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Changes(木の葉の丘) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.69  [20世紀の歌Ⅱ]

Changes (木の葉の丘)
written by Phil Ochs 1966
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この歌を初めて聴いたのは、森山良子のセカンドアルバムに入っていた日本語版によってであった(1967「愛する人に歌わせないで」所収)。当時中学生だったと記憶しているが、兄姉たちが買って帰った数枚のアルバムの中の一つであったので、何もわからぬまま何度も聴いていたと思う。A面がオリジナル、B面がアメリカのフォークやスタンダード(フランスのもあったか)を原語や訳詞で歌っていて、今振り返ってもいいアルバムだった。
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その後大学に入ってから、ブラフォーやライトフットが歌っているのを聴いたが、作者のフィル・オクスについて知ったのはごく最近のことである。昔は、誰それが歌っているあの曲というような受け入れ方しかしていなかったのであった。
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フィル・オクス(1940~1976)の音楽的デビューは1962年頃らしい。時に比較されるボブ・ディランの最初のアルバムがやはり62年だからほぼ同時代といっていい。ディランが "Blowin' In The Wind" や "The Times They Are A-Changin'" などの歌でプロテスト・シンガーの旗手となりながら、そこから脱却し、自らの音楽を進化させていったのに対し、フィルは生涯を通じてプロテスト・ソングの枠から出られずにいたとも言われている。

彼のことをよく理解もしていないのでこれ以上の言及は避けたいが、この項で取り上げたフィルの歌は、同じ"Change"という語を使いながら、ディランの「時代は変わる」とはずいぶん趣を異にしていると感じられた。ディランが旧態依然とした社会に対して変革の必要性と可能性を声高に語っているのに対して、フィルの歌は常に変化して生まれては消えていく、生きとし生けるものの定めのようなものを歌っているように思えた。

観念的・哲学的な字句が使われていて、うまく訳せない部分も多いのだが、私たち日本人(東洋人?)には、鴨長明の『方丈記』にあるような仏教的無常観などを連想させるような世界観が表されているような気がする。しみじみとしたいい詞だと思うのだが、若いソング・ライターがこれから様々な可能性を切り開いていく、というよりは、様々な体験を経て、一種の諦念にも似た心境に到達している、というようにも見えなくはない。この曲が彼のその後を決定づけたなどと言うつもりもないのだけれど。

森山良子が歌っている邦題「木の葉の丘」の訳詞をしたのは、ビートルズなどのプロモートをしていた星加ルミ子という人らしい。原詩の内容を日本語に乗せるのは難しいと思われるが、原作者の意図するところをやさしい言葉で、うまく表現しているように思う。
一部を紹介すると、

世界のどこでさえも生まれるものと
消えるものがすべてを変える
いつでもChanges
朝(あした)の祈りさえもざわめきの中に
いつのまにか消されてしまう
いつでもChanges
生きてるつながりさえ細い鎖だけ
移り変わる世界はいつでも
いつでもChanges

中学生の自分もこの歌を口ずさみながら、はかなさのようなものを感じていたと思う。人生の終盤に差し掛かってきた自分には、また昔とは違った感慨を以て感じられるようだ。彼がそう長くはない生涯の間に作った多くの曲を寡聞にして知らずにいるが、この曲と、バエズやPP&Mも歌っている "There But for Fortune" などの歌は、これからも大切に歌っていきたいと思った。

youtubeでは実に多くのカバーがあげられているが、本人のものを含めていくつか紹介しておく。
最近ではかのセルダム・シーンも取り上げているなあ。

Phil Ochs - Changes
https://www.youtube.com/watch?v=rlVfVBFdMaM
The Brothers Four - Changes 木の葉の丘
https://www.youtube.com/watch?v=soXt6L7FFDs
GORDON LIGHTFOOT ~ Changes ~
https://www.youtube.com/watch?v=cybVspvzb9g
木の葉の丘 森山良子 
https://www.youtube.com/watch?v=RqrCW0FpisM
Neil Young Changes
https://www.youtube.com/watch?v=MUwYaHXxIkg
Changes The Seldom Scene
https://www.youtube.com/watch?v=yn3Zw4mwzRE
Changes :: Tony Rice (Nightflyer)
https://www.youtube.com/watch?v=zWHrjVNM3FY


チェンジス(大意。原詩は検索してみてくださいね)

僕のそばに座って空気と同じくらい密着して
灰色の記憶の中で
僕がチェンジという言葉をもてあそび
紡いだ言葉の中に彷徨い
浮かんだ映像について夢想するのに
しばし付き合ってくれ

夏の間緑だった木の葉が秋には赤く色づき
茶色や黄色に変わり
やがては変化という輪廻の循環の中に
とり込まれて枯れてしまう

若かったころの光景は温かいイメージとして心に残るけれど
その輝きは実は影のような幻に過ぎず
変化という運命の糸にからめ取られたものだと
いつか気付いてしまう

この地球は狂おしく回転していて
闇の中にただよい
霞の空洞の中を通りながら揺れ
星たちが太陽の周りを競争するように回るのは
変化という節理に燃える宇宙を巡る旅だ

時間という魔法は夜に輝き
森の全ての恐怖は無くなってしまうように見えるが
それらの幻も変化の中で朝日の光の一閃で
奪い取られてしまう

情熱も奇妙なメロディを奏でてバラバラになっていく
火が時には冷たく燃えるように
風に舞う花びらのように
変化という魂の銀の糸に操られる人形みたいに




Live Again!


Changes


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An American Trilogy(アメリカの祈り ) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.68 [20世紀の歌Ⅱ]

An American Trilogy(アメリカの祈り )
     arranged by Mickey Newbury
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私がこの組曲(「アメリカ三部作」が原題)を初めて聴いたのは、やはり72年の「エルビス・オンステージ」だったのだろう。メドレー風の曲の中で、PP&M も演っていた "All My Trials" の一節を歌っていたので、「エルビスもこの歌を歌ってるんだ」と思った記憶がある。その時はそれ以上を探ろうとも思わずに時が過ぎていった。プレスリーの歌を自分も歌おうという気持ちが当時の自分の頭にはあまりなかったのだろう。
Elvis Presley
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最近になって、ブルーグラスでもよく取り上げられている "Why You Been Gone So Long" という曲が70年代に活躍した カントリー系SSW の Mickey Newbury の作品だったと知り、そこからこの組曲と<再会>するに至ったのだった。youtubeはこんな出会いもさせてくれるんだなあ。彼は1971年のアルバム "Frisco Mable Joy" の中でこの曲を初めて歌っている。

ミッキー・ニューベリーは、テキサス州ヒューストンの出身らしいので、三部作の最初の曲 "I Wish I Was in Dixieland" はそういう彼の南部への郷愁から取り上げられたのかな、と思っていた。この歌は南北戦争の頃の南部諸州の非公式な軍歌として愛唱されていたらしい。前に取り上げた "Old Dixie Down" も古き良き南部へのシンパシーが語られていた。ちょうど日本の明治維新の際に賊軍とされた新撰組や会津藩(白虎隊)などに対するシンパシーとどこか似たところがあるようにも思った。
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2曲目の "The Battle Hymn of the Republic"(リパブリック讃歌)は、逆に南北戦争における北軍の行軍曲である。対立する南北のそれぞれの愛唱歌が並べられているのには、ミッキーの切実な思いが込められていると見るべきだろう。「勝てば官軍」という言葉があるが、北軍が勝ったことで、そしてリンカーンの「奴隷解放宣言」の演説などで、南軍は決定的に賊軍としての扱いを受けてしまったが、実情はそう単純なものでもなかったらしい。南北の<分断>ではなく<宥和>であってほしいという祈りも似た気持ちがここにはある。
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そして最後の曲 "All My Trials"(私の試練)は伝承歌で、一説にはバハマ諸島で歌われていたものが採譜されたとも言われているが、差別され虐げられてきた黒人奴隷が、死によってはじめてそれらの苦しみから解放されるというという無念の思いを子守唄の形で歌ったものである。

戦後のある部分でアメリカナイズされたこの国に生まれ育った私達が、よその国の音楽であるアメリカのロック・フォーク・ジャズ・カントリーなどを愛好し、歌い継いでいくことの意味はなんだろう、と時々考えたりする。その音楽そのものが素晴らしいからというのはもちろんだが、それらの楽曲の中に「多くの人種・民族が宥和し共存する自由の国アメリカ」の理想を見ることができたからではないだろうか。かつてのアメリカにはそういう自由が、そして自由と平等を追求する気運のようなものが感じられた気がする。翻って分断と格差が広がっているかにも見える昨今のアメリカ、そしてわが国の現状を見るにつけても、この歌の精神をこれからも大切に持ち続け、歌い継いでいくべきなのだと改めて思ったことだ。

youtube は下の3人のものを。他にも多くのシンガーがカヴァーしている。
Mickey Newbury : An American Trilogy
https://www.youtube.com/watch?v=RiTjElq5Xjs
Elvis Presley - An American Trilogy (Live) [HD]
https://www.youtube.com/watch?v=jrsbC-IMayg
ANDY WILLIAMS - AMERICAN TRILOGY -(LIVE)
https://www.youtube.com/watch?v=7XfDrx4HVEI
自分でも歌ってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=Iuk05IaRL48


An American Trilogy(アメリカの祈り) (大意。原詩は検索してみてください。)

I Wish I Was in Dixieland ( Dixie )
おお、私は綿畑の広がる懐かしい南部の国に暮らしたい
忘れることのない懐かしき土地に
遥かかなたの、遥かかなたの、ディキシーランド

ディキシーの地に暮らしたい、遥か遥かかなたの
ディキシーの地、そこに生き、死ぬ依り所にになると信じる彼の地に

ディキシーランドで私は生まれた
寒く霜の降りる早朝のことだった
遥かかなたの、遥かかなたの、ディキシーランドで

The Battle Hymn of the Republic
神に栄光あれ
神に栄光あれ
神に栄光あれ
神の真理は前に進むのみ

All My Trials (私の試練)
さあ静かにお休み わが子よ
泣いていてはいけない
お前の父はもうすぐ死ぬのだ
永く辛かった私の試練は もうすぐ終わりを迎えるのだ



Frisco Mabel Joy


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Another Lonesome Day [私の好きな20世紀の唄たち] vol.67 [20世紀の歌Ⅱ]

Another Lonesome Day (Another Lonesome Morning)
    written by Wendy Thatcher

Wendy Thatcher with Eddie Adcock and IInd Generation (June 1970)
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今やっているバンドでこの曲を演ることになり、改めて誰が書いた歌なのかな、とクレジットを見ると。70年代初めに II Generation でリードボーカルをしていた Wendy Thatcher だった。彼女はニューグラスの時代の幕開けを象徴するような女性シンガーだったように記憶している。"Head Cleaner"というアルバムの中で "Virginia"という曲を作り歌っていたのだが、その後バンドを離れている。youtubeで検索しても90年ごろに"kitchen tapes"という自宅で録音したものが2・3あるだけで、この曲を彼女が歌っているものは見つからなかった。

