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0127 役小角の石像@住吉川 [日々の散策]

住吉川の上流の岩の上にあった役小角の石像。
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少し前にあるブログで住吉川の上流に「役行者」の像があるという記事を見て、この日行ってみた。白鶴美術館の下にある堰堤の向かいの崖にあるということなので、先ず県道の美術館前のバス停に行ってみた。対岸をカメラのレンズで追ってみたがよく分からなかった。
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下に降りる階段があるのを見つけて降りてみた。川原をウロウロしていたら対岸に渡る細い木橋があって渡ってみた。
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右手の崖のあたりにこんもりと高い岩場があった。近づくと岩を刻んだ階段が見えたので登って見ると、小さな石像があった。
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役小角(役行者)のようだった。修験道の開祖と言われる役行者についてよく知っているわけではないが、あちこち山を歩いているとそれにまつわる伝承の記述を見ることがある。六甲山系のあたりにもその伝説はあるようなので、そうしたことからこの像も作られたのかも知れない。

像の背後の銘文によると大正三年九月建立とあるので、大昔からあったものではないようだ。なぜここに作られたのか知りたく思って調べてみたがよく分からなかった。この小高い岩からは住吉川の下流や神戸の街並みが見渡せるので、神戸の街の鎮守として作られたのかな。大正の頃には崖の東にある住宅街もなく、対岸の白鶴美術館のあたりから上もただの山でしかなかっただろうから、市街地の一番上からやさしく見守っているという風情だったのだろう。
像のある岩場から下界を見る。
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石段を下りて見ると、来た方とは別の小道が見えたので、そこを通ると住吉川左岸のトイレのある「清流の道公園」に出ることが出来た。どうもこちらのルートが正面からの正しい参道?のようだった。
公園のあたりから振り返って見たところ。
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下流から公園にかけてはよく整備されているのに、そこから上は道らしい道もないのが不思議だった。土地の所有権とかの問題があるのかも知れないが、だれでも簡単に歩いて参拝できるようにしたらいいのにと思ったことだよ。また青葉の頃に訪れてみようと思いながら川を下った。
この日の散歩の中で見た花鳥たち。
白梅とツバキ。
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木瓜の花。
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蝋梅。
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朝、近所の公園にシジュウカラが何羽か来ていた。近くの樹の剪定をしていたので追い出されて出てきたのかな。
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メジロも。
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夕方家に帰ると、白い月が出ていた。
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0125 今日のカワセミ など [日々の散策]

「かい〜の」と言っている?カワセミ!
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少し前まで上流に移動していたと思っていたカワセミが、また下流でも見られるようになった。何らかの理由で再び移動してきたのか、それとも個体が三羽以上いるのかよく分からない。この日も何度か場所を変えて見ることがあったが、河口付近の水際の枝に止まっている時、何度も水に飛び込んでは上がってくるのを見た。魚を獲っているようでもなく、上がってから何度も身体をくねらせたりバタバタ羽を動かしていた。どうも身体がかゆくて何度も水浴びをしているのではないかと思われた。いつもはじっと止まっていることが多いので珍しく、何度もシャッターを切ってみた。カワセミ君からしたら「こんなの撮りやがって」とご立腹だろうが、記録のためということで上げておく。
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ちゃんとしたカメラマンならこんな写真は上げないだろうな。ごめんねカワセミ君。
本人の名誉のために普段のきりっとした姿も上げておこう。
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他の野鳥も時々見かけるようになった。これも春の兆しなのかな。でもじっとしてくれないのでうまく撮れないなあ。いくつかを。
ツグミ。
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シロハラ?
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ジョウビタキ。
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ミソサザイかな?
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食卓にもこんな鳥が(笑)。
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梅も少しずつ咲いてきている。
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おまけ。車で走っていたら、前のトラックのバックドアにこんな絵が。
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柿本人麻呂の作とも言われるこの歌を背負っているこのトラック野郎に思いを馳せたのであったよ。
ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島かくれゆく舟をしぞ思ふ (詠み人知らず)


