1128「ユリノキ」と「プラタナス」などなど [日々の散策]
東神戸大橋の上に現れた上弦の月(1121)。
この秋の終わりにプチ旅をと思いながら、天候が合わなかったりと逡巡している間に、コロナの第三波が襲ってきた。今年はコロナに始まりコロナに終わる年になりそうだ。PCR検査も広く実施してほしいが、個人としてはもし検査を実施しても、その時陰性だったと分かるだけなので、いつ感染するかという不安はなくなるわけではない。結局のところ手洗い・うがいの励行、飲みに行くのは2・3人までで穏やかに飲食するという、自分がここ数年やっていることを続けるしかないように思う。インフルエンザに何度も罹って以来、漢方の「麻黄湯」を常備していて、風邪気味かなという時に服用しているが。そんなトホホな日々の散歩の中で見た近所の風景を脈絡なく並べてみる。
家の前の臨港線沿いの並木は「ユリノキ」だ。数年前に近所の花博士に教わっていたが、紅葉がすごくきれいというわけでもないのでよく見ずに時が経っていた。こんな時期なんで(ヒマか?)思い出して見てみた。
すると、葉っぱの形がユニークなのに気が付いた。先端が尖ってなくてちぎったような形になっていた。別名のハンテンボクは葉の形が半纏に似るからとのことで、言い得て妙である。5~6月頃下のような花を咲かせるらしいので、来年は見てみたい(写真はwebから)。
別の公園に同じような並木があったので、これもユリノキかなと思ったが、葉の形が違う。どうも「プラタナス」のようだ。若いころに流行ったフォークの歌にありましたな(プラタナスの枯葉舞う…)。
「神戸昼から散歩」のひーさんが、六甲の神社の銀杏の絨毯を紹介していたので行ってみた。大土神社別社厳島神社というらしいが、本社と離れていて見つけにくかった。
六甲川。神戸大学の西を流れる川だが、今回初めて行った。
神社の中には大銀杏があったが葉はほとんど落ちていた。見たブログからはまだ4日後だったが。
黄葉の絨毯はまだ残っていたが、これもまた覚えていて来年早めに来てみたいものだ。
近くにもう一つ神社があったので行ってみた。篠原厳嶋神社という神社だった。
別の日、これまた神戸新聞で紹介されていた銀杏の黄葉を見に行った。地元潮芦屋にある総合公園にある。よく近くを通るので知ってはいたが、改めて見るとなかなかのものである。
夜も行ってみた(笑)。
住吉川も秋が深まっている。
渡り鳥も少し見られるように姿を見せ出した。
カワセミも2日に一度は顔を見せてくれる。
かくして秋も更け行くのであった。
この秋の終わりにプチ旅をと思いながら、天候が合わなかったりと逡巡している間に、コロナの第三波が襲ってきた。今年はコロナに始まりコロナに終わる年になりそうだ。PCR検査も広く実施してほしいが、個人としてはもし検査を実施しても、その時陰性だったと分かるだけなので、いつ感染するかという不安はなくなるわけではない。結局のところ手洗い・うがいの励行、飲みに行くのは2・3人までで穏やかに飲食するという、自分がここ数年やっていることを続けるしかないように思う。インフルエンザに何度も罹って以来、漢方の「麻黄湯」を常備していて、風邪気味かなという時に服用しているが。そんなトホホな日々の散歩の中で見た近所の風景を脈絡なく並べてみる。
家の前の臨港線沿いの並木は「ユリノキ」だ。数年前に近所の花博士に教わっていたが、紅葉がすごくきれいというわけでもないのでよく見ずに時が経っていた。こんな時期なんで(ヒマか?)思い出して見てみた。
すると、葉っぱの形がユニークなのに気が付いた。先端が尖ってなくてちぎったような形になっていた。別名のハンテンボクは葉の形が半纏に似るからとのことで、言い得て妙である。5~6月頃下のような花を咲かせるらしいので、来年は見てみたい(写真はwebから)。
別の公園に同じような並木があったので、これもユリノキかなと思ったが、葉の形が違う。どうも「プラタナス」のようだ。若いころに流行ったフォークの歌にありましたな(プラタナスの枯葉舞う…)。
「神戸昼から散歩」のひーさんが、六甲の神社の銀杏の絨毯を紹介していたので行ってみた。大土神社別社厳島神社というらしいが、本社と離れていて見つけにくかった。
六甲川。神戸大学の西を流れる川だが、今回初めて行った。
神社の中には大銀杏があったが葉はほとんど落ちていた。見たブログからはまだ4日後だったが。
黄葉の絨毯はまだ残っていたが、これもまた覚えていて来年早めに来てみたいものだ。
近くにもう一つ神社があったので行ってみた。篠原厳嶋神社という神社だった。
別の日、これまた神戸新聞で紹介されていた銀杏の黄葉を見に行った。地元潮芦屋にある総合公園にある。よく近くを通るので知ってはいたが、改めて見るとなかなかのものである。
夜も行ってみた(笑)。
住吉川も秋が深まっている。
渡り鳥も少し見られるように姿を見せ出した。
カワセミも2日に一度は顔を見せてくれる。
かくして秋も更け行くのであった。
映画『おらおらでひとりいぐも』@109シネマズHAT神戸 [映画]
映画『おらおらでひとりいぐも』
この映画の原作は2017年に芥川賞を受賞した若竹千佐子の同名小説である。当時TVで紹介されているのを観て興味を持っていたが、その後読もうと思いながら忘れていた。タイミングを逃すとすぐ過去のものになってしまう。55歳のときに夫に先立たれ、それから小説修行を始めたと聞いて驚いたものだった。「年老いても咲きたての薔薇」という茨木のり子の詩を連想したり、中年の星だなと思ったりしていた。もう一つ興味をそそられたのは標題であった。これは宮沢賢治の詩『永訣の朝』の中の言葉だろうと思ったので、賢治に関わる何かが書かれているのかな、と思っていたが違っていた。賢治の詩では、もうすぐ死のうとしている最愛の妹であり同志でもあった賢治の妹とし子とのやり取りが描かれていたのだった。妹を失う悲しみに浸っているかのような賢治を見て妹が発した言葉が上記の言葉だったのだ。詩では「Ora Orade Shitori egumo」とローマ字表記になっていた。衆生のために生きようとしていながら、妹の死を受け止められずにいる賢治を叱咤し、励ます言葉であったようにも思われた。
翻ってこの映画(小説)では、突然愛する夫に先立たれ、生きる意味を失おうとしていた主人公の桃子が、自身との対話を重ねる中で、次第に「おらおらでひとりいぐも」という心境になっていくという内心のドラマが描かれていた。夫の死の意味を自分に問い返しているうちに、自分の内なる声が聞こえてきて、その声は一人二人と増えてきて…という具合に物語は展開していく。「おらだばおめだ、おめだばおらだ」とささやきかける内心の声とのやり取りを映像化するのは難しいだろうなと思ったが、映画では濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎という個性あふれるキャラクターが出てきて桃子とやり取りするという手法で、なかなか面白いやり方だと思ったことだ。
75歳の主人公桃子を演じているのは田中裕子で、白髪のわりに若々しい肌にやや違和感があったが、逆に彼女の飄々とした演技が、暗くなりがちなテーマのこの映画に、何か明るい未来さえ感じさせてくれて、この映画に救いをもたらしているともいえる。若き日々の回想の中の桃子役は蒼井優が演じていて適役と思ったが、亡くなった夫の周造役をあの東出昌大が演じていて、こちらは若い頃から死ぬまでを一人で演じていた。桃子の心の中では、いつまでも若い頃のままだということなのだろうか。
桃子は、岩手の片田舎で息苦しさを感じながら成長し、意に添わぬ結婚から逃げるように、そして「自由な女」になるために家を飛び出して東京に出てくる。自分も含めて地方から都会に出て働いていた同時代の若者はおおむね同じような気分であったように思う。だから「それで自由になったのかい」と自分自身にも問いかけながら観てしまった。映画の中の桃子は、自由を求めて都会に出てきたはずなのに、今度は愛する夫に尽くすという形で自由を奪われる人生を歩んだのだろうか。夫に先立たれ子供たちは離れていくという時になって、初めて「心の自在さ」を手に入れたということなのだろうか。もしそうなら自分のこれからの人生もそう捨てたもんじゃないのかも知れないけど。「自由」という概念の難しさについては、前にクリストファーソンの歌について書いた時少し触れた(俺とボビー・マギー)が、死ぬまでこの問いは続くんだろうな。
