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0524 「千畳敷」「元乃隅神社」&「長門峡」@山口県長門市 [旅日記]

海に向かって伸びる「元乃隅(稲成)神社」の千本鳥居。
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角島大橋から元乃隅神社までは30kmほどなので、とりあえず近くまで車を走らせることにした。R191は快適な道だったがドライブインは少なかった。一つ車が数台停まっている食堂があったが、それを逃したらとんと出会わなくなった。高速道路やバイパスが増えたためか、旧来の国道はさびれる一方のような気がする。しかたなく先を急ぐことにした。元乃隅神社の近くに「千畳敷」という景勝地があるので、先にそちらに回ることにした。12時半過ぎに「千畳敷」に着いた。
すぐ近くに「へき千年の森」という所があった。
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何の説明もないので千年続いている森なのかな、と思ってしばらく佇んでいたが。後で調べると「未来に残す森をつくり、森林への理解や自然を愛する心を育てよう」という趣旨でこの付近にいくつか整備している森の一つだったようだ。「へき」もよくわからないが「碧」(深い緑)という意味なのかな。居心地のよさそうな森ではあった。
「千畳敷」。
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「千畳敷」という名から、広い岩の棚が続く海岸かな、と思っていたが、実際は「標高333mの高台に広がる草原の地」であった。キャンプ場もあり、すがすがしい風が吹きわたっていた。森林として使われなかったのは風が強いからかもしれない。
日本海の海や島々が見渡せるすばらしいパノラマ。
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昼食はほぼあきらめていたのだが、思いがけず素敵なカフェがあった。「千畳敷カントリーキッチン」といって、出来て30年になるそうだが、若いスタッフたちだったので二代目なのかな?カレー(サラダ付)を頂いたが本格的なものだった。昼を食いっぱぐれずに済んだどころか良い店に出会えてよかった。
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13時半に千畳敷を出て20分ほど細い農道のような道を走ると、海岸に出た。そして赤い鳥居が目に飛び込んできた。「元乃隅稲成神社」だった。
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海に迫った場所に赤い千本鳥居が鮮やかに並んでいた。
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この二つの島の間の洞門からは「龍宮の潮吹」といって潮が高く吹き上がるそうだが。
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この神社は昭和30年に地域の網元であった岡村斉さんの枕元に白狐が現れ、「吾をこの地に鎮祭せよ。」というお告げがあったことにより建てられた神社だそうだ。「稲荷」でなく「稲成」となっているのは、津和野にある「太皷谷稲成神社」から分霊されたからだという。宗教法人ではなく、神社本庁にも所属していない異色の神社ではある。

今では「元乃隅神社」と改名されているようで、2015年にCNNによって「Japan's 31 most beautiful places」(日本の最も美しい場所31選)の一つとして選ばれたため、外国人観光客が殺到するようになり、外国人にも分かり易くと短くしたとのこと。下関からR191の豊浦町付近を走っていると、右手に赤い鳥居が見え、「ここかな」と一瞬思ったけど、そこは「福徳稲荷神社」といって元乃隅神社よりはるかに古くからの歴史ある神社で、こちらも絶景らしいのだが、やや遅れをとっているかに見えるのは残念なことである。世間の脚光を浴びるか否かの分かれ目は、案外こういうところにあるんだろうな。
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神社を後にしたのは14時半ごろ。次に行こうとしているのは「長門峡」。「ながときょう」と読むのだと思っていたが、「ちょうもんきょう」が正しいそうだ。漢文読みだね。
ナビに従って萩市郊外から県道32を南下していると、「萩往還」といういかめしい名の道の駅があり、ちょっと立ち寄った。
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江戸時代、参勤交代の「御成道(おなりみち)」として萩(萩市)と三田尻港(防府市)をほぼ直線で結ぶ街道として開かれた道だそうだ(全長およそ53km)。
幕末の志士達の像。
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吉田松陰記念館。
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そこを出てR262からR9に入り、道の駅「長門峡」に入ったのが16時半。なんとか明るいうちに散策できそうだ。ここは、中原中也の「冬の長門峡」という詩で知っていて、機会があれば立ち寄りたいと思っていたのだった。それでは「初夏の長門峡」の景色をいくつか。
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入り口の橋の下には大きなヤマボウシが。
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中也が泊まったと思われる「洗心館」。残念なことに2012年に閉じられたそうだ。
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その前にあった中也の「冬の長門峡」の詩碑。
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渓谷としてはやや地味であったが、全長5kmの遊歩道は閑寂で、ゆっくり歩きたいと思わせてくれた。実際は3分の1を往復しただけだったけど(笑)。
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道の駅に戻ると、売店で最近話題になった「おからパウダー」と「おからクッキー」を売っていたのでお土産に買った。
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道の駅を出たのが17時半。津和野あたりにもう一泊とも思ったが、元来のケチ根性と、もう十分観光をしたという思いもあったので長躯帰ることに決めた。しかも地道中心で(笑)。
R9~R315~R376と走り継いで玖珂ICの手前でR2に出た。その後バイパス中心に走って広島を抜けたが、三原市まで来たとき10時を過ぎていたので、これではいつ着くか分からないと思って、本郷ICから高速に入った。龍野西ICを出たのが0時半過ぎ(2880円)。神戸まで帰って来たのは深夜2時を過ぎていた。

2.5日の充実しすぎる旅であった。総走行距離1350km。総高速代約11000円。もう少しのんびりした旅はできないものかねえ。

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0524 関門海峡~角島大橋 [旅日記]