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Brown Mountain Lights[私の好きな20世紀の唄たち] vol.76 [20世紀の歌Ⅱ]

Brown Mountain Lights(ブラウン山の不思議な光)
   Written by Scott Wiseman(62)
Lulu Belle and Scotty
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この歌を初めて聴いたのは大学一年の頃で、当時のバンド仲間が持っていたブルーグラス・バンド"The Country Gentlemen" のアルバムであった。たぶん日本盤のベストアルバムだったと思うが、初出は "Bringing Mary Home(66)" 。コード進行が変わっていて、ちょっとエキゾチックな雰囲気の曲だなと思ったことを覚えている。演奏することがなかったのは、一年生バンドには難しいと思ったからかも知れない。
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余談になるが、当時貧しい下宿生だった私は、友人とアンプ・スピーカー・レコードプレイヤー・カセットデッキなどを一人ずつ分けて買って、私の下宿の部屋に置いて聴いていた。自分でレコードを買うことはできないので、先輩や友人から借りてはカセットに録音していたのだ。今となっては懐かしい思い出であるが。
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その後この歌のことは忘れていたが、90年代になってTony Rice が "Plays And Sings Bluegrass(93)" で取り上げているのを聴いて、いつか演奏したいものだと思いながらまた月日が流れて行った。2004年にアメリカ南部を旅した時、ブルーリッジ山脈に沿って走る "Blueridge Parkway" をドライブしたのだが、ノース・キャロライナのあたりで "Brown Mountain Lights" という怪奇現象があるという看板を見つけて、この曲と関係があるのではないかと思い至ったのだった(アメリカ南部の旅 vol.3 @ Blueridge Parkway)。
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旅行記を当ブログに書いたのは2016年で、そのうちこの曲についても「20世紀の歌」に書こうと心の隅で思っていたのだが、延び延びになっていたのだった(どんだけー!)。
The Brown Mountain。
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今から100年も前にノース・キャロライナのブラウン山の付近で何度も見られたというこの不思議な「光」の正体が何であるかはよく分からない。宇宙から来たものと考えれば今でいう火球か彗星の類かも知れないし、UFOだと言う人もいるだろう。また、地上で発生したものであるなら、メタンガスなどが発生してそれが発火したものだろうか。いずれにしても当時の人々にとって不思議な現象であっただろうことは想像に難くない。
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この歌を書いたカントリー・ミュージシャンのScott Wisemanの解釈も、当時の様々な受け止め方の一つだったのだろう。「光」を墓場からよみがえった幽霊=GHOSTが手に持ったランタンの光だというのは興味深い解釈ではある。アメリカはヨーロッパ諸国(日本もか)に比べて歴史が浅いので、そのコンプレックスから超常現象に惹かれるのだという説を以前聞いたことがあるがどうだろう。そういえばC.G.の上記のアルバムにある"Bringing Mary Home"も少女の幽霊の話だった。望郷の歌や殺人の歌に並べて、ゴーストの歌の系列もあってもいいと思われる(知らんけど)。

もう一つ興味深いのは、歌の主人公の幽霊が南部の農園に雇われていた黒人奴隷だったということである。農園主と老奴隷は家族以上の絆で結ばれていて、死んでもなお失踪した主人を探して歩き回っているというストーリーは、奴隷制廃止論に対するアンチテーゼとも受け取れる。そういえば前に取り上げたザ・バンドの"Old Dixie Down"も南北戦争を南部の視点から描いていた歌だった。アメリカ南部の社会で南北戦争以前の世に対する郷愁のようなものが未だに根強く残っているのかなあとも思わせる。そしてそれは、現代アメリカで政権交代前のトランプ元大統領を支持する人々が少なくないことと無関係ではないのかも知れない。だとしたら、今日のアメリカ社会の「分断」は相当根深いものだということになるのだろう。
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まあ日本にも「人魂(ひとだま)」という言葉があるから、アメリカ特有ということでもないのかも知れない。歌にはその時代時代の人々の気持=願いが反映されているものだから、そういったことを受け止めながらこの歌も聴き、また歌っていくべきなのかなと思ったことだよ。