桃子は単調な日々の中で内なる声を聞いていると、あれほど忌み嫌っていた故郷の方言でしゃべっていることに気が付く。遠い過去からつながっている命の連鎖の中に、自分もいるのだと思い至る。そして毎日図書館に通い、地球が誕生してからの46億年の生命の歴史を調べる日々を送る。気の遠くなるような時の流れの中で、一人の人間の生き死にはどういう意味があるのか…。これまたなかなか重いテーマで、この稿でこれ以上書くのは難しいのでここで筆を止めるが、こうした重いテーマを軽やかな描写で展開するこのドラマは、様々な含蓄を含んでいて、観る者にもう一度自分と自分を取り巻く世界に思いを馳せることを促す、そんな映画だったなと思ったことだよ。
この映画の原作は2017年に芥川賞を受賞した若竹千佐子の同名小説である。当時TVで紹介されているのを観て興味を持っていたが、その後読もうと思いながら忘れていた。タイミングを逃すとすぐ過去のものになってしまう。55歳のときに夫に先立たれ、それから小説修行を始めたと聞いて驚いたものだった。「年老いても咲きたての薔薇」という茨木のり子の詩を連想したり、中年の星だなと思ったりしていた。もう一つ興味をそそられたのは標題であった。これは宮沢賢治の詩『永訣の朝』の中の言葉だろうと思ったので、賢治に関わる何かが書かれているのかな、と思っていたが違っていた。賢治の詩では、もうすぐ死のうとしている最愛の妹であり同志でもあった賢治の妹とし子とのやり取りが描かれていたのだった。妹を失う悲しみに浸っているかのような賢治を見て妹が発した言葉が上記の言葉だったのだ。詩では「Ora Orade Shitori egumo」とローマ字表記になっていた。衆生のために生きようとしていながら、妹の死を受け止められずにいる賢治を叱咤し、励ます言葉であったようにも思われた。
翻ってこの映画(小説)では、突然愛する夫に先立たれ、生きる意味を失おうとしていた主人公の桃子が、自身との対話を重ねる中で、次第に「おらおらでひとりいぐも」という心境になっていくという内心のドラマが描かれていた。夫の死の意味を自分に問い返しているうちに、自分の内なる声が聞こえてきて、その声は一人二人と増えてきて…という具合に物語は展開していく。「おらだばおめだ、おめだばおらだ」とささやきかける内心の声とのやり取りを映像化するのは難しいだろうなと思ったが、映画では濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎という個性あふれるキャラクターが出てきて桃子とやり取りするという手法で、なかなか面白いやり方だと思ったことだ。
75歳の主人公桃子を演じているのは田中裕子で、白髪のわりに若々しい肌にやや違和感があったが、逆に彼女の飄々とした演技が、暗くなりがちなテーマのこの映画に、何か明るい未来さえ感じさせてくれて、この映画に救いをもたらしているともいえる。若き日々の回想の中の桃子役は蒼井優が演じていて適役と思ったが、亡くなった夫の周造役をあの東出昌大が演じていて、こちらは若い頃から死ぬまでを一人で演じていた。桃子の心の中では、いつまでも若い頃のままだということなのだろうか。
桃子は、岩手の片田舎で息苦しさを感じながら成長し、意に添わぬ結婚から逃げるように、そして「自由な女」になるために家を飛び出して東京に出てくる。自分も含めて地方から都会に出て働いていた同時代の若者はおおむね同じような気分であったように思う。だから「それで自由になったのかい」と自分自身にも問いかけながら観てしまった。映画の中の桃子は、自由を求めて都会に出てきたはずなのに、今度は愛する夫に尽くすという形で自由を奪われる人生を歩んだのだろうか。夫に先立たれ子供たちは離れていくという時になって、初めて「心の自在さ」を手に入れたということなのだろうか。もしそうなら自分のこれからの人生もそう捨てたもんじゃないのかも知れないけど。「自由」という概念の難しさについては、前にクリストファーソンの歌について書いた時少し触れた(俺とボビー・マギー)が、死ぬまでこの問いは続くんだろうな。
桃子は単調な日々の中で内なる声を聞いていると、あれほど忌み嫌っていた故郷の方言でしゃべっていることに気が付く。遠い過去からつながっている命の連鎖の中に、自分もいるのだと思い至る。そして毎日図書館に通い、地球が誕生してからの46億年の生命の歴史を調べる日々を送る。気の遠くなるような時の流れの中で、一人の人間の生き死にはどういう意味があるのか…。これまたなかなか重いテーマで、この稿でこれ以上書くのは難しいのでここで筆を止めるが、こうした重いテーマを軽やかな描写で展開するこのドラマは、様々な含蓄を含んでいて、観る者にもう一度自分と自分を取り巻く世界に思いを馳せることを促す、そんな映画だったなと思ったことだよ。
Goodbye Yellow Brick Road[私の好きな20世紀の唄たち] vol.75 [20世紀の歌Ⅱ]
Goodbye Yellow Brick Road 邦題:黄昏のレンガ路
Written by Elton John & Bernie Taupin 1973
エルトン・ジョンについては伝記映画のレビューで少し触れた(映画『ロケットマン』)。その映画を観て、それまでエルトンが詞も曲も書いていると思い込んでいたが、詞の方は一度決別した時期があった以外は、ほとんどバーニー・トーピンが書いていたのだと知った。ファンなら知っていて当然のことだが、当時ろくにクレジットも見ずに、レンタルで借りてカセットテーブに録音して聴いていたぐらいだから、ある意味仕方のないことかも知れない。
売れないバンドマンだったエルトンが、リバティ・レコードの募集広告に応募した時、同じく応募していたバーニーと出会い、コンビを組む。それからのサクセスストーリーは書くまでもないほどである。ド派手な衣装でスーパースターへの階段を登っていくエルトンとそれを陰で支えるバーニーという構図だろうか。バーニーが書く詞は、次第にエルトンの生きざまを投影したものになっていったのかも知れない。都会育ちのエルトンに比べて、バーニーはロンドンから200キロ北にある電気も通らない農家の出身のようなので、環境の落差はエルトンの比ではなかっただろうと推察される。
標題の曲は1973年発表されエルトンの最高傑作とも言われるアルバム "Goodbye Yellow Brick Road" に収録されている。エルトンとのコンビを休止するのはもう少し後のようだが、この曲の中に急激にスターダムに上り、ヒット曲を量産しなくてはならないことへの疲れや違和感が表されているような気がする。あくまでも私の主観によるものではあるが。最初の数節をその主観によってあえて意訳すると、「お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ 俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった (とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ」となる。歌詞の解釈については様々な説があるようだが。
"Yellow Brick Road" はミュージカル映画『オズの魔法使い』の中で、エメラルドの都"OZ"に向かう「黄色いレンガ道」として出てくる。この道に続くオズの国は果たして理想の国なのか、それとも欲望渦巻く幻想の理想郷に過ぎないのか。バーニーにとってはどうも後者であったように思われてならない。歌詞を見ると結構ストレートにその時期のエルトンの状況を危惧し、諭している内容のようにも見える。そんな詞にこんな素晴らしい曲を付け、アルバム・タイトルにもしたエルトンって…、と思ってしまう。ゲイでもあったエルトンと常に仕事を共にして緊密な関係であったバーニーだが、音楽と私生活をきっちり峻別して、仕事上のベストパートナーであり続けた二人の関係には、我々には計り知れない互いへのリスペクトと絆があったのだろうと思う。
