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映画『イエスタデイ』@OSシネマズミント神戸 [映画]

映画『イエスタデイ』@OSシネマズミント神戸
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映画『ロケットマン』を観た時に予告編をやっていたので、頭の隅にあったけど忘れていた。少し前にFBで観た人の記事があったので思い出して行ってみた。ビートルズの伝記映画ではなく、ビートルズの楽曲をふんだんに使ったロマンティック・コメディといっていいだろう。ただ、細かいところにファンならわかるであろう小ネタがいっぱいちりばめられていたけど。他にもこれ吉本が作ったの?本当にイギリス映画?と思ってしまうようなギャグが飛び交っていて、イギリスと日本のお笑いはひょっとして似てるかも、と思わせてくれた。
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ビートルズが「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューしたのは1962年で、自分はまだ9歳か10歳だった。海外?に住んでいたため、洋楽に接する機会がそもそもなく、橋幸夫や舟木一夫を口ずさんでいたのだった(笑)。かすかに従兄弟が赤いソノシート盤を持っていて、それを聴かせてもらった記憶があるくらいだった。中高ではモダン・フォークや和製フォークを聴き、歌っていたので、ビートルズに関しては「遅れて来た世代」の部類に入るのだろう。
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ビートルズを全く知らない世代の人たちが、彼らの楽曲を聴いて、60年代と同じ感動を味わえるのかどうか、ということの壮大な試みが、この映画のコンセプトの一つだと勝手に思っているのだが、私のような「遅れて来た世代」と似た反応をするのかな、ということにも興味があった。
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主人公ジャックを演じたインド系俳優のヒメーシュ・パテルの歌やギター・ピアノの腕前も素晴らしく、ビートルズの楽曲をこんな風にやるんだ、という新たな発見もあり、それはそれで良かったのだが、ビートルズが存在しない世界(パラレル・ワールド?)の人々が、初めてそれを聴いて熱狂してしまう所以、つまり他のバンドたちの曲とはここが違うんだ、というところは描き切れていないように思われた。まあ、それはないものねだりであって、単にビートルズ大好きという人たちがしゃれで作ったビートルズ賛歌と思えばいいのかもしれない。
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パテルの演奏がライブ録音だったというのにも驚いたが、このシンガー・ソングライターを寡聞にして知らなかったのだが、本人役で出演したエド・シーラン(Ed Sheeran)の歌と演奏が素晴らしく、逆にそのことがビートルズの素晴らしさを際立たせるという効果を薄めてしまったようにも思われた。帰って早速youtubeで聴きましたがな。
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ごたくを並べてきたが、素晴らしい演奏とウィットの効いたギャグなどで楽しく終わりまで観ることが出来た。主人公ジャックが売れない頃からずっと個人マネージャーとして支えてきた幼馴染のエリー役のリリー・ジェームズがとても愛らしく切なくて、実は彼女の姿をずっと追っていたのかな、と思ったことだよ。
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『イエスタデイ』特別映像(Himesh Sings The Beatles)
https://www.youtube.com/watch?v=Tpy8zUBlsFA

Best Of Ed Sheeran 2019 || Ed Sheeran Greatest Hits Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=ZMK42pj7830&t=2588s


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映画『ロケットマン』@OSシネマズミント神戸 [映画]

映画『ロケットマン』@OSシネマズミント神戸
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Elton John
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エルトン・ジョンの伝記映画が上映されているというので観ることにした。前日まで一日5回ぐらいやっていたがこの金曜日から2・3回になっていたので、時間の合っている三宮のミント神戸にした。新在家から阪神に乗るとミントは意外と便利だと知った(笑)。

最近は存命しているスーパースターの伝記映画がいくつか出ていて、それも単なるサクセス・ストーリーでなく、本人があまり公開したくないのではないかと思われる内容が含まれているのに驚く。去年観た『エリック・クラプトン 12小節の人生』もそうだった。この映画はエルトン自身も製作総指揮に名を連ねていて、「自分の神格化を避けてほしい」と注文したともいわれている。だから、スーパースターとしての栄光の裏でいかにエルトンが苦悩の人生を送っていたか、そして彼がどのようにして救済されたかということに焦点があてられていた。

エルトンの活躍した時期はほぼ自分の青春時代と重なるのだが、それほど入れ込んで聴いていたわけでもなかった。代表曲のいくつか("Your Song" "Crocodile Rock" "Honky Cat" "Goodbye Yellow Brick Road"など)はよく聴いていて、口ずさんでもいたのだが、それ以上でもそれ以下でもなかったのは何故だったのだろう。自分も演奏していたアメリカのフォーク・ブルーグラスやそれに関連した音楽を中心に聴いていたから、UKの音楽(クイーンもそうかも)として距離を置いていたのかもしれない。また、甘いラブソングとエルトン自身の派手な眼鏡や衣装、風貌のギャップを感じていたということもあったのかもしれない。若い頃の自分の中にそういう排外的な要素があったことは確かなようだ。

映画の中で次々と出てくる彼のヒット曲を目の当たりにして、改めて彼の曲を聴き直してみようと思っただけでも、この映画を観た価値があったように思えた。エルトン役のタロン・エジャトンの歌唱も素晴らしかったけど。
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さて物語は1990年頃、薬物とアルコール依存症、過食症の治療のため入院、更生施設へ入居したエルトンが、施設の入所者達を前に幼少期からの自らの過去を赤裸々に語るという形で始まる。父親からも母親からも愛されていないと感じながら過ごしていた幼少期だが、ピアノの才能は神童と呼ばれるほどで、祖母の後押しを受けて音楽学校に通う。誰からも愛されないという<孤独>が彼の半生を形成した大きな要素だったのかもしれない。
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若者になった彼は、キャバレー回りのバンドマンとして活動するが、作曲家に応募する中で、生涯の盟友となる作詞家バーニー・トーピンと出会う。
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エルトンが詞も書いていると思い込んでいたが、76年頃から2年間袂を分かつ時期があっただけで、ほとんどの曲の詞をバーニーが書いていたことに驚いた。バーニーが1時間で詞を書くと、エルトンが30分で曲をつけるという具合だったようで、二人の一体感が伝わってくるようだ。ちょっとLennon-McCartneyに似てるなとも思ったが、それにしても作詞家バーニーの評価がエルトンの陰に隠れているような気もするのだがどうだろう。
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エルトンがゲイであるということはぼんやり知ってはいたが、映画でもかなり生々しく描写されていた。元マネージャーであり最初の恋人でもあったジョン・リードとの出会いと別れに始まり、84年にドイツ人の女性と結婚したが後に別れて…、などかなり赤裸々に描かれている。前に観た映画『ボヘミアン・ラプソディ』でもフレディ・マーキュリーが同様の葛藤に悩む姿が描かれていたのを思い出した。ちなみにジョン・リードは後にクイーンのマネージメントもしていたようで、意外と狭い世界なのかなとも思ったことだよ。
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長くなるのでもうやめるが、シャイな少年だったエルトンが、派手な眼鏡と衣装に身を包むことによって、持っていた才能を開花することができた(と勝手に思っているが)という点や、様々なプレッシャーからアルコール・薬物依存になりながらそれを克服していったことなどを胸におきながら、彼の楽曲をもう一度聴いてみよう、と思いながら映画館を後にした。
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youtube から節目の作品を

Elton John - Your Song 1970年 代表曲にして最初のヒット
https://www.youtube.com/watch?time_continue=153&v=GlPlfCy1urI
Elton John - Honky Cat 1972年 BLUEGRASS でも取り上げていたなあ
https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=8MQRLMSxZ1A
Elton John - I'm Still Standing 1983年 バーニーと再び共作したもの
https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=ZHwVBirqD2s
Elton John - I Guess That's Why They Call It The Blues 1983年
https://www.youtube.com/watch?v=h6KYAVn8ons
Elton John, Taron Egerton - (I'm Gonna) Love Me Again 2019年 
この映画のために書き下ろしたもの
https://www.youtube.com/watch?time_continue=8&v=0LtusBN3ST0

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映画『天気の子』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『天気の子』
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新海誠監督による新作アニメーション映画を観てきた。前作の『君の名は。』を観てからもう三年も経っていたのだ。今回も大ヒットらしく、公開から一ヶ月経っても多くの映画館でやっている。月曜日の朝一番だったら空いているだろうと思って行くと、案の定10人ぐらいの入りだった(笑)。