やはり「角島大橋」はここからがベストポジション?
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前日の行程がハードだったのか目が覚めたのは7時半。それでも8時前には宿を出た。駅の近くに高いタワーが見えたので近づいてみた。「海峡メッセ下関」とあったが、高い部分は「海峡ゆめタワー」といって高さ153mあるそうだ。
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駅にも行ってみたが、ぐるっと廻ってみても正面玄関らしきものが見当たらなかった。不思議な構造に見えた。前日の轍を踏んではならないとは思いながら、関門橋だけでも見ようとR9を東へ。
下関港。
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関門橋をくぐった所に駐車場があった。「関門トンネル人道入り口」とあった。
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歩行者は無料、自転車は20円だそうだ。
道路を挟んだ海岸沿いは「壇ノ浦古戦場跡」となっていた。
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5台の大砲が海峡に向かって並んでいた。
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幕末の攘夷戦で使われた「天保製長州砲」の精密な模型だそうだ。ここでの惨敗から明治維新への道が始まったのだと思った。
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すぐ近くに下関の街が俯瞰できる展望台があるようなので、車で上がってみた。「火の山公園」の「火の山展望台」という所でロープウェイも運行しているようだ。朝早いためか駐車場には車はほとんどいなかった。
眺望は素晴らしいものだった。
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しばらく眺めていると、橋の向こうから大きな船が近づいてきた。下でカメラマンのおっちゃんが「~船がもうすぐ通るよ」と言っていたのがこれだった。
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「ダイヤモンド・プリンセス」といって、日本で建造され船籍は英国の豪華客船だった。神戸港発 / 神戸着で高知・広島・松山・油津・釜山などを一週間で周遊しているのだと後で知った。

さて先を急がねば、と9時半には下関を発ち、前日通った道を角島に向かった。あれ、巌流島にも立ち寄ろうと思ってたっけ。車の旅は立ち寄るところを精選しなくてはね。

11時過ぎに角島の5km手前の道の駅「北浦街道豊北」に着いた。ここからも大橋が遠望できる。
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ここで食事をとも思ったが、金曜日にも関わらずお客さんも多く、この後角島に向かうのだろうと思ったので先を急ぐことにした。

11時半に大橋のたもとに到着。橋の少し手前に昼食をと思っていたお店があったが閉まっていた。
そこから撮った写真。
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前日の夕方と明らかに違うエメラルドグリーンの海が広がっていた。やはり光の当たり方で全然海の色は変るんだなあ。
前日目星をつけていたビュー・ポイントへと右手の側道を上がってみるとすでに何台かの車が路側に停められていた。まだ休日のような混雑にはなっていなかったが。
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これは後で橋の側からその高台のビューポイントを撮ったもの。
パンフやwebで観たのはここから写真だったんだ、と思いながら撮った写真をいくつか。
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橋もまた渡ってみた。車もまだ少なくてゆっくり走ることができた。
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12時近くまでいたが、まだ昼も食べていない。次の立ち寄り所「元乃隅神社」に向かって車を走らせつつランチのお店を探すことにした。(続く)
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0523 柳井・周防大島~角島大橋~下関 [旅日記]

柳井市の「白壁の町並み」の金魚ちょうちん。
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9時過ぎに妹背の滝を後にして、大野IC~玖珂ICまで高速(1000円)で。
玖珂PA。モテナス玖珂のモテナスは最近躍進している?サービスエリアのブランドだそうだ。
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9:45玖珂ICに着き南下するが、柳井市のすぐ横に周防大島があり、大島大橋は去年事故による断水等でニュースになっていたところだった。地図で見ると小さい島で近いと思ったので先に立ち寄ってみることにした。
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周防大橋。美しいトラス橋だ。
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橋を撮って帰ればよかったのかなと後で思ったが、島の中ほどに「道の駅サザンセトとうわ」があり、そこまで足を延ばしてみた。実際は往復40kmで立ち寄るにはちと遠かったが。
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11時に道の駅に到着。島は金魚のような形で長さは隠岐の島後より長かったのだった。
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景色は素晴らしかった。真宮島(しんぐうじま)は潮が引くと歩いて渡れるとか。確か小豆島にもエンジェルロードというのがあったな。

店長おすすめ定食が美味しかったので良しとするか。ただ帰りもオレンジロードを通ってみようとして道が分からなくなったり、文殊山(662m)の山頂駐車場に苦労して行くと、更に歩いて登らなくてはならなかったりとうまくいかなかった。最低半日を見なくてはならなかったなあと少し反省。
文殊堂とそこからの眺め。
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かくして柳井駅に着いたのは1時半になっていた。柳井駅は質素な駅に見えた。
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柳井市については、福岡の柳川市と紛らわしいので、少し調べたことがあって頭に残っていた。江戸時代には岩国吉川家(岩国領)の領地で、「岩国吉川領の御納戸」と称された昔の繁栄が偲ばれる「白壁の町並み」が国の伝統的建造物群保存地区となっているようだ。
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それぞれの家の軒先に赤い金魚がぶら下がっていた。「金魚ちょうちん」というようで、この町並みのシンボルになっているみたいだ。
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後で調べてみると、金魚ちょうちんの誕生はおよそ150年前、まだ白壁の町が現役だった頃、柳井の染色職人が青森のねぶたをヒントに作ったといわれる。一旦途切れたこの風習が復活したのは戦後になってからで、その立役者が河村信男という方だそうだ。「河村信男工房」の看板があったが、それは信男さんのご次男が引き継いだものらしい。
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路地で絵を描いている人がいた。
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柳井の地名発祥の地「柳と井戸」。
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この日は5月なのに30℃を超える暑さだったが、町並みを見終えたときはもう3時前になっていた。
この後は長門の「千畳敷公園」「角島大橋」を廻って下関に泊まる予定だったが、寄り道の方が長くなってしまった。まあ、とりあえず少し急いで近くまで行ってみようと玖珂IC~美祢IC(2,710円)と高速に乗り、R435を飛ばして走ると、5時ごろに角島大橋に着くことが出来た。5月の半ば過ぎなので日が長くてよかった。
橋の手前にリゾートホテルがあり、その導入路に車を停めて写真を撮ってみた。
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ここに泊まるのもありだな、と後で思った。
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橋のたもとには無料駐車場や遊歩道もあって観光客にやさしい。何より通行無料なので何往復も出来る(笑)。逆に言うと週末に人が殺到してとんでもないことになる一因でもあるのだろう。
いくつか写真を。
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角島灯台。
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晴れてはいたが夕方なので、エメラルドグリーンの海は望むべくもなかったが、この時間帯もそれはそれで悪くなかった。橋の後ろの丘の上では日没を待つカメラマンが二人いるのが見えた。辛抱強くシャッターチャンスを待つというようなことは自分には出来そうもないので、6時過ぎには切り上げて下関に向かうことにした。明日も晴れてもう一回来ることになったら、あの丘の上から写真を撮ってみようと思いながら。