一度は袂を分かっていたバーニーが再び全曲を作詞した83年のアルバム"Too Low for Zero" に収録されている "I'm Still Standing" という曲がある。詞の真意はともかく、二人が再びタッグを組んで世に立ち向かおうとしている歌のように思えた。思えばバーニーは、一緒にいる時も離れている時も常にエルトンのことを見守ってきたのだろう。
youtubeは次の三つを。
Elton John - Goodbye Yellow Brick Road Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=DDOL7iY8kfo
Sara Bareilles - Goodbye Yellow Brick Road (Live Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=eAti8JNmJi8
Goodbye Yellow Brick Road · Queens Of The Stone Age
https://www.youtube.com/watch?v=PyBAI7MGXTs
さよなら黄色い煉瓦路 (大意。原詩は検索してみて下さい。)
お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい
いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ
俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった
(とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ
俺をずっと引き留めておくなんて無理だってわかってたはずだ
お前と約束した覚えはない
俺はお前の友達のための贈り物なんかじゃない
ブルースを歌うにはまだ若すぎるんだ
*
だから黄色いレンガの道とはおさらばだ
あんな金持ちが大騒ぎしている所はたくさんさ
お前の住むペントハウスに俺を閉じ込めておくことはできないよ
田舎に帰って田圃でも耕すつもりさ
**
森の中でイボガエルを狙って鳴いている
フクロウのもとに帰るんだ
おお、俺はやっと決めたんだ
黄色いレンガ道の向こうにある世界に行くってことを
そしたらお前はいったいどうする?
奴らはいつかきっとお前の乗った飛行機を撃ち落とすぞ
お前を再び地に足の着いた暮らしに戻すには
2・3杯のウォッカトニックが必要かもな
多分俺の代わりはすぐに見つかるさ
俺ぐらいの奴はいくらでもいる
地面を這いつくばってお前に近づき
分け前にありつこうと嗅ぎまわっている俗物どもがな
*
**
Written by Elton John & Bernie Taupin 1973
エルトン・ジョンについては伝記映画のレビューで少し触れた(映画『ロケットマン』)。その映画を観て、それまでエルトンが詞も曲も書いていると思い込んでいたが、詞の方は一度決別した時期があった以外は、ほとんどバーニー・トーピンが書いていたのだと知った。ファンなら知っていて当然のことだが、当時ろくにクレジットも見ずに、レンタルで借りてカセットテーブに録音して聴いていたぐらいだから、ある意味仕方のないことかも知れない。
売れないバンドマンだったエルトンが、リバティ・レコードの募集広告に応募した時、同じく応募していたバーニーと出会い、コンビを組む。それからのサクセスストーリーは書くまでもないほどである。ド派手な衣装でスーパースターへの階段を登っていくエルトンとそれを陰で支えるバーニーという構図だろうか。バーニーが書く詞は、次第にエルトンの生きざまを投影したものになっていったのかも知れない。都会育ちのエルトンに比べて、バーニーはロンドンから200キロ北にある電気も通らない農家の出身のようなので、環境の落差はエルトンの比ではなかっただろうと推察される。
標題の曲は1973年発表されエルトンの最高傑作とも言われるアルバム "Goodbye Yellow Brick Road" に収録されている。エルトンとのコンビを休止するのはもう少し後のようだが、この曲の中に急激にスターダムに上り、ヒット曲を量産しなくてはならないことへの疲れや違和感が表されているような気がする。あくまでも私の主観によるものではあるが。最初の数節をその主観によってあえて意訳すると、「お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ 俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった (とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ」となる。歌詞の解釈については様々な説があるようだが。
"Yellow Brick Road" はミュージカル映画『オズの魔法使い』の中で、エメラルドの都"OZ"に向かう「黄色いレンガ道」として出てくる。この道に続くオズの国は果たして理想の国なのか、それとも欲望渦巻く幻想の理想郷に過ぎないのか。バーニーにとってはどうも後者であったように思われてならない。歌詞を見ると結構ストレートにその時期のエルトンの状況を危惧し、諭している内容のようにも見える。そんな詞にこんな素晴らしい曲を付け、アルバム・タイトルにもしたエルトンって…、と思ってしまう。ゲイでもあったエルトンと常に仕事を共にして緊密な関係であったバーニーだが、音楽と私生活をきっちり峻別して、仕事上のベストパートナーであり続けた二人の関係には、我々には計り知れない互いへのリスペクトと絆があったのだろうと思う。
一度は袂を分かっていたバーニーが再び全曲を作詞した83年のアルバム"Too Low for Zero" に収録されている "I'm Still Standing" という曲がある。詞の真意はともかく、二人が再びタッグを組んで世に立ち向かおうとしている歌のように思えた。思えばバーニーは、一緒にいる時も離れている時も常にエルトンのことを見守ってきたのだろう。
youtubeは次の三つを。
Elton John - Goodbye Yellow Brick Road Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=DDOL7iY8kfo
Sara Bareilles - Goodbye Yellow Brick Road (Live Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=eAti8JNmJi8
Goodbye Yellow Brick Road · Queens Of The Stone Age
https://www.youtube.com/watch?v=PyBAI7MGXTs
さよなら黄色い煉瓦路 (大意。原詩は検索してみて下さい。)
お前はいつになったらこんな浮かれた世界から降りるんだい
いつになったら地に足を付けた生活に戻るつもりなんだ
俺はあの穏やかな農場の生活にとどまるべきだった
(とどまれと言った)親父の忠告に耳を貸すべきだったんだ
俺をずっと引き留めておくなんて無理だってわかってたはずだ
お前と約束した覚えはない
俺はお前の友達のための贈り物なんかじゃない
ブルースを歌うにはまだ若すぎるんだ
*
だから黄色いレンガの道とはおさらばだ
あんな金持ちが大騒ぎしている所はたくさんさ
お前の住むペントハウスに俺を閉じ込めておくことはできないよ
田舎に帰って田圃でも耕すつもりさ
**
森の中でイボガエルを狙って鳴いている
フクロウのもとに帰るんだ
おお、俺はやっと決めたんだ
黄色いレンガ道の向こうにある世界に行くってことを
そしたらお前はいったいどうする?