前作とどちらがいいかという論議も世間をにぎわせているようだが、自分的には今作の方がより共感を覚えることができた作品のような気がした。同じような「少年と少女の出会い」を描いているのだが、本作では、今の日本で切実な問題になりつつある「異常気象」の問題が取り上げられていたからだろう。他にも主人公の二人の境遇が「現代の若者たちの貧困問題」に絡むように描かれているということにも興味をひかれた。ファンタジーなのでいずれもそんなに掘り下げられている訳でもないのだが、観る側の想像力をかき立てる何かを感じた。
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少しだけあらすじに触れると、
伊豆諸島で暮らす高校1年生・森嶋帆高は、家出し東京にやってくるが、数日で所持金が尽きたため、フェリーで知り合ったライターの須賀圭介の事務所に転がり込む。
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一方帆高はある事件から天野陽菜という少女と出会う。当時の関東地方は、異常気象により長期間にわたって雨の日が続いていたが、そういう中で「一時的な晴天を呼ぶ『100%の晴れ女』なるものが存在するという都市伝説が流れるのだが、陽菜こそがその「晴れ女」だったのだ…。
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陽菜は巫女のような存在として描かれているのだが、その神通力を使わなくなった時天に召される。その結果三年間雨は降り続き、東京の半分は水没してしまう。地球温暖化による海面上昇でなく、長雨でというのがファンタジーらしいが、それはともかくイメージとしては十分リアリティがあった。70年代の小松左京のSF小説『日本沈没』も少し連想された。ただ、そういう異常気象を作り出した人類を強く批判しているかというとそうでもないように感じた。
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「二百年以上前のこの東京(江戸)は大半が海だった。」というようなことを登場人物の誰かが言っていて、それはこの水没が「天気の子」のせいではないから大丈夫だ、というように説明されていたようだった。人類の愚かな営みのために今の地球温暖化や異常気象、環境破壊が起こっていると言われているが、それは長い地球の歴史の中では小さな変化でしかない。我々はそのことをただ受け止め受け入れて生きるしかないし、自分の生き方をするしかないという非常にシニカルな受け止め方を提示しているようにも見えた。監督が「論議を巻き起こす」ことが製作意図のひとつだ、と語っているのがこの部分なのかなとも思った。
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まあ、実際映画を観て色々考えてもらったらいいと思うのだが、今回も映画を観て強く思ったのは、作画による情景描写の素晴らしさだった。特撮や空撮・ドローン撮影でもできない、こうあってほしいと思う情景描写を見事に再現?していることに今回も驚いた。日本のアニメーション技術の素晴らしさを改めて感じた。そういう意味でも「京アニ」の多くの優れたアニメーターたちの命が、一人の愚かな人間によって奪われたのは無念でならない。そんなことも考えながら劇場を後にした。
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【天気の子 】『大丈夫』 超高音質 RADWIMPS
https://www.youtube.com/watch?v=3BbAzcqrxsY

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0719 映画『新聞記者』@ 神戸国際松竹 [映画]

0719 映画『新聞記者』@ 神戸国際松竹
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この映画、6月末からやっていたらしく、観ようと思いながらバンド活動や病院の検診があったりして、忘れていた。ライブも終わり、検診結果も10月まで様子見と言われたので、ぽっかり独り考える時間が持てたので、行くことにした。雨も続いているしね。

観終わっての第一の感想は「よくぞ、このような映画を作ったものだ」というものだった。去年の春『ペンタゴン・ペーパーズ最高機密文書』という映画を観た時、すごい映画を作ったものだと驚き、同じような映画を忖度だらけの日本では作ることはできないだろうと思った記憶がある。その映画にしてもトランプ政権を明らかに意識しているものであるのにも関わらず、舞台はニクソン大統領施政下71年のペンタゴンに設定されていたのだから。

この映画はフィクションの形をとっているが、森友・加計問題や伊藤詩織さんの「準強姦」訴訟、元文部科学事務次官・前川喜平氏の「出会い系バー」報道など、現政権を巡る数々の疑惑や事件を扱っているのだ。そういう意味ではペンタゴン~を凌ぐ強い意思と勇気を持って作られたものだと思う。
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東京新聞記者・望月衣塑子の同名ベストセラーを原案に、政権が隠す権力中枢の闇に迫ろうとする女性記者と、理想に燃え公務員の道を選んだある若手エリート官僚との対峙・葛藤を描いたものである。
映画の中に望月記者たちのTVインタビューの画面が出てくるのがリアル過ぎ!
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webからいただいたあらすじを引用すると、「日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、アメリカで育った吉岡(シム・ウンギョン)は、ある思いを秘めて東都新聞の社会部記者として働いている。
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そんなある日、彼女のもとに大学新設計画に関する極秘情報が匿名FAXで届く。その真相を究明するため、早速、吉岡は調査を開始。一方、内閣情報調査室官僚・杉原(松坂桃李)は、「国民に尽くす」という信念とは裏腹に、現政権に不都合なニュースをコントロールする現在の任務に葛藤していた。
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愛する妻(本田翼)の出産が迫るなか、杉原は尊敬する昔の上司・神崎(高橋和也)と久々に再会するが、その数日後、神崎はビルの屋上から身を投げてしまう……。」吉岡と杉原は運命に結び付けられたように近づき、権力の闇に立ち向かっていくのだが…。
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「内調」はかつてはもっと違うものだったそうだが、今では官邸直属の諜報機関と化しているらしい。国家機密があるのは、ある部分では当然のことだが、私的な機関になってしまっているとすれば、民主主義にとってあってはならないことであると素人ながら思う。そして官僚たちは上からの命令に、出世・左遷をちらつかせられながら従わせられていく…。どのような組織でもありがちなことではあるが、出世など望まなければいいじゃないか、といつでも辞めてやるさというスタンスでやってきた自分などは思うが、特に高級官僚はそれに加えて「国家のため」という金科玉条を突き付けられるから動けなくなるのかもしれない。
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近年とみに、メディア関係の政権への忖度がひどくなり、情報番組など観る気が失せつつある。私の中では、TVの情報番組<新聞<ドキュメンタリー・一部のドラマ<映画、というような位置づけである(笑)。後になるほどスポンサーからの圧力が少ないということだろうか。

今の日本ではTVや新聞でも心ある方たちは、言論の自由・真の民主主義を守ろうと闘っていらっしゃる。映画の中で杉原の上司が「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という言葉を吐いていたが、逆説的に今のこの国の現状を表しているように思う。この映画も、参院選直前だということでそこそこの興行成績をあげたようだが、爆発的なものにはなっていないことも、そのことの傍証と言えるかもしれない。自分のような、何の力も持たない老いぼれには出来ることは少ないだろうが、それでも死ぬまで持つべき<矜持>を持ち続け、この映画を作ったような方々を応援することぐらいはできるかな、と思ったことだよ。

OAUの歌うエンディングの曲も秀逸である。
OAU「Where have you gone」映画『新聞記者』主題歌
https://www.youtube.com/watch?v=J0lp5POeDsI


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映画『僕に、会いたかった』@TOHOシネマズ西宮OS [映画]

映画『僕に、会いたかった』@TOHOシネマズ西宮OS
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公開が始まったと思ったら、兵庫ではガーデンズのTOHOシネマズのみで、週が明けたらアサイチだけになっていたので慌てて観に行った。内容については事前にはさほど分からずに、隠岐の島がロケ地だということに惹かれて(笑)。これも一種の郷土愛なのかな?「故郷は遠くにありて思ふもの」を地でいっているのかも知れない。監督は平田市出身の錦織良成で、以前に 『白い船』(2002)と『渾身 KON-SHIN』(2013)を観たと思う。『白い船』は浜田あたりの海辺の小学校の生徒と沖を通る長距離フェリーの乗組員の交流を描いたものだったが、『渾身 KON-SHIN』の方は隠岐の島の我が村も舞台になっていた映画だった。

今回の作品は、隠岐の島でも私の出身地の島後ではなく、隣の島前が舞台になっている。そういえば去年観た映画『KOKORO』は知夫里島が舞台だったなあ。何か本筋から離れたところで話が進んでいる気もするが、実際映画で映し出された隠岐の島々の風景は美しかった。多くの映画人がロケ地に選ぶのも分かる気がする。
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物語は「ある事故をきっかけにして、島で一二を争う凄腕の漁師、徹は記憶を失ってしまう。母や島の人々はその後の日々を優しく見守る。本島から島へ来る留学生たちとの触れ合いの中で、徹の記憶は蘇るのか。島の愛は、人の心を救えるのだろうか…。」というもので、主人公徹役を"EXILE" のTAKAHIRO が演じているので話題になったようだが、私の興味がそこにあったわけでもなかった。
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記憶をなくした徹がそれに苦しみながら、島の人々に暖かく見守られながら、日々を過ごす過程は淡々とした日常風景として描かれていて、それはそれとして味わいがあったが、「島前高校」をモデルにした島の高校にやってきた内地留学生達が、里親を初めとした島の人々との触れあいの中で、少しずつ自分を取り戻していく様子が印象に残った。徹と留学生たちの群像劇としての自分探しの旅として観るのがいいのではないかと思ったことだよ。
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徹の母親役の松坂慶子、島の医師役の小市慢太郎が、バイプレイヤーとして実にいい味を出していた。二人ともこういうメジャーではないが意欲作といえる作品にはよく顔を出しているようだ。彼らの映画というものに対する姿勢というか情熱というものを、もう少し掘り下げて考えてみたいとも思った。
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過疎と高齢化に晒された地方の町が、どうやって再生することができるのか、都会では失われたかにも見える地域や隣人との絆というものがそこにはあるのか、などと島を出て50年経って帰ることもせず都会の片隅にしがみついているかのような自分も重ねながら、しみじみと観てしまった。

テーマソング「天使のはしご」を歌っている浜田真理子さんは、出雲市出身松江市在住の方で、地方都市で暮らしながら時々東京に出て音楽活動を続けている異色のシンガー・ソングライターだそうで、そういう音楽活動のやり方もあるのだ、と感銘を受けたが、映画の最終場面で隠岐の海上に射す「天使のはしご」の美しい映像と彼女の歌が重なって、この最後の場面に行き着くためにこれまでの物語はあったのだと強く思ったことだ。
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雲の隙間から差す光が
大地を照らし私を照らす
あなたがいる私がいる
たとえこの身体が消えてしまっても…

(浜田真理子「天使のはしご」より)