私がこの曲を知ったのは The Seldom Scene の "Act 3"(73)によってであり、次いで The Cox Family の "Beyond The City" (95)であったが、他にも多くのアーティストによってカヴァーされている。エミルー・ハリスのものが有名なのかな。
The Seldom Scene
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The Cox Family
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Emmylou Harris
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歌詞を見てみると、恋人に去られて一人ぼっちで過ごす日々をかみしめる中で、改めて彼女(彼)が自分に必要だったんだと気づく、という内容である。"Bobwhite" って何?と調べると、ヴァージニアの山野に棲む野鳥で日本名では「コリンウズラ」というウズラの一種らしい。
Bobwhite
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求愛の鳴き声が可愛い鳥なんだろうな、とその時は納得していたのだが、少し経って「鶉」と漢字で表してみると、日本の和歌の中でも、鶉が恋人を偲び求める象徴として使われていることを思い出した。一首を例に挙げると、
「夕されば野辺の秋風身にしみて鶉(うづら)鳴くなり深草の里」(藤原俊成)がある。
深草の里。
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この歌は『伊勢物語』123段を踏まえて作られた本歌取りの歌で、昔教室で教えた記憶がかすかによみがえってきた(笑)。恋人と別れてからの日々の中で、夕暮れ時しみじみとした気持ちでたたずんでいると、鶉の鳴く声がした。別れた恋人が自分を求めて泣いているかのように(あるいは自分がその恋人を偲んでいるかのように)聞こえることだよ、というほどの内容だが、海を隔てた二つの国で「鶉」という鳥がほぼ同じ趣の歌題で取り上げられていることに不思議さを覚えた。

世の中に別れの歌は山ほどあるが、親しい人の<不在>を歌ったものは意外と少ないのかもしれない。私がこれまで取り上げてきた中ではジャニス・イアンの「我が心のジェシー」ぐらいだろうか。これから先の日々を考えると、この歌がいっそう愛おしいものに感じられてくるのであったよ。

ところで蛇足であるが、II Generation の最初のアルバムのベーシストのクレジットが Bob "Quail" White となっていた。この曲と何か関係があるのかな。少なくとも曲想のインスピレーションは受けたのかもしれないが。

Wendyは2017年に亡くなられたそうである。R.I.P.

youtubeは以下のものを。本人のものが見つからないのが寂しい。

The Seldom Scene - Another Lonesome Day
https://www.youtube.com/watch?v=G_TMlkJ_lNc

Tony Rice Another Lonesome Day
https://www.youtube.com/watch?v=YoazxkGzyNY

Emmylou Harris - "Another Lonesome Morning"
https://www.youtube.com/watch?v=z7P5Kuo3zSs

The Cox Family ~ Another Lonesome Morning
https://www.youtube.com/watch?v=s_QtsIPqPyE

あの人のいない朝 (大意。原詩は検索してみてください。)

あの人のいない寂しい朝がやってくる
長く孤独な一日がまた続く
もう彼女のいない日々を過ごさねばならないと 
朝の空気がそれを伝えてくれる

これまでとは違う孤独な朝が訪れても
お前はそれほど気にならないと思っていた
けれど朝のそよ風に吹かれると
彼女がそばにいてくれたらと思っている自分に
ふと気付かされる

森のウズラは古いラブソングを歌い続ける
懸命に相手を喜ばせようと
お前は彼女が昔好きだったその声を聞く
木の葉のざわめきを通して
木の葉のざわめきを通して

彼女を失ってお前は気付く
彼女にずっとそばにいて欲しかったんだと
そしてお前は知ることになる
これから訪れる全ての新たな孤独な朝が
新たな淋しい一日をもたらすことを
新たな淋しい一日を…


Act Three


Beyond the City


Cimarron


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プー横丁の家(House at Pooh Corner) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.66 [20世紀の歌Ⅱ]

プー横丁の家(House at Pooh Corner) [私の好きな20世紀の唄たち] vol.66
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House at Pooh Corner
written by Kenny Loggins

この歌を初めて聴いたのはニッティ・グリッティ・ダート・バンド(NGDB)の70年のアルバム「アンクル・チャーリーと愛犬テディ」によってであった。実際にこのアルバムを買ったのは73年ぐらいだっただろうか。このアルバムには前にも取り上げた "Mr. Bojangles" など名曲ぞろいだったので、その中の一曲として、いい曲だなぐらいに受け止めていた。ロギンス&メッシーナのケニー・ロギンスの作だと知ったのはもっと後だったと思う。実際 L&M がアルバムデビューしたのはその後だったようだから、NGDB に曲を提供したのがデビューのきっかけになったのかもしれない。
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"Pooh" がクマのプーさんのことだというのは恥ずかしながら当時は知らなかった。当時の日本版のLPの邦題は「貧乏横丁の家」となっていたらしく、私もそれを見ていたのだろう。訳者が "poor" と思い違いをしていたからだろうが、70年代の洋楽受容が錯綜に満ちたものだったということの一例ともいえる(笑)。脱線ついでに言うと、当時グータラな学生生活を長く送り、仕事にも就かないでいる自分たちのことを「プー」(プータロウの略)と呼んでいたりしたから(「関々同プー」というバンドもあったなあ)、なおさら誤解に拍車がかかったのかもしれない。

また、当時京都に「プー横丁」というレコード店が出来ていて、ルーツ・ミュージック系のレコードを取り扱っていたらしいことも、「プー横丁」という言葉が歌から離れて自分の若かりし時代を象徴するもののような気分を醸成した一因になったかもしれない。このお店の名前もNGDBの歌からインスパイアされたと改めて調べて分かった。
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さてやっと歌の内容に入るが、この歌はA.A.ミルンが息子のクリストファー・ロビンのことを題材に書いた童話『プー横町にたった家』にインスパイアされてケニーが高校生の頃に作った歌なのだそうで、優れたミュージシャンというものは若くして才を発揮するものだなあということの一例である。クリストファー・ロビンが、森の中でくまのプーと過ごした日々を大人になっても忘れずにいよう、というような内容である。

ケニー・ロギンスは80年代になって「フット・ルース」などによって大ブレークするが、ロギンス&メッシーナ時代も味があってなかなかいい。アン・マレーなども彼の歌をいくつか取り上げ、ヒットさせている。また、94年には自分の子供たちのために "Return to Pooh Corner" というアルバムも作っている。彼の音楽人生の中で、この「プー横丁の家」の歌が常に心のどこかで鳴り響いていたのかもしれない。

youtubeは以下のものを
House at Pooh Corner - Loggins & Messina
https://www.youtube.com/watch?v=5G5x3fpfpFI

House at Pooh Corner - The Nitty Gritty Dirt Band
https://www.youtube.com/watch?v=38Lob87t-V8

Kenny Loggins House At Pooh Corner Live at Saban Beverly Hills
https://www.youtube.com/watch?v=0WU1GieZ3MU


プー横丁の家(大意。原詩は検索してみてください。)

クリストファー・ロビンと僕は
月の輝く夜の林の中を歩いていた
オウルとイーヨーにいろいろな事を尋ねながら
僕らが過ごした楽しい日々はあっという間に過ぎて
この夜は思った以上に遠くまでさまよい出てしまった
3エーカーの森へ帰る道が分からなくなってしまったんだ

**
だから分かるなら教えてほしい
プー横丁の家に帰る道を
1時までには帰らなくちゃいけないんだ
やらなくちゃいけないことがたくさん
巣にいるミツバチの数を全部数えたり
お空に浮かぶ雲を追いかけてみたり
クリストファー・ロビンとプーが過ごした日々に立ち返って

くまのプーはすっかりあわててしまった
ハチミツの壺が鼻に張り付いちゃって
僕のところにどうしたらいいのと訊きに来たんだ
でも彼がどこに行って訊けばいいのか誰も分からなくて
だからもしフクロウのオウルがいたら
鼻からミツバチの壺を剥がす方法を訊こうと思って

**

クリストファー・ロビンとプーが過ごした日々に立ち帰って
クリストファー・ロビンと過ごしたやり方に帰って…
くまのプーとの日々に帰って…


シッティン・イン


Return to Pooh Corner


アンクル・チャーリーと愛犬テディ


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Did She Mention My Name [私の好きな20世紀の唄たち] vol.65 [20世紀の歌Ⅱ]

Did She Mention My Name
written by Gordon Lightfoot
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ライトフットについては前に一度とり上げた(→"REDWOOD HILL"('71))。今回取り上げた曲は68年に出されたアルバムのタイトル曲でもあった。少しスネアなどが入っているが、まだフォーク色の強かった時期の作品である。

初めて聴いた時からわりと好きな曲で、リフレインの一部など口ずさんではいたが、いざ歌うとなると歌詞がいっぱい詰まっていて息継ぎも難しく、歌いかけては放り出すという具合だった。最近になってちゃんとやってみようと思い、歌詞もよく見てみると、歌いにくい理由が少し判ったような気がした(笑)。

私のつたない解釈で間違いもあるかもしれないが、主人公の男は故郷を離れて都会で一人暮らしをしている。ある時久しぶりに故郷の友人と出会って昔話に花が開いたが、実は彼には故郷に思いを寄せる彼女(昔の恋人?)がいたのだった。盛り上がる昔話は上の空で、実は彼女が今でも自分のことを想ってくれているのか気になってしょうがない。でもストレートに聞くのは恥ずかしいので、話の端々にちょっとそのことに触れてみる…。

誰にでも学生時代に好きだった彼女(彼)の一人ふたりはいるもので、そういう多くの若者の気持ちを代弁したようなほほえましい歌ではある。矢継ぎ早に昔のことを次々に話題にしながら、唐突に彼女のことに触れるので、なにかつんのめるような歌詞の凝縮が、歌いにくくさせている要因の一つなのだと思った。

以前からブルーグラスアレンジで演奏してみたいと思っていたが、ブルーグラス風に間をとると、やや冗長になって原曲の趣が損なわれると思いあぐねていた。クリフ・ウォルドロンのバンドが昔やっていたが、同じような違和感を感じていた。今度自分でやるなら、このたたみかけるような歌詞を活かしていきたいものだと思ったことだよ。それにしてもこういう日常の中で浮かんでは消えていく、さりげない思いをひとつの歌にまとめ上げる、ライトフットの手腕は素晴らしいと思ったことだ。

youtubeはライトフットのものを。
Gordon Lightfoot - Did She Mention My Name 1968
https://www.youtube.com/watch?v=DeAkoakbmVA
最近はブルーグラスでもいくつかやっているようだ。一例を。
Did She Mention My Name by The Bix Mix Boys
https://www.youtube.com/watch?v=MgsSq8RcV4s

彼女は僕の名を口に出してなかったかい?(大意。原詩は検索してみてくださいね)

昔の友だちに会ってしばらく時を過ごし
何万マイルも離れた故郷の街のことを語り合うのはいいね
川には今でも氷が張っていて、みんなも昔のままでいるかな
ところで、彼女は僕のこと何か言ってたかい?

**
ふとした時彼女は僕のこと何か言ってたかい?
一夜が明けた時
彼女が誰かの名を一人か二人口走ったか覚えてない?
地元のフットボールチームは今でも盛り上がっていて
連戦連勝なのかな
ところで、彼女は僕のこと何か言ってたかい?

下宿の主人は今でも賭けに負け続けていて
彼のサインは今でも玄関口に懸けられているのかな
娘たちは秋の街で今でも可愛くているのかな
彼女たちの笑っている顔は陽の光より輝いているのかな
ところで、彼女は僕のこと何か言ってたかい?

***
ふとした時彼女は僕のこと何か言ってたかい?
宴もたけなわになったころ
彼女の目はどこか遠くを見ている感じじゃなかったのかな
古い家の屋根は春になって雪が雨に変わる頃
また雨漏りしてるのかな
ところで、彼女は僕のこと何か言ってたかい?

****
ふとした時彼女は僕のこと何か言ってたかい?
外の雨を眺めながら
彼女が誰かの名を一人か二人口走ったか覚えてない?
誰かが彼女によろしくと言ってたって伝えてくれたかい?
説明もいらないと思うけど
ところで、彼女は僕のこと何か言ってたかい?