橋から下関の市街までは60kmほどの道程。下関まで10kmほどまで来た7時ごろ、西の空が赤くなっていたのでふと見ると、ちょうど夕日が沈むところだった。あのカメラマンたちはこれをねらっていたんだろうな。
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7時半ごろ宿に着いた。ホテルは代替わりしていてナビになく、ちょっと困った。岬之町を「はなのちょう」と読むのは思いつかなかったなあ。近所の居酒屋で軽く飲んだら速攻で眠りについた。
明日は角島に再トライするぞっと。(続く)

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0523 「妹背の滝」@ 広島県廿日市市大野字滝山 [旅日記]

「妹背の滝」@ 広島県廿日市市大野字滝山
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広島~山口 2泊2.5日の旅vol.1

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しばらく好天が続きそうなので、前から行ってみたかった「角島大橋」に行ってみようと22日の昼過ぎに家を出た。私の地道の旅では広島以西には行ったことがなく、夕方のフェリーで北九州に行き、そこから引き返しながら観光するというアイディアも考えたのだが、やはり車を載せると少々お高いので断念。以前、阿蘇のカントリー・ゴールドと鹿児島旅行でその方法をとったが、今でもいい案だとは思っている。

朝出てもどうせその日は移動日になるし、ということで、加古川・姫路バイパスと走り、龍野西~福山西(3,510円)だけ高速を使った。そこからは時々地道の部分があるが、バイパス中心で広島まで行けてしまう。バイパスの入り口を見逃さないことが大事。ナビが古いとそこが難点か。
三原付近から見た瀬戸内の海。
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夕方7時にはホテルに着いた。少し遅めに市内に入るほうが渋滞が少ないことも改めて体験できた。この日泊まったホテルはアウトバス・タイプという、バストイレのない部屋もあって、少しお安くなっている。大浴場で構わないなら、選択肢の一つと思った。ゲストハウスと同じ発想かな。
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夕食を食べがてらぶらぶらしたが、繁華街のコインパーキングの料金体系に驚いた。
こんな感じ。
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午前1時まで飲んで、車で帰るの?と思わず呟いたけど、地域によってこんなに違うんだと思ったことだよ。
カープ・グッズの置いてあるコンビニ。さすがは広島。
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朝6時前に目覚めたので早く宿を出た。途中どこに立ち寄るのかでいつも迷うのだが、とりあえず 「妹背の滝」を目指す。この滝は1年ほど前にwebで見つけて、今度広島方面に行ったら立ち寄ろうと、スマホにメールしていたのを思い出したのだ。アルツ気味の身には良いやり方だ。メールしたのを忘れるという難点もあるけど(笑)。
宮島の対岸の廿日市市にあるので、西広島バイパスを通ってまず廿日市駅へ。
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真新しそうな駅は木材のまち廿日市市を表現して、天井空間に小屋組みが設置されている。
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R2を更に西に走り、大野というところで北上。山陽道の大野ICのすぐ近くに「大頭(おおがしら)神社」があった。
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変った名前だが、社の伝承によると「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐづち)を斬ったとき、その首が大山祇命と化したといい、首、即ち頭より成った大山祇を祀るため当神社を大頭神社と称した」ようだ。
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神社の脇を流れる川に沿って遊歩道があり、まず右手に見えるのが「雌滝」めんだき)。
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落差50mあるそうだが、この日はやや水量が少なかったのが残念。
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更に奥にある赤い橋を渡ると「雄滝」(おんだき)がある。二つあわせて夫婦滝になり「妹背の滝」と呼ばれる。雄滝は落差30mだが、水量も多くなかなか豪快な滝だ。
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展望台に上ってみた。
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幹線道路からすぐ近くにこんな滝が。夏は水遊びをする家族連れでにぎわうそうだが、この日は朝早かったせいもあってかほとんど人はいなかった。
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さて、滝を後にしたがまだ9時過ぎ。道すがらもう一箇所どこか立ち寄ろうと地図を見て、柳井市に行ってみることにしたが、先は長いのにふらふら彷徨っていて大丈夫かいな。(続く)

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映画『僕に、会いたかった』@TOHOシネマズ西宮OS [映画]

映画『僕に、会いたかった』@TOHOシネマズ西宮OS
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公開が始まったと思ったら、兵庫ではガーデンズのTOHOシネマズのみで、週が明けたらアサイチだけになっていたので慌てて観に行った。内容については事前にはさほど分からずに、隠岐の島がロケ地だということに惹かれて(笑)。これも一種の郷土愛なのかな?「故郷は遠くにありて思ふもの」を地でいっているのかも知れない。監督は平田市出身の錦織良成で、以前に 『白い船』(2002)と『渾身 KON-SHIN』(2013)を観たと思う。『白い船』は浜田あたりの海辺の小学校の生徒と沖を通る長距離フェリーの乗組員の交流を描いたものだったが、『渾身 KON-SHIN』の方は隠岐の島の我が村も舞台になっていた映画だった。