奴らはいつかきっとお前の乗った飛行機を撃ち落とすぞ
お前を再び地に足の着いた暮らしに戻すには
2・3杯のウォッカトニックが必要かもな
多分俺の代わりはすぐに見つかるさ
俺ぐらいの奴はいくらでもいる
地面を這いつくばってお前に近づき
分け前にありつこうと嗅ぎまわっている俗物どもがな
*
**
1117「明けの明星」と御影クラッセからの夕景 [日々の散策]
1117 05:30 の「明けの明星」。
春先は「宵の明星」として夕方から宵にかけて歩きながら金星を見ていた。夏になって金星の姿は見えなくなっていたが、その代わり秋になって木星と土星が中天に、火星が東の空にあるのを見ることが出来た。中学生の時だったか「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」と太陽系の惑星の名を習って、いまだに覚えているのだが、実際に夜空でそれを確かめたことはほとんどなかったように思う。地球以外の八つの惑星のうち四つが肉眼で見えるのは、ある意味すごいことだと思う。
星の写真は無理なのでwebからイメージ写真を借りる。
1114
宵には見えなくなっていた金星が「明けの明星」として東の空に輝いているというのは、早起きの家人から聞いていて、一度はベランダから見たりしたのだが、朝の5時に起きるのはトイレに立つ時くらいで、また二度寝するので、他の星のように散歩しながら見るというようにはならなかった。そのうち「有明の月」と金星がセットで見られると聞き、これは見たいと思った。14日の朝5時ごろトイレに起きると「金星と月が見えるよ、見いへんのかい」と言われて外に出てみた。金星の傍に異常に細い月が見えたので、慌てて家に戻りカメラを持って出てみたが、雲も少しずつ出てくるは明るくなってくるはで、うまく撮れなかった。何とか撮れたのが下の写真。
暁星(あかつきづき、ぎょうせい)と呼ぶそうだ。
その上にあった金星。
どちらも見えなくなった明け方の空(笑)。
よし明日こそと思ったが、「暦のページ」を改めて見ると翌日は朔日(新月)だったのだ。アチャーである。では17日の火曜日が三日月なのでその日にリベンジと思ったのだったが…
時の経過を表すためにこの時期の他の写真を。
皇帝ダリア。
まだ咲いていたクロコスミア。
これはコキア。
白いムラサキシキブ?
近所のお庭のオリーブの実。
1117
さて、この日も何故か早く目覚めたので、東の空がよく見えるところまで車で行った。「明けの明星」が明るく輝いていた。火星や木星も明るいと思っていたがひときわ明るいと思った。
三日月はどこ?と思ったが見当たらない。月の出は08時23分で日の出より2時間も遅いのであった。月の運行は太陽よりもはるかに速く変化するのだと思い知った。日の出の後では三日月も金星も見えるはずがなく、初めから全部調べておけよ、と自分のおバカぶりに腹も立つが、こうやって一つづつ分かっていくしかないんだなとも思う。次の有明月は12月11日で、月の出は02時17分ということだけ確認して、次回を期すことにした。
その日の夕方、せめて沈む前の三日月をと思って撮ったもの。
当たり前だが、日が沈まないと月は現れないのだということも今回改めて気付いた。ここでこの稿は終えるつもりだったが、翌日思いがけず美しい夕焼けに出会ったので付け足しておく。
1118
日の入りもどんどん早くなっていて、少し前に5時ごろだったのに、もう30分も早くなっている。4時過ぎに車を走らせていてふと思いついたので、夕日の名所?御影クラッセの屋上駐車場に行ったのが4時15分。西の方は雲がやや厚く、見えていた太陽は雲に隠れていた。今日は夕日は見えないな、と帰ろうとも思ったが、もう少しだけ待ってみようと思ったのが功を奏したのだった。ウォーキングの歩数が足りなかったので、広い駐車場を歩こうと思ったのも怪我の功名?
一度はグレーの雲に覆われていた西の空が次第に赤みを帯びてきた。
夕月(四日月?)もうっすらと。
そうこうするうちに、西の空がどんどん赤くなっていくので驚いた。いつもは赤い空を見てから写真を撮りに走っていたので。少し多いがめくり絵風に変化をご覧あれ。
夕焼けにも色々あるのだろうが、沈んだ太陽が上の雲を照らして赤く染まるのだ、ということを今回新たに学んだのであったよ。
<おまけ>
家人が近所のお庭に生っているヤマボウシの実を頂いてきた。ヤマボウシにこんな実が出来るんだと驚いたが、しかも食べられるらしい。ジャムや果実酒にも出来るようだが、どちらも砂糖をたくさん使うので、ドライフルーツにすることになった。サラダに入れたら美味しいかな?
春先は「宵の明星」として夕方から宵にかけて歩きながら金星を見ていた。夏になって金星の姿は見えなくなっていたが、その代わり秋になって木星と土星が中天に、火星が東の空にあるのを見ることが出来た。中学生の時だったか「水・金・地・火・木・土・天・海・冥」と太陽系の惑星の名を習って、いまだに覚えているのだが、実際に夜空でそれを確かめたことはほとんどなかったように思う。地球以外の八つの惑星のうち四つが肉眼で見えるのは、ある意味すごいことだと思う。
星の写真は無理なのでwebからイメージ写真を借りる。
1114
宵には見えなくなっていた金星が「明けの明星」として東の空に輝いているというのは、早起きの家人から聞いていて、一度はベランダから見たりしたのだが、朝の5時に起きるのはトイレに立つ時くらいで、また二度寝するので、他の星のように散歩しながら見るというようにはならなかった。そのうち「有明の月」と金星がセットで見られると聞き、これは見たいと思った。14日の朝5時ごろトイレに起きると「金星と月が見えるよ、見いへんのかい」と言われて外に出てみた。金星の傍に異常に細い月が見えたので、慌てて家に戻りカメラを持って出てみたが、雲も少しずつ出てくるは明るくなってくるはで、うまく撮れなかった。何とか撮れたのが下の写真。
暁星(あかつきづき、ぎょうせい)と呼ぶそうだ。
その上にあった金星。
どちらも見えなくなった明け方の空(笑)。
よし明日こそと思ったが、「暦のページ」を改めて見ると翌日は朔日(新月)だったのだ。アチャーである。では17日の火曜日が三日月なのでその日にリベンジと思ったのだったが…
時の経過を表すためにこの時期の他の写真を。
皇帝ダリア。
まだ咲いていたクロコスミア。
これはコキア。
白いムラサキシキブ?