GORD'S GOLD


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Willin' [私の好きな20世紀の唄たち] vol.64 [20世紀の歌Ⅱ]

Willin'
written by Lowell George
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作者のローウェル・ジョージは1969年に結成されたアメリカのロック・バンド "Little Feat" のメンバーである。このバンドのことはニュー・オーリンズ系の音楽に詳しい同僚から教えられて知った。彼からはドクター・ジョンなどのミュージシャンのことを教えてもらったし、エミルウ・ハリスやマリア・マルダーなどを別の方向(Bluegrass ではない)から知っていたのに驚いたことを覚えている。
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この曲はリンダの74年のアルバム "Heart Like a Wheel" に入っていたので知ったが、初出は71年の "Little Feat" 、次いで72年の "Sailin' Shoes" にも収録されている。調べてみると、ジョージは68年から69年にかけてフランク・ザッパ率いる "The Mothers of Invention" に参加していて、その時標記の曲を提供したのだが、この曲が「ドラッグについて歌った曲」だったので取り上げられず、解雇までされたようである。よく「ロックは反抗だ」と言われたりするが、その方向性は微妙に違っているんだなあ、と興味深く思った。
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最初に聴いた時からいい歌だなと思っていたが、歌おうとすると歌詞が余ってしまいなかなか歌えずに、そのまま打っちゃっていた。何より歌詞の意味がよく分からない部分が多かったというのもあった。今回改めて調べてみると、先ずトラック・ドライバーの歌であることが分かった。次いで Weed = マリファナ、Whites = 覚せい剤というスラングであると分かった。また、彼が「運んで」いるものの中にメキシコからの密入国者がいたのだということも。今の政権になって、大統領がアメリカ・メキシコ国境に「壁」を作ると叫んでいるが、60年代かそれ以前からメキシコからの不正入国は続いていたのだろう。

ウッディ・ガスリーの歌に "DEPORTEE(流れ者)" (1961)があり、不法入国したメキシコ人が強制送還される途中、飛行機が墜落して全員死亡したが、かれらはただ DEPORTEE(流れ者・国外強制退去者)が死亡したとしか記事に書かれなかったとある。彼らは安い賃金で働かされて、用済みになったら追放されてしまう人々だった。そういう人たちへのシンパシーのようなものがジョージの中にもあったのかも知れない。歌の中のトラック・ドライバーも西海岸に跋扈する "Desperado(ならず者)" の一人だという見方も出来るだろう。
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この時代、ドラッグと酒で命を落とした才能あるミュージシャンは多い。ジョージも79年にドラッグの過剰摂取のため34歳で亡くなっている。ドラッグを肯定するつもりは毛頭ないが、多くのミュージシャンがそれに依存しながら多くの名曲を作り出したのも一方の事実ではあるだろう。それらを止揚していく努力が今のミュージシャンには求められているのかな。こんなことを考えながら歌を聴きなおしているのであったよ。蛇足であるが歌に出てくる「トゥーソン(アリゾナ)」はリンダの故郷でもあった。覚えにくいこれらの地名は、昔そこがスペイン領であったことを物語っている。

youtubeはこの二つを。
Little Feat - Willin'
https://www.youtube.com/watch?hl=ja&v=xrCMlSWlDX8&gl=JP
Linda Ronstadt - Willin' - Live 1976
https://www.youtube.com/watch?v=IJHcD0kHTGk
おまけでアーロの "Deportee"も。
Arlo Guthrie, "Deportee"
https://www.youtube.com/watch?v=c2eO65BqxBE


ウィリン (大意。原詩は検索してみて下さい。)

(運転してると)雨に視界をさえぎられたり、
雪にタイヤをとられたりして
俺は酔っ払いの薄汚れたトラック・ドライバーさ、
今はじっと我慢してるけどね
郊外の国道を夜遅く走っていると
ヘッドライトの光の中にかわいいアリスの姿が見える気がする
ダラスのアリスさ

**
トゥーソンからトゥカムキャリまで、
テハチャピからトナパーまでと
今までいろんなトラックに乗ってきたさ
今じゃ検問を避けて裏道ばかり走ってる
葉っぱと白い粉と酒をくれて
合図さえしてくれたら
喜んでどこへでも運んでやるさ

メキシコから葉っぱも(密入国の)人間も運んできたよ
メキシコに行くたびに真っ黒に日に焼けて
でもこれからだって行くさ
風にあおられ、みぞれにハンドルをとられ
頭ん中をかっかとさせながらも
まだ自分の足で立って生きてるさ
まだブツは運び続けるつもりさ

**
トゥーソンからトゥカムキャリまで、
テハチャピからトナパーまでと
今までいろんなトラックに乗ってきたさ
今じゃ検問を避けて裏道ばかり走ってる
葉っぱと白い粉と酒をくれて
合図さえしてくれたら
喜んでどこへでも運んでやるさ


Sailin Shoes


悪いあなた


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Home [私の好きな20世紀の唄たち] vol.63 [20世紀の歌Ⅱ]

Home(故郷)
    written by Karla Bonoff('77)
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カーラ・ボノフを知ったのはいつ頃だろう。リンダ・ロンシュタットのアルバムは74年の "Heart Like A Wheel" ぐらいから大体出るたびに聴いていたように思う ので、76年の "Hasten Down The Wind" の中にカーラの曲が3曲も取り上げられていたから知ったのかもしれない。下積み時代が長かったカーラだが、リンダに取り上げられてから脚光を浴びるようになり、77年にソロアルバム "Karla Bonoff" を出すことができた。セカンドアルバムの "Restless Nights"(ささやく夜)が大ヒットしたから、そちらを先に聴いたのかな。
"Hasten Down The Wind"
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初めて彼女の歌を聴いたとき、リンダによく似ているなと思ったが、リンダに比べると良く言えば落ち着いた、やや地味な印象を受けた。リンダが太陽ならカーラは月といったイメージだろうか。リンダを聴くのに疲れると、カーラを聴いて癒されるといった具合で交互に聴き続けた気がする。余談だが、リンダがその後もカーラの楽曲を歌いたがったが、カーラはあまり応じなかったというエピソードも聞いた気がする。シンガーとしての矜持がそうさせたのかもしれない。大ヒットした "Trouble Again"(’79) をリンダが録音したのは10年後の89年になってからであった。
95年に再結成された"Bryndle"。
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この曲"Home(故郷)" はカントリー・ブルーグラスに多い「望郷の歌」の一つだが、よく歌詞を見ると都会に生きる女性の屈折した内省的感情が語られていて、その微妙な陰影がカーラらしいと言えるかもしれない。夜、故郷に向かって車を走らせる。頭の中には懐かしい故郷の家の情景が次々と浮かんでは消えてゆく。次のカーブを曲がると住み慣れた家が迎えてくれるだろう…。だが、現実の自分は都会の喧騒の中生き抜くためにもがいている。リフレインの終りまで来て、さっきまでの情景は夢だったのかと気がつく、というように。

カントリーの名曲 "Detroit City (Bobby Bare)" も似た趣旨の歌だったが、故郷を離れてデトロイトでビッグになるはずが、毎日自動車の部品を組み立てているだけの単調な生活に倦みながら、帰るに帰れない気持ちを歌っていた。カーラの歌では、故郷への思いが都会で行き抜くためのエネルギーになっているところが少し違っている。歌の主人公の立ち位置によって様々なバリエーションが生まれるのかもしれない。

それほどヒットはしなかったかもしれない(シングルカットもされていない)が、この歌に共鳴を覚えるミュージシャンは多いようで、改めて調べてみると、Bonnie Raitt・Holly Dunn・Buck White & The Down Home Folksなど数多くのカヴァーがある。私の中ではアイルランド出身のシンガーMARY BLACK が83年に出したアルバムに入っていたものが印象に残っている。
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いつか故郷に帰るかもしれない、というのが生きてゆくモチベーションになるなら、「もう帰ることはないかもしれない」と思ったときそれはどうなるのだろう、というのが近頃の自分の課題ではあるなあ。

youtube は下記の二つを。
Karla Bonoff - Home
https://www.youtube.com/watch?v=QZ4EiK6qotA
Mary Black - Home
https://www.youtube.com/watch?v=_PGuzvCOEBg
おまけでこれも
Bobby Bare- Detroit City
https://www.youtube.com/watch?v=dXoez_ffhRc


故郷 (大意。原詩は検索してみて下さい。)

夜、車を走らせる ヘッドライトの光は明るく輝いている
走り出してからもうずいぶん時間が経っている
その間ずっと頭の中に繰り返し蘇えってくるのは
故郷の家の暖かい暖炉の火だ

**
故郷は私に甘美な歌を届けてくれる
私は自分の翼を持って生きている
山々を飛び越えて故郷へ帰るため
でもまだ私はこの都会の地に踏みとどまっているのだけれど

私がこれまで出会った人々は
都会の生活に疲れながら暮らしている
故郷に帰る列車が頭に浮かんでは消えていくが
そういう心の葛藤は逆に都会で生き抜く糧にもなっている

夜、車を走らせる ヘッドライトの光は明るく輝いている
でもすぐに太陽の光が木々の間から差し込んでくる
次の曲がり角を過ぎれば花々が届けてくれる
故郷の家の甘美な香りをそよ風に乗せて

**
故郷は私に甘美な歌を届けてくれる
私は自分の翼を持って生きている
山々を飛び越えて故郷へ帰るため
でもまだ私はこの都会の地に踏みとどまっているのだけれど
まだ私はこの都会の地に… Oooo Ooo La la, la laaaa


カーラ・ボノフ(期間生産限定盤)


ささやく夜(期間生産限定盤)


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Today [私の好きな20世紀の唄たち] vol.62 [20世紀の歌Ⅱ]

Today
written by Randy Sparks

Randy Sparks
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私がこの曲を知ったのは、ジョン・デンバー の75年のライブ・アルバム "An Evening with John Denver" であった。当時人気絶頂だったジョンの油の乗り切った演奏の中でしっとりと歌われていた。オリジナルは60年代に一世を風靡したフォークグループ "The New Christy Minstrels" の64年のアルバムだったようだ("Green Green" が大ヒットした)。このグループは常時10人ぐらいの編成で現在まで続いているらしく、ジョンも在籍したことがあったのかなと思っていたが、違っていた(ジョンのいたのは "The Chad Mitchell Trio" )。
John Denver with The Mitchell Trio
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余談になるが、ニュー・クリスティー・ミンストレルズは結成以来のメンバーが通算300人以上になっていて、その中には Kenny Rogers, Kim Carnes, Gene Clark, Jim McGuinn (later known as Roger) など名だたるミュージシャンがいて驚いた。メジャーに上がる登竜門的なバンドだったんだろうか。そのリーダーが今回の曲の作者であるランディ・スパークスである。
The New Christy Minstrels
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物語の主人公は放浪する詩人(作者自身か)であり、恋人と過ごしている現在(いま)だけが最上のものであり、過去の栄光も未来のことも意味がないと歌っている。官能的で刹那的な内容であるということもできる。同じような趣旨の歌に Kris Kristoffersonの70年作の "Help Me Make It Through the Night" があるが、既成の価値観に対するアンチ・テーゼとして作られた歌だということもできるだろう。信じられるものはただ自分の手ざわりのある瞬間々々だけであるというように。

さて、当時反抗する世代だった若者達は、40年後の今どんな人生観を持って生きているのだろう。大人になるにつれて世知を身に付け、うまく立ち回る日々を送っているのだろうか。逆にいつまでたっても自分が自分が、という生き方しかできずにいるのだろうか。今さらこの歌の時代に立ち返ることはできないが、そんなことをつい考えてしまう歌でもあるなあ。
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youtube は上記の二人のものを。
Today-John Denver
https://www.youtube.com/watch?v=uBGjZAYcJqc
NEW CHRISTY MINSTRELS - Today (1964) HQ Stereo!
https://www.youtube.com/watch?v=3cELsUMcQdc