youtubeでは他のミュージシャンのカバーもあるが、以下の4つを紹介しておく。
Lulu Belle and Scotty - The Brown Mountain Light (c.1962).
https://www.youtube.com/watch?v=MlbQ1zsE2nQ
Brown Mountain Light Country Gentlemen
https://www.youtube.com/watch?v=b-bSdnbw5eg
Kingston Trio-Brown Mountain Light
https://www.youtube.com/watch?v=MRjtpyK784o
Tony Rice and The Brown Mountain Lights
https://www.youtube.com/watch?v=_5G_dWxlTQE

ブラウン山の不思議な光(大意。原詩は検索してみて下さい。)

古い幌馬車で旅をしていたころ
一夜を過ごすために低地で露営していた
谷の縁の向こうに月が鈍く輝いている中で
私たちはブラウンマウンテンの光が現れるのを待っていた

**
山の上高く谷の底深く
それは天使の輪のように光り輝いていた
そして霧が出て消えていく間に光を失っていった
遥か空の向こうに
来る夜も来る夜も夜が明けるまで
一人の孤独な老奴隷が墓からよみがえってきて
探し続けている
ずっといなくなったままの主人のことを…

ずっと昔一人の農園主が
この広い山の中に一人で狩りに来た
農園主が行方不明になったのはその時だったそうだ
そして彼は二度と帰ってこなかった

農園主が信頼していたこの年老いた奴隷は
ランタンを手に昼も夜も主を探し続けたが徒労に終わった
今ではその老奴隷も死んでしまったが
彼の魂はこの世にとどまり
ランタンは今でも光を発し続けている


Sweethearts of Country Music by LULU & SCOTTY BELLE (2008-03-18)


25 Years


Plays & Sings Bluegrass


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0120「大寒」の中、少しく春あり [日々の散策]

早くも咲いていた水仙@菊正宗記念館の前。
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「小寒」の頃の方が寒かった気もするが、いよいよ「大寒」になり、寒さもピークを迎えている。そんな時期でももう春の兆しが少しずつ見られるのが面白い。『枕草子』で藤原公任が白居易の漢詩の「二月山寒うして少しく春あり」という一節を漢詩取りした「少し春ある心地こそすれ」という句を清少納言にぶつけたくだりを思い出した。冬枯れの中に春の兆しを感じるというのは昔も今も変わらない。
梅の花@中央公園。
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一つの木に1・2輪咲いていた。
蝋梅@大桝公園。
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水仙&蝋梅@潮芦屋総合運動公園。
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年を越して咲いていたツワブキ。春の息吹ではないけど。
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住吉川のカワセミは、年が明けてからあまり見ないなと思っていたら、2号線の上の方に移動していたようだ。なかなかそこまで歩く機会がなかったので分からなかった。魚のいるところに移動したのかな。それでも一番の上流にはメス、その下にオスという棲み分けは保たれているようだ。同じ日に両方見られた日が2度ほどあった。
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こちらがオス。
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こちらがメス。下くちばしが赤いのでそれと知れる。
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何か咥えている。
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他の鳥たち。先ずはボス?のアオサギ。貫禄あるなあ。
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キセキレイ。
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住吉川のほとりにある菊正宗記念館。
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今年の蔵開きは中止になったそうだ。コロナのせいだね、残念だけど。
夕景二つ。
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1月21日。この日は月と火星が最接近するとのことで、夕方6時ごろ撮ってみた。ブレた分火星が赤く見えている(笑)。
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寒さがぶり返したりしながら季節は少しずつ春に向かっていく。



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0115 野麦峠スキー場 [旅日記]

