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ノンフィクション『みんな彗星を見ていた』雑感 [読書]

『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』
                星野 博美 (著)

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3か月前、映画『沈黙ーサイレンスー』を観た。原作を読んでから40年経って、改めて日本におけるキリスト教受容のありようについて考えさせられたが、分からないことも多かった。その後BSの「英雄たちの選択『悲劇のキリシタン弾圧~大人になった天正遣欧使節の決断~』」という番組をたまたま観て、あの教科書でもよく見る「天正遣欧使節」が帰国した後の運命についてやっていて、彼らが苦難の旅の末渡欧して、ローマ教皇に謁見したところまでしか知らなかったので、彼らが帰国した時すでにキリシタン弾圧が始まっていて、四人がそれぞれ数奇な運命をたどったことを知り驚いた。その中で座長の磯田道史さんもさることながら、星野博美さんの発言が妙に実感がこもっていて興味を惹かれた。
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そこで星野さんについて調べてみると、写真家でノンフィクション作家とあり、2015年に標記の作品を上梓したとある。この作品が縁で番組に呼ばれたのだろうと思った。462頁もある本なので買うのをためらっていたが、図書館にあったので借りてみた。表題に「私的~」と書いてある通り、学術論文的ではなく、自分のミッション・スクール体験、出自である房総半島東岸の岩和田にドン・ロドリゴというスペイン人が難破上陸した時の交流、そして遣欧使節が秀吉の前でリュートを演奏していたらしいということからリュートを習い始め…、というように自分の体験と重ね合わせながら、当時のキリシタン迫害の実像に近付いていく、という描き方であった。
千々の悲しみ 天正遣欧少年使節の奏でた曲をリュートの演奏で。「伊東マンショ」の肖像画が。
https://www.youtube.com/watch?v=wKHxGwrqy-w

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自分がこの方面に疎いこともあって、またそれぞれのエピソードと史実との結びつきがやや本人の思惟の中でのそれなので分かりにくいというのもあったためか、惹き込まれながらも一気に読むことが出来ず、何度も借り直して2か月かかってやっと読了することが出来た次第。まあ、他にもやることがいっぱいあったからなあ、と言っても自己弁護でしかないが。実際には一世紀も続いたという日本のキリシタン史(もっと短いかと思っていた)について詳しく言及できるほど読み込めていないので、いくつか気になった点だけあげておきたい。
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私達がよく知っているのは、ザビエルをはじめとするイエズス会の活動だろうが他にフランシスコ会やドミニコ会などの托鉢修道会も存在していて、むしろこちらの方がより禁欲的で常に裸足で歩き布教をして、キリシタン達の崇敬を集めている部分もあったようだ。先ごろ高山右近が「福者」の認定を受けたことが話題になったが、スペイン・ポルトガルの司祭達ばかりでなく、多くの日本人殉教者達も福者として認定されている。殉教の定義としては、異教徒の迫害に耐えて刑死するなどの基準があり、その結果極東の国日本が最も殉教者の多い地域になったというのは、異教徒による迫害が歴史的にも世界の中で最も多かったからだということには驚いた。
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日本人キリシタンの信仰が偶像崇拝に近いものでカトリックの教義と違うとの指摘も当時あったようだが、司祭達が殉教を強く望み、殉教の様子はつぶさに記録され、遺体や着衣などは聖遺物として本国に持ち帰り崇敬の対象となるという。「聖遺物」といい「奇跡」といい、それらが日本人キリシタンの「偶像崇拝」とどれだけ違うのかは私には分からない。遠藤周作が言うように日本人はどんな宗教でも日本的に解釈して、本来の宗教から乖離してしまうのだろうか。

この本を読んで、以前考えていたより当時のキリシタン達の宗教的情熱は激しいものだったと知った気がする。そして、その情熱が独裁的為政者である家康(江戸幕府)の支配を超えてしまうと考えたとき、弾圧は激しくなったのかもしれない。秀吉も家康も初めは司祭達を追放すれば事態は収まるだろうと考えていたようだから。その後檀家制度で日本の宗教は実質的に根絶やしにされる。現代においても、「うちは~宗だから」というように、それがかつて機械的に割り当てられたものだということを忘れたかのように受容しているように見える(現代人は無宗教だからという見方もあるが)。それはキリシタン弾圧以降連綿と続いている宗教的・政治的に骨抜きにされた日本人の心性となっているかもしれないと考えると恐ろしい気もする。

おそらくそれと平行して確立された、江戸幕府のがんじがらめの官僚制度(それは明治期から戦後まで続く)と併せて、「お上には逆らわない」という従順な大衆を作り出しているとすると、それは戦後70年の今の日本の状況そのものであると言っていいのかもしれない。読みこなせていないまま、やや妄想的な感想を書いてしまったが、戦前・戦後を通じてなんら変わらないようにも見えるこの国の精神風土を顧みるとき、この「キリシタンの一世紀」についてもっと考えていく必要があるのではないか、と思ったことだ。


みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記


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