※写真はwebからいただきました。

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映画『グリーンブック』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『グリーンブック』@OSシネマズ神戸ハーバーランド
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数日前大学の先輩I沢氏が観に行って、良かったという記事をFBで見たので行ってみることにした。黒人の天才ピアニスト「ドクター・シャーリー」にひょんなことからツアーの運転手として雇われたイタリア系アメリカ人「トニー・リップ(本名トニー・バレロンガ)」が、まだ黒人差別の色濃く残る南部諸州へのコンサート・ツアーに出かけた8週間の物語だという。二人は実在の人物であったというが、寡聞にして知らなかった。

舞台は1962年のアメリカ。あの「ワシントン大行進」はその頃だったかなと調べてみると、1963年だった。キング牧師が "I Have a Dream" という有名な演説をし、PP&Mやディラン,ジョーン・バエズなどが20万人といわれる聴衆の前で歌った集会である。
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そういった公民権運動が盛り上がるきっかけの一つになったエピソードといえるかもしれない。当時司法長官であった、ロバート・ケネディが(電話ではあるが)登場するのも、生々しい感じを伝えている。

さて物語であるが、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めていたトニー・リップは、店が改装のため閉店するので職を失う。粗野だが腕っぷしと口からでまかせ(リップ)で世を渡っているトニーは、自らもイタリア系として差別を受けていながら、黒人に対しては差別主義者であるといってよい人物である。それは妻のドロレスが黒人の修理業者に出した飲み物のコップをそのまま捨ててしまうところにも表れている。そんな彼がカーネギーホールの上階に住む天才ピアニストのドクター・シャーリーから、8週間の南部ツアーの同伴運転手として週給$125でスカウトされる。断るかと思いきや、結局受けることに…。
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ドクター・シャーリーは2歳で母親からピアノを習い始め、9歳でレニングラード音楽院に入学し、クラシックを学ぶ。ドクターと呼ばれるのは、彼が音楽、心理学、典礼芸術の3つの博士号を持っているからだという。無学で粗野なイタリア野郎と教養溢れる黒人ピアニストの珍道中は、はじめから口喧嘩やトラブル続きだったが、シャーリーの天才的なピアノプレイや南部の社会でのひどい差別に遭遇する中で、二人の中には次第に奇妙な友情のようなものが芽生えてくる…。
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本作のタイトル「グリーンブック」は、1936年から1966年まで刊行されていた黒人向けの旅行ガイドブックを指す。南北戦争が終わった後でも、南部諸州では黒人や有色人種への差別が残存しており、ジム・クロウ法(1876年~1964年)によって、黒人が利用できないホテルやレストランなど(トイレや水のみ場まで)が定められていた。1950年代になって、有名な「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」などの反人種差別運動が起こるが、そういった差別は解消されずにいた。映画の中でも、ミュージシャンとしては歓待され、敬意を持って遇されるのに、トイレは外の汚いものを使うことを強いられる、などといった奇妙で理不尽な扱いを受けていたのだった。
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シャーリーも、はじめはそういう不当な扱いを甘んじて受け入れ、言わば「許し、与える」ことで、全ての人々に理解される道を選んでいるように見えたが、トニーの無鉄砲な義憤に接していくうちに、少しずつ変化していく内面のドラマを、マハーシャラ・アリが実に見事に演じていた。レニングラード音楽院で学び、高度な教養を身につけた彼だが、黒人がクラシックを弾くことを拒否され、ポピュラーやジャズを取り入れた音楽をやらねばならない。音楽では賞賛されながら、他の部分では白人の差別を受ける。仲間であるはずの黒人達からも自分達とは違う、と奇異の目で見られる。周囲の全てから、<異種>と見られてしまうことの孤独感はいかばかりだったろう。黒人のホンキートンク・バーにトニーと入って、地元のバンドと実に楽しそうに弾いている姿に、そういう彼の孤独が裏返しに表現されているように思った。

長くなってしまうのでこのあたりで筆を置くが、非常に重いテーマでありながら、登場人物のやり取りの中に、ウィットやちょっとした「落ち」をちりばめて、最初から最後まで楽しく、そして考えさせられながら観ることができた映画であった。もう10年以上も前に南部諸州を車で旅したことがあったが、その時の美しい自然がよみがえってきた。件の先輩は2箇所で感動の涙が出たそうだが、やはり最後の場面が涙腺を強く刺激したのだった。それは是非見て味わうとよいと思ったことだよ。ちなみに、脚本を書いたのはトニーの実の息子であるニック・バレロンガだそうで、やや父親を美化して書いているというような批判も少しあるようだが、私にはそんな些細なことはどうでもいいように思われたのだった(笑)。

最後に、彼の実作品はほとんど残っていないそうだが、youtubeにこの演奏があったので引用しておく。
Don Shirley - The Very Best of Don Shirley - The Piano Jazz Legend
https://www.youtube.com/watch?v=rGFSuKVI8Dc

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映画『ヴィクトリア女王 最期の秘密』@神戸シネリーブル [映画]

映画『ヴィクトリア女王 最期の秘密』(原題:VICTORIA & ABDUL)
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一年ほど前、今の韓流ドラマ『オクニョ』の前に日曜日の夜に放映していた『女王ヴィクトリア 愛に生きる』をやっていたが、複雑な人間関係に疲れて途中で観るのを止めた。年末からヴィクトリア女王を取り上げた映画がいくつか上映されたので、その一つであるこの映画を観ることにした。

「ヴィクトリア(英語: Victoria、1819年5月24日 - 1901年1月22日)は、イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)、初代インド皇帝(女帝)(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日)。」現在のエリザベスⅡ世に次ぐ63年7か月という長い在位期間は、英国の植民地政策が最高潮に達した時期と重なり、英国史に疎い自分にはわからないことが多かった。ただ、この映画は女王の晩年にフォーカスを当て、女王とインド人の従僕アブドゥルとのやり取りを中心に描かれていたので、難しさを感じずに観ることができた。「ほぼ、史実に基づいたドラマ」ということなのであるが。女王の死後アブドゥルに関する資料は全て処分されて、2010年に彼の日記が発見されたということだが、その辺の事情もよく分からない。
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18歳の若さで女王となり、夫アルバートと共に政務を執り、その間英国は世界各地を植民地化して、一大植民地帝国を築き上げた。また、女王の子女が欧州各国の王室・皇室と婚姻を結んだ結果、ヴィクトリアはヨーロッパの祖母と呼ばれるに至った。そういう激動の半生を経て、愛する夫アルバートを失い(1861年)、その後親交を深めたスコットランド人ジョン・ブラウンの死(1883年)の後ではすっかり生きる意欲を無くし、諦念と自暴自棄の中にあった女王だが、1887年、女王の在位50周年記念式典での記念硬貨の贈呈役に選ばれたアブドゥルが、英領インドからイギリスへとやってくる。
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王族や周辺の人々のどろどろした権力争いに倦んでいた女王の目には、王室のしきたりなどにも臆することなく、まっすぐな笑顔を向けるアブドゥルの言動が新鮮に思われ、2人の間には身分や年齢なども超越した深い絆が芽生えていく…。アブドゥルに出世欲や野心がなかったわけではなかっただろうが、映画の中ではそういう心も垣間見せながら、女王への敬愛の念と忠誠心が女王の死まで貫かれる。
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女王がインドや他の植民地の人々に対する蔑視や偏見から自由であったとは、当時の時代性からしてとても思えないが、そう思えるように描いているのが現代の作品だからだろうと思ったことだよ。また、浅学ながら感じたことは、ヨーロッパの王朝がそれぞれ姻戚関係で結ばれていて、一族でヨーロッパの大部分を支配しているかのような印象を強く受けた。例えは悪いが、江戸時代の日本が(養子縁組も含めて)徳川一族に依って支配されているのと似ている気がした。当時の民衆にとって王家(領主)が支配するのは当然という感覚が強くあったのかも知れない。市民革命が起こるまでは。
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いずれにしても、ヴィクトリアの在世中から、英国でも王権は次第に制限され、立憲君主国に移行していくのだが、アブドゥルとのエピソードもそれに少しは加担しているのかもしれない。女王の死後、出来の悪いと映画でも語られていた息子エドワード7世が継ぎ、その後ジョージ5世・エドワード8世・ジョージ6世と続いて、現在のエリザベス2世につながるのだが、それさえも知らなかった私には、まだまだ勉強が要るなあと思ったことだよ。主演のジュディ・デンチが1997年の『Queen Victoria 至上の恋』で同じヴィクトリア女王役を演じているらしいので、探して観てみようと思ったことだ。
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映画『私はマリア・カラス』@神戸シネリーブル [映画]

映画『私はマリア・カラス』(原題:Maria by Callas)
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年末からやっていたこの映画、入院騒動で観られていなかったので、正月明けのこの日観に行った。