今回の作品は、隠岐の島でも私の出身地の島後ではなく、隣の島前が舞台になっている。そういえば去年観た映画『KOKORO』は知夫里島が舞台だったなあ。何か本筋から離れたところで話が進んでいる気もするが、実際映画で映し出された隠岐の島々の風景は美しかった。多くの映画人がロケ地に選ぶのも分かる気がする。
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物語は「ある事故をきっかけにして、島で一二を争う凄腕の漁師、徹は記憶を失ってしまう。母や島の人々はその後の日々を優しく見守る。本島から島へ来る留学生たちとの触れ合いの中で、徹の記憶は蘇るのか。島の愛は、人の心を救えるのだろうか…。」というもので、主人公徹役を"EXILE" のTAKAHIRO が演じているので話題になったようだが、私の興味がそこにあったわけでもなかった。
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記憶をなくした徹がそれに苦しみながら、島の人々に暖かく見守られながら、日々を過ごす過程は淡々とした日常風景として描かれていて、それはそれとして味わいがあったが、「島前高校」をモデルにした島の高校にやってきた内地留学生達が、里親を初めとした島の人々との触れあいの中で、少しずつ自分を取り戻していく様子が印象に残った。徹と留学生たちの群像劇としての自分探しの旅として観るのがいいのではないかと思ったことだよ。
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徹の母親役の松坂慶子、島の医師役の小市慢太郎が、バイプレイヤーとして実にいい味を出していた。二人ともこういうメジャーではないが意欲作といえる作品にはよく顔を出しているようだ。彼らの映画というものに対する姿勢というか情熱というものを、もう少し掘り下げて考えてみたいとも思った。
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過疎と高齢化に晒された地方の町が、どうやって再生することができるのか、都会では失われたかにも見える地域や隣人との絆というものがそこにはあるのか、などと島を出て50年経って帰ることもせず都会の片隅にしがみついているかのような自分も重ねながら、しみじみと観てしまった。

テーマソング「天使のはしご」を歌っている浜田真理子さんは、出雲市出身松江市在住の方で、地方都市で暮らしながら時々東京に出て音楽活動を続けている異色のシンガー・ソングライターだそうで、そういう音楽活動のやり方もあるのだ、と感銘を受けたが、映画の最終場面で隠岐の海上に射す「天使のはしご」の美しい映像と彼女の歌が重なって、この最後の場面に行き着くためにこれまでの物語はあったのだと強く思ったことだ。
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雲の隙間から差す光が
大地を照らし私を照らす
あなたがいる私がいる
たとえこの身体が消えてしまっても…

(浜田真理子「天使のはしご」より)

※写真はwebからいただきました。

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0518 "The Seldom O'gene" @ Kaz Camp(箕面市新稲 野外活動センター) [バンド]

0518 "The Seldom O'gene" @ Kaz Camp
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前週の新開地音楽祭に続いて、この日は去年から参加している箕面市野外活動センターでのKaz Camp Bluegrass Festival に参加しました。去年は午後1時過ぎの出演でした(0519 "The Seldom O'gene" @ Kaz Camp)が、今回は出番が17時とちょっと遅めで、もっと早いほうが気が楽なのにと思ったことだよ(笑)。
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西宮北口で昼を食べて、会場に着いたのは午後2時前。他のメンバーはすでに会場入りしている様子でした。入場手続きをしてとりあえず演奏を鑑賞。
1バンド20分で、数バンドの合間にジャムコーナーなどを挟むという構成。それが時間調整の役割も果たしているのかな?
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遠くから来ていらっしゃるバンドもいたし、さらにはタイからも去年に続いて出演されていました。
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紙面の都合で幾つかしか載せていませんので悪しからず。
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ミキシングやマイクセッティングの方々がてきぱきと対応されているので、遅延することは少なかったし、音響も素晴らしかったです。もちろん各バンドの演奏もね。
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さて、我がバンドですが、去年はいつもアビリーンでの "Hobo & Ohya Unit" で一緒に演っているH井君にマンドリンをお願いしましたが、今回は都合が悪いとのことで、これまた以前同じユニットで助けていただいたジャンボさんにヘルプをお願いし、"Jumbo & The Seldom O'gene" ということでやらせていただきました(笑)。
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直前の水曜日に合わせただけでやや不安を感じながらこの日に臨んだのでした。最近やり始めた曲が多かったので、直前の練習ではなにかしっくりいかない感じでしたが、本番ではなんとか大きな破綻もなく演奏を終えることが出来ました(たぶん笑)。

先日天国に召された John Starling に捧げるということで、彼の作った "Mean Mother Blues" をやりましたが、出来はともかく天国の彼に届けばいいなと頑張って演奏しました。後で何人かの方から声を掛けていただきましたが、"House of Gold" が一番評判が良かったようでした。「よかったよ」と言って頂けるのが一番励みになるので嬉しかったです。SCENE の曲ばかりもなんなので、40年前の宝塚で演った "I Shall Be Released" を、バンドに無理を言ってやってもらいました。このアレンジは割と気に入っています。

小高い郊外という場所ににあるせいかあまり暑くもなく、素晴らしい環境の中フェスを楽しむことができました。お世話になった方々には有難うという気持ちで一杯です。来年もこのバンドが続いていたらまた参加したいと思ったことでした。
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SET LIST(youtubeも聴いてみてください)

