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0610 後半「補陀洛山寺」~「橋杭岩」@和歌山(南紀) [旅日記]

名勝「橋杭岩」。
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12時ごろ那智山から下りて、道の駅「なち」に向かった。那智勝浦ICの近くにあったのだが、行きがけには見つけられなかった。行ってみると、この駅はJR紀勢本線の「那智駅」と同じ敷地にあった。しかもJRの駅は無人駅だったので二重にびっくり!
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かつては那智観光の玄関口だったそうだが、紀伊勝浦駅にその機能が奪われて、現在に至っているらしい。道の駅を併設したのも、てこ入れの意味もあったのかもしれない。温泉施設やファーマーズマーケット・世界遺産情報センターなどもあってなかなか頑張っているのだが、土曜日の昼の割には車は少なかった。
世界遺産情報センター製作のパネル。滝で見た女性と同じ衣装である。往古の「熊野詣」を再現したもののようだ。
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「幸せの黄色いポスト」という丸型のポストもあった。
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食べ物屋さんはなかったので、すぐ近くにある「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」に立ち寄ってみた。
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偶然見つけたのだが、以前内田康夫 の小説『熊野古道殺人事件』を読んで興味を持ってはいたのだ。彼の