近所のお庭のオリーブの実。
1117
さて、この日も何故か早く目覚めたので、東の空がよく見えるところまで車で行った。「明けの明星」が明るく輝いていた。火星や木星も明るいと思っていたがひときわ明るいと思った。
三日月はどこ?と思ったが見当たらない。月の出は08時23分で日の出より2時間も遅いのであった。月の運行は太陽よりもはるかに速く変化するのだと思い知った。日の出の後では三日月も金星も見えるはずがなく、初めから全部調べておけよ、と自分のおバカぶりに腹も立つが、こうやって一つづつ分かっていくしかないんだなとも思う。次の有明月は12月11日で、月の出は02時17分ということだけ確認して、次回を期すことにした。
その日の夕方、せめて沈む前の三日月をと思って撮ったもの。
当たり前だが、日が沈まないと月は現れないのだということも今回改めて気付いた。ここでこの稿は終えるつもりだったが、翌日思いがけず美しい夕焼けに出会ったので付け足しておく。
1118
日の入りもどんどん早くなっていて、少し前に5時ごろだったのに、もう30分も早くなっている。4時過ぎに車を走らせていてふと思いついたので、夕日の名所?御影クラッセの屋上駐車場に行ったのが4時15分。西の方は雲がやや厚く、見えていた太陽は雲に隠れていた。今日は夕日は見えないな、と帰ろうとも思ったが、もう少しだけ待ってみようと思ったのが功を奏したのだった。ウォーキングの歩数が足りなかったので、広い駐車場を歩こうと思ったのも怪我の功名?
一度はグレーの雲に覆われていた西の空が次第に赤みを帯びてきた。
夕月(四日月?)もうっすらと。
そうこうするうちに、西の空がどんどん赤くなっていくので驚いた。いつもは赤い空を見てから写真を撮りに走っていたので。少し多いがめくり絵風に変化をご覧あれ。
夕焼けにも色々あるのだろうが、沈んだ太陽が上の雲を照らして赤く染まるのだ、ということを今回新たに学んだのであったよ。
<おまけ>
家人が近所のお庭に生っているヤマボウシの実を頂いてきた。ヤマボウシにこんな実が出来るんだと驚いたが、しかも食べられるらしい。ジャムや果実酒にも出来るようだが、どちらも砂糖をたくさん使うので、ドライフルーツにすることになった。サラダに入れたら美味しいかな?
1115「北山山荘」の紅葉 @北山緑化植物園(西宮市) [日々の散策]
山荘の庭の紅葉を愛でつつ濃茶を喫す♪
北山山荘の庭の紅葉がそろそろ見ごろだというので、この日出掛けてみた。後で調べると去年も同じ時期に行っていたようだった。
「北山山荘」の紅葉2019
日曜日なので人は多いだろうと思ったが、庭先で抹茶がいただけるのは週末のみなので仕方ない。お昼時が比較的空いてるのかなと思って、1時ごろ植物園の駐車場に入った。駐車場も満車だったが、2台待ち程度だったのですぐに入れた。お昼を食べるために出る車が多かったのは予想通りだった。
今回は山を回らずいきなり山荘に向かう。
門を入るまでの道はまだ青々としていた。色づくには温度と日当たりが微妙に関係しているのだろう。
庭に入った瞬間赤く染まった紅葉が目に飛び込んできた。
見物の人たちはそこそこいたが、昼の時間帯のためか<密>にはなっていなかった。縁先で何組かがお茶を飲んでいたが、少し庭を鑑賞しているうちに場所が空いたのでお茶を頼んだ。お菓子付きでワンコインとリーズナブルである。
webでお盆に紅葉が映っている写真を見たので試してみたが、あまり上手く撮れなかったなあ。
それではお庭の紅葉と他の花々をいくつか並べてみよう。
30分ほどであったがお庭の紅葉を堪能した。
青葉のモミジが紅葉するまではまだ時間があるだろうが、その頃にはいま盛りの紅葉は終わっているかもしれない。見頃のタイミングは難しいものだ。
山荘の外は抜けるような秋空だった。
自宅の前の臨港線にユリノキ並木があるが、こちらにもあるかと少し探したら、一本だけ大きなものが見つかった。葉の形がユニークなので注目してご覧あれ。
夕方の散歩の中で見たちょっと変わった夕焼け。
自然は常に変化する姿を見せてくれる。
北山山荘の庭の紅葉がそろそろ見ごろだというので、この日出掛けてみた。後で調べると去年も同じ時期に行っていたようだった。
「北山山荘」の紅葉2019
日曜日なので人は多いだろうと思ったが、庭先で抹茶がいただけるのは週末のみなので仕方ない。お昼時が比較的空いてるのかなと思って、1時ごろ植物園の駐車場に入った。駐車場も満車だったが、2台待ち程度だったのですぐに入れた。お昼を食べるために出る車が多かったのは予想通りだった。
今回は山を回らずいきなり山荘に向かう。
門を入るまでの道はまだ青々としていた。色づくには温度と日当たりが微妙に関係しているのだろう。
庭に入った瞬間赤く染まった紅葉が目に飛び込んできた。
見物の人たちはそこそこいたが、昼の時間帯のためか<密>にはなっていなかった。縁先で何組かがお茶を飲んでいたが、少し庭を鑑賞しているうちに場所が空いたのでお茶を頼んだ。お菓子付きでワンコインとリーズナブルである。
webでお盆に紅葉が映っている写真を見たので試してみたが、あまり上手く撮れなかったなあ。
それではお庭の紅葉と他の花々をいくつか並べてみよう。
30分ほどであったがお庭の紅葉を堪能した。
青葉のモミジが紅葉するまではまだ時間があるだろうが、その頃にはいま盛りの紅葉は終わっているかもしれない。見頃のタイミングは難しいものだ。
山荘の外は抜けるような秋空だった。
自宅の前の臨港線にユリノキ並木があるが、こちらにもあるかと少し探したら、一本だけ大きなものが見つかった。葉の形がユニークなので注目してご覧あれ。
夕方の散歩の中で見たちょっと変わった夕焼け。
自然は常に変化する姿を見せてくれる。
1112 ヴァイパー奏者「大城敦博」Solo Live @アビリーン(神崎川) [ライブ鑑賞]
ヴァイパー奏者「大城敦博」Solo Live
前週の私たちのライブにわざわざ観に来ていただいたということもあり、この日のソロ・ライブを観に行きました。「琉球ヴァイオリン」をを演奏されるということで前から興味深く思っていましたが、なかなか行くきっかけがなかったということもありました。新たな音楽に飛び込むというのには、えいやっという勢いのようなものが必要なのかも知れません。
ヴァイオリン一つで2ステージをやるというのは、なかなか難しいように思えたのですが、演奏が始まっていく中で氷解していきました。
ライトを落とした状態からのスタート。
ステージ構成は一部:琉球音楽特集、二部:琉球発-世界名曲の旅ということで、大城さんのこれまでの音楽経歴をほぼ網羅するものだったと分かりました。三線やエイサーに代表される太鼓はあっても器楽のみの演奏がほとんどないことから、ヴァイオリンでその分野を開拓しようというのがそもそもの発端であったようです。
サイバー的コスチューム?と思ったら「エイサー」の衣装のようでした(笑)。
どういう順番からかは分かりませんが、ヴァイオリニストとしてクラシック、ポップス、ロック、ケルティック、ブルーグラス、ジャズなどの演奏経験を経て、これまで沖縄音楽には使われなかったヴァイオリンをアダプトさせるというのは独創的だなと思いました。少し前に仲間由紀恵さん主演のドラマ「テンペスト」の再放送を観ていたということもあり、複雑な歴史的経緯を持つ沖縄への想いを特に第一部では感じることが出来ました。
ソロで2ステージというのは大変だろうな、と思いながら観ていましたが、「ループペダル」という装置を使ってそれを補っているということを知りました。未だに良くは解ってないのですが、最初に弾いた何小節かのフレーズを、ペダル操作で録音し、次はそれをループ再生しながら新たな音を重ねていくというもののようでした。自分も時々一人多重録音をしたりすることがあるのですが、それをライブの中でリアルタイムにやっているということになるのかな?興味深い試みですが、実際やるとなると大変なんだろうなとも思いました。
ループペダルという機材(エフェクター)。
ヴァイパーというアメリカ製の6弦エレクトリック・ヴァイオリンを改造して使っていらっしゃるとのことでしたが、これもピチカートなどでベースノートを弾いたりなど、普通のヴァイオリンで出来ないことを可能にする楽器であるなあと感心しました。2ステージはあっという間に終わり、新たな分野を創出するということの大変さと素晴らしさと凄さを感じながら店を後にしました。