マリア・カラスの名はあまりに有名なので知ってはいたが、オペラなどという高尚な音楽にはあまり縁のない人生を歩んできたので、その音楽には触れずじまいだった。このところクイーンやクラプトンなど音楽伝記映画を観てきたので、その流れで観ようと思った。定期的にこの種の映画は作られているとは思うのだが、自分の感覚では立て続けという感じだ。21世紀になって20年近く経って、「20世紀の歌」を振り返ろうという機運が高まっているのかもしれない。
MARIA CALLAS
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マリア・カラスはギリシャ系アメリカ人で、1923年にニューヨークで生まれ、1977年に54歳で亡くなった。デビューしたのは1938年と言われているが、彼女の声の絶頂期は10年ほどに過ぎなかったとも言われている。若い頃から厳しい母親の教育などにより、よく訓練され安定していた彼女の声は、「彼女のキャリアや美貌に嫉妬する数々の嫌がらせや捏造されたスキャンダルによっての心労、不摂生なプライベート生活」(wiki)などから急速に衰えたと言われている。映画の中でも歌われていた彼女の当たり役(曲)「ノルマ」は声への負担が大きい難役で、そういう無理がたたったのだろう。
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インタビューなどでの彼女の受け答えは、ともすれば傲慢とも受け止められかねないものだったが、裏を返せば、彼女がマスメディアにおもねらず、常に自分の実感を語っていたのだと見ることもできる。彼女は歌を歌うときも、海運王オナシスとの秘められた恋にのめりこむときも、常に自分の気持ちに真摯に従っていたのだというように受け止められた。何より彼女の歌う歌が、その役柄の心情を余すこそなく再現しているため、私のような門外漢の心をも揺さぶるものになっているのだろうと思う。
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正直初めの方では、オペレッタの無機質とも思われる(門外漢にとってだが)演奏や歌にやや睡魔に襲われるときもあったのだが、次第に彼女の歌に惹き込まれ、終わるときにはもっと観ていたい聴いていたいと思えるようになった。オペラに興味のない方が観ても十分感動を分かち合うことができる映画だと思う。マリアが、歌の中に人生の喜びや哀しみ、辛さや憤りを込められる「本物」の歌い手であるからだと思う。
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youtubeは2つあげておくが、他にも沢山あるのでおいおい聴いてみようと思う。
AVE MARIA DI SCHUBERT - MARIA CALLAS
https://www.youtube.com/watch?v=sE1WoMocTlw

Maria Callas 'London Farewell Concert' at the Royal Festival Hall with Giuseppe di Stefano, 1973
https://www.youtube.com/watch?v=F1mO7_C3tCs


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映画『エリック・クラプトン 12小節の人生』@神戸シネリーブル [映画]

『Eric Clapton: Life in 12 Bars』
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"Slowhand" Eric Clapton
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前週に続いて音楽映画を観た。この年末には多くのミュージシャンの伝記映画が上映されていて、とても見切れない(苦笑)。中でも "Eric Clapton(1945)" は存命中の人物なのに伝記映画が作られるというのは珍しいことかもしれない。多くの著名なミュージシャンが早世したり現役を退いている中で、エリックほど長い間活躍し続けている人はそう多くないかもしれない。今のうちにこのようなドキュメンタリーを作っておかないと、観るこちらの方が先にくたばっているかもしれないので、そういう意味では貴重な映像と音源といえるだろう。

135分という長さはやや冗長と思える部分もあったが、それだけ彼のキャリアが長く、波乱万丈な人生だったということなんだろう。前回観たクイーンの映画のように創作であれば、もっとかちっとした作品になった気もするが、そうもいかないというのも判る気がする。それにしても幼少時の映像から、所属したほとんどのバンドの映像まで残っているのは驚嘆に値する。ファンにはたまらないだろうな(私はなんちゃってファンであるが)。

内容は多岐にわたっているのでうまくまとめられないが、生みの母に捨てられた幼少期、黒人ブルースに魅せられてギターを始めた時期、それぞれのバンドが生まれた背景などが延々と語られていく。
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中でもジョージ・ハリソンの前妻パティ・ボイドへの報われぬ愛を歌った「いとしのレイラ」、4歳で亡くなった息子コナーへの惜別の思いを歌った「ティアーズ・イン・ヘヴン」の製作の裏側を解説するくだりの部分などが白眉であろう。彼の創る歌はこういう得られない愛を歌ったものが多いのだろうか。
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1950年代、まだアメリカの音楽界でも白人達にはなかなか受け入れられていなかったブルースに、遠く離れたイギリスの少年が魅せられギターを始めたというのは興味深いことである。「20世紀の歌」でも取り上げたロバート・ジョンソン("CROSSROAD"参照)のレコードを初めて聴いたとき衝撃を受けたと本人が語っていた。彼の活躍に依ってB.B.キング などのブルースマンがメジャーになることができたと映画の中でもエリックへの感謝の言葉を送っていた。
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70年代から80年代には多くのミュージシャンの例にもれずドラッグに溺れ、それを克服したと思ったら今度はアルコール依存症になってしまう。それらを乗り越えて73歳の現在まで現役で活動できたというのは、よほど身体が頑強なのだろうか。それともギターの神様が彼を生かし続けてくれたのだろうか。映画のキャッチ・コピー「ギターを弾いている時だけは、痛みがどこかへ消えた」はこういう彼の人生を重ね合わせると言い得て妙という気がする。
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2・3枚しかアルバムを持っていない私が、これ以上いい加減な知識で書いてもお叱りを受けるだけだろうから、このあたりで筆を置く。とりあえず、映画の中で強い印象を受けたティナ・ターナーやアレサ・フランクリンとの共演版のCDを探して聴いてみようと思ったことだよ。
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映画が終わって外に出ると、この日からルミナリエが始まっていたので横の方から覗かせてもらった。去年行ったのがほぼ初めてだったが今年も美しかった。
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Tearing Us Apart ♪ Eric Clapton & Tina Turner
https://www.youtube.com/watch?v=nDkuxCMpO_M

Aretha Franklin - with Eric Clapton - Good To Me As I Am To You - 1967 (altered, MONO)
https://www.youtube.com/watch?v=2HgQa47ykA0

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』@ OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『ボヘミアン・ラプソディ』(原題:Bohemian Rhapsody)
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この映画は、世界的人気ロックバンド「クイーン」のボーカルで、1991年に45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーを描いた伝記ドラマである。クイーンのデビューは71年とされているから、ほぼ私の大学入学の時期と重なる。以来70年代~80年代を通して活躍し、ビートルズをしのぐレコード売り上げを記録したバンドだというのに、同時代的にはほとんど知らなかった。というより知っていたが興味を持たずにいたということだろう。MLBの試合中に流れる "We Will Rock You" が彼らの曲だと知ったのも割と最近のことだった(笑)。
real Queen
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私も含めて自分の関わっている音楽以外のジャンルに冷淡な傾向は日本人特有のものなのだろうか。戦後になってジャズ・カントリー・ハワイアン・シャンソン、そしてフォーク・ロックと様々な洋楽が流行ったが、それぞれのジャンルの中でかたまり合い、他のジャンルと交流したがらない傾向は私の周囲ばかりではない気がする。私自身もこれまでの体験の中で少しでも他のジャンルの音楽に触れ、吸収したいと思ってきたつもりだったが、まだまだのようである。青春時代に未体験だったジャンルの音楽をこういう映画を観たりすることによって「追体験」し、欠けたパズルのピースを埋めようとする行為は、あながち意味のないことでもあるまいと思われる。
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実際映画の中で歌われた楽曲のいくつかは、聞き覚えのある曲ばかりで、物語の進行とともにそれを同時代的に接していたかのように感じられたのは、不思議な体験だった。若干アルツが入っているからということもあってか、昔体験したことと後から追体験したことが渾然と一体となるような感覚が持てるのも、ある意味幸せなことかも知れないな(笑)。
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熱心なファンからすると事実と異なることもあるかもしれないけど、 "Smile" というバンドからボーカルが抜けて、代わりにフレディが加入してクイーンが始まるくだりから、ビッグになっていく過程を食い入るように観てしまった。彼らの音楽は、カントリー・フォーク、そしてブルースなどを基調とした、私などが接しているものとはもっと違うものがたくさん取り入れられているものだなあと感じた。エレクトリックギターをダビングすることによって作られる「ギター・オーケストレーション」や、コーラスを何度もオーバーダビングする手法(ビートルズなんかもある程度はやっていた)も、当時だったら違和感を感じていたかもしれないが、今聴くと自然で革新的な方法だと受け止めることができた。
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フレディは自身がインド出身(生まれたのはザンジバル)であったことや少々出っ歯であったことなどがコンプレックスであったという。バイセクシャルであるといわれる彼は、初めはメアリーと一緒に暮らすが、後にジム・ハットンと交際するようになる。放蕩な生活を送ったためかHIVに感染してしまい、それが彼の死を早めてしまった。そういった体験を全て自らの創る音楽の中に投影させていったのだろう。
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何も分かっていない私がこれ以上この映画について語るのは僭越というしかないと思うのでこの辺で筆を置く。いずれにしてもクイーンを知っている人もあまり知らない人も、是非映画館に足を運んでもらいたい作品であるということは断言できる。私ももうしばらくはこの不思議な<クイーン体験>に浸っていることだろう。

蛇足で申し訳ないが、私が長年やっているバンドの名前が "Hobo & New Bohemians" で、その一点で "Bohemian Rhapsody" という曲名には親近感を持っていた。学生時代の終わりに神戸で一人で歌っていた時、マスターから "Hobo" という渾名を付けられた。その後バンドを組んだとき、ホーボーとその仲間達という意味でヨーロッパのHoboでもあるBohemianという名にしたのだった。当初からダサい名前との悪評だったが、そのまま現在に至っている。一時中断した後 "New Bohemians" としたが、後になって "Edie Brickell & New Bohemians" というバンドがあると知ったが真似をしたわけではないことをここで表明しておく。ちなみにエディは現在ポール・サイモンの奥さんになっているという。