今日この日 (大意。原詩は検索してみて下さい。)

**
今日のこの日、まだ花が蔓から落ちてしまう前に
僕は君の果実を食べ味わい、君の甘美なワインを飲もう
幾千万の明日が過ぎ去って行こうとも
僕はこの日手にした至上の喜びを決して忘れない

僕は洒落者にもなろう、放浪者にもなろう
君は僕の事を僕の歌う歌で知るだろう
君の食卓で大いに宴を持ち、君の褥で眠る
どんな明日がやってくるかなんて誰が気にするものか

僕は昨日までの栄光に満足することなんてできないし
冬が去り春がやってくることを糧に生きていくこともできないさ
今日のこの一瞬だけが僕の時、現在だけが僕の物語
僕は笑い、泣き、そして歌うのさ


EXCITING NEW FOLK CHORUS IN PERSON


An Evening With John Denver


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We're All Alone(みんな一人ぼっち)[私の好きな20世紀の唄たち] vol.61 [20世紀の歌Ⅱ]

We're All Alone(みんな一人ぼっち)
       written by Boz Scaggs
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この歌を初めて聴いたのは前回も取り上げた77年のリタ・クーリッジのアルバムだった。なんか少ない音源から取り上げてるんだなあ、との顰も聞こえてくるようにも思うが、プアな音楽履歴でしかないのは事実なので致し方ないか。まあ別の視点で言うと、リタやリンダなどSSWではないシンガー達は、古今の名曲たちを掘り出してきて精選し、自分のアルバムに取り込んでいるので、当然といえば当然だと言えるかもしれない。作者のボズ・スキャッグスは言わずと知れた"AOR"(Adult-Oriented Rock。日本だけの呼称らしいが)の旗手。それほどよく聴いたわけではないが(笑)。
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リタのアルバムで聴いていた時、邦題が「みんなひとりぼっち」となっていたので、ろくに歌詞を確かめもせず、「人間は本来孤独な存在である」というような哲学的な内容なのかな、とぼんやり思っていて、そんな気分で聴いていたように思う。何年か経ってから英語に詳しい知人から「二人っきり」という意味なんだと教えてもらった。"All" という語が "Alone" を強調する意味になるのだそうだ。そうすると恋人達が周囲から隔絶された部屋にいて愛を語り合っているという歌になるなあ、とも思った。でもネイティブではない自分の語感からすると、二人であっても周囲から隔絶された「孤独」なイメージは残るなあとも思っていた。
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今回これを取り上げるにあたって改めて調べてみると、ボズが76年に出した "Silk Degrees" に入っていたこの曲の邦題は「二人だけ」だったそうだ。リタのアルバムの日本盤製作者が誤訳したのか、それとも当時の「キャッチーな邦題のつけ方」の原則に従っただけなのだろうか。

後年アンジェラ・アキが自分のアルバムの中でこの曲を日本語で歌っていて、それは訳詩ではなく作詞と言っていいものだが、「人は皆孤独だ」という解釈から作られているようだ。幼少期を日本で過ごした彼女は英語ネイティブとは言えないようなので、日本人に近い受け止め方をしたのかもしれない。
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なお、wiki によると2007年に出された再発盤のライナー・ノーツで、ボズ自身が「この曲のタイトルを個人的な話と普遍的なテーマを両立させるものとしたが、両者の意味が同時に成立するような歌詞にするのに苦労した」と書いているようだ。いい歌というのは個人的でありながら普遍性も併せ持っているのだなあ、と改めて感心させられたのであったよ。

youtubeはまずリタのもの。
Rita Coolidge - We're All Alone (1978) HD 0815007
https://www.youtube.com/watch?v=OvNdPewuXAQ
次いでご本家ボズのもの。
Boz Scaggs - We're All Alone (HQ)
https://www.youtube.com/watch?v=k-MsVZrTQEU
リタのジャズアレンジのもの。2005年ごろか。
Rita Coolidge Live - Boz Scagg's We're All Alone
https://www.youtube.com/watch?v=xFhRgEzkXtA
アンジェラ・アキの日本語詞(訳詩ではない)のもの。
We're all alone - Angela Aki
https://www.youtube.com/watch?v=jG5e42WXUcI

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みんな一人ぼっち(二人きり) (大意。原詩は検索してみてください。)

窓の外では雨が降り出して
止みそうにもない気配だ
もう泣くのはお止し
海辺に佇んでいると
夢が二人を遠い大海原に連れ出してくれるから
ずっとずっと先の方まで

目を閉じてごらん、愛する人
僕と一緒に居られるよ
波の下をくぐって
長く忘れられていた
時の洞穴を通り抜けて
僕らは今二人っきり

窓を閉めて
灯りを暗くしておくれ
それでもう大丈夫
何も思い悩むことはないさ
全てから解き放たれ、また全てが始まる
それにただ身をまかせて
今が幸せというように自分をつくっていこう

物語が始まると
必ずいつかは古びてしまう
バラも恋人たちも
だから今までの歳月をすべて
風の中に投げ捨てて
ただ僕を抱きしめて

窓を閉めて
灯りを暗くしておくれ
それでもう大丈夫
もう思い煩う必要はないさ
全てから解き放たれ、また全てが始まる
それにただ身をまかせて
今や全てが忘れ去られ
僕たちはただ孤独の中にいるんだ

シルク・ディグリーズ(期間生産限定盤)


Anytime Anywhere & Love Me Again


ANSWER<通常盤>


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もう話したくない(I Don't Want To Talk About It)[私の好きな20世紀の唄たち] vol.60 [20世紀の歌Ⅱ]

I Don't Want To Talk About It (もう話したくない)
          written by Danny Whitten

ロッドに2003年に見出されこの曲をデュエットしてスターダムに上ったという
Amy Belle。
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私がこの歌を初めて聴いたのは、77年に出たリタ・クーリッジのアルバムであった。
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その後でロッド・スチュアートの75年のアルバムに入っていたのを聴いたのかな。そのあたりの記憶は定かでないが、今回改めて調べてみると、作者のダニー・ウィッテンはニール・ヤングのバックバンドでもある "CRAZY HORSE" の初期のメンバーだったらしく、71年にこの歌の入ったアルバムが出されている。
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多くのシンガーによってカヴァーされているこの歌の作者だから、さぞかし印税もたくさん入っているだろうなどと下卑たことを考えながら調べていると、ダニーは43年生まれで、72年に29歳で亡くなったらしい。死因はヘロイン中毒。有能なミュージシャンが奇しくも27歳で亡くなるという「27クラブ(The 27 Club)」については、映画『AMY エイミー』の感想の中でも触れたが、彼もその一員になってもいいくらいの才能を持っていた人だったようだ。ニール・ヤングも彼を惜しむ言葉を述べている。生きていたらどんなに多くの佳曲を書いていただろう、とその早すぎる死が惜しまれる。
Danny & Neil
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曲の内容は、愛する人と破局を迎える時にあたって、「もう何もそのことについて話したくない」という気持ちと、「どんなにか君を愛していたのに愛を失って傷ついている」ことを訴えたいという、アンビバレントな気持ちを歌ったものである。シンプルな歌詞であるが、逆にそうだからこそ美しいメロディとあいまって、多くの人の心を打つのかもしれない。ロッドのコンサートではリフレインを観客が大合唱する様子が見られる。一方ダニーの youtube を見ると「ロッドには歌って欲しくなかった。」というコメントもあって面白い。ロッドはモテ男だからね。
Rod & Amy
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余談だが、この曲をブルーグラスにアレンジして、80年ごろ自分のバンドで歌っていた(今でも歌っているが)。その頃は他ジャンルの曲をブルーグラスにアレンジして歌うのをよしとする観念にとらわれていたこともあって(先輩バンド "Bluegrass 45" の影響?)、他にも何曲かそういうアレンジを試みていた。当時の宝塚フェスでの音源があったので紹介しておく。

ミスもあるのはフェスでの一回きりの演奏なので仕方がないがご容赦を。声は明らかに若いなあ。ずっと演奏していたので、この曲というとブルーグラス・ヴァージョンしか考えられなくなっていたが、また原曲に立ち返って歌ってみようかな、と思う今日この頃である。

最後に主だったミュージシャンのレコーディングを参考までに時系列的に並べておく。

1971 "Crazy Horse" Crazy Horse
1974 "Some Days You Eat the Bear" Ian Matthews
1975 "Atlantic Crossing" Rod Stewart
1977 "Anytime...Anywhere" Rita Coolidge
2009 "Lost In The Shortcut" Amy Belle

youtube は以下のものを
Danny Whitten - I Don't Want to Talk About It
https://www.youtube.com/watch?v=wISNCbuLm5Q
I Don't Wanna Talk About It · Ian Matthews
https://www.youtube.com/watch?v=Sl5CIXiiXJM
Rod Stewart I Don't Want To Talk About It
https://www.youtube.com/watch?v=MjxL3U2mCyg
Rita Coolidge I Don't Want To Talk About It
https://www.youtube.com/watch?v=DtnW4_kMcPc
Amy Belle I Don't Want To Talk About It
https://www.youtube.com/watch?v=owXb8Pqc0tE


もう話したくない(大意。原詩は検索してみてください。)

君の目を見ればわかるさ 
君が今までずっと泣き続けていたんだってことは
空に輝く星たちも君にはなんの意味もないさ 
星たちは君の心を映す鏡にすぎないから

**
そのことについてはもう話したくないんだ 
どれだけ君が僕の心をズタズタにしたかってことは
僕がもう少しだけここに残っていられるのなら
僕が残っていられたら この心の叫びを聞いてほしい
僕の心の声を

僕が独りぼっちになって立ちすくんでいたら
影は僕の様々な心の色を隠してくれるだろうか
青は涙の色を、黒は夜の畏れの色を…
空に輝く星たちも君にはなんの意味もないさ 
星たちは君の心を映す鏡にすぎないから

**
そのことについてはもう話したくないんだ 
どれだけ君が僕の心を傷つけてしまったのかってことは
僕がもう少しだけここに残っていられるのなら
僕が残っていられたら この心の叫びを聞いてほしい
僕の心の声を…


Crazy Horse


Atlantic Crossing


Anytime Anywhere & Love Me Again


Lost in the Shortcut


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Summer Wages(夏の給料) [私の好きな20世紀の唄たち]vol.59 [20世紀の歌Ⅱ]

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Summer Wages(夏の給料)
Written by Ian Tyson

暑い夏に突入したので夏の歌を、といっても題名に "Summer" がついているというだけなのだが(笑)。イアンとシルビアの71年のアルバム "Ian & Sylvia" に入っているこの歌を初めて聴いたのは学生の頃だっただろうか。ブルーグラスの75年の名盤 "J.D. Crowe And the New South" (日本盤では "Old Home Place" )にも入っていて、当時よく聴いたが、どちらが先だったのかはよく覚えていない。どちらのLPも貧しい学生時代だったにも関わらず買っていたのにはびっくり。イアンとシルビアは名前だけ知っていたのに音源は手に入らず、珍しく日本盤で出たので買ったのだろう。