Mean Mother Blues (F)
https://www.youtube.com/watch?v=ZIRC4kfSxJ8
Another Lonesome Morning (G)
https://www.youtube.com/watch?v=rzKfhVJmW8c
Last Train From Poor Valley (G)
https://www.youtube.com/watch?v=eYFORuLqi7A
House of Gold (E)
https://www.youtube.com/watch?v=9FfS8H-68XA
I Shall Be Released (A)
https://www.youtube.com/watch?v=HHlHcnqjzJE

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0511 "The Seldom O'gene" @ 新開地音楽祭(Acoustic Live & Bar MILKYSOUND) [バンド]

"The Seldom O'gene" @ 新開地音楽祭
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新開地音楽祭には昨年から参加させていただいています。毎年この時期に二日間にわたって新開地周辺の20以上の会場で繰り広げられる様は圧巻ですね。前回はアート・ビレッジ・センター前で演らせていただきました(0512 "The Seldom O'gene"@神戸新開地音楽祭")。
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今回は湊川公園の隣にあるミナエンタウンという、昭和の香りのする商業施設ビルの中にある"Acoustic Live & Bar MILKYSOUND" というライブハウスでの演奏となりました。
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このビルの正式名称は「湊川公園ビル」というらしく、一部は13階建ての住宅にもなっているようですが、商業施設の部分は2階建てで、2階から地下1階までおそろしく入り組んだ構造になっています。同じビル内にある「アリス・ガーデン」というライブハウスで2年前からブルーグラス・ジャム会が催されていて、何度かお邪魔していたのですが、その時も行く毎に迷子になっていました(笑)。
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Acoustic Live & Bar MILKYSOUND
652-0811 神戸市兵庫区新開地1ー4ー3 ミナエンタウン地下1階
070-6543-8425
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私達のバンドはトップ・バッターで12時スタートだったので、11時にはお店に行ってマイクセッティングと簡単なリハをすることができました。2番手以降だと15分で入れ替えしなくてはいけないので、そこはラッキーだったかな。予定通り12時に余裕をもって演奏を演奏をスタートすることができました。
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ストリートやメトロと違って、ここは通りすがりに観るということが望めないことがやや難点ですね。順路の看板もありましたが、初めて入るのはやや勇気がいるかも(笑)。それでも、他の会場で出演されるナターシャ・ヘブンの面々や、いつも住吉川でウクレレを弾いていらっしゃるマハロk杉さん(初めてお名前を知った)がわざわざ来て下さいました。また、パンフレットをたどって来てくださったご夫婦の方からは「良い演奏だったよ」とお声を掛けていただき、「また7月に神崎川のアビリーンで演奏します」とお伝えしましたが、来てくれるかな?
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30分の演奏でしたが、予備も含めて計8曲も演奏してしまいました(笑)。一般のお客さんも来られるということで、"Take Me Home Country Road" や "Grandfather's Clock" 、"Hello Mary Lou" など比較的ポピュラーな曲を選んでお届けしましたが、喜んでいただけたかな。先日逝去されたセルダム・シーンのボーカリスト "John Starling" が作った "All The Way To Texas"を彼に捧げてということで演奏しましたが、天国に届いているといいなあ。

演奏が終わって、次の出演者である奈良の SSW である "Sachiyo" さんのステージを、ビールを飲みながらまったりと楽しみました。
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Sachiyo さんはどの曲も思いっきりの笑顔で歌っていらっしゃって、可愛い女の子でもそうなのに、おっさんバンドもせめてもう少し笑顔で演らなくてはね、と思ったことだよ(笑)。

珍しく、近くの中華屋さん「燕楽」で軽く打ち上げの昼食を摂って、帰りがてらメトロパークステージでのナターシャ・ヘブンの演奏を観ました。地下は雨でも大丈夫だし、お客さんも多くてちょっとうらやましかったです。
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その近くのメトロ新開地では、去年の芦屋ジャズフェスにも出演されていた「akko&たあやん」の演奏があったようです。時間が重なって観られなかったけど、わざわざ、開演前に挨拶に来ていただいて感激しました。手に入った写真だけを載せておきます。またyoutubeで聴けるかな。
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解散して電車で帰り、夕方住吉川を歩いていると、昼間来てくださったマハロさんがウクレレを弾いているのに遭遇しました。彼は昭和30年代に流行ったハワイアンをやられていたようで、ライブを観て刺激を受けたとおっしゃっていました。夙川にあるオコナというお店にもまた行ってみようと思いました。

こういう音楽祭は、何ヶ月も前にエントリーしなくてはならず、めんどくさがりの私にはなかなか腰が上がらないのですが、普段のライブとは違う新たな出会いもあるのが楽しいので、これからも頑張って出演できたらなあと思いました。来ていただいた皆様、素晴らしいミキシングをしていただいたマスター・スタッフの皆様、有難うございました。
オマケ。下見に伺ったときに撮っていただいた写真です。
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さて、次の週末は箕面のフェスがあるので、少し休んでまた練習しなくてはね。

0511 Set List

City Of New Orleans (D)
Take Me Home Country Road (G)
Grandfather's Clock (G)
Wait a Minute (B♭)
Hello Mary Lou (B♭)
Heaven (G)
All The Way To Texas (E♭)
https://www.youtube.com/watch?v=F6XYDEDXSDA
Pan Handle Country (C)

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0507 新緑の五助ダムへプチ山歩き [山歩き]

0507 新緑の五助ダム。
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毎日最低一万歩は歩いているが、山歩きは少しハードな運動になるからと二度の術後なので避けていた。前回山歩きをしたのは去年の11月17日に同じく「五助ダム」に行った時だからもう5ヶ月以上前だ。医者からは次の検診まで普通に生活せよとのことなので、徐々に山歩きもやろうと思っている。

