に流してくれ
俺の魂をロチェスター・ダムまで運んでくれ
俺はパラダイスが待っている天国への道の半ばにいる
俺がいるところからいつもほんの5マイルほど先にあるのさ


John Prine


Steve Goodman Tribute


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

泥水に首まで "Up To My Neck In High Muddy Waters" [私の好きな20世紀の唄たち] vol.71 [20世紀の歌Ⅱ]

"Up To My Neck In High Muddy Waters"
written by John Herald / Frank Wakefield / Robert Yellin
001.jpg
この曲を書いたのはニューヨークのブルーグラス・バンド "The Greenbriar Boys" のメンバー達のようだ。大学に入ってブルーグラスをやり始めた頃、先輩たちからいくつかのアルバムを借りてテープに録って何度も聴いた。たぶん71年に出された "Best Package" の2枚組LPだったと思う。彼らが出した3枚のアルバムのうち2枚を編集したもので、ラルフ・リンズラーがいた前期(62)のものと、フランク・ウェイクフィールドが加入した後のアルバム(66)からとられている。前期のものが素朴でトラディショナルな感じだったのに対して、後期のものはよりプログレッシブなアレンジが施されていて、同じバンドでも随分違うんだなと思って聴いていた。就職してCDが買えるようになってから、彼らのアルバムを探して何度か買ったが、どれもコンピレーション・アルバムで、オリジナルを聴けずにいる(笑)。
002.jpg
この曲は "Better Late Than Never!" というアルバムに入っていて、他にもマイク・ネスミスの "Different Drum"(悲しきロックビート)も収録されているが、どちらもストーン・ポニー時代のリンダが取り上げていて、彼女の選ぶ曲を好んでいる自分であることよ、とここでも思ってしまう(笑)。
003.jpg
クレジットでは3人の共作ということになっているが、たぶんジョン・ヘラルドが中心になって作られたのだろうと思う。洪水に遭って濁流に飲み込まれながら、岸辺にたどり着こうともがいている姿が描かれているように思うが、歌詞を検索すると、聴き取りで書いている為か何ヵ所か齟齬のある部分があり、いろいろ考えてしまう。ひょっとして"higher Ground"が天国だとしたら、必死に生き延びようとしている歌ではなく、過酷なこの世に絶望して天国に召されることを願っている歌なのかもしれない、と思うようになった。

ブルーグラスのアルバムだが、この曲はバンジョーのボブ・イエリンがスリー・フィンガーのギターで間奏とバッキングをしている。学生時代からずっとやりたいと思いながら、バンジョーにこの曲はギターに持ち替えてとは言えずにずっとやることはなかった。最近ギターの方とセッションする機会が出来て、この曲をリクエストしたら、実に40年越しにレコードに近い感じで演奏することが出来たのは嬉しかった。

ネットで検索してもそれほど多くのカヴァーがあるわけでもなく、地味な曲なのかも知れないが、私の中では学生時代からずっと心の片隅に残っていた愛着深い歌である。様々な解釈ができる歌だが、自分としては死の瞬間まで何かを求めて生き続けようともがいている歌と思って、歌っていきたいと思っている。


youtubeは以下のものを。
Greenbriar Boys ~ Up To My Neck In High Muddy Water
https://www.youtube.com/watch?v=TfoDY8wLRmI

Linda Ronstadt · Stone Poneys [Up To My Neck In] High Muddy Water
https://www.youtube.com/watch?v=hQYDuf7b5Iw

Happy Traum High Muddy Water
https://www.youtube.com/watch?v=l0J9PNq4QNk

泥水に首まで(大意。原詩は検索してみて下さい)