聴いてみるとフォークというイメージからは遠く、カントリー(ロック)のサウンドだったので、はじめはちょっとがっかりしていたような気がする。トニー・ライスのしっとりとしたリズムと歌いぶりと、イアンのややアップテンポなサウンドのどちらもいいのだが、自分で歌おうとするとどちらにしようかと迷って現在に至っている。
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あとナンシー・グリフィスの「遠い声」シリーズでも取り上げられていたので、評価を新たにしたというのもあった。あの2枚のアルバムは「ナンシーが選んだ」というのでもう一度原曲を聴くという風に、私にとってのバイブルでもあるのだったよ。
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さて歌の内容であるが、題名は訳すと「夏の給料」というおよそ歌の題材になりそうにないものである。夏の給料は海山に遊びに行ったり、飲んだり食べたりで浪費し、すっからかんになってしまうというのは分からないでもないが、ちょっと日本人の感性にはない発想のように思われる。"Wage" はサラリーと違って日雇いの賃金というニュアンスが強いので、「その日暮し」のイメージがより強いのかもしれない。イアンはユーモアも交えて、「人生はギャンブルのようなもので、欲をかいて分不相応な賭けに出ると、全てを失うことになる」と警告している。
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バンクーバーも都会だと思うが、カナダの人々にとってはトロントあたりの方が大都会と感じるのだろうか。愛する彼女をバンクーバーに残して都会に出て一旗あげようとしたが、うまくいかず、失意の中彼女のいる故郷に帰ろうとしている。だがその彼女も自分を待つことなく、他の男の元に去っていってしまっているだろう。自分に残っているのは素晴らしい女性だった彼女との思い出だけだ…。

youtubeは話題にした三つを
Summer Wages : J.D. Crowe And The New South
https://www.youtube.com/watch?v=e97jkyXjpSs
Summer Wages / Ian and Sylvia
https://www.youtube.com/watch?v=Dy3j9sShIUI
Nanci Griffith & Tom Russell - "Summer Wages"
https://www.youtube.com/watch?v=tMizaxpZrTk

Summer Wages [夏の給料](大意。原詩は検索してみてください。)

ディーラーと勝負している時は17でカードを引いちゃダメだ
お前にオッズが上積みされないことは分かっているだろう
お前のダチたちが彼女を狙っている時に
お前の彼女を一人で放っておいちゃダメだ
歳月は夏の給料みたいに賭けられ失われていくのさ

俺たちはバンクーバーに行き着くまでフラフラうろつきまわる
愛する彼女はあの街に住んでいる
彼女と別れてからもう六ヶ月かそれ以上になる
彼女もまた夏の給料のようにどこかへ去っていってしまうだろう

**
ビールを飲ませる居酒屋は大通りに立ち並び
季節の移ろいの中で見る夢は店の床にこぼれて消えていく
大きな木のカウンターもやがて朽ちていくのを待つだけで
ばくち打ち達がドアの傍で注意深くカモを探している

俺は滑りやすい都会の靴のまま引き舟に乗って働く
もうこんな仕事はやめようと思い決めたはずだったのに
灰色の霧が立ち込め大きな杉の木立が見つめる海峡を通り
俺は夏の給料みたいに遠いところに消え去るだろう

彼女は素敵な女だがまた探そうとは思っていない
二人の作った素晴らしい思い出が残っているから 
思い出は決して変わることなく俺の心の中にしまってある
俺は賭けを続け俺の夏の給料を使い果たしてしまう

歳月はは夏の給料みたいに賭けられ失われていくもの



遠い声II


J.D. Crowe & The New South


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Ol' '55 [私の好きな20世紀の唄たち]vol.58 [20世紀の歌Ⅱ]

Ol' '55(55年型のビュイック・ロードマスター)
written by Tom Waits
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私がこの歌を初めて聴いたのはたぶん The Eagles の "On the Border"('74)だったろうと思うが、割と流して聴いていたのでそれほど印象は強くなかったように記憶している。むしろイギリスのフォークロックグループ Fairport Convention からソロになったIan Matthews の "Some Days You Eat The Bear And Some Days The Bear Eats You" ('74)(長い題名だが、名盤だと自分的には思っている)の方がよく聴いたので印象が強い。何しろ一曲目だったからCDをかけると真っ先に耳に飛び込んでくるものね(笑)。
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いずれにしても、いい曲だとは思いながら自分で歌おうとは思わなかったからか、トム・ウェイツというクレジットは認めていてもあまり気には留めていなかった(トムのものは "Closing Time"['73]所収)。"Wreck Of Old 97" という鉄道事故を歌った歌があったので、そんなものかなと思っていたがとんだ間違いであった(笑)。Ol' '55というのは55年型のビュイック・ロードマスターという車で、当時の彼の愛車だったようだ。アメリカンミュージックの系譜的に見ると、500 miles などの Train Song の系列になるのかなとも思われる。鉄道が衰退した後は、"Truck Drivin' Man"などの自動車に取って代わり、やがて "Silver Wings " などの飛行機が現れるという具合だろうか。
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トムは高校を中退してピザ屋の店員として働きながら作詞作曲を始めたようだが、そんな彼の愛車は125ドル程度で買えるこれらの中古車だった。お金がなかったということもあっただろうが、彼は二十年近く前のこれらの車を愛した。まるで自分の分身ででもあるかのように。最新型の無機質な車と違ってどこか人間味のある「手ざわり」のようなものに愛着を感じるというのは何か分かるような気がする。前にイーグルスの「ならず者」について書いた時に、70年代は「個の時代・あるいは内向の時代」だと言ったが、極めて個人的な「手ざわり」のようなものから世界とのつながりを確かめたいという点で、「ならず者」とも共通する感性があるような気がする。

歌に出てくるフリーウェイも今のインターステートよりは「ルート66」のような少し古いけど手ざわりの感じられる道の方が相応しい。この歌をしっかり歌えるようにして、あの「ルート66」をのんびり走りながら口ずさんでみたいと思ったことだ。長い間心の片隅にこびりついていた歌だったが、最近FB上で話題になっていたので、取り上げてみようと思い立った。おかげでたまっていた心の澱が少し取り払われたような気がした。

youtubeは一番好きなイアンのものから
Ian Matthews - Ol 55
https://www.youtube.com/watch?v=iQKia76QGYU
Tom Waits Ol '55
https://www.youtube.com/watch?v=PejBkU4-1fk
The Eagles - Ol' 55
https://www.youtube.com/watch?v=8g8VX4QER1g

Ol' '55 (大意。原詩は検索してみてください)

時間があっという間に過ぎて
俺は急いで愛車 ol' 55 に乗り込んだ
車が走り出す時とても神聖な気分になり
生きているという実感が湧いてくる

**
今まさに日が昇ろうとして
俺は幸運の女神とともに車を走らせている
フリーウェイには車やトラックが集まり
星たちは次第に光を失っていく
俺はパレードの先頭を走りながら
もう少しこうしていたいと願う
この感情の高まりは俺にしか分からない

ふと気がつくとすっかり夜が明けてしまっていて
もう家に帰らなければならない
周りの車は俺を追い越し、トラックはパッシングしてくる
俺はお前のこの場所から家に向かって走る

車やトラックのひしめくフリーウェイを…
幸運の女神とともに…


Some Days You Eat The Bear - Factory Sample


Closing Time


On the Border


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AGE [私の好きな20世紀の唄たち]vol.57 [20世紀の歌Ⅱ]

AGE
written by JAMES CROCE / INGRID CROCE
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ジム・クロウチのことは前に "I Got A Name" を取り上げた時に書いたが、あの曲はジム自身の作ではなかったことは述べた通りである。今回取り上げた "AGE" という曲は妻でもあるイングリッドとの共作である。私がこの曲を初めて聴いたのは78年に出された "Mike Auldridge & 'Old Dog'" というブルーグラスのアルバムで、セルダム・シーンにも在籍していた Phil Rosenthal が歌っていたものであったと思う。そのアルバムでは他にもジムの曲 "Thursday"(作者は Sal Joseph ) を演奏していて、その辺りからジム自身のアルバムを聴くようになった。

この曲はジムの死の直後('73)に出されたアルバム "I Got A Name" に入っていたので、その少し前に作られたのかなと思っていたが、今回改めて調べてみると、68年に出された"Jim & Ingrid Croce" に入っていた。73年のものより素朴でフォーキーなサウンドである。
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売れないフォークシンガーだったジムが、イングリッドという伴侶を得て、貧しくとも理想を追い求める人生を送ろう、と心に決めた様子が歌詞の端々からあふれ出ている。
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70年代になって、音楽の盟友になる lead guitarist である Maury Muheleisen と出会い、次々とヒット作を生み出してゆく。そしてこれからという矢先の73年に飛行機事故で盟友とともに亡くなってしまうのだった…。

その後ブルーグラスバンドを始め、多くのミュージシャンによってカヴァーされるようになったこの曲("Right Back Where I Started Again"という題名の場合もあるようだ)であるが、ミュージシャンとしての自分を重ねることができるからかもしれない。二人がこの曲を作ったとき、よもや数年後全米No.1ヒットを出すとは思っていなかっただろうし、そのほうがこの曲の味わいもより深いものになるなあ、と思うのは私だけだろうか。
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youtube は先ずジム夫妻のもの
Jim & Ingrid Croce Age
https://www.youtube.com/watch?v=K1OtgPiZJns
次に"I Got A Name"に入っているもの
https://www.youtube.com/watch?v=j5sO0HbB5WY
オマケに最近一人多重録音したものをこっそりw

オマケその2.80年ごろのフェスの音源です(笑)



AGE (大意。原詩は検索してみてください。)

良かったり悪かったりの人生を繰り返しながら
またこの場所に戻ってきた
いろんな所を渡り歩いたけど
何時どこにいたのかなんて忘れてしまった
壁にかかった時計だけが俺のボスだったし
たった一人の友達だったんだ
真の友なんて一人もいなかったのさ

***
愛と少しばかりのお金を交換して
大事な魂をはした金で切り売りしてきた
時の長いトンネルを潜り抜ける中で
理想だって失ったのさ
俺はようやく逆立ちしていた道から立ち直り
この場所に戻ってきたんだ
ここからもう一度自分の人生を
やり直すんだと気付いたのさ

100万ドル稼いだときもあったけど今では一文無しさ
今じゃそんな違いなんてどうでもいいと思えてきた
5セントしか稼いでない時も100万ドル稼いでいる時も
俺はいつも追い求めてきたんだ
決して失ってはいけないもの置き忘れたらいけないものを

人生の折り返し点に立って
今も頂点を目指して歩いているよ
道の途中でいろんなことを学びながらね
注意深く登っていくつもりさ
落っこちて傷つくことも多いからね
落ち込んだって誰も振り返ってなんかくれないさ


I Got a Name


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Stray Dogs and Alley Cats[私の好きな20世紀の唄たち]vol.56 [20世紀の歌Ⅱ]

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Stray Dogs and Alley Cats (迷い犬と路地裏の猫)
          written by Harley Allen