とはいえ、いきなり六甲山上まではどうかと思い、前に住吉霊園の上から東に抜ける道を、途中で断念していたので、それを確かめるプチ山歩きを考えた。参考にしたのは「六甲山楽図」という六甲山の登山道をかなり網羅したマップである。
下の図はその一部のコピーである。
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住吉霊園を抜けて少し上の駐車スペースまで車で行く。
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そこから少し上ると、石切道の分岐に出る。左に進むと六甲山上へ、右に下ると御影・住吉と書いてある。
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前はどんどん下りて行くと、市街地に下りてしまうんじゃないかと思って引き返したが、後で地図を見ると、途中で左に折れると五助ダム方面に行けるはずである。11月に住吉川から登った時に、石切道との分岐があったので、今回は確信を持って進むことができた。これだけのことが分からなかった素人ではある(笑)。
霊園の東に沿ってガレ道を下りる。
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舗装道のウォーキングとはやはり負荷が違う。それでも30分足らずで五助ダムとの分岐に出られた。
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右に行くと住吉川に下りる。まっすぐ行くと横池方面、左に上ると五助ダムだ。
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新緑の五助ダムは、花は少ないが緑が鮮やかで目にしみた。
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この日は朝冷え込んだせいか、10時で8℃だった。
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しばらくたたずんでいると、鳥の声が聞こえてきた。その中に "whippoorwill" と鳴いているような声が聞こえたので、動画を撮ったが、二度と同じ声は聞こえなかった。撮りそびれたものをyoutubeにあげてみた。
https://youtu.be/rLFftyVdRwU
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2時間弱の山歩きだったが、ウォーキングより負荷のある歩行を楽しめた。これから少しずつ距離を伸ばしていきたい。何より新緑のおいしい空気が吸い込めて、少し元気になった気がした。
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その日の午後住吉川でまたカル親子を見た。5時ごろになってこの日のねぐらに決めたのか草むらの中に親が入っていって、雛も後に続き、親鳥の足元にすっかり入って見えなくなる様を見た。
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これで、外敵から家族を守り、すこやかな眠りに就くのだろうと思うと、野鳥の生存の知恵に改めて感心したのであったよ。

この日は三日月。夜の散歩中に西の空に浮かんでいたのが撮れた。
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翌日の夕方、もっと下流にカル親子がいた。小さな堰堤を乗り越えようと、まず親が越えて見せ、それに雛が続くのだが、一羽だけ越えられたものの他の雛は上がれずにいた。親はしばらく上から見つめていたけど、無理と思ったのか再び下に下りて、違うアクティビティ?を考えているように見えた。何か「千尋の谷に落とす獅子」を見た気がして妙に感動したのであったよ。
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スマホで撮ったものをyoutubeで。
https://youtu.be/LXBk3CFQLKY

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0502 「白毫寺」の藤~「福知山城」 [日帰り旅]

白毫寺の九尺ふじ。少し時期が早かったようだ。
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連休中はどこの観光地も人で一杯だろうとは思ったが、中日のこの日、天気も良かったので少し遠出してみることにした。行き先は最も渋滞しそうにない福知山方面とぼんやり決めて家を出た。

北六甲道路~中国縦貫~舞鶴道と渋滞なく走り、春日ICから一般道に。途中に藤で有名な 「白毫寺(びゃくごうじ)」(兵庫県丹波市市島町白毫寺709)があるので立ち寄ってみた。駐車場に入るのに何時間も待たなくてはならないと聞いていたので、無理するつもりはなかったのだが、早く出たせいか9時半ごろすんなり入れた。
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境内に入るとすぐ右手にあるのが「太鼓橋」。えらく急勾配な橋だが、「 この橋の手前が私たちの俗世界。反対側は仏たちの覚りの世界を表し、急勾配は、悟りへの道のりの厳しさを表現している」とのことだ。よく分からずに反対側から登ってしまったが、当分悟りの世界には行けそうにないのかな(笑)。
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庭に廻ると藤棚があった。
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白と紫の藤がきれいに咲いていたが、「これが白毫寺の藤?」って感じだった。
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それより庭の中に孔雀が飼われていて、そちらの方が目に付いた。
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網越しなのでうまく撮れなかったが、スマホだったら網目をくぐって撮れたかもと後で思った。

庭を抜けて裏に出ると、広い敷地が広がり、長さ120mの二段にわたる藤棚があった。これが「九尺藤」といわれるこのお寺の一番の見所の藤棚だったのだ。
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上の段はまだ咲き始めだし、下の段も九尺全て花が開いているわけではなかったのが残念だった。もう一週間経てば見頃になると思われた。
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石楠花はちょうど今が見頃だった。
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七福神に別れを告げて福知山に向かう。
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これで近辺の藤の名所を三箇所制覇したことになる。あとの二つは下のリンクで。

「野田藤」@春日神社
「葛井寺(ふじいでら)」の藤

福知山駅に11時ごろ着いた。前回来た時に行った、駅前にあるホテル「アールイン福知山」の1Fにあるレストラン「イル・プルチネッラ」に入ろうと思ったら、12時開店だったので、それまで駅前を少しぶらぶら。
JR福知山駅。
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駅前にはSLが飾られていた。「C11形式40号蒸気機関車」とある。
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昼食後、歩いて福知山城へ。片道1kmほどのウォーキングである。
福知山城遠望。
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去年来た時はもう夕方になっていたので、じっくり見ようと再訪したのだが、時間があるから丁寧に見るというわけでもなかった(笑)。
新たに見たものを2・3挙げてみる。
「転用石」。どれか分かるかな?石垣の石が足りず宝篋印塔、五輪塔などの石造物などを転用している。
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そう思って見ると至るところにあった。
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「豊磐井」。深さは50mもあり、城郭本丸内の井戸としては日本一の深さらしい。
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「銅門(あかがねもん)番所」。天守閣などは1986年に再建されたものだが、この番所は唯一残存する遺構で本丸横に移築されている。
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天守閣も再建されたものと思えない、木の壁などに風情を感じさせるものだった。
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3時前までぼんやりと城を愛でて、駅前まで歩いて戻り、帰途に就いた。

