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『光る君へ』と『大鏡』雑感 [日々の雑感]

『光る君へ』と『大鏡』
紫式部像。
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今年の大河ドラマは、『源氏物語』の作者である紫式部と、光源氏のモデルとも言われる藤原道長が主人公になっている。道長についてはいくつかの史書や自身の日記などあるので、ある程度人物像は分かっているが、式部の方は『紫式部日記』以外ほとんど語られていないので、その生涯についてはあまり知られていない。逆に言うとフィクションの要素がいくらでも盛り込めるということになる。物語の序盤で彼女の母が道長の兄道兼に殺されたというくだりなどはその典型だろう。
藤原道長像。
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藤原道長の栄華につながる歴史を描いた歴史物語に『大鏡』と『栄花物語』があるが、『大鏡』の方が比較的客観的に描いている(史実に近い)と評価されているからか、高校の古文の教科書には『大鏡』が載っていることが多かった。そのこともあって、授業でも取り上げることが多かったように思う。今となっては遠い記憶であるが。
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ドラマでももうすぐ出てくる「花山院の出家」は、中でもよく取り上げていた。兼家が自分の外孫を帝にするため、寵愛する女御(忯子)を亡くして悲嘆する花山帝を息子道兼(粟田殿)を使って唆し、無理やり出家退位させたというお話であった。その結果兼家の外孫である一条帝が即位し、兼家一族に実権が移っていくという流れである。
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教科書では他にも、「兼家と兼道の不和」で兼家の不遇時代が語られ、道長の兄道隆の中関白家(伊周・隆家・中宮定子)と道長(中宮彰子)との権力争いを扱った「弓争い」がよく出てきた。定子に仕えていたのが清少納言であり、彰子に仕えていたのが紫式部だった。娘を入内させて外孫を帝にするという権力の握り方(摂関政治)は、道長の「一家立三后」を最盛期としてその後衰退するが、思えば外敵のいない平和な時代だったのかなとも思える。戦後日本の政権争いも、形は変われどどこか似ている気もするのだが。
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というわけで、大河ドラマの物語は大なり小なり「歴史其儘と歴史離れ」の組み合わせで出来ているのだが、このドラマは特にフィクション部分が多いと思われるので、脚本家がどのように想像を膨らませながら創作し、史実に収斂させていくのかなというのを興味深く観ていこうと思っている。道長と式部がかつて恋仲であったというのも、全くあり得ない話ではないし、主人公だからねとも思うが、目下興味があるのは、道兼を母の仇として憎んでいる式部が、道兼(七日関白と呼ばれる)の死にどう関わっていくのかな、という点である。そう見て行くとなかなか面白いと思ったことだよ。
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