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本物のライブ・エイドの動画のリンクを貼り付けておくので、これを観てから映画を観るのもよいのではないか。
Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]
https://www.youtube.com/watch?v=A22oy8dFjqc


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映画「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」@第七藝術劇場(十三) [映画]

映画「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」(原題:A BOLD PEACE)
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少し前にFBでこの映画の上映会の案内が載っていて興味を持ったが、その日に行けるかどうか微妙だったので、申し込まずにいた。普通の映画館ではやっていないのかな、と思って検索してみたら、十三の「第七藝術劇場」でのみやっていて、11月9日が最終日だったので行ってみることにした。この映画館は初めてだったが、若松孝二監督の特集をするなど、なかなか骨のある上映姿勢を持った映画館と感じた。
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この映画、2016年に作られたらしいが、日本ではこの6月からの公開で、映画館公開はせず、「全国128ヶ所に広がる『cinemoシアター』や、単発上映会を『cinemo』で市民が担う、市民上映会で、市民の手で」公開されているとのことだが、観てみて素晴らしい映画と感じただけに、なぜそのような形での公開になっているのか不思議に思った。
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コスタリカという国についてはほとんど知らず、2014年のサッカーWCでベスト8に進んだぐらいの知識しかなかった。この中米の小国が1948年以来軍隊を放棄し(警察組織は残している)、軍事費を社会福祉(教育・医療・環境など)に割り振り、民主的平和国家として現在まで存続し続けているという奇跡的的な事実を、その発端からいくつかの内紛や米国などの大国の干渉をはねつけて来た経過をたどってみせている。
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中立国を標榜している国はいくつかあるようだが、スイスなどでも軍隊は存在する。そういう意味でもコスタリカのやったことは驚嘆に値する。翻って我が国は、進駐軍の米軍の駐留からスタートし、核の傘に守られ、近隣には大国の脅威にさらされているように見えるが、はたして現在の軍装備で本当に周囲の脅威に対する抑止力はどれだけ実効性があるのだろうか。コスタリカの指導者の「少しばかりの軍事力では、所詮大国の軍事力にかなうわけもない」という腹の括り方には目からウロコの思いがした。
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少し前に観た「華氏119」でも拝金主義に蝕まれた米国の社会・政治状況が描かれていたが、それは日本でも同じことのように思われる。大企業の利益誘導のためにしか動かず、多くの富裕でない一般市民の声が反映されないような政治状況が動かなければ、我々を取り巻く社会はますます縊路に突き進むしかないように思う。コスタリカも近年は海外の大資本が流入して、貧富の差が拡大しているようだ。それは日本の地方都市の商店街がシャッター街になっているのと同じであるように思われた。
現大統領。
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我が国の政治家の皆さん、特に野党の方々には、コスタリカのような確かなモデルケースをしっかり分析・研究し、「お花畑」と揶揄されないような、現実的な非軍事化の道を提示してもらいたいものだ、と政治音痴の私でもつぶやきたくなった。そういう意味でも、この映画がもっと多くの人々の目に留まるような上映方法にならないのかもどかしくも感じた。「第七藝術劇場」も上映できたのだから。

まあ、一番何も知らなかったのは他ならぬ私自身であったのだから、これから少しずつでも正しい情報を得る努力をしなくちゃね、と思ったことだよ。

フェイスブック「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」
https://www.facebook.com/costaricanokiseki/

『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=pnxGYapjZME

コスタリカから学ぶ平和と民主主義
https://www.youtube.com/watch?v=2eveF_s8W-Q

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映画『日日是好日』@MOVIXあまがさき [映画]

映画『日日是好日』(にちにちこれこうじつ)
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家人が「明日の午前中映画観て来るよ」と言うので、何の映画と聞くと標記の映画だという。それじゃ明日と言わず今日これから行こう、と言って付いて行くことにした。シネリーブルということだったが、調べると駐車場のある「MOVIXあまがさき」でもやっているので、10時からのに行くことに。先日亡くなった樹木希林さんの遺作になると言われている映画であった。
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少し前に観たと思っていた樹木さん出演の映画『万引き家族』を観たのは6月のことだった。あっという間に月日は過ぎ去っていく。この映画も次々と過ぎ去っていく月日の中で、日々をどう生きていくかを考えさせられた映画であった。茶道の世界というのは自分とは縁遠いものではあるが、幼い頃亡母がお茶を習っていたので、その練習台に?何度かお茶を点ててもらって、飲むときの作法をすこし教えてもらった遠い記憶もたどりながら観ることができた。
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この映画は、エッセイスト森下典子が約25年にわたり通った茶道教室での日々をつづり人気を集めたエッセイ「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」を映画化したものである。主人公の典子(黒木華)は、「本当にやりたいこと」を見つけることができず日々を漠然と過ごしていた大学生だったが、ふとしたきっかけで従姉妹の美智子(多部未華子)と一緒に近所の「武田のおばさん(樹木希林)」にお茶を習うことになる。はじめは気が進まなかった典子だが、ささやかだが様々な人生の体験をしながら、気がつけば20年にわたってお茶と接していくことになる。典子はお茶を通してどんな人生のありようを受け止めていったのだろうか…。
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まあ、地味な映画ではあるが、役者陣の演技が素晴らしいので、退屈することはなかった。ある日の茶室の床の間に懸けてあった掛け軸に「日日是好日」の書があり、若い二人は「毎日が楽しい。それだけの意味じゃないよね」と言い合っていたが、その意味は月日を重ねる中で深まっていく。「一期一会」と同じく「毎日々々の出合いを大切に生きよう」という意味にもとれる。ある秋の日、雨の音を聴いて、梅雨の頃の雨の音と違うように感じる、という場面があった。それと同じように夏の暑さをそれとして受け止め、冬の寒さに耐えながらその冬の日を生きる…。一日一日が新たな時であり、それを味わいながら生きるのが、生きるということなのだという意味のようにも受け止められた。
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職を辞して以来、季節のうつろいや身近な自然に触れようと思って過ごしてきたつもりであったが、まだまだ大きな季節の変化や目立った事象にばかり目を留めていただけのような気もする。昔の日本家屋と違って、密閉された家に暮らしていると、雨の音や風の音、暑さ寒さにも無頓着に生きているんだなあということに気付かされた。全ての事象を受容するというのは、ややもすると受け身な生き方につながるような気もするが、自然の営みに時には抗いながらも、常にそれを感じて生きるというような過ごし方もあるような気もした。原作のエッセイも読んでみながら、自分の中で咀嚼反芻していきたいと思ったことだよ。
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日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)


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映画『カメラを止めるな!』@ OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

<映画『カメラを止めるな!』 @ OSシネマズ神戸ハーバーランド
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この映画が話題になったのは8月の初めごろだった。低予算で作られたインディペンデント映画で、初めは都内の2館だけの上映だったのが、評判が評判を呼んで、ついに全国展開することになった。阪神間で上映されるのは少し後になるようだったので、スマホにメールして書き留めていたが、そのうち忘れかけていた。台風21号とその後の雨で、外に出かけることもままならず、ふと今やっている映画を見るとこれがあった。「シネ・リーブル」や「元町映画館」と「OSシネマ」で同時に上演しているところにこの映画の広がり方の特異さを感じた。

ジャンルとしては「ゾンビ映画」ということになるようだ。この手の映画はほとんど観ないので、ゾンビ映画のなんたるかはよく分からないが、どうも普通のゾンビ映画とは違うようだ。ゾンビ映画でありながらコメディ映画であり、ファミリー映画でもある、というような映画である。自分もそうであったが、予備知識なしで観た方が100倍楽しめるので、ネタばれしないように書いているのだがなかなか難しい(笑)。
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本作の英題は『One Cut of the Dead』というようで、ワン・カットの長回しで撮影することを指す。邦題の『カメラを止めるな!』もそれに引っかけられている。内容は「人里離れた山の中で、自主映画の撮影クルーがゾンビ映画の撮影を行っている。リアリティーを求める監督の要求はエスカレートし、なかなかOKの声はかからず、テイク数は42を数えていた。その時、彼らは本物のゾンビの襲撃を受け、大興奮した監督がカメラを回し続ける一方、撮影クルーは次々とゾンビ化していき……。」というものである。
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ワンカットで作るゾンビ映画の撮影風景を撮影した冒頭の37分は、ゾンビ映画特有の?気持ち悪さの中に、所々の違和感や、「ここ笑っていいの」というような部分、低予算なのであちこち編集ミスがあるなあ、と思いながら観ていた。全部で96分のはずだよな、とやや退屈も感じながら観ていると、後半が始まり、この映画の肝に入っていく…。本作のキャッチコピーには「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」であるが、まさにその通りであった。
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この映画に関しては、上田慎一郎監督がかつて劇団「PEACE」(現在は解散)の舞台作品『GHOST IN THE BOX!』を観てインスパイアされて作られたという。元劇団主宰の和田亮一氏が映画の「原作」を主張して、著作権問題が起きているらしい。「原案」と「原作」の違いについては微妙なところがあって何とも言えないが、せっかくの素晴らしい映画なので、うまく折り合ってもらいたいとも思う。また、役者陣は全てオーディションで選ばれた無名の役者さんらしいが、それぞれの役にぴったりとはまり、実に生き生きとした演技をしていた。これは役者を見てから「あて書き」として脚本を作るという手法によるもののようだ。
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テレビドラマとも舞台演劇とも違う、「映画」というジャンルでないと表現できないものとは何か、と映画を観ながら時折考えることがあるが、この映画はそういった「映画」独特の魅力を伝えてくれている作品であることは間違いない。是非予断を持たずに映画館に足を運んでもらいたいと思う映画であった。