2021年の野麦峠スキー場。
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三連休は猛烈な寒波だったので控えていたが、週が明けて雪もおさまり気温も上がってきたので、今シーズン初のスキーに行くことにした。といってもシーズンに1・2度行くだけで、今年も元気に滑ってこれたという確認作業のようなものなのだが。いつも空いている野麦も週末はそこそこ客も来るかもしれないので、木曜日に出て金曜日に滑り、土曜日は混み具合を見ながら場合によっては短時間で切り上げるという計画だった。移動は車だし、三密になる要素はほとんどないと思うが、唯一心配なのはゲレンデのレストハウスが混んだ場合どうするかということぐらいである。

GOTOがないのは金銭的には残念だが、こんな状況で観光地に殺到するのもどうかと思われるので、かえってない方がいいようにも思われた。過度な自粛とその反動の三密会食と、世間の動きにも賛同できないことが多いが、それも行政の場当たり的な対応が煽っているかのように見えるのは非常に腹立たしい。緊急事態宣言は大切なことととして受け入れながら、個人個人がこの一年で学んだことを元に、密集を避けながらお店も利用したりの行動をとってもいいのではないかと考えるのだがどうだろう。今回の宣言ではかなり飲食店への補助もあるようだが、困っているのは飲食店ばかりではないのだから。とごたくを並べたが、高齢持病持ちの身だから、危ないと思ったら当然行かないよ、というところであるのだった。

例によって高速代をケチるために地道中心で伊那まで行って前泊した。これで一泊分は稼げるのだ。昔は夜中に出てスキー場に朝着いて滑るということもあったが、もう体力的には無理だからなあ。
雪をかぶった伊吹山。雲があったのが残念。
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今回は各務原ICから東海北陸道~東海環状道を通って土岐に抜ける道を通ってみた。
長良川SAからは川は少ししか見えなかったがこんな鵜のオブジェが。
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伊那には7時ごろ着いた。もう少し早く出れば高速も少なくて済んだのだが。
この夜の夕食はここで。
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ほとんど歩けなかったので夕食後街を歩く。驚いたのは横断歩道のあたりにいると、渡るそぶりもしないのに次々と車が停まるのだった。思わず渡った時もあった(笑)。雪でスリップしやすいからかなと思うが、阪神間では考えられないマナーだと思ったことだよ。「レトロな街伊那」を標榜しているだけあって昭和感が強いいい街だと改めて思った。
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朝無料朝食を摂る。米子でもそうだったが、手袋で料理を取るシステムになっていた。旅の中で不特定の人と一緒になる機会の一つだからなあ。長野も感染はそれなりにあるから、ホテルでも対策に気を使っているようだった。フロントでは体温の確認もあるし、エレベーターのスイッチも肘で押せるようになっていた。

伊那から野麦までは一時間で行ける。
10時にゲレンデに一番近い駐車場に着いたが、まだ4台ぐらいしか停まっていなかった。
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快晴であるが気温は低くなかった。ベースで0℃ぐらい最上部で-7℃ぐらいだったが、そこも午後2時頃には0℃になったが、雪質はそう悪くなかった。乗鞍岳・御嶽山だけでなく、穂高連峰までくっきり見えて美しかった。
乗鞍岳の美しいシルエット。
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御嶽山はくっきりとではないところが逆に神々しい。
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乗鞍から穂高連峰に連なる山並み。
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11時ごろ昼を食べようとレストハウス「樹海」に入る。密だったら外で食べようと思っていたがその心配はなかった(笑)。
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レストハウスの前にあった灰皿が撤去されていた。
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出入り口に喫煙コーナーがあるのは確かに問題なので致し方ないと思うが、はて喫煙所は?と探すと、30m離れた使われてないリフト乗り場の建物にあった。
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小屋の前にリフトの椅子が一つだけあったので座ってみた。記念の自撮り。
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金曜日なのに人の少ないゲレンデで3時ごろまで滑って宿に向かった。
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この時は翌日も3時間ぐらい滑ろうと思っていたので自重したのだったが。