youtubeにたくさん演奏がアップされているので、その中の一つ(たぶんこの夜演奏されていたもの)を挙げてこの稿の終わりとします。
Viper-violin & Loop "With the Cool Breeze" 「涼風に連りてぃ」
https://www.youtube.com/watch?v=TgYOnm43N00
前週の私たちのライブにわざわざ観に来ていただいたということもあり、この日のソロ・ライブを観に行きました。「琉球ヴァイオリン」をを演奏されるということで前から興味深く思っていましたが、なかなか行くきっかけがなかったということもありました。新たな音楽に飛び込むというのには、えいやっという勢いのようなものが必要なのかも知れません。
ヴァイオリン一つで2ステージをやるというのは、なかなか難しいように思えたのですが、演奏が始まっていく中で氷解していきました。
ライトを落とした状態からのスタート。
ステージ構成は一部:琉球音楽特集、二部:琉球発-世界名曲の旅ということで、大城さんのこれまでの音楽経歴をほぼ網羅するものだったと分かりました。三線やエイサーに代表される太鼓はあっても器楽のみの演奏がほとんどないことから、ヴァイオリンでその分野を開拓しようというのがそもそもの発端であったようです。
サイバー的コスチューム?と思ったら「エイサー」の衣装のようでした(笑)。
どういう順番からかは分かりませんが、ヴァイオリニストとしてクラシック、ポップス、ロック、ケルティック、ブルーグラス、ジャズなどの演奏経験を経て、これまで沖縄音楽には使われなかったヴァイオリンをアダプトさせるというのは独創的だなと思いました。少し前に仲間由紀恵さん主演のドラマ「テンペスト」の再放送を観ていたということもあり、複雑な歴史的経緯を持つ沖縄への想いを特に第一部では感じることが出来ました。
ソロで2ステージというのは大変だろうな、と思いながら観ていましたが、「ループペダル」という装置を使ってそれを補っているということを知りました。未だに良くは解ってないのですが、最初に弾いた何小節かのフレーズを、ペダル操作で録音し、次はそれをループ再生しながら新たな音を重ねていくというもののようでした。自分も時々一人多重録音をしたりすることがあるのですが、それをライブの中でリアルタイムにやっているということになるのかな?興味深い試みですが、実際やるとなると大変なんだろうなとも思いました。
ループペダルという機材(エフェクター)。
ヴァイパーというアメリカ製の6弦エレクトリック・ヴァイオリンを改造して使っていらっしゃるとのことでしたが、これもピチカートなどでベースノートを弾いたりなど、普通のヴァイオリンで出来ないことを可能にする楽器であるなあと感心しました。2ステージはあっという間に終わり、新たな分野を創出するということの大変さと素晴らしさと凄さを感じながら店を後にしました。
youtubeにたくさん演奏がアップされているので、その中の一つ(たぶんこの夜演奏されていたもの)を挙げてこの稿の終わりとします。
Viper-violin & Loop "With the Cool Breeze" 「涼風に連りてぃ」
https://www.youtube.com/watch?v=TgYOnm43N00
1108 森林植物園の紅葉 @神戸市立森林植物園 [日々の散策]
神戸市立森林植物園のモミジは今が見ごろ。
最近寒くなったせいか朝早く目が覚める。といっても6時半過ぎなのだが(笑)。この日も天気が良さそうなので出てみることにした。普段10時半朝食6時夕食となっているので、たまにはこのリズムから逸脱したいという欲求が生まれるのだ。どこに行くという考えもなかったが、甲山森林公園と神戸市立森林植物園という名が浮かんできたので、今回は神戸の方に行ってみることにした。六甲山の方から西へ車を走らせると、開園前の9時50分には駐車場入り口に着いた。再度山の方から上がってきた車は入り口で結構渋滞していた。
駐車場から左手に入っていくと、まずメタセコイアの並木が出迎えてくれた。
かなり色づいてきてはいるがまだ赤くはない。
そのまま進んでいくと「多目的広場」に出た。ここは初めて来たかも。
片隅に十月桜が咲いていた。
薬樹園を通って管理事務所のある所に出た。サンタさんとトナカイが出迎えてくれた。
「あじさい坂」を下って「長谷池」に向かう。コロナ対策で右側通行になっていた。
いきなり赤く染まったモミジが目に飛び込んで来た。
「ドウダンツツジ」も真っ赤に。
他の花々もちらほら。ピンクと白のの山茶花。
「コムラサキ」。ムラサキシキブと区別はつかない。
長谷池が見えてきた。
ベンチで休んでいると赤トンボが止まった。人なつこいトンボだった。
池を一周したが圧巻の紅葉だった。前にも来たことがあるはずだったが、これほど見事だったという記憶がない。やはり一番いい時に来るべきなんだろうな、と思い付きで動いている自分をいつものように反省。
それでは長谷池の紅葉をランダムに。
いつものように選びきれず多くなってしまった(笑)。どこから見ても絵になるので仕方なく。
紅葉を堪能し、坂を上って元の場所に引き返した。
爽やかな秋空。
こんな季節まで残って咲いてくれていたアジサイ。
「ハウチワカエデ」。珍しい。
2時間弱、満足の紅葉狩りであった。
この植物園についてはもっと書いていたと思っていたが、これだけしか見つからなかった。
森林植物園の「紫陽花」
布引滝~TWENTY CROSS
最近寒くなったせいか朝早く目が覚める。といっても6時半過ぎなのだが(笑)。この日も天気が良さそうなので出てみることにした。普段10時半朝食6時夕食となっているので、たまにはこのリズムから逸脱したいという欲求が生まれるのだ。どこに行くという考えもなかったが、甲山森林公園と神戸市立森林植物園という名が浮かんできたので、今回は神戸の方に行ってみることにした。六甲山の方から西へ車を走らせると、開園前の9時50分には駐車場入り口に着いた。再度山の方から上がってきた車は入り口で結構渋滞していた。
駐車場から左手に入っていくと、まずメタセコイアの並木が出迎えてくれた。
かなり色づいてきてはいるがまだ赤くはない。
そのまま進んでいくと「多目的広場」に出た。ここは初めて来たかも。
片隅に十月桜が咲いていた。
薬樹園を通って管理事務所のある所に出た。サンタさんとトナカイが出迎えてくれた。
「あじさい坂」を下って「長谷池」に向かう。コロナ対策で右側通行になっていた。
いきなり赤く染まったモミジが目に飛び込んで来た。
「ドウダンツツジ」も真っ赤に。
他の花々もちらほら。ピンクと白のの山茶花。
「コムラサキ」。ムラサキシキブと区別はつかない。
長谷池が見えてきた。
ベンチで休んでいると赤トンボが止まった。人なつこいトンボだった。
池を一周したが圧巻の紅葉だった。前にも来たことがあるはずだったが、これほど見事だったという記憶がない。やはり一番いい時に来るべきなんだろうな、と思い付きで動いている自分をいつものように反省。
それでは長谷池の紅葉をランダムに。
いつものように選びきれず多くなってしまった(笑)。どこから見ても絵になるので仕方なく。
紅葉を堪能し、坂を上って元の場所に引き返した。
爽やかな秋空。
こんな季節まで残って咲いてくれていたアジサイ。
「ハウチワカエデ」。珍しい。
2時間弱、満足の紅葉狩りであった。
この植物園についてはもっと書いていたと思っていたが、これだけしか見つからなかった。
森林植物園の「紫陽花」
布引滝~TWENTY CROSS
1106 秋深まる…よき [日々の散策]
西浜公園のアメリカフウ(楓)。
近所編
秋は次第に深まってくる。近所の樹々も色づいてきた。まだまだのものも多いが、アメリカ楓は早くも赤くなっている。
他にもちらほら色づき始めた近所の秋をいくつか。
南京櫨。
銀杏並木。
南天の実。この夏は初めて南天の花を<発見>した。
ツワブキ(石蕗)。秋の終わりに咲くのもけなげだ。
この白い花は?