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映画『フジコ・へミングの時間』 @ シネ・リーブル神戸 [映画]

映画『フジコ・へミングの時間』 @ シネ・リーブル神戸
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フジコ・へミングについては、多くのファンと同じく。99年にNHKの特集番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」の放映でブレークした時に知ったと思う。大ヒットしたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』などを聴いたと思うが、その後継続して聴いていたわけではなかった。
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今回映画になったと知ったが、前のドキュメンタリー番組とさほど変わらないのではないか、と思って観に行くのを渋っていた。猛暑続きの昼間にわざわざ出かけるのか、と億劫でもあったが、先に観た家人が「後半は惹き込まれた」というので、翌日の午後に行ってみた。実際観てみると、やはり前のドキュメンタリーから20年経っているということもあり、新たに知ることも多く、観て良かったと思ったことだ。
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フジコ・ヘミング、本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko )はロシア系スウェーデン人の画家・建築家の父親と日本人ピアニストの母親との間にベルリンで生まれた。今回この両親の出会いから、日本に移住したが、父親が日本になじめず、ドイツに一旦帰ってそれっきりになってしまったこと、幼少時母親の厳しい薫陶を受け、育てられたことなどが詳しく描かれていた。14歳の時の絵日記が発見され、「フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記」として出版されるらしいが、その日記も引用され、戦後間もなくの日本の状況や、ハーフとしていじめられた体験などが、弟の大月ウルフ(初めて知った)の話などを交えて語られていた。
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たくさんの猫を飼っていることは、前のドキュメンタリーで知っていたが、今回、日本やパリ、ベルリンなどにいくつか家を持ち、それらの家にピアノに加えて猫・犬を飼っていて、自分の不在の時は誰かに世話をしてもらっていることを知った。ブレークする前は相当貧しい生活も強いられていたようなので、その落差の大きさにも驚くが、そういった表面上の生活の変化と関わりなく、フジコ・ヘミングそのものは常に変わらないスタンスを取り続けているところに感銘を受けた。
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彼女は「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」「ミスタッチも多いけどそれでいいんじゃないかと思っている」などと語っているが、音楽の演奏には正確さよりも「伝えたい何かを聴き手に伝えること」が大事であるというポリシーは売れる前も後も常に揺らぐことはないのだと思った。TVで譜面どおりどれだけミスタッチなしで弾けるか、という勝ち抜き戦のようなものをやっているのを観たことがあるが、彼女の思いとは対極にあるのだと思ったことだ。
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他にも思ったことはいくつかあるが、それは自分の中で少しずつ咀嚼していこうと思っている。もうしばらくは神戸・大阪・京都でやっているので、興味のある方は是非映画館に足を運ばれるとよいと思う。

フジ子・ヘミング~月の光
https://www.youtube.com/watch?v=240mNwuyYHA

フジ子・ヘミング~愛の夢
https://www.youtube.com/watch?v=cdueOVOKyRA


フジ子・ヘミング こころの軌跡 VICC-60628


フジコ~あるピアニストの軌跡~ [DVD]


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映画『万引き家族』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『万引き家族』(是枝裕和監督)
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第71回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールに輝いた作品というので、一度は観ておかなくちゃと思っていた。是枝裕和監督の作品はこれまでちゃんと観たことがなかったと思う(『海街diary』もビデオに録ったきりまだみてない)が、04年の『誰も知らない』で主演の柳楽優弥が史上最年少でカンヌの最優秀男優賞を受賞を受賞して以来、心の片隅で気にはなっていた。一見地味そうな題材が多いので、テーマとしては興味があるけど映画としては…、と二の足を踏んでいた。
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何かのインタビューで、主演のリリー・フランキーさんが、カンヌは獲れそうな気がしていたが、日本でこれほどヒットすることは予想外だった、という意味のことを語っていたが、自分も含めて多くの日本人が、「賞をとったから」と観に行ったことは否めないだろう(笑)。「万引き」という題材も、公明正大な多くの日本人にとっては忌避すべきもの、こういうテーマでカンヌに出さなくても、と思う人は少なくないのかもしれない。だが、この映画で提示されているものは、正に現代日本社会が直面しているであろう問題であることは、映画を観れば分かることではある。

映画の舞台は、再開発が進む東京の下町。地上げに抗しながら古い一軒家で暮らす祖母・初枝(樹木希林)のもとに、日雇い労働者の父・治(リリー・フランキー)とクリーニング店で働く妻・信代(安藤サクラ)、JK見学店でバイトをしている信代の妹?亜紀(松岡茉優)に加え、息子?の祥太(城桧吏)もいつからか一緒に暮らしている。ワーキング・プアの集まりのような家族なので、祖母の年金も当てにしつつ、足りない分は父と息子のコンビで万引きをして暮しを賄っている…。一見本当の家族に見えるがその内実は…。
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ある日、近所の団地の廊下で凍えている幼い女の子を見つけ、思わず連れて帰る。その女の子ゆり(佐々木みゆ)は母親から虐待を受けていた。新しい家族が入ったことで、一見順調そうに見えた一家に次第に綻びが出てきて…。
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この話に出てくる幾組かの「本当の家族」はどれも何らかの破綻をしているように描かれている。一方、「他人同士が集まった家族」の方は、物語の展開上は必然的に<破綻>してしまうのだが、その過程の中では、本物の家族以上の<絆>を感じさせる場面がいくつも出てくるように思われた。血のつながっている家族よりも、赤の他人同士が一緒に暮らしている方が、より<家族>を感じさせるとしたら、家族とはいったい何なのか。
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戦後70年の流れの中で、大家族制が崩れ、核家族化が進み、職場の人間関係も希薄になってきている現代日本社会(特に都会)で、唯一縋れるはずの家族の絆が希薄になってきているかもしれないことに、我々はもっと恐怖を覚えるべきなのかもしれない。そんなことを考えながら映画を観終えた。カンヌの映画人たちの方が、我々日本人がともすれば見過ごしがちである「現代日本の病理」に対して鋭敏に反応しているのかもしれないな、と思ったことだよ。
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この映画は、ドキュメンタリー映画を観ているような、不思議なリアリティを感じる部分がままある。
シナリオを確定させず、出演者達に実際「生活」させながら映像やストーリーを組み上げていく、是枝監督の手法のなせるわざなのだろう。特に2人の子役たちがナチュラルな演技をしていたのが目を引いた。最近観た河瀬直美監督の映画もどこか似た所があるなあ、と思ったことだ。



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映画『Vision』(河瀬直美監督)@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『Vision』(河瀬直美監督)
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河瀬直美監督の作品を観るのはこれで5作目になる。今回は音楽を神戸が誇るジャズ・ピアニストの小曽根真が担当するというので家人も行く気になったようだ。もう40年も前彼が高校生だった頃、彼の母親が経営していた音楽事務所で、当時マー坊と呼ばれていた彼からハモンド・オルガンの指導を受けていたらしい。先日、この2月に亡くなられた、これまた神戸が誇るジャズピアニスト・ハモンドオルガン奏者小曽根実氏の追悼コンサートがあり、それにも行っていた。

映画の音楽は、全編彼のピアノ演奏が流れていたわけではなかったので、それは若干物足りなさがあったようだ。それはともかく、今回は河瀬作品のレギュラーといっていい永瀬正敏に加え、『イングリッシュ・ペイシェント』などでオスカーをとっているジュリエット・ビノシュがダブル主演するというのも興味をそそられた。なんでも前作『光』がカンヌで受賞した後のパーティで紹介され、次回作に是非出演したいということでとんとん拍子に決まったらしい。そんなわけでこの不思議なキャストになったそうで、設定に若干の無理を感じるのはそのせいかも。
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舞台は奈良の吉野の山村。主人公の智(永瀬)はそこで山守をしている。街での生活に疲れ、愛犬と暮らしながら、吉野の山の自然を守っている。そこで自分の目や耳、鼻や肌で感じるものだけを信じて。そんな彼のもとにある日フランス人の女性エッセイストであるジャンヌ(ビノシュ)が訪れる。「人類のあらゆる精神的な苦痛を取り去ることができる薬草“ビジョン”」を探しに来たというのだが、智には何のことか分からない。智の家の屋根裏部屋で同居するようになって、一緒に山を回っているうちに心を通わせ…。
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智の守る山林は杉の林でもあり、人工林でもあるのだが、それでも原初の森が残存していて、神秘的で美しい。河瀬作品の森はいつも美しく神秘的であるが、やはり動画でないとこれは表せないななどと愚にもつかないことを考えながら観ていた。千年の時を経て現れるという“ビジョン”とはどういうものかは定かではないが、現代がある種の「終末期」(末法思想のような)であるということなのかなという気もする。村に住む盲目の老女アキ(夏木マリ)は千年の時を生きているかのようにも描かれているが、彼女にはそれが分かっているようだ。
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アキはジャンヌが村を訪れることも分かっていたし、“ビジョン”についても知っているようだったが、そういう預言者的な部分と平行して、20年前に起こった出来事とその後、そして森で倒れていた不思議な青年鈴(岩田剛典)とは、など次第に明らかになってくるのだが、ちょっとこの部分が牽強付会な感じがしてしまうのは私だけだろうか。実際見ている間はジャンヌの脳裏にフラッシュバックのように現れては消える過去の映像に翻弄されて、それらが森の映像と混ざり合って、いつの間にか自分も森の中に居るような気持ちにさせられていたから、それはそれでいいような気もする。
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森は死と再生を繰り返しながら生き続けている。そしてこれからも森は生き続けて行かなくてはならない。人類の歴史が続く限り。河瀬作品はそれを繰り返し伝えようとしているかのようだ。
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<参考記事>
殯の森(2007年)
2つ目の窓(2014年)
あん(2015年)
(2017年)