いつも宿から野麦峠に行く時、権兵衛トンネルの先でナビが右に誘導するが、回り道になると思って無視していた。この日は時間が早かったのでナビ通りに行ってみた。やはり思った通り遠い迂回路だったが、「奈良井ダム」という大きな治水ダム沿いの道だった。ナビはこれを見せたかったのかな(笑)。
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権兵衛トンネルの先の道沿いに野猿がいるのを見つけた。
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この日の夕食はここで。面白い呼び込みの看板が。
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予報では昼頃天気が崩れるようだったので、それまで滑ればいいかなとスキー場に向かった。境峠のあたりから雪が降り始め、スキー場に着いた時は結構な吹雪になっていた。これはとても楽しく滑るのは無理と考えて泣く泣く(あっさりと?)断念して帰ることにした。高齢者は決して無理をしてはいけないのだ。この日はレストハウスの密を避けるためか「爆弾おにぎり」を売っているということだったので試したかったのだが。コロナ下のスキー場の対策としては面白いと思ったのだった。
代わりにwebからおにぎりの画像を。
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帰りはせめて高速代をケチろうとR19をちんたら走った。
道の駅から見た中央アルプス。
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ちょうど昼頃中津川を通ったので、2年前に「苗木城跡」を訪れた時に行った「KISAKU」というお店を探して行ってみた。岐阜も緊急事態宣言下であったが、そこそこにぎわっていた。中津川は岐阜の中でもそれほど切迫感はないのかも知れない。もちろん密にならないよう気配りはされていたけど。

2日目がややもったいなかったが、今年も元気にスキーが出来たぞと確認できたのは良かった。この齢になると来年があるからとはとても言えないからね。その時々に出来ることをするしかないのだが、その際感染の危険を感じたらやめるということを各自が心掛けることが大事だろうと思うのであったよ。
さて、しばらくステイホームして体調を観察することにしよう。
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本当に寒い「小寒」の日々 [日々の雑感]

近所の西池も凍っていた!!
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いくつになっても、雪が降ったといっては見に行って足跡を付けたり、池に氷が張ったといっては石を投げたり足で割ったりする粗忽さは、死ぬまで直らないんだろうな(笑)。
毎朝飽きもせず見に行く奴。
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夜の散歩の時までも。「病膏肓に入る」だね。
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それにしてもこの数日は寒かった。何年ぶりの寒波と言っていたかな。年末から山陰から北陸にかけて雪がたくさん降り、各地の高速や一般道で車の立ち往生が頻発した。十数年前の年末に隠岐に帰省した時、米子に一泊して朝起きたら30㎝以上雪が積もっていてびっくりしたことがあった。船が欠航だったら引き返そうと港まで何とかたどり着いたら、出るというので乗ってしまったが、波は5mぐらいあってぎりぎりの出航判断だったようだ。お蔭で家人はメヌエル氏病のような症状になって、隠岐でも帰ってからもしばらく病院通いだったと記憶している。あの時も山陰道(国道9号線)で何キロも立ち往生があったように記憶している。あれからだいぶん経って道路情報も迅速になっていると思うのに、同じことが繰り返されるのは、「まだ大丈夫だろう」という意識が働くからだろうか。コロナ禍の中での軽率な行動も似ていなくはないようにも思う。

この3連休にスキーということも頭をよぎったが、下手に出かけて大渋滞に巻き込まれるのも嫌なので自重した。首都圏にも緊急事態宣言が出たのに人出はあまり減少していないとも聞くが、この寒波で少しは夜の会食も減っているかもしれない。いい方向に向かえばいいのだけれど、遅きに失した感は否めない。そんな寒い「小寒」(1/5~1/19)の日々の散歩の中での写真をもう少し。寒くても毎日1万5千歩は歩いているのだ。元々身体のことを考えて始めたウォーキングなのに、無理して体調を崩したら何にもならないのにねえ。
六甲大橋からの夕景。最近よく行くようになった。
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この黄葉は何だろうと思ったら、ユキヤナギだった。花が咲いていないと気づかないものなんだな。
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御影クラッセからの夕景。六甲大橋に行くつもりが間に合わなかったので。でもきれいな夕焼けだった。
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スーパーの駐車場から見た空。雲が美しかった。
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1月10日は公園では毎年恒例の「とんど焼き」が。
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自分と同じような年代の方々ばかりなのがやや気になる。年代構成的には限界集落と変わらないかもしれない(笑)。