私がこの曲を知ったのはつい最近のことである。今一緒にユニットを組んでいるフィドラーのO氏が、いつもこちらが「こんな曲はどう?」と聞くと、いつも「いいよ」と言ってやってくれるのだが、珍しく「こんな曲はどう?」と言ってくれたので youtube で聴いてみると、なかなかしっとりとしたよい曲だったので、歌ってみようと思ったのが出会いである。
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少し調べてみると、彼がブルーグラスの第一世代といってもいい(第二世代かも)レッド・アレンの息子だったことがわかり驚いた。初めはファミリーバンドの "Allen Brothers" でギター・マンドリンなどを弾いていたが、その後独立し、更にカントリー系のS&SWとして活躍するようになったようだ。全く知らないと思っていたが、実は少し前に紹介したルービン・ブラザースのトリビュートアルバム "Livin', Lovin', Losin' - Songs Of The Louvin Brothers" (2003)の中で "I Don't Believe You Met My Baby" を歌っていて、よく聴いていたということに今になって気がついた。
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更に驚いたのは、彼がすでに2011年に55歳の若さで亡くなっていたということで、出会ったと思ったときにはすでにこの世の人ではなかったというのがなんだか切ない気がした。同時代で同世代だった彼が、まだ元気でいるうちに出会っていたかったなあ、とわけもなく思ったのだった。
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この曲は2001年に発表された "Live At The Bluebird Cafe" に入っているようなので、ぎりぎり「20世紀」に創られたのかもしれない(笑)。内容は、限りなく宗教歌から遠い宗教歌といっていいのかもしれない。子供の頃、母親の財布からお金をくすねてビリヤード場で遊んでいた男(自分も似たような少年期があったような)は、長じてからも決して敬虔なクリスチャンとは言えないような生活を送ってきたが、それでも死ぬときは天国の端っこぐらいには入れてもらえるかなあ、というようなものである。「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という親鸞の言葉も連想してしまうと言ったら言いすぎだろうか。
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今もよく歌っている Paul Craft の"Keep Me From Blowing Away" も「僕はクリスチャンじゃないけど、それでも神様、どうか僕が風に吹き飛ばされてしまわないように繋ぎ止めてください」と歌っている。苦しいときの神頼みと言ってしまえば実もふたもないが、何か日本人である私にも、自分を重ねることができるような気がして親しみを感じる。敢えて弁明っぽく言うと、「自分は今まで自分なりに正しいと思う生き方をしてきたけど、それは神の示す道と重なっているのかな」という自己確認の歌だともいえるのかもしれない。そのポールも14年に76歳で亡くなっているらしい。彼らは天国に行けたのだろうか。

そう長くはないだろう自分の残りの人生、これらの歌と大切に向き合っていきたいものだ、と少しだけ思ったことだ。

youtube はこの二つ。
Harley Allen, Stray Dogs and Alley Cats(亡くなる一年前の動画)
https://www.youtube.com/watch?v=Se-Yg-FvoMI
Lonesome River Band - Stray Dogs & Alley Cats
https://www.youtube.com/watch?v=Dmq7xs6CM3Y

迷い犬と路地裏の猫 (大意。原詩は検索してみてください。)

幼い頃毎日曜日ママが行く教会で
ママの財布からお金を少し抜き取ったものだ
ママがお祈りをしている間にこっそり抜け出して
ビリヤード場に行って一日中遊んでた
ぼくが家に帰るとママは頭を横に振って
「おまえは悪魔のベッドで枕をふくらませているんだよ」
ぼくはママに「ママの気持ちはわかっているよ」と言う
だってぼくは家の生活費ぐらいは自分で稼いでいたんだよ

**
天国に行くほど善人じゃないかも知れないけど地獄に行くほど悪いわけじゃない
自由に羽ばたける小さな羽のほうが大きな尻尾をもつよりましさ
神様の右側に座ろうなんて思いあがってはいないけど
天国のごみ箱を空にすることぐらいはできるさ
だから天国の黄金の街にも
ぼくのような迷い犬と路地裏の猫の居場所があればいいのに

もし正面の扉からぼくを入れてもらえないなら
たぶんぼくは裏口から入るよ
ぼくの浴びる光輪は明るくは光っていないかもしれない
でもその光は夜のうちにぼくを雲の中こっそり通らせてくれる

そしてぼくは自分がその栄光の歌を最後まで歌わなくてもかまわないし
もしぼくがとっても小さな羽を持っているなら
地上にいる小さな悪魔を見張っていて
そしてやつらが教会から逃げ出して行く時後をついて行くんだ

**
天国に行くほど善人じゃないかも知れないけど地獄に行くほど悪いわけじゃない
自由に羽ばたける小さな羽のほうが大きな尻尾をもつよりましさ
神様の右側に座ろうなんて思いあがってはいないけど
天国のごみ箱を空にすることぐらいはできるさ
だから天国の黄金の街にも
ぼくのような迷い犬と路地裏の猫の居場所があればいいのに
まるでぼくのように…


Live at the Bluebird


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I Don't Believe You've Met My Baby[私の好きな20世紀の唄たち]vol.55 [20世紀の歌Ⅱ]

I Don't Believe You've Met My Baby
written by Autry Inman
recorded by the Louvin Brothers

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ルービン・ブラザーズ(The Louvin Brothers)はアイラとチャーリーの兄弟によるカントリー・デュオである。主に50年代に活躍したバンドで、ギターとマンドリンによるバンドとしては他に The Delmore Brothers (マンドリンの代わりに4弦ギター)や The Monroe Brothers・The Blue Sky Boys などがあった。ブルーグラスを始めた頃、まず The Blue Sky Boys を先輩のレコードで知り、ブルーグラス以前のバンドとして聴いていた。ルービンはその後しばらくしてから "Tragic Songs of Life" を買って聴いたのが始まりであった。ブルーグラスバンド The Osborne Brothers のやっていた "Kentucky" という美しい曲の元歌が彼らのだったからかな。兄弟による美しいハーモニーに魅力を感じたが、ブルーグラスのタイトなリズム感はあまり感じられず、次第に聴かなくなっていたように思う。

その後ブルーグラス・カントリー系の色々なバンドの曲を聴いていると、ルービンのカバーが多いことに気がついた。極めつけは2003年にカール・ジャクソンのプロデュースによるトリビュートアルバムが出され、多くのミュージシャンにリスペクトされているんだなあ、と自分の中で評価を改めることとなった。改めて聴き直してみると、カーターファミリーに端を発した白人ストリング・バンドが、40年代の中ごろから大きく二つの流れに分かれていった時期のような気がする。あくまで個人的な感覚に過ぎないのだろうが、よりブルースの影響やタイトなリズムを重視した The Monroe Brothers はその後5弦バンジョーのアール・スクラッグスと出会い、ブルーグラスへと発展していった。一方、よりハーモニーの美しさに重きを置いた The Louvin Brothers はカントリーの方向にシフトしていったと考えられる。どちらもその後の音楽の潮流を決定付けたバンドであるといえるように思う。

ブルーグラスの中でも、Jim & Jesse はルービンに近いバンドのように思われるし、その後のエヴァリー・ブラザースやサイモン&ガーファンクルにまでつながっていると言ったら言いすぎだろうか。

取り上げた曲は、ロカビリー系の S&SW である Autry Inman の作だそうだが、1956年に出されたシングルは彼ら唯一のUS Country Chart #1のヒットとなった。長い題名なのであえて邦題を付けると「昨日見た夢」となるかなと思うのだが、そうすると60年代のフォークソング "Last Night I Had the Strangest Dream"(これも長い題名! ) になってしまう(笑)。歌はリフレインを持たないバラッド形式で、昨日の夜見た夢の中で恋人が別の男(女)の人と一緒にいた、という辛そうな内容なのだが、最後にどんでん返しがあって、ハッピーエンドに終わるという、まるで落語の落ちのような筋書き。当時のカントリーソングはこういう日常の一部を切り取ったような内容が多かったのかな。一人で歌ってもいいような内容(アリソン・クラウスはひとりで歌ってる)だが、彼らはそれを二人の掛け合いで演奏していて、ドラマチックな盛り上げ方になっているようだ。

私がこの曲を初めて聴いたのは、カントリー・ガゼットの2nd Album に入っていたものだが、その後多くの人々によってカバーされていると知った。海の向こうではこのように、先達の歌を大事に歌い継いでいるのだなあ、と伝統の素晴らしさを感じたことであったよ。
Alison Kraus
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Harley Allen
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youtubeはまずルービンのもの
Louvin Brothers - I Don't Believe You've Met My Baby
https://www.youtube.com/watch?v=lWp7MGY3II4
続いてアリソン・クラウスのもの
Don't Believe You've Met My Baby
https://www.youtube.com/watch?v=iwUkg6dOKak
これはトリビュート・アルバム "Livin',Lovin,Losin'"に入っているもの
Dierks Bentley and Harley Allen I don't believe you met my baby
https://www.youtube.com/watch?v=W-BLtGsc6SI
※ Harley AllenはRed Allenの息子さんで、2011年に亡くなっているとか。びっくり。.


昨日見た夢(I Don't Believe You've Met My Baby )
(大意。原詩は検索してみてください)

昨日の夜雨の降り続く中
私は悲しくブルーな気持ちでベッドに入っていると
あなたののことを夢で見た

夢の中で私は夕方の散歩をしていた
収穫祭のころの満月のもとで
あなたのことを想っていた

そして月明かりの中私達は出会った
星たちがあなたの瞳の中で輝いていたけど
そこには別の男性の姿もあった

あなたが他の誰かとと会うなんて信じられない
あなたは彼を見つめ、そして私を見た
あなたが話しているのは誰なんだろう

私はその見知らぬ彼と握手しようとしたけど
その手を引っ込めてしまった
まだ警戒する気持ちだったから

あなたは彼の肩に手を掛けて
彼に微笑みかけ、彼も微笑み返した
彼の目は勝利に輝いているように見えた

彼は「妹は(私と)結婚したいって」と言った
それで私の心は安堵で満たされた
だってあなたは私と結婚しようとしてたんだと知ったから

※こういう歌の常として男性版と女性版ではHe と She が入れ替わる


The Absolutely Essential 3 CD


Livin Lovin Losin: Songs of the Louvin Bros


Traitor in Our Midst/Don't Give Up Your Day Job


Now That I've Found You: Collection


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悲しき天使(Those Were The Days )[私の好きな20世紀の唄たち]vol.54 [20世紀の歌Ⅱ]

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Those Were The Days
written by Gene Raskin
sung by Mary Hopkin

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Those Were The Days(悲しき天使)は、68年イギリスのフォーク歌手だったメリー・ホプキン(Mary Hopkin)のアップル・レコードでのデビュー・シングルで、米英そして日本でも大ヒットした。少し遅れて漣健児の日本語歌詞で森山良子が歌ったものもヒットした(ヴィッキーの仏語版もあったらしい)。Gene Raskin の作となっているが、原曲は19世紀末にロシアで作られた「長い道」という歌で、それを Gene Raskin がリメイクしたものであるようだ。ポール・マッカートニーのプロデュースではなばなしくデビューしたメリーだが、もともとフォーク志向であったため2nd single の「グッドバイ」(これも切ない良い歌)を出した頃からポップ路線で売り出そうとするポールとうまくいかなくなり、やがて袂を分かつ。彗星のようにデビューして、いつの間にか消えていった(本当は消えていないのだが)と私たちが感じるのはこのためかもしれない。
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邦題の「悲しき~」は例によって当時の「売れる題名」のシリーズ(本当に内容と関係ないなあ)だが、日本語訳は比較的原曲の内容に沿ったもので、「思い出すわ あの日のこと あたたかい恋の夢… 」というフレーズは今でも時折脳裏によみがえってくることがある。ちょうど高校に入ったばかりだったということもあり、間違いなく自分の「青春の歌」の一つに数えられると思う。
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歌の内容をやや自分に重ねながら紹介すると、学生の頃夢や理想を確かに持っていると感じ、仲間同士で語り合っていたが、やがて就職し仕事が忙しくなるにつれて、日々の生活に追われて自分の本来あるべき姿を見失ってしまうことも多くなった。そんなある日懐かしいあの店に立ち寄ってみたが、店のガラスに映っていたのは、かつての若々しさも美しさもすっかり影をひそめてしまった自分の姿だった…。