風がないと池に映る景色もよいものだ。「逆さ東屋」?
宮川にも冬鳥がちらほら。
残月光冷ややかに。
マユミの実。
アメリカ楓が色づいたのを見て、去年見た武庫川学院のメタセコイア並木を思い出して行ってみた。
アメリカ楓は色づいてきていたけど、メタセコイアはまだまだだった。去年は12月初めで少し遅かったので、時々見に行かなくちゃと思うけど、忘れるんだなあこれが。
住吉川編
ド根性南京櫨。
キクイモももうラストか。花だけを見てるとツワブキと同じに見える(笑)。
カワセミも毎日見られるわけではないが、一旦見つけたら飛んでいく方向に行くとまた発見できるようになった。
キセキレイ。今シーズン初めてかも。
この鳥は初めて見たけどミソサザイ?と思ったがカワガラスのようだ。
白い芙蓉も最後のひと咲き。
柿。
「とり集めたる事は秋のみぞ多かる。」と徒然草にあるがまことにむべなるかな。
ロイヤル・ホームセンターの駐車場からの夕景。
近所編
秋は次第に深まってくる。近所の樹々も色づいてきた。まだまだのものも多いが、アメリカ楓は早くも赤くなっている。
他にもちらほら色づき始めた近所の秋をいくつか。
南京櫨。
銀杏並木。
南天の実。この夏は初めて南天の花を<発見>した。
ツワブキ(石蕗)。秋の終わりに咲くのもけなげだ。
この白い花は?
風がないと池に映る景色もよいものだ。「逆さ東屋」?
宮川にも冬鳥がちらほら。
残月光冷ややかに。
マユミの実。
アメリカ楓が色づいたのを見て、去年見た武庫川学院のメタセコイア並木を思い出して行ってみた。
アメリカ楓は色づいてきていたけど、メタセコイアはまだまだだった。去年は12月初めで少し遅かったので、時々見に行かなくちゃと思うけど、忘れるんだなあこれが。
住吉川編
ド根性南京櫨。
キクイモももうラストか。花だけを見てるとツワブキと同じに見える(笑)。
カワセミも毎日見られるわけではないが、一旦見つけたら飛んでいく方向に行くとまた発見できるようになった。
キセキレイ。今シーズン初めてかも。
この鳥は初めて見たけどミソサザイ?と思ったがカワガラスのようだ。
白い芙蓉も最後のひと咲き。
柿。
「とり集めたる事は秋のみぞ多かる。」と徒然草にあるがまことにむべなるかな。
ロイヤル・ホームセンターの駐車場からの夕景。
1101 滝三つ @鳥取市国府町雨滝 [日帰り旅]
左から「雨滝」「布引の滝」「筥滝」。
少し前に山陰の滝を紹介する番組を観てすぐに録画しておいた。我が隠岐の島の「壇鏡の滝」も紹介していたが、他は初めて見る滝ばかりだった。まだこんなに知らない滝があるんだと思い、いつか行こうと場所をメモしておいた。
滝と前から行こうと思っていた「月山富田城」を組み合わせて一泊二日の旅をと考えていたが、前日の土曜日は安い宿が見つからず断念。"GO TO TRAVEL" も皆さん殺到しているのと、もともと安い宿が基本料金を一旦上げてクーポンで下げる、というような怪しい業者もいるような気がして、あまりいい感じがしないなあ。
この日、珍しく朝4時半に目覚めて、いつもなら二度寝するのだが、「明けの明星」と見ようと外に出てみた。
「明けの明星」。
そうこうしているうちに6時になったので、いっそ日帰りで鳥取の滝だけを見に行こうと車を出した。目的地は鳥取市の近くの国府町にある「雨滝」にした。近くに「布引の滝」と「筥滝」もあって一粒で三度おいしいと思ったからだ。中国縦貫~鳥取自動車道を走り、道の駅「かわはら」で右折してしばらく走ると「雨滝右」の看板が見えた。結構地元が推している滝のようだ。
10;00駐車場に着いた。早く出たからというのもあるが意外と近いなあ。
「筥滝展望台」があったがかなり遠い。あそこまで歩くのか?
滝の案内板。このあたりに10個も滝があるのか。
5分も歩くと滝が見えてきた。落ち葉が敷き詰められた風情ある川床。
左手にあるのが「布引の滝」落差20m。名前の通りたおやかな滝だ。
この滝は地下水が崖の途中からしみ出して滝になった珍しいもので「潜流瀑」というそうだ。
次に右手奥にある「雨滝」に向かったが、小さな木橋の右手に渓流と言った方がいいような小さな滝があった。
「佛谷の滝(仏谷渓谷)」というようだが、青葉と苔むした岩が配された日本庭園のような優美な滝だった。
さて「雨滝」が見えてきたが、手前の木々と落ち葉の絨毯で日本画のような美しさ。
「雨滝」落差40m。扇ノ山を源流とした雨滝川(袋川という記述も)にかかる滝ということだ。
水量の多い滝で、滝壺に近づくと水しぶきがかかってくる。オーソドックスで豪快な滝だった。
次の滝はと見ると、たくさんあったが「筥滝」を目指すことにする。
ひと山越える山歩きになりそうだ。
坂の途中で滝を振り返って見る。
凄い階段!これを見て行くのをやめる人も多いかも。
階段の上から見た滝。
崖沿いの山道を歩いて行く。
少しだけ紅葉が。
20分ほど歩くと「筥滝」が見えてきた。
「筥滝」落差30m。重箱を重ねたような岩肌からその名が付いたという。
一段かと思っていると、川床に下りたらその上にもう一段滝があった。
更に上にも滝があるようだが、ドローンでないと無理みたい(笑)。
荒々しい柱状節理に圧倒される。
左手に上の段に上る梯子が。よく整備されてるな。
それでは「筥滝」の全てをランダムに。
どの滝も素晴らしかったが、自分的には「筥滝」が一番インパクトが強かったなあ。
滝を堪能して引き返した。
11:50駐車場に戻る。昼は鳥取市内で食べようと車を走らせた。
来る途中で見かけたススキ原。
「殿ダム」という珍しい石造りのダムもあった。
早起きしすぎてくたばっていたので、昼食を食べてからしばらく車で仮眠してから帰途に就いた。滝を三つ見ただけだったが十分満足した日帰り旅であった。鳥取は近いということも再認識したのであったよ。
少し前に山陰の滝を紹介する番組を観てすぐに録画しておいた。我が隠岐の島の「壇鏡の滝」も紹介していたが、他は初めて見る滝ばかりだった。まだこんなに知らない滝があるんだと思い、いつか行こうと場所をメモしておいた。
滝と前から行こうと思っていた「月山富田城」を組み合わせて一泊二日の旅をと考えていたが、前日の土曜日は安い宿が見つからず断念。"GO TO TRAVEL" も皆さん殺到しているのと、もともと安い宿が基本料金を一旦上げてクーポンで下げる、というような怪しい業者もいるような気がして、あまりいい感じがしないなあ。
この日、珍しく朝4時半に目覚めて、いつもなら二度寝するのだが、「明けの明星」と見ようと外に出てみた。
「明けの明星」。
そうこうしているうちに6時になったので、いっそ日帰りで鳥取の滝だけを見に行こうと車を出した。目的地は鳥取市の近くの国府町にある「雨滝」にした。近くに「布引の滝」と「筥滝」もあって一粒で三度おいしいと思ったからだ。中国縦貫~鳥取自動車道を走り、道の駅「かわはら」で右折してしばらく走ると「雨滝右」の看板が見えた。結構地元が推している滝のようだ。
10;00駐車場に着いた。早く出たからというのもあるが意外と近いなあ。
「筥滝展望台」があったがかなり遠い。あそこまで歩くのか?
