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小説『尼子経久』(中村整史朗)雑感 [読書]

小説『尼子経久』中村整史朗作(PHP文庫)
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少し前にBSの「英雄たちの選択」シリーズで『難攻不落!月山富田城〜尼子vs.毛利 史上最大の籠城戦〜』をやっていたので録画して観た。このシリーズは『武士の家計簿』などで知られる歴史学者の磯田道史が司会を務める番組で、たまたまTVを点けて観ることが多かったが、水曜日の朝8時だったんだ。ちゃんと覚えておこう(笑)。月山富田城は我が島根県にかつてあった山城なので、ぼんやりと知ってはいたが、それ以上突っ込むことなく今に至っていた。番組を観て山城としての素晴らしさはよく分かったが、この城を拠点として山陰から中国一帯を席巻した尼子氏のことをもっと知りたくなった。
月山富田城址遠望。(島根県安来市広瀬町富田)
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尼子氏については、その全盛期よりは、毛利元就によっていったん亡ぼされた後、遺臣の山中鹿之助幸盛が尼子家再興を願い、「我に七難八苦を与えたまへ」と神仏に祈ったというエピソードのことの方が記憶には残っている。京の東福寺で僧をしていた尼子誠久の遺児・勝久を還俗させて、月山富田城の奪還を目指したがうまくいかず、最終的には信長・秀吉を頼って上月城(兵庫県)に入ったが、毛利に攻められて滅んだということであるが、こちらの方が多くの大河ドラマで取り上げられることが多いからかもしれない。
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この番組を観て富田城址を見に行きたいと思ったが、詳しい解説を見ながらでないと、ただの山城としか見ることはできないようにも思った。ふと、かなり前に『尼子経久』という小説を買っていたな、と思い出して本棚を探すと標記の文庫本があった。パラパラと頁をめくってみたが覚えがないので、「積読」だったのだろうと思う。作者の中村整史朗について調べてみたがプロフィールはほとんど見当たらなかった。他に『本田正信』や江戸の雑学的な著書があったが全て絶版になっていて、それほどメジャーにならなかった作家のようではある。
尼子経久像。
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読み始めると、当然であるが出雲や石見の知っている地名がどんどん出てきて興味深く読めた。尤も、他県の人が読んでも全く知らない地名ばかりで面白くないだろうと思う。そういうところが「尼子氏の物語」がメジャーになれない要因の一つかも知れない。こちらは国人(豪族)の苗字として「三刀屋」とか「古志」「新宮党」とか出てくると「おおっ!」となるんだけど。出雲尼子氏の祖は尼子持久といって経久の祖父にあたる。京極氏の一族で近江国甲良荘尼子郷(今の滋賀県甲良町)に居住したので尼子氏を名乗るようになったということである。出雲・飛騨・隠岐・近江守護を務める京極家から守護代として出雲に派遣されたが、孫の経久の代になって室町幕府や守護の命を聞かなくなり、一度は守護代の地位を剥奪されるが、実力で月山富田城を奪い返し勢力を広げ、遂には「十一ヶ国太守」と称されるほどの戦国大名となる、というサクセスストーリーである。
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作者によると、下克上の嚆矢と言われる北条早雲より前に下克上を行ったパイオニアということであるが、一般にそう言われないのは、北条氏が五代にわたって関東を支配したのに対して、尼子氏は経久の孫の詮久(後の尼子晴久)の代に一時は勢力を拡大するも、毛利元就によって滅ぼされてしまったからかも知れない。毛利氏が「三本の矢」の教えを元に一族の支配体制を強固にしていったのに対し、尼子氏は経久の能力や人間的魅力のみに支えられていたという違いがあったのかもしれない。であるにしても、山陰の雄尼子氏についてはもう少し歴史の光が当てられてもいいのではないかと思われた。

この稿を書くにあたって色々調べていると、1997年の大河ドラマ『毛利元就』の中で緒形拳が尼子経久役を実に魅力的に演じていたことが分かった。というか思い出した(笑)。そのダイジェスト版がyoutubeにあったので、それを引用してこの稿を終えたいと思う。
尼子経久ダイジェスト
https://www.youtube.com/watch?v=HEqeqevOxRI
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今やっている大河の『麒麟がくる』などを通して、三好長慶やその家来の松永久秀などが再評価される機運になっているようだ。願わくば尼子一族の興亡も再評価され、小説に書く人が出てきてほしいと思ったことだよ。

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