小雪のちらつく住吉川。防寒具がどんどん必要になってくるなあ。
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キセキレイ。
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ユリカモメ。今シーズンはよく見る。
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年が明けて初めて見たカワセミ。元気そうでよかった。
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「鷺も小蓑を欲しげなり」芭蕉改、お粗末。
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もう少し暖かくなってほしいものだ。


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0109「尼崎城」@阪神尼崎駅隣 [日々の散策]

2018年に復元された尼崎城天守閣。
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尼崎城の天守閣が復元されたというニュースを聞いたのはもう2年も前だった。そのうち行こうと思いながら行ってなかったのだが、ここ数日寒い日が続いたので、どこか近場で歩ける所をと考えていたら思い出した。阪神尼崎駅の東にあり、尼崎の市立図書館がそこの城址公園の中にあると聞いてずいぶん昔に行ってみたことがあるが、そこに資産家の寄贈による外観復元天守が作られたということだ。
西側から入ってみた。
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以前伊丹の「有岡(伊丹)城跡」に行った時、当時の城主であった荒木村重が織田信長に反旗を翻し、逆に攻め込まれて有岡城から逃げ込んだ先が尼崎城だと思い込んでいたが、実は大物城だったということを今回知った。大物城は尼崎城(尼崎古城)とも呼ばれるので誤解されやすいということだった。こちらの尼崎城は江戸時代に尼崎藩になってから作られた城で、戸田氏・青山氏・桜井松平氏と引き継がれて幕末まで至ったということである。天守閣も戦国時代の城ならまずないが、兵庫県内では姫路城とこの尼崎城の二つだけらしいから、よくある町おこしのため嘘の天守閣を建てるというものとは違うようだ。そう思っていた私の無知を恥じるしかないなあ(笑)。
石垣の上の建物は市立図書館。
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場所は阪神尼崎駅の東隣。このあたりは車で通ることはあるが立ち寄ったことはなかった。尼崎城の外堀としても使われた庄下川の上は大きな遊歩道の橋が架かっていて、なかなかいい感じの再開発地区になっていた。
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城の北には阪神電鉄旧尼崎発電所のレンガ造りの建物があってレトロな感じであった。
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城の入場料は500円とやや入るのをためらったが、めったに来ないだろうと思って入ってみた。
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エレベーターで最上階に上がったが、平城ということもあって、周囲の町が見渡せるということもなかった。各階には火縄銃のレプリカなどがあって試し打ちが出来たりとか、当時の衣装を着て写真撮影が出来るなど、入場料に見合ったアトラクション?が用意されていて、家族連れでも楽しまれるものになっていた。
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地元出身の作家萩原一青氏の描いた尼崎城の手拭い。
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何故か徳川家康の像も。
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そんな中でも大きなプロジェクターに映し出される、当時の城下の様子を描いたCGはなかなかの力作であった。画面を撮ったものをいくつか。
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youtubeにあった似たような紹介動画も上げておく。
【公式】Minecraftー尼崎城ー Amagasaki-castle
https://www.youtube.com/watch?v=ejMOV0fZCFY
尼崎城のHP
https://amagasaki-castle.jp/