滝の案内板。このあたりに10個も滝があるのか。
5分も歩くと滝が見えてきた。落ち葉が敷き詰められた風情ある川床。
左手にあるのが「布引の滝」落差20m。名前の通りたおやかな滝だ。
この滝は地下水が崖の途中からしみ出して滝になった珍しいもので「潜流瀑」というそうだ。
次に右手奥にある「雨滝」に向かったが、小さな木橋の右手に渓流と言った方がいいような小さな滝があった。
「佛谷の滝(仏谷渓谷)」というようだが、青葉と苔むした岩が配された日本庭園のような優美な滝だった。
さて「雨滝」が見えてきたが、手前の木々と落ち葉の絨毯で日本画のような美しさ。
「雨滝」落差40m。扇ノ山を源流とした雨滝川(袋川という記述も)にかかる滝ということだ。
水量の多い滝で、滝壺に近づくと水しぶきがかかってくる。オーソドックスで豪快な滝だった。
次の滝はと見ると、たくさんあったが「筥滝」を目指すことにする。
ひと山越える山歩きになりそうだ。
坂の途中で滝を振り返って見る。
凄い階段!これを見て行くのをやめる人も多いかも。
階段の上から見た滝。
崖沿いの山道を歩いて行く。
少しだけ紅葉が。
20分ほど歩くと「筥滝」が見えてきた。
「筥滝」落差30m。重箱を重ねたような岩肌からその名が付いたという。
一段かと思っていると、川床に下りたらその上にもう一段滝があった。
更に上にも滝があるようだが、ドローンでないと無理みたい(笑)。
荒々しい柱状節理に圧倒される。
左手に上の段に上る梯子が。よく整備されてるな。
それでは「筥滝」の全てをランダムに。
どの滝も素晴らしかったが、自分的には「筥滝」が一番インパクトが強かったなあ。
滝を堪能して引き返した。
11:50駐車場に戻る。昼は鳥取市内で食べようと車を走らせた。
来る途中で見かけたススキ原。
「殿ダム」という珍しい石造りのダムもあった。
早起きしすぎてくたばっていたので、昼食を食べてからしばらく車で仮眠してから帰途に就いた。滝を三つ見ただけだったが十分満足した日帰り旅であった。鳥取は近いということも再認識したのであったよ。
神戸ホンキートンク11月のスケジュールなどなど [神戸ホンキートンクライブ日程]
小魚を咥えたカワセミが撮れました。
10月の月末は29日が「十三夜」、31日が10月二度目の満月=BLUEMOON と慌ただしく過ぎました。ハロウィンもあったか(笑)。
Bluemoon と火星(ちょっと見えにくいか)。
最近見つけた夕景スポット御影クラッセ屋上から見た夕景。
そんなこんなで11月が始まります。先日のライブの時、今年一杯で閉店ということになっていた神崎川のアビリーンが、新たな方により来年初めに再開しそうだという情報が入ってきました。常にミュージシャン・ファースト、お客さんファーストを貫いてこられた峰マスターの志を受け継いで下さる方が出たことを喜びたいと思います。私が関わっている"Hobo & Ohya" のユニットがどうなるかは全く未知数ですけど、とりあえず12月25日(金)のラスト・ライブに全力を尽くしたいと思っています。
ABILENE
大阪市淀川区新高2-16-12
06-6399-5335(阪急神崎川駅から徒歩5分)
http://abileneishibashi.web.fc2.com/
abileneトミー峰の独り言
http://blog.livedoor.jp/abilene1162/
神戸ホンキートンク11月のスケジュールがFBにアップされたので転載します。コロナ禍で休止していたバンドもだいぶ復帰してにぎやかなスケジュールになっています。私のユニット"Hobo & Friends" も来月初め(12月4日)に出させていただく予定です。変更等あるかもしれないので、お店に問い合わせの上是非お越しください。ライブハウスの灯を消さないように。
神戸ホンキートンク
神戸市中央区加納町2-2-2
Tel:078-241-2161
神戸ホンキートンク11月のスケジュール
(クリックすると少し大きくなります)
それでは、今月もよろしくお願いいたします。
10月の月末は29日が「十三夜」、31日が10月二度目の満月=BLUEMOON と慌ただしく過ぎました。ハロウィンもあったか(笑)。
Bluemoon と火星(ちょっと見えにくいか)。
最近見つけた夕景スポット御影クラッセ屋上から見た夕景。
そんなこんなで11月が始まります。先日のライブの時、今年一杯で閉店ということになっていた神崎川のアビリーンが、新たな方により来年初めに再開しそうだという情報が入ってきました。常にミュージシャン・ファースト、お客さんファーストを貫いてこられた峰マスターの志を受け継いで下さる方が出たことを喜びたいと思います。私が関わっている"Hobo & Ohya" のユニットがどうなるかは全く未知数ですけど、とりあえず12月25日(金)のラスト・ライブに全力を尽くしたいと思っています。
ABILENE
大阪市淀川区新高2-16-12
06-6399-5335(阪急神崎川駅から徒歩5分)
http://abileneishibashi.web.fc2.com/
abileneトミー峰の独り言
http://blog.livedoor.jp/abilene1162/
神戸ホンキートンク11月のスケジュールがFBにアップされたので転載します。コロナ禍で休止していたバンドもだいぶ復帰してにぎやかなスケジュールになっています。私のユニット"Hobo & Friends" も来月初め(12月4日)に出させていただく予定です。変更等あるかもしれないので、お店に問い合わせの上是非お越しください。ライブハウスの灯を消さないように。
神戸ホンキートンク
神戸市中央区加納町2-2-2
Tel:078-241-2161
神戸ホンキートンク11月のスケジュール
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それでは、今月もよろしくお願いいたします。