こう書いてしまうと何か身もふたもない感じもするが、誰もが人生のある時期に感じてしまうことなのかもしれないし、もっとその時々に自分のなすべきことはやってきたさ、と感じる人もいるのだと思う。ロシア民謡から採ったと思われる哀調あふれるメロディは、そういう失われつつあるものへの哀惜の念をより募らせる。それにしてもこんな曲を若干18歳のメリー・ホプキンに歌わせたポールって、とも思ってしまう。まあ人生に疲れた中年の人が歌う方がいいとも思われないのだが。様々な立ち位置からそれぞれの受け止め方をすればいいのかもしれない。
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2005年にはドリー・パートンがメリー・ホプキンとともにこの曲をカバーし、同名のアルバム『Those Were the Days』に収録した。私も当時購入したが、ブルーグラスの楽器を使い、酒場のノイズもバックに流しながらドラマチックな演奏になっていた(下のyoutube)。最近何かのCMのバックに流れていて、また懐かしさがこみ上げてきたのも、一旦放り出したこの稿をもう一度書こうと思うきっかけになった。気ぜわしい師走の頃に相応しい歌のような気がする。

youtubeは以下の四つ。良子さんのは見つからなかった。licenseの問題かな。
Those Were The Days 【メリー・ホプキン 悲しき天使 】
https://www.youtube.com/watch?v=h5P1NTNWgr8
悲しき天使 - ヴィッキー
https://www.youtube.com/watch?v=2wqKYttesCE
新妻聖子 Niizuma Seiko 悲しき天使 Those were the days
https://www.youtube.com/watch?v=33g2fIy0JRM
Those were the days - Dolly Parton
https://www.youtube.com/watch?v=w_sjHnzPyT4

おまけにグッドバイも。これも甘酸っぱい青春の歌だ。
Mary Hopkin ~ Goodbye
https://www.youtube.com/watch?v=WZqtwwo_0qc


楽しかったあの頃[Those Were The Days] (大意。原詩は検索してみてください)

ずいぶん昔のことだった 一軒の居酒屋があって
そこで私たちは一・二杯のグラスの酒を飲んでは
時を忘れて笑い興じていた
自分たちが何ごとかをなす未来を夢見て

**
あれはそんな素晴らしい時代だったね、友よ
楽しい日々に終わりはないと信じていた
永遠に私たちは歌い踊り続け
自ら選び取った人生を生き
戦いを挑み決して敗れることはないと
私たちは若かった そして確固とした生き方を持っていたから
  La La La La La La
  La La La La La La
  La La La La La La La La La La

それから、多忙な年月が疾風のように過ぎ去って
その中で持っていたはずの美しい生き方を見失っていった
もし、偶然あの居酒屋で再び逢うことがあったら
互いに微笑みあって、こんなふうに語るでしょう

**

今夜、私はあの居酒屋の前を通りかかり
以前そうしたように中を覗き込んでみた
ガラスに不思議な姿が映り込んでいた
そこに移っている淋しそうな女は本当に私?

**

ドア越しに懐かしい笑い声が漏れてきて
あなたの顔が見え、私の名を呼んでいるのが聞こえた
ああ友よ、私たちは歳をとったけどより賢くなれたわけではないよね
私たちの心には、今でもあの頃と同じ夢を抱き続けているのだから

**


ベスト・オブ・メリー・ホプキン


Those Were the Days


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MY BACK PAGES[私の好きな20世紀の唄たち]vol.53 [20世紀の歌Ⅱ]

MY BACK PAGES(私の過去帳)
     written by Bob Dylan

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ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したからというわけでもないが、再びとり上げてみよう。実は半年前ぐらいにこの曲について書いてみようと思ったのだが、詞が難解すぎてお手上げ状態だったというのが真相である。今回再トライするにあたって、いくつかの訳詩をwebで見たのだがそれでも分らない。だから今のところ判ったのはここまでという状態で書くのである。
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この曲は1964年に発表されたアルバム " Another Side of Bob Dylan" に収録されている。それまでのアルバムで、「風に吹かれて」「戦争の親玉」「第3次世界大戦を語るブルース」「時代は変る」などのプロテストソングが脚光を浴び、時代の代弁者のようにもてはやされたことに嫌気がさしたのか、このアルバムではプロテストソングといえる歌は歌っていない。レッテルを貼られるのが何よりも嫌いなのは今回の賞に対する対応(といっても今のところ無言を貫いているだけだが)からも窺い知ることが出来るだろう。
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私はこの曲を何で知ったのだろう。ディランのオリジナルアルバムで知ったのではないことは確かだ。ディランの初期に彼の作品を多く取り上げて、世に知らしめたのは PP&M、Joan Baez、そして The Byrds といっていいだろう。特に The Byrds はディランの "Mr. Tambourine Man" でデビューしたぐらいだから、実に多くのディラン・ソングを歌っている。あるいは92年の "Bob Dylan's 30th anniversary concert" あたりかもしれない。ラスト辺りで Bob Dylan-George Harrison-Tom Petty-Eric Clapton And Friends という豪華メンバーでやっているが、基本のアレンジはバーズのもののようである。youtube でもノーベル賞の余波か「この国では視聴できません」というものがいくつかあるのもご愛嬌?
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曲の内容は象徴的な言葉が多くて分りづらいが、プロテストソングを多く歌っていた時期の自分が、やや頭でっかちでスレテオタイプだったかもしれない、という自己批判的な歌なのかな、という視点で見ると少し分ってくるような気がする(少しだけど)。若い頃はやや性急に自分と世界を理解しようとし、また理解した気になっていることは多いものだが、歳を重ねていくと別の見方も出来るようになっていく。その一方で分別臭くもなっていくのも事実だが、ディランの「常に今より柔軟な感性を持っていたい」という姿勢、そしてそれを75歳になる現在まで持続しているところが何よりすごいことだと思う。 "Younger than Yesterday" はこの曲が収められたバーズのアルバムの題名であるが、自分もあたう限りこのように生きていきたいものだ、としみじみ思ったことだ。
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youtubeはまずディラン本人のもの。
Bob Dylan - My Back Pages (1998)
https://www.youtube.com/watch?v=LeEkYvrdZvo
続いてバーズのもの。上とアレンジが違うのが面白い。
The Byrds - My Back Pages (1967)
https://www.youtube.com/watch?v=h80l4XIPJC4
30周年コンサートのリハーサルビデオ。珍しくも興味深い。
Bob Dylan-George Harrison-Tom Petty-Eric Clapton And Friends. A Rehearsal
https://www.youtube.com/watch?v=wtQKE4I8U-M
ジャクソン・ブラウンとジョーン・オズボーンのデュエット。これいいね。
Joan Osborne & Jackson Browne - My Back Pages
https://www.youtube.com/watch?v=Vz_UiBvxOy0

私の過去帳 (大意。原詩は検索してみてくださいね。)

私の耳に縛り付けられた真紅の炎は
高く舞い上がり
巨大な罠が燃え上がる路上に仕掛けられていた
頭の中の思念を自分の武器にして
「先端で会おう」と言った私の
眉の下は高慢な光に満ちていた

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ

半ば壊れかけた偏見に踊らされていた私は
「全ての憎悪を切り裂け」などと叫んでいた
人生は白か黒に見極められるという虚言を
頭の中だけで考え喋っていた
昔の銃士たちの考えたそれなりに深く構築された
ロマンチックな物語を夢想していた

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ

見せかけだけの嫉妬心から
古代の歴史の暗誦に至るまで
少女たちの顔は前向きの路を示していた
でもそれは死せる伝道者たちにより
無自覚に投げ出されたものに過ぎなかった
いずれにしても

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ

教授を自称する男の口からは
愚かしいほどに真面目な言葉が
飛び出した
「自由とは学校では平等だということにすぎない」
「平等」私はこの言葉をまるで
結婚の誓いのように常に口にしてきた

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ

兵士のように身構えて私は
教えを説くつまらない雑種犬に狙いを定めた
自分が説教をたれた瞬間に
今度はおのれ自身が自らの敵になることに
恐れも抱かず
私の存在は舳先から船尾まで暴動と反乱にみちた
混迷する船に導かれていた

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ

そう、私の神は抽象的思考の脅威にあっても
厳として立ち、その姿は
あまりに高貴で無視できなかった
神は私をだまし、
おまえには守るものがあるのだと思わせた
私は、善と悪という二律を極めて明晰に
疑いもなく定義してみせた

ああ、その頃の私の心はむしろ年老いていて
今の私の方が若く柔軟だ


昨日よりも若く(紙ジャケット仕様)


ボブ・ディラン30周年記念コンサート [DVD]


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Don't Know Why[私の好きな20世紀の唄たち]vol.52 [20世紀の歌Ⅱ]

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Don't Know Why
written by Jesse Harris
sung by Norah Jones

この歌は2002年に発表されたノラ・ジョーンズのアルバム "Come Away with Me" に収録されていた歌で、これでは「21世紀の歌」になってしまうが、ジェシー・ハリスが作ったのは98年らしいので、かろうじて「20世紀の歌」になっているといえるか(笑)。98年ごろからジェシーとノラは一緒にバンド活動をしていて、その頃からジェシーの楽曲を歌っていたようである。

アルバム "Come Away with Me"はその年のグラミー8部門を受賞し、全世界で1800万枚を売り上げたと言われている(累計で2300万枚とも)。ブルーノートというジャズのレーベルから出ているが、ジャズという枠に収まりきれない幅を当時感じさせた。その後 " The Little Willies " というカントリーバンドでアルバムを出したりして、それはそれで親しみ深かったのだが、やはりこのファーストアルバムを凌駕するものではなかったように思う。この秋に「ノラがジャズに帰って来た」という触れ込みのニュー・アルバム "Day Breaks" が出るので楽しみではある。

スモーキー・ヴォイスと言われる歌声も、ピアノプレイも唯一無二のような気がする。父親があの有名なシタール奏者ラヴィ・シャンカルということも彼女の音楽に何らかの影響を与えているのかなとも思うが、3歳のとき両親は離婚し、母親に育てられたようなので、直接の影響はないのかもしれない。
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ジェシーがこの歌を女性の視点で書いたのかどうかは定かではない。ジェシー自身も歌っているのでどちらもありなのかな、とも思う。歌詞は平易な言葉で綴られているが、よく分からない部分もある。「君」が行っている "the house of fun" は単なる遊興場なのか別の仲間たちと「楽しんでいる」のか。webで検索するとスロット・マシーンがたくさんヒットしたけど…。"bag of bones" というのは「やせこけて」と訳したが、心の痛みを引きずっていたから? 聴いていると "vagabond”(放浪者) にも聞こえて、こっちでもいいような気がしてくるし…。
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彼(彼女)のところに今駆けつけたら、壊れかけた関係は修復できるかもしれないのに、行かなかったのは「なぜだか分らない」とつぶやくところが、この歌の肝なのだろうが。何か切実な内容なのに、もう一つ乾いた目がそれを眺めている、というような感じである。これが21世紀の感性なのだろうか。でもずいぶん昔を振り返ってみると、自分たちの若い頃の恋愛体験の中にも同質のものがあったような気もする。モラトリアム世代だとも言われていたなあ。お仕着せの価値観は受け入れられないが、自分で方向性をはっきり見出すことも出来ず、状況に流されていく…。Life is like a Circle Game だね。

ノラのちょっと乾いた、あるいは湿ったスモーキー・ヴォイスそのものが、どんな切実な歌を歌ってもそれらを全てやさしくオブラートに包んでくれるのかもしれない。
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youtubeはノラ・ジェシーそして原田知世のものを
ノラ・ジョーンズ「ドント・ノー・ホワイ」
https://www.youtube.com/watch?v=SrhJN1e8OHs
Don't Know Why (Jesse Harris - Solo)
https://www.youtube.com/watch?v=eiRN-d-LAaQ
原田知世 - ドント・ノー・ホワイ feat. ジェシー・ハリス
https://www.youtube.com/watch?v=3pxFNTZs9f4
ニュー・アルバムに入っているCarry Onを
https://www.youtube.com/watch?v=DqA25Ug71Mc

youtubeを観ると実に様々なミュージシャンとデュエット(セッション)していて驚くが、何を歌ってもノラの歌になってしまうところがやはりすごいなと思ったことだよ。
Norah Jones Best Duets
https://www.youtube.com/watch?v=Zo0kx_Rh24M&list=PL_wvx_-XWq-W_iDpHcqPl513rZ7skHDG0