途中で貰ったパンフに「丹波市春日町野上野(のこの)」のれんげ畑が載っていたので立ち寄ってみた。
れんげ畑と鯉のぼりと親子の図。
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田植えをしているおばちゃんと愛車。
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蜜蜂の巣箱もいくつか置いてあった。れんげの蜜を吸わせる為?
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翌日の5月3日に「れんげまつり」があり、その後れんげ畑は鋤き込まれるらしいので、いいタイミングで見ることが出来たのはよかった。
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帰りは丹南篠山口IC~三田西ICだけ高速を走り、三田ウッディタウンを抜けて柳谷JCTまで地道を走ってみた。渋滞もなく早く帰れたので今後こちらに来る時は有効な道だと思ったことだよ。

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0501 東灘だんじり巡行 @ 神戸市東灘区(摂津本山駅) [日々の散策]

0501 東灘だんじり巡行 @ 神戸市東灘区(摂津本山駅)
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毎年GWのあたりに区内各地で実施されているようだが、今年はちょうど5月1日が新年号の「令和」がスタートするので、それに合わせて「令和元年兵庫県令和奉祝だんじり巡行(摂津本山)」と銘打って、JR摂津本山駅周辺をメイン会場に、神戸・阪神間のだんじり45台が集結する大イヴェントになったようだ。東灘区の各地域から32台、灘区から5台、芦屋市から5台、西宮市から2台、宝塚市から1台集まるらしい。
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10時過ぎに式典が始まるようなので、その前の比較的空いている時間帯に覗いて見ることにした。ここ数年、出かけたついでに見かけて写真を撮ったりしたが、45台も集結するとなるとさぞかし壮観だろうと思う。でも、45台の集結した様を俯瞰することは、近隣のビルの高いところから見ないと、ほぼ無理だと思うので、雰囲気だけを見て帰ろうと思っていた。
雨がポツポツする中、9時半ごろ摂津本山駅の北側の山手幹線にたどり着くと、すでに見物客がかなり集まっていた。山手幹線を一部通行止めにして道路の両脇から見物するというものだった。予想通りスターバックスはすでに見物客で満杯だった。
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そうこうするうちに、だんじりが1台2台と集まってきて、10数台になった。これだけでもなかなか壮観である。
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45台分を一挙に見るためには、ドローンを飛ばすしかないなあと思っていたら、本当にドローンが飛んでいたのでビックリ。関係者が許可を得て飛ばしたものだとは思うがどうだろう。
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しばらく見ていたが、空模様も怪しくなってきたので、全体像は後でニュースでも流すだろうと思って退散した。
摂津本山駅の改札口付近。どんどん見物客が来つつある模様。
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ドローンで撮影したものがyoutubeに上がってくるだろうと思っていたら、案の定出ていたのでリンクを貼っておく。

令和元年 新天皇陛下御即位 令和奉祝だんじり巡行 会場入場〜開会式〜奉祝巡行
https://www.youtube.com/watch?v=eoGnSR6Ssps

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3日後の5月4日の午後、住吉川を歩いていると、だんじりが通りかかったのでいくつか写真を撮った。川床から見上げたのは初めてだったのでちょっと新鮮だった。
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栴檀は双葉より芳し。
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0430 初カルガモ親子@ 住吉川 [日々の散策]

今年の初カルガモ親子@住吉川。4月中に見たのは初めて。
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平成最後の日のこの日だが、それほど感慨があるわけでもない。昭和生まれ昭和育ちの身にとっては、平成は通過点という感じでしかないのかなとも思う。平成の始まりはとあらためて調べてみると、1989年(昭和64年)1月8日(日)となっている。前日の1月7日(土)午前6時33分に昭和天皇の崩御があり、直ちに長男・皇太子明仁親王が即位し、第125代天皇となったようである。実は昭和天皇の崩御の日には信州ののスキー場(たぶん乗鞍)にいたと思われる。夜中に点けっぱなしのテレビが重々しい音楽と画像を流していた記憶があるのだが、崩御の時間とされる午前6時33分とはズレがあるようにも感じる。これについてはまた思い出して考えてみたい。

10連休最初の日の29日は「芦屋ジャズ・フェスティバル2019」があって、前に対バンでご一緒した "ごん, Ante&みゅう" さんが出演すると前夜知ったので、自転車で出かけてきた。R2のたもとのシックな焼き鳥屋さんで、いつも通りかかっていたのに入ったのは初めてだった。小さな店だったが満員のお客さんの中、いい演奏を聴かせていただいた。
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さて、30日の朝は去年知った夙川の鯉のぼりを少し見てきた。臨港線からR2までずらりと並んでいる様は壮観である。10日間以上は泳いでいるので、またじっくり見ようと思っている。
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午後、いつものように住吉川をウォーキングしていると、鳴尾御影線阪神魚崎駅の少し上のところで人が集まっていた。近づいてみるとカルガモの親子がいて、皆写真を撮っていた。
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14年の7月に西浜公園で見て以来、毎年あちこちでカルガモ親子を見つけては写真を撮っていたが、4月中に見たのは初めてだった。今年が特に早い訳ではないのだと思うが、こんなに早くから子作りをするんだとビックリした。毎日ウォーキングするようになったのは去年の今頃だから、今年はもっと頻繁に見ることになるだろう(笑)。