今の兵庫県にあった天守閣のある城は姫路城と尼崎城の二つだけだったそうだ。西国への備えとしてこの城が重視されていた証でもあるが、一方は世界遺産として今日まで残っているのに対し、こちらは明治6年(1873年)の廃城令によってほぼ取り壊されたということの落差は大きい。この天守閣の復元を機会に、この城を多くの人々に知られるべく更に様々な研究や展示の充実が望まれると思ったことだよ。
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国学者「契沖」生誕の地の碑。
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南隣には「桜井神社」があった。寒くなかったら立ち寄ったのだが。
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阪神尼崎駅のホームと駅前広場の不思議なオブジェ。
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神戸ホンキートンク1月のスケジュールなど [神戸ホンキートンクライブ日程]

住吉川にも来ていたユリカモメ。
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2021年が始まりましたが、年末からコロナウィルスのパンデミックが再発して、めでたいとばかりは言っていられない年明けとなりました。去年は2月ぐらいからライブハウスもコロナの影響で自粛営業を余儀なくされて、一時はライブが出来ない時期もありました。数えて見るとそういう中でも13回ほどなんとかやって来ましたが、常に感染を危惧しながらの演奏でもありました。お店も演奏者も精一杯の対策をしながらの開催ではありましたけど。16年に石橋から神崎川に移転して頑張ってこられた、峰マスターのアビリーンも年内でお店を閉じることを決められたのは、残念なことでした。あと五年はやるつもりとおっしゃっていましたが。
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それでも11月12月は最後ということでもあり、たくさんのバンドが入り、人数限定の中多くのお客さんが集まって有終の美を飾られたのはある意味よかったようにも思われます。それに加われたこともありがたいことでした。この一年お店の存続のために緊張の中力を尽くされてきた峰マスターには、本当にお疲れさまでした。これからはのんびりとカントリーミュージックを楽しむ生活を送っていただきたいと心から思います。

幸い4月から新しい経営者のもと、新生アビリーンが復活されるようですので、楽しみに待ちたいと思います。その頃にはコロナも少しは沈静化しているといいのですが。

さて、今月の自分のライブですが今のところ予定はありません(笑)。しばらくは充電期間になるのかな。自分の中でやりたいという気持ちが自然にわいてくるのを待ちたいと思っている感じですか?単にどこからも話が来ないだけだったりして(笑)。まあこんな時期ですからぼちぼち歩き出すのがいいのかも知れないですね。
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神戸ホンキートンク1月のスケジュールがFBにアップされたので転載します。学生バンドが帰ってきたようで、バンドのない日が数えるほどになっているようです。換気などしっかり対策されているようなので、お店にお問い合わせの上是非お越しください。ライブハウスの灯を消さないように。

神戸ホンキートンク
神戸市中央区加納町2-2-2
Tel:078-241-2161
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神戸ホンキートンク1月のスケジュール
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(クリックすると少し大きくなります)


それでは、今月もよろしくお願いいたします。

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0102「魚崎三社参り」など [日々の散策]

横屋八幡神社の拝殿に現れた妖猫?!
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1月2日の朝は芦屋浜の東半分を歩いてみた。こちらはあまり行ってなかったのだ。宮川を渡って南へ下りる。
打出から潮芦屋に入る道に架かる浜風大橋。
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潮芦屋と西宮浜を結ぶ橋。湾岸線の側道でもある。
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東端に出て北へ曲がる。
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打出浜の向こうに甲山が見える。
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ヨットハーバー。
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2日掛けてほぼ芦屋浜を一周した。外周出来るランニングコースがあって、マラソン大会も実施されているが、一気に回るのは年寄りには大変そうだ。暑くなる前にもっと歩こうと思ったことだよ。