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映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』@109シネマズHAT神戸 [映画]

映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』(原題:The Post)
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この映画を観るにあたって、どこまでが史実でどこからが脚色なのかなという思いでいた。それは映画を観た後そこそこ調べた今でもあまり変わってはいない。だが、この映画は世界や日本の現在の状況にあって、今観られなければならない映画だということだけは確信できた気がする。リズ・ハンナが執筆した『The Post』というタイトルの脚本の映画化権を獲得したとエイミー・パスカルが発表したのは2016年10月のことだった。2017年3月、メリル・ストリープとトム・ハンクスに出演オファーが出ているとの報道があった。スピルバーグは「脚本の初稿を読んだとき、映画化まで2年も3年も待てるような作品ではない、つまり、すぐにこれを映画化しなければならないと感じました。」と語っていたという。そのためスピルバーグは、製作中の『レディ・プレイヤー1』のポスト・プロダクション作業と並行して、本作を製作することにしたそうだ。
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それは何よりもアメリカの民主主義にとって脅威になるかもしれない大統領の出現があったからだろうと思われる。そしてそれは日本の政治状況にとっても同じだと言えるかもしれない。世界中で為政者の独裁化が懸念されている今こそ、作られ観られなければならない映画なのだと思う。
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舞台はニクソン大統領施政下71年のニュー・ヨーク及びワシントンD.C.。60年代にジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソンの両大統領によりベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に戦争に対する疑問や反戦の気運が高まっている中、「ニューヨーク・タイムズ」紙がベトナム戦争を分析及び報告した国防総省の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をスクープする。そこには、ベトナム戦争があらゆる意味で実は失策だったということが記されていた。タイムズの後塵を拝した「ワシントン・ポスト」は独自に同様の文書を入手するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求する。記事を掲載すればワシントン・ポスト紙にも同じ災難が降りかかかる恐れがある。
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ワシントン・ポスト紙の発行人・社主であるキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)は、父親と亡き夫から引き継いだこの会社を愛しているが、就任以来アメリカの社会にまだはびこる男尊女卑の風潮の中、陰で無能呼ばわりされていることに心を痛めている。記事を是非出すべきだとする編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)たちと社の存続を危惧する経営陣の対立の中、社主が出した結論は…。最後の場面で「ウォーターゲート事件」の発覚する場面が描かれていたのは、権力が真実を隠匿しようとしたことの結末を暗示しているようで象徴的であった。
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今、公文書管理の在り方について日本の国会でも論議が紛糾している。映画ではアメリカでも権力側とメディアの「阿吽の呼吸」のような関係があったように描かれているが、日本のそれとはかなり違うようにも感じられる。「ペンタゴン・ペーパーズ」にしても、時の政府はひた隠しに隠そうとしているが、「後代のために記録は残す」という精神はずっと引き継がれているようにも思われる。所詮日本の戦後民主主義は付け焼刃に過ぎず、「やばいものは隠匿・消去してしまう」という考え方は、戦前から変わらないようにも見えてちょっと悲しい。
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キャサリンの出した結論は思いの外軽い感じもしたのが、意外でもあったが、権力側との人間としてのつながり(絆?癒着?)を乗り越えられる所に彼女の自在さも感じることが出来るだろう。それは虐げられてきた女性の矜恃のようなものでもあるかも知れないし、あらゆる社会的束縛から自在であり得る心の在り方と言えるものかもしれない。大した知識もないままこの映画のレビューを書くのは大いにためらわれるところだが、映画のお蔭でこういった問題をちゃんと考えようという気持ちになれたのはありがたいことでもあった。

訳のわからない感想を書いてきたが、映画に衝撃を受けた故のたわごととして受け止めていただければ幸甚。最後に2017年に出された、ワシントン・ポストのスローガン(今までも出していたようだが)を引用して拙い感想の終わりとしたい。

 "Democracy Dies in Darkness"
「暗闇の中では民主主義は死んでしまう」


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あ、映画の中のベトナム反戦の集会の場面で、若者たちがディランの "A Hard Rain's a-Gonna Fall" を歌っていたのが印象に残ったことだよ。
A Hard Rain's a-Gonna Fall - Lyrics - Edie Brickell
https://www.youtube.com/watch?v=bE5f5_FvLic
Bob Dylan 2016 Nobel Prize - A Hard Rain's A Gonna Fall live
https://www.youtube.com/watch?v=XPx7PFSv7fo

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映画『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』@OSシネマズ神戸ハーバーランド [映画]

映画『空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎』@OSシネマズ神戸ハーバーランド
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少し前から派手に予告していたので、封切直後に観に行った。空海の名が冠されていたので、唐に渡海した空海が現地でどのような修行をしたり、見聞を広めたりしたのか、ということが描かれているのかなと思っていたが、その予想は大きく裏切られた。空海と楊貴妃が関わりを持って描かれるということを以って、歴史空想ファンタジーと当たりをつけるべきだったのかもしれない。もちろん初めからエンターテインメントとして観る分には、映像的にも素晴らしい作品であったのだが。「空海」を前面に出した方が日本の観客には受けがいいという目論見だったんだろうな。
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こういう誤解をする方も多かろうと思うのだが、原因の一つは邦題のつけ方にあったのではないか。原題は「妖猫傳(英題:Legend of the Demon Cat)」で、どこにも空海の名はない。原題にあるようにこの映画は人語が操れる「妖猫(Demon Cat)」が真の主役であったのだ。空海は友人の詩人・白楽天(白居易)と共に、猫の起こす不思議やその言葉から、50年前の「安史の乱」と、玄宗皇帝の妃にして絶世の美女「楊貴妃」の死の真相に迫るというもので、二人はむしろ事件を解決する探偵役として登場している。
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原作は『陰陽師』の作者でもある夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』であり、こちらには「空海」の名が出ている。まだ読んでいないのでよく分からないが、小説の方では空海が渡唐してからの体験がもっと詳しく書かれているのだろうと思う。長い小説を二時間あまりの映画に纏めることの難しさを感じるが、小説では空海の相棒は橘逸勢となっており、映画ではより日中の大御所?(阿倍仲麻呂など)を集めて耳目を引こうとしたのだろう。今のところ効を奏したとはいえないようだが。
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中国映画の巨匠チェン・カイコー監督のこだわりもあったといわれる、当時の世界最大の都・長安の街を模したロケセットは素晴らしかった。それだけでもこの映画を観る価値はあると思われる。主人公の「妖猫」の動きは実写とCGの組み合わせで素晴らしい効果をあげていたし、楊貴妃の誕生日を祝う「極楽の宴」では唐王朝の宮廷の絢爛豪華さが余すことなく描かれていた。史実を利用した壮大なスペクタクルと思って観れば素晴らしい映画であると思ったことだよ。
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最後に白居易の『長恨歌』の現代語訳を引用しておく。読んでおいた方が理解は深まると思うが、無理に読まなくても映画は楽しめる(笑)。

長恨歌 白居易 (漢文塾HPより転載)

漢の皇帝は女色を重視し絶世の美女を望んでいた
天下統治の間の長年にわたり求めていたが得られなかった
楊家にようやく一人前になる娘がいた 
深窓の令嬢として育てられ、誰にも知られていない
生まれつきの美しさは埋もれることはなく
ある日選ばれて、王のそばに上がった
視線をめぐらせて微笑めば、そのあでやかさは限りない
宮中の奥御殿にいる女官たちは色あせて見えた

(彼女は)春まだ寒い頃、華清池の温泉を賜った
温泉の水は滑らかで、きめ細かな白い肌を洗う
侍女が助け起こすと、なまめかしく力がない
こうして初めて皇帝の寵愛を受けたのである
雲のように柔らかな髪、花のような顔、歩くと揺れる黄金や珠玉で作られたかんざし
芙蓉の花を縫い込めた寝台の帳は暖かく、春の宵を過ごす
春の宵は短いことに悩み、日が高くなってから起き上がる
このときから王は早朝の政務をやめてしまった

(彼女は)皇帝の心にかない、宴では傍らにはべり暇がない
春には春の遊びに従い、夜は夜で皇帝のお側を独り占めする
後宮には三千人の美女がいるが
三千人分の寵愛を一身に受けている
黄金の御殿で化粧をすまし、なまめかしく夜をともにする
玉楼での宴がやむと、春のような気分に酔う
妃の姉妹兄弟はみな諸侯となり
うらやましくも、一門は美しく輝く

ついには天下の親たちの心も
男児より女児の誕生を喜ぶようになった
驪山の華清宮は、雲に隠れるほど高く
この世のものとも思えぬ美しい音楽が、風に飄(ひるがえ)りあちこちから聞こえる
のどやかな調べ、緩やかな舞姿 楽器の音色も美しく
皇帝は終日見ても飽きることがないそのときに
漁陽の進軍太鼓が地を揺るがして迫り
霓裳羽衣の曲で楽しむ日々を驚かす