帰りに、3月にバンを見かけた宝島池(ほうとういけ)公園に立ち寄ってみた。夕方なのでカモが数羽とアオサギがいるだけだった。
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年号が令和に変った5月1日の午後住吉川を歩いていると、阪神魚崎駅の少し上あたりにカルガモの親子がいた。
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たぶん同じ親子と思われるが、雛は9羽から6羽に減っていた。他の鳥に食べられたか速い流れに飲み込まれたのだろうが、生き残ることの厳しさを感じる。年号が変ろうが変るまいが自然の営みは日々淡々と進んでいくだけだ。
黄色い菖蒲。
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川べりにもだんじりが。
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リバーウォークシンガー。
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1時間後には更に河口に移動していた親子。
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<参考>
0513 初カルガモ親子@住吉川河口
https://hobot2.blog.so-net.ne.jp/2015-05-14


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An American Trilogy(アメリカの祈り ) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.68 [20世紀の歌Ⅱ]

An American Trilogy(アメリカの祈り )
     arranged by Mickey Newbury
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私がこの組曲(「アメリカ三部作」が原題)を初めて聴いたのは、やはり72年の「エルビス・オンステージ」だったのだろう。メドレー風の曲の中で、PP&M も演っていた "All My Trials" の一節を歌っていたので、「エルビスもこの歌を歌ってるんだ」と思った記憶がある。その時はそれ以上を探ろうとも思わずに時が過ぎていった。プレスリーの歌を自分も歌おうという気持ちが当時の自分の頭にはあまりなかったのだろう。
Elvis Presley
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最近になって、ブルーグラスでもよく取り上げられている "Why You Been Gone So Long" という曲が70年代に活躍した カントリー系SSW の Mickey Newbury の作品だったと知り、そこからこの組曲と<再会>するに至ったのだった。youtubeはこんな出会いもさせてくれるんだなあ。彼は1971年のアルバム "Frisco Mable Joy" の中でこの曲を初めて歌っている。

ミッキー・ニューベリーは、テキサス州ヒューストンの出身らしいので、三部作の最初の曲 "I Wish I Was in Dixieland" はそういう彼の南部への郷愁から取り上げられたのかな、と思っていた。この歌は南北戦争の頃の南部諸州の非公式な軍歌として愛唱されていたらしい。前に取り上げた "Old Dixie Down" も古き良き南部へのシンパシーが語られていた。ちょうど日本の明治維新の際に賊軍とされた新撰組や会津藩(白虎隊)などに対するシンパシーとどこか似たところがあるようにも思った。
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2曲目の "The Battle Hymn of the Republic"(リパブリック讃歌)は、逆に南北戦争における北軍の行軍曲である。対立する南北のそれぞれの愛唱歌が並べられているのには、ミッキーの切実な思いが込められていると見るべきだろう。「勝てば官軍」という言葉があるが、北軍が勝ったことで、そしてリンカーンの「奴隷解放宣言」の演説などで、南軍は決定的に賊軍としての扱いを受けてしまったが、実情はそう単純なものでもなかったらしい。南北の<分断>ではなく<宥和>であってほしいという祈りも似た気持ちがここにはある。
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そして最後の曲 "All My Trials"(私の試練)は伝承歌で、一説にはバハマ諸島で歌われていたものが採譜されたとも言われているが、差別され虐げられてきた黒人奴隷が、死によってはじめてそれらの苦しみから解放されるというという無念の思いを子守唄の形で歌ったものである。

戦後のある部分でアメリカナイズされたこの国に生まれ育った私達が、よその国の音楽であるアメリカのロック・フォーク・ジャズ・カントリーなどを愛好し、歌い継いでいくことの意味はなんだろう、と時々考えたりする。その音楽そのものが素晴らしいからというのはもちろんだが、それらの楽曲の中に「多くの人種・民族が宥和し共存する自由の国アメリカ」の理想を見ることができたからではないだろうか。かつてのアメリカにはそういう自由が、そして自由と平等を追求する気運のようなものが感じられた気がする。翻って分断と格差が広がっているかにも見える昨今のアメリカ、そしてわが国の現状を見るにつけても、この歌の精神をこれからも大切に持ち続け、歌い継いでいくべきなのだと改めて思ったことだ。

youtube は下の3人のものを。他にも多くのシンガーがカヴァーしている。
Mickey Newbury : An American Trilogy
https://www.youtube.com/watch?v=RiTjElq5Xjs
Elvis Presley - An American Trilogy (Live) [HD]
https://www.youtube.com/watch?v=jrsbC-IMayg
ANDY WILLIAMS - AMERICAN TRILOGY -(LIVE)
https://www.youtube.com/watch?v=7XfDrx4HVEI
自分でも歌ってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=Iuk05IaRL48


An American Trilogy(アメリカの祈り) (大意。原詩は検索してみてください。)

I Wish I Was in Dixieland ( Dixie )
おお、私は綿畑の広がる懐かしい南部の国に暮らしたい
忘れることのない懐かしき土地に
遥かかなたの、遥かかなたの、ディキシーランド

ディキシーの地に暮らしたい、遥か遥かかなたの
ディキシーの地、そこに生き、死ぬ依り所にになると信じる彼の地に

ディキシーランドで私は生まれた
寒く霜の降りる早朝のことだった
遥かかなたの、遥かかなたの、ディキシーランドで

The Battle Hymn of the Republic
神に栄光あれ
神に栄光あれ
神に栄光あれ
神の真理は前に進むのみ

All My Trials (私の試練)
さあ静かにお休み わが子よ
泣いていてはいけない
お前の父はもうすぐ死ぬのだ
永く辛かった私の試練は もうすぐ終わりを迎えるのだ



Frisco Mabel Joy


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