1月3日。この日も住吉川を歩いたが、前日たまたま車で通ったところに小さな神社が二つ見えたので、ちょっとお参りしてみようと思い立った。歩数的にも手ごろだと思ったからだ。鳴尾御影線の一つ下の車道を東に歩いて行くと件の神社はあった。最初の神社は「横屋八幡神社」(魚崎北町2-3-21)。
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住宅街の中にひっそりと建つ神社であった。地元では「横屋の八幡さん」と呼ばれているそうで、元々のこの地の名前である横屋村の氏神様だったようだ。拝殿でお参りしていると、中から猫が現れたのでびっくり!思わず写真を撮ったらピンボケで妖しい感じになったのが冒頭の写真(笑)。
神社に居ついているのかな。外に出ても拝殿の縁に居続けていた。
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続いて行ったのが東に20mほどのところにある「魚崎猿田彦神社」(魚崎北町2丁目1−8)。
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由緒は古いようだが、建物は新しいようにも見えたのが不思議だった。「日本全国に約8万5千の神社がある。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。」(wiki)。明治になって国家神道に位置付けられながら、戦後その地位を取り上げられ、宗教法人として命脈を保っているかに見える日本各地の中小の神社のありようは、この国の宗教のあり方の矛盾、ひいてはこの国のアイデンティティの曖昧さを象徴しているようにも見えた。というとやや大げさではあるが。

二つの神社を参拝した後で、もう一つ南に神社があるのを思い出したので行ってみた。
「魚崎八幡宮神社」(魚崎南町3-19-18)。
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R43の覚浄寺交差点を南に下がったところにある。ちなみに「覚浄寺」は阪神淡路大震災で大きな被害を受け、未だ再建のめどが立っていないようで残念である。この神社は「魚崎の八幡さん」として親しまれているようで、規模も先ほどの2社より大きい。何度か過去に訪れたことがあるが、新たな建物が建ったようにも思えない。氏子さんがしっかりしていてのんびりしているのかな。それはそれで「佳き」ではあるのだが。

というわけで「魚崎三社」とは、私がたまたま行ったので勝手に名付けただけなのであるが、言い得て妙だと自分では思っている。偶然から住吉川のウォーキングに新たなバリエーションが出来たのは嬉しいことだった。
横屋八幡の猫が可愛かったのでおまけに。
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2021年の年明け [日々の雑感]

年初めの花「蝋梅」。元旦から咲いていた。
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人間社会のコロナの喧騒を横に、春の訪れを真っ先に伝える蝋梅は、早くも花をほころびさせていた。
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大晦日に「今年も終わったなあ」と振り返り、元旦に新たな年の始まりに思いを致すということに毎年不思議な感じを抱いてきた。「昨日までとさして変わらぬ今日なれど 少しく改まりたる年初かな(hobo2020)」。年が明けてもコロナの勢いはとどまるところを知らず、いつもはそれなりに感じる改まった気持ちも心なしか薄れているようにも思われた。12月25日に年内最後のライブをしたが、常に中止と背中合わせでの演奏が半年以上続いたので、潜在的に緊張が続いていたのだろうと思われる。ましてやぎりぎりの状態で経営を続けておられる飲食店の方々や医療関係者、エッセンシャルワーカーの方々には、やっと年越しを迎えたら、まだこれからも続くのかという暗澹としたお気持ちになっているだろうと推察される。大変だろうが今年も踏ん張っていただきたいものだ。
初日の出は今年も起きられなかったので知人が撮ってくれたものを。
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さて、私どものコロナ鬱などはしばらくボーっと暮らしていたら次第に解消する程度のものだろうと思いながら正月の日々を過ごしている。そんな正月初めの点景をいくつか。
今年のお節。食べ始めてから慌てて撮ったのでこの一枚だけ。
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お屠蘇お雑煮をいただいた後芦屋浜の西半分を歩いてみた。去年も同じことをしていたと後で分かった(笑)。
芦屋川河口。
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東灘芦屋大橋。
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六甲の山々。
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ユリカモメ@芦屋カナル。
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宮川に回る。
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オオバン。今シーズンはよく見かける。
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家に帰ったら近所のお宅の前に救急車が。
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午後はいつもの綱敷天満神社へ。
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途中通りかかった本住吉神社は人出は少ない感じだったが、こちらは例年通りに見えた。
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かくして今年の元旦も過ぎにけり。
本年も宜しくお願い致します。
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