…俺は今岸辺に向かって泳いでいる
俺にはまだやるべきことがあるから
この身はまだ泥水に首まで浸かっているのだけど…

今河の流れは深くて広い
こんな状態では持ちこたえられそうにない
でももう少し時間を掛けることができたら
きっとたどり着けるだろう

遠くの景色がかすかに揺らいで
泥水の容赦ない音が聞こえてくる
何かを語っているようで
俺はより高いところに向かっている

今陽がようやく上ってきた
だが俺はようやく心の安らぎを得ている
あふれる濁流が俺には苦痛で(俺の定め)
俺はようやく終わりにたどり着こうとしている

さあ、今俺は岸辺に向かって泳ごうとしている
俺にはこれからやるべきことが分かっている
この身はまだ泥水に首まで浸かっているのだから…

Deep water was my fate
Deep water was my pain
Deep water washed my face


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

Mona Lisa [私の好きな20世紀の唄たち] vol.70  [20世紀の歌Ⅱ]

Mona Lisa
001.jpg
Words & Music by Jay Livingston & Ray Evans
Recorded by Nat "King" Cole, 1950
002.jpg
「モナ・リザ(Mona Lisa)」は言わずと知れたジャズ・ピアニストでシンガーとして著名な、ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919~1965年)が1950年に発表した曲であるが、私が初めてこの曲を知ったのは、カントリーのシンガー(&ソングライター)であるウィリー・ネルソンが、1980年頃出したスタンダード・アルバムの中に入っていたものからだった。ジャズ・スタンダードの門外漢だった私にとって、Stardust (1978)・Somewhere Over the Rainbow (1981)・Always on My Mind (1982)・Without a Song (1983)などのアルバムは当時格好の入門書でもあった。
003.jpg
一方、本家本元のナット・キング・コールの方は、名前はよく知っていたのだが、時々ラジオで聞く程度であった。ブルーグラスとジャズ・ボーカルではテンポがかなり違うので当時は冗長に思えたのだろうと思う。女性ボーカル好きの私なので、1991年に娘のナタリー・コールが出したナットとの仮想デュエットの曲を含んだアルバム "Unforgettable" はよく聴いていて、そこからナットを「再発見」していったのかな。やっとこの年になってジャズ・ボーカルをしんみり聴けるようになったのかなと思う。でも、いざ自分が歌うとなるとまだまだ性急なリズムになってしまうけど(笑)。
004.jpg
絵画を題材にした歌は、本稿でも前に紹介したドン・マクリーンの "Starry Night" があるが、あれは数々の慈愛に満ちた名画を描いたヴィンセント・ヴァン・ゴッホのことを書いた歌であった。この歌はダビンチの描いたモナ・リザを称賛した歌なのかと思っていたが、歌詞を改めてよく読んでみると、モナ・リザのように神秘的で美しい微笑みをたたえた女性が描かれていたのだと分かった。美しすぎる女性は、ともすれば周囲から遠巻きにされて、恋が成就しないということは現実の世界でもありがちなことなのかもしれない。
005.jpg

youtubeはナット・キング・コールのものを含めていくつか。
Nat King Cole - Mona Lisa
https://www.youtube.com/watch?v=NIDX18Xl16s
Willie Nelson Mona Lisa
https://www.youtube.com/watch?v=ZvjqMt2nwno
Mona Lisa - Natalie Cole
https://www.youtube.com/watch?v=kod8qKfwepk


モナ・リザ (大意。原詩は検索してみてくださいね)

モナ・リザ、モナ・リザ、男たちはお前をそう呼ぶ
お前は実に神秘的な微笑みをたたえたあの女性のようだ
お前の微笑みの中にあるモナ・リザのような冷ややかさのために
男たちはお前をなじるけど
それはお前が孤独でいるからなのかい?

モナ・リザ、お前は恋人を誘惑するために微笑んでいるのか
それとも傷ついた内心を隠そうとしているしぐさなのか

多くの男たちの夢がお前の扉の前で閉ざされ
それらはただそこに残され朽ち果ててしまう

お前は生身の人間?実在の女?モナ・リザよ
それとも冷たく孤独で美しい、絵の中の女なのか?


ナット・キング・コール・ベスト


Somewhere Over the Rainbow


アンフォゲッタブル


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽
前の20件 | - 20世紀の歌Ⅱ ブログトップ