なぜだか分らない

夜が明けるまでずっと待っていた
どうして行かなかったのだろう
君が遊興の場にいりびったっているのに
どうして放っておいてしまったのだろう

夜明けの光が射したとき
どこかへ飛んでいってしまいたいと思った
ずっと砂浜にひざまずいて
涙を手で受け止めるのをやめて

心はワインをしこたま浴びているのに
君の事がいつまでも頭から離れないでいる 

果てしなく広がる海原に出ていって
恍惚のうちに死んでしまいたい
でも実際は骨のようにやせこけて
独りぼっちで歩き続けるのだろう

心はワインをしこたま浴びているのに
君の事がが頭から離れない いつまでも

夜が明けるまでずっと待っていた
どうして行かなかったのだろう
君が遊興の場にいりびったっているのに
どうして放っておいてしまったのだろう

夜明けの光が射したとき
どこかへ飛んでいってしまいたいと思った
ずっと砂浜にひざまずいて
涙を手で受け止めるのをやめて

心はワインをしこたま浴びているのに
君の事がが頭から離れない いつまでも


Come Away With Me


Day Breaks


Norah Jones: Live In New Orleans [DVD] [2003] by Norah Jones


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Long Black Veil[私の好きな20世紀の唄たち]vol.51 [20世紀の歌Ⅱ]

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Long Black Veil
written by Danny Dill and Marijohn Wilkin
originally recorded by Lefty Frizzell.

この歌は50年代から60年代に活躍したカントリー・シンガーのレフティ・フリッツェルが59年に発表したものがオリジナルのようである。私はジョーン・バエズやザ・バンド、そしてブルーグラスのC.G.で知ったが、この稿を書くにあたってあちらのwikiを見るとおびただしい数のカヴァーがあるのに驚いた。多くのミュージシャンに取り上げられるこの歌の魅力はいったいどこにあるのだろう。
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レフティについてよく知っているわけではないが、ブルーグラスでもいくつかの曲がとり上げられている。"She's Gone, Gone, Gone""Railroad Lady"などがそうだ。また、正調ホンキートンク・カントリーの担い手として前にとり上げたマール・ハガードも崇拝していて、レフティのNo.1ヒットである " Saginaw Michigan " の歌い方を模倣したというのは有名な話らしい。
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さて歌の内容であるが、事実を元にした Topical Song ではないだろうが、物語になっている歌=バラッドで、古いフォークソングには意外と多い、殺人の歌(Murder Ballad)という要素と、親友の妻と寝てしまったという不倫の要素が組み合わさった歌である。前者では ” Banks Of The Ohio " が有名だし、後者は親友に彼女を紹介したら奪われてしまったと歌う " Tennessee Waltz " がある。アメリカ南部の人々はこのような赤裸々な歌を好むのかな、と不思議な気もする。

訳詩を見ていただくと内容はほぼわかると思う。殺人罪の被疑者になり、アリバイを証明できなければ死刑になるとわかっているのに、そのためにはその時間帯に親友の妻と密会していたことを告白しなければならない。悩んだ男は黙秘して死刑を受け入れる道を選んだというのだが、ちょっと理解し難いようにも思える。自分なら全てを告白して親友を裏切ったという汚名を敢えて引き受ける方を選ぶような気がするし、そもそもそんなに親友を裏切ることが許されないなら、初めからしなければいいのにとも思う。死を賭して愛する女性の名誉を守ろうとしたという点が美しいと考えられたのだろうか。
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人という存在そのものがそういう矛盾に満ちたものであるということなのかもしれないし、罪を犯してもそのことを神にだけ告解し、墓場まで持っていくというクリスチャンのあり方のようなものが背景にあるのかもしれない。いずれにしても日本にはこのような歌はないような気がする。江戸時代の武士の世界ならこんな設定の話はあるかもだけど。いずれにしても文化の違いを強く感じる歌ではあるなあ。

最後になるが、この歌は死者である男の視点から歌われているという点でも極めて特異な歌だということもできるようだ。アメリカは歴史が浅い国なので、幽霊やゴーストなどの超常現象に惹かれる傾向が強いという話も聞いたことがあるがどうだろう。

youtubeはまずレフティのもの。挿絵が雰囲気を出している。
Lefty Frizzell.... Long Black Veil - 1959.wmv
https://www.youtube.com/watch?v=w7t1-Rftx2U
続いてJOAN BAEZ - THE LONG BLACK VEIL, Milano 2008
https://www.youtube.com/watch?v=r9kTSf20pP0
The Bandの初期のアルバムから, "Long Black Veil"
https://www.youtube.com/watch?v=YMwPd27sg_k
チーフタンズのLong Black Veil。歌の内容に沿った動画が。
https://www.youtube.com/watch?v=888TFXZ6Ko0
このブログを読んで下さったI沢氏がこの歌のアンサー・ソングをFBで紹介してくれたので引用しておく。アンサーというよりは密会の相手の女性の立場に立った歌詞に替えられているということではあるが。
My Long Black Veil - Marijohn Wilkin
https://www.youtube.com/watch?v=sICQszWNivY

Long Black Veil (大意。原詩は検索してみてください。)

今から10年前の肌寒く暗い夜のことだった
市庁舎の灯りの下で一人の男が殺された
現場を見た人たちは皆口々に
逃げた犯人は私によく似ていたと証言した

裁判官は言った「お前にアリバイはあるのか」と
「お前が別のところにいたと証明できたら
お前は死なずにすむだろう」
私は黙って語らなかった 生きるか死ぬかの状況なのに
その時私は親友の妻の腕に抱かれていたのだから

**
今、彼女は長く黒いヴェールで顔を覆って丘を上がり
夜の風が嘆くように吹き付ける頃ひそかに私の墓を訪れる
誰もそのことを知らず、見てもいない
私以外の誰も

絞首台は高くそびえ、死はすぐそこにある
彼女は群集の中に紛れ、涙を見せることはない
でも時に冷たい風がむせび泣く夜
長く黒いヴェールに身を包んだ彼女は私の墓に涙を落とすのだ


3 Classic Albums Plus


Music From Big Pink


Country Songs Old & New


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Silver Wings(銀色の翼)[私の好きな20世紀の唄たち]vol.50 [20世紀の歌Ⅱ]

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Silver Wings(銀色の翼)
     written by Merle Haggard

マール・ハガードは1937年4月6日にカリフォルニアで生まれたとあるが、父親はオクラホマの出身で、'31~'39年にオクラホマ一帯で起こった「大砂嵐(Dust Bowl)」や「大恐慌」のために故郷を捨てて西に移り住んだようだ。このことは " RAMBLIN' ROUND "[20世紀の歌Ⅱ] でも少し触れた。音楽は好きだったがいわゆる不良少年で、すさんだ生活をしていたようだ。20歳のころ強盗罪でサンフランシスコの刑務所に入ったが、58年の正月に慰問に来たジョニー・キャッシュの歌を聴いて歌手を志す決意をしたと言われている。

その後模範囚となり出所してからは、ベイカーズフィールドでカントリーの歌をを作り歌い始める。彼の作る歌は労働者や死刑囚などの体験をストレートに歌ったものが多い。彼がバック・オーエンズらと作ったサウンドは後にベイカーズフィールド・サウンドと呼ばれるようになる。ポップでおしゃれなナッシュビル・サウンドとは対極をなすものだ。
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ヴェトナム反戦運動が頂点を迎える69年に、彼はそれらの流れを全否定するような歌 " Okie From Muskogee " (モスコギーからの流れ者)を作り発表する。「俺たちはヒッピーたちみたいにマリファナやLSDもやらないし、徴兵カードを焼き捨てたり、乱痴気騒ぎなんかしないさ…」という歌詞には、非常に保守的なものを感じて、歌っていいのかなと思うこともしばしばだった。今改めて見直してみると、彼はヒッピーたちの変革の行動の中に、何か地に足の付かない上滑りなものを感じていたのではないか。政治的なメッセージというよりは、オクラホマ出身の貧しい流れ者の息子として、日々のささやかな生活を大切にする、そういうところから乖離してなにが変革か、と言いたかったのかもしれない。

彼の代表曲としては、上記の歌や死刑囚とのやり取りを元にした " Sing Me Back Home "、 " Mama Tried " " Working Man Blues " など数多いが、あえて " Silver Wings " を選んだのは、マールの曲で最初に知ったものだからでもある。確かリンダ・ロンシュタットが誰かのアルバムのゲストで歌っていたのではなかったか。リンダ経由で知ったアーティストの多いことよw

Muskogee と同じ69年に別のアルバムで発表されたこの曲は、飛行機で去っていく恋人のことを歌った失恋ソングである。もう一昔前だったら列車で去っていくというところだが、この時期ライトフットの「朝の雨」やジョン・デンバーの「悲しみのジェットプレイン」など、飛行機を扱った歌が次々と出てくるのは、フォーク・カントリーミュージックの歴史の流れのひとつのエポックを感じさせるところではあるなあ。

長田弘さんが『アメリカの心の歌』の中で「(彼の歌は)ただ一人の私の歌だ。<中略>ほとんど形容詞がない。直截で、飾らない。それでいて容積が大きい」と言っているが、この歌にもそれが当てはまるように思う。最低限の感情しか吐露していないため、聞く者にそれぞれの「別れ」の物語を紡がせる、そんな歌だ。それは彼の生き方そのものでもあるのだろう。シングルカットされたわけでもないこの曲が、遠く離れた日本でも多くの人々に愛される所以だろう。今でもこの曲名で検索すると、多くの店の名やバンド名になっているのがほほえましいくらいだ。
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そんな彼が先日亡くなった。奇しくも April 6, 2016 (aged 79) 、誕生日と同じ日に。マールの歌ももっと色々聴いて自分の歌にしていこうと思っていた矢先であった。残念であるが、ドラマチックに生きてドラマチックにこの世を去っていった彼の数々の歌を、私も生きている限り歌いついでいきたいと思った。

youtube はまずマールのもの
MERLE HAGGARD-SILVER WINGS
https://www.youtube.com/watch?v=2V8zVkqZa98
リンダのもの
Linda Ronstadt - Silver Wings
https://www.youtube.com/watch?v=mSMeT_aqjBE
マールの授賞式でのクリスとミランダの歌
Silver Wings - Kris Kristofferson and Miranda Lambert - Kennedy Center Honors Merle Haggard
https://www.youtube.com/watch?v=FFzPBT77jtk&nohtml5=False

Silver Wings(銀色の翼)

銀色の翼よ、日の光を浴びて輝いている
エンジンは轟音を上げ、どこかへ飛び立とうとしている
お前をどこかへ連れ去り、俺を独りぼっちで置き去りにする
銀色の翼はゆっくりと視界から消えていく

 「俺を置いていかないでくれ」俺は泣く
 飛行機に乗らないでくれ
 けれどお前は俺のことを心から追い出して鍵をかけ
 俺をここに立ちすくんだまま置き去りにする

銀色の翼よ、日の光を浴びて輝いている
エンジンは轟音を上げ、どこかへ飛び立とうとしている
お前をどこかへ連れ去り、俺を独りぼっちで置き去りにする
銀色の翼はゆっくりと視界から消えていく


Very Best of MERLE HAGGARD


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