宮殿の門には煙と粉塵が立ち上り
兵車や兵馬の大軍は西南を目指す
カワセミの羽を飾った皇帝の御旗は、ゆらゆらと進んでは止まる
都の門を出て西に百余里
軍隊は進まず、どうにもできない
美しい眉の美女は、馬の前で命を失った
螺鈿細工のかんざしは地面に落ちたままで、拾い上げる人はいない
カワセミの羽の髪飾りも、孔雀の形をした黄金のかんざしも、地に落ちたまま

君王は顔を覆うばかりで、救けることもできない
振り返っては、血の涙を流した
土ぼこりが舞い、風は物寂しく吹きつける
雲がかかるほどの高い架け橋は、うねうねと曲がりくねり、剣閣山を登っていく
峨眉山のふもとは、道行く人も少ない
皇帝の所在を示す旌旗は輝きを失い、日の光も弱々しい
蜀江の水は深い緑色で満ち、蜀の山は青々と茂るも
皇帝は朝も日暮れも(彼女を)思い続ける

仮の宮殿で月を見れば心が痛み
雨の夜に鈴の音を聞けば断腸の思い
天下の情勢が大きく変わり、皇帝の御車は都へと向かう
ここに到って、心を痛め去ることができない
馬嵬の土手の下、泥の中に
玉のような美しい顔を見ることはない (そこは彼女が)空しく死んだところ
君臣互いに見合い、旅の衣を涙で湿らす
東に都の門を望みながら、馬に任せて帰っていく


沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三 (角川文庫)


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映画『KOKORO』@シネ・ヌーヴォ(大阪・九条) [映画]

映画『KOKORO』
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この映画は三ヶ月ぐらい前にFBで紹介していて、隠岐の島がロケ地であるということなので、近くに来たら観ようと思っていた。11月から全国展開するという話だったのに、年末になってからやっと年明けに大阪で公開するとの情報が。すでに今週いっぱいで終わると書いてあるようだったので急ぎ観に行った(来週もあると後でわかったw)。シネ・ヌーヴォという映画館は大阪の九条にあり、ずいぶん前にアパラチアを舞台にした "SONG CATCHER" という映画を観に来た記憶があるが、外観を見てもあまり覚えがなかった。
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宝塚のシネ・ピピアと提携しているらしく、格安の共通回数券を売っていた。買わなかったけど。

この映画はベルギー出身の女性監督ヴァンニャ・ダルカンタラのメガホンによるベルギー、フランス、カナダ合作映画である。日本の役者陣も國村隼・安藤政信・門脇麦という顔ぶれというのも興味を引いた。舞台のほとんどは日本の隠岐の島だがフランス語もしくは英語のセリフなので字幕である(笑)。

さて内容であるが、夫と思春期の子供二人とフランスで暮らすアリス(イザベル・カレ)の元に、長い間旅に出ていた弟ナタンが戻ってきた。彼は堅実な人生を送る姉を見透かすように「完璧でちっぽけな人生」でいいのか、と挑発する。自分の命の恩人のいる日本に行かないかと誘われるが断る。そのすぐ後に弟がバイク事故で死んだと知り、後悔の念に苛まれる。そして日本に向かうのだった…。
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向かった先は日本海に浮かぶ孤島「隠岐の島」の中の一番小さい島「知夫里島」だった。そこの断崖は投身自殺の名所として設定されている。(とここまで書いた時、以前似たような設定の映画を見たような記憶がよみがえったが、それについては後述する)。弟がここに来て身を投げようとした理由を考えるアリスを見て地元の高校生ヒロミ(門脇麦)は自分の民宿に連れていく。そして投身自殺をしようとしている人を救おうと監視を続ける元警察官のダイスケ(國村隼)と出会うのだった。彼の家には様々な理由で自死を選ぼうとした人たちがいて、アリスは一緒に暮らしながら自らの生の意味を考えていく…。
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舞台となった「知夫里島」は私の故郷の島の隣にある島で、今までも数えるほどしか訪れてはいないが、故郷同然に感じている。高校生ヒロミは「こんな高校生隠岐にはおらんやろ」とも思ったがフィクションなのでいたしかたない(笑)。この映画は極端にセリフが少なくて、演者の表情やしぐさで観客に訴えようとしているかのようである。そして何よりも「隠岐の自然が語りかけてくれるもの」がこの映画で伝えたかったものなのかもしれない。そそり立つ断崖「赤壁」は死の誘惑をもたらすものであると同時に、再生の力ももたらしてくれるというように。ダイスケが言うように「生きることに意味なんかない」「ただ息を吸って、吐いて」いるだけなのかもしれないが、そんな単純なことに首肯するまでに人はあれこれ迷い、もがいていくしかないのかもしれないな。観た人がそれぞれ考えることではある。
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似たような設定の映画を観たようなと先ほど言ったが、2012年公開の『カミハテ商店』という映画がそれだった。こちらの舞台設定は山陰の小さな村「上終(カミハテ)」ということだがロケ地は同じ「知夫里島」である。改めて調べるとどちらの映画もモデルとなっている人は、福井県・東尋坊で自殺防止活動をされている茂幸雄さんだと知って驚いた。そしてロケ地も同じだったという符合にも。このことについてはあまり追求しない方が良いのかな、とも思ったことだよ。

映画が終わったら12時半過ぎていたので、九条の商店街で格安の鰻丼を食べた。MADE IN ??だったけど(笑)大阪は安いなあ。
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シネ・ヌーヴォ
大阪市西区九条1-20-24
06-6582-1416

映画『KOKORO』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=-Qs3pmqVEbU

『カミハテ商店』併せて観るのも一興?

カミハテ商店 [DVD]


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映画『ドリーム』@シネ・ピピア(宝塚・売布神社) [映画]

映画『ドリーム』(原題: Hidden Figures)。
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最近FBで知り合ったN西さんが推薦していたので、近場でやっていないか調べると、宝塚のシネ・ピピアでやっていたので観ることにした。この映画館は時々検索していたが行くのは初めてだった。1と2があり別の映画館かなと思っていたら、住所は同じ「宝塚市売布2-5-1ピピアめふ5F」で、要するに一つの館の二つのホールだったということらしい。分ける必要あるんかな?と思った。R176沿いのこの界隈は昔は鄙びた田舎道だったのに住宅が立ち並んでいた。
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5階に上がると目の前には二つのホールの扉が見え、片隅には「バグダット・カフェ」という昔観た映画の名の喫茶コーナーがあり、映画関係の書籍が棚に置いてある、小さな図書館の風情だった。小さいけど地域に根ざした映画館という感じがした。
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さてやっと映画の内容に入るが、この映画の舞台は1961年のアメリカ・ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所。ソ連との宇宙開発競争が繰り広げられる中、白人たちに混じって働いている、3人の優秀な黒人女性たちの物語であった。NASAは当時の最も先進的な科学を推進している組織のはずであったが、その一方で当時のアメリカでは有色人種差別が根強くはびこっていた。ヴァージニア州では最近でもKKK団の騒動のニュースを聞くほどで、特に差別意識の強い所だったのかもしれない。バスに乗る際も、黒人たちは最後部に座らねばならなかったりと…。
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3人は計算手として西計算グループで働いていた。た。リーダー格のドロシーは管理職への昇進を希望するが、上司ミッチェルに「黒人グループには管理職を置かない」とはねつけられる。メアリーは技術部への転属が決まりエンジニアを志すが、資格を取るための学校は有色人種を受け入れてくれない。幼いころから数学の天才少女と呼ばれていたキャサリンは、黒人女性として初めて宇宙特別研究本部に配属されるが、そこには有色人種用のトイレもなく、遠いビルにあるトイレに通いながら仕事を続けなければならなかった…。
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3人はそれぞれの部署でいわば「無意識の偏見」にさらされながら、その類稀な能力と強い意志で克服し、アメリカ初の有人宇宙飛行の実現に貢献していく。三者三様に差別や偏見と闘い打ち破って行く様は、見ていて小気味よいぐらいなのだが、一方でこれは映画だからで、実際の彼女たちはその何倍もの苦難に耐えてきたのだろうな、という思いにも駆られた。63年の「ワシントン大行進」に代表される当時の公民権運動についてはいくばくかの知識はあるが、体制の中にあって粘り強く周囲と折り合いながら権利を獲得していくことの難しさは計り知れないものがあったのだろう。
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原題の "Hidden Figures" は、華々しい宇宙開発競争の陰で秘かに貢献をしていた彼女たちのような人々のことを指すと思われるし、彼女たちが武器としていた「数字(数学)」を指しているのかもしれない。邦題は最初違和感があったが、原題を直訳してもうまく伝わらないとも思う。彼女たちが過酷な状況の中で追い求め続けたものが描かれていると考えると、そう悪くないのかもしれないと思ったことだよ。
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上司ミッチェルがドロシーに向かって「偏見を持っているわけではないのよ」と言った時、ドロシーが「そう思い込んでいるのは分かります」と答えたのが突き刺さった。自分には偏見はないと思い込んでいる人間ほど、自分の中に巣食っている偏見から自由でないのだ、ということを再度肝に命じさせられた言葉であった。思いがけずいい映画を観ることができてよかった。
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遅い昼を食べてから山越えで帰る途中、腹ごなしに「甲山森林公園」に立ち寄り、しばらく歩いた。前とは違うコースをたどると、また違う風景が現われて面白かった。
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六甲山にまで登らなくても、ここと「北山植物園」を歩けばいつでも「プチ山歩き」ができるな、と改めて思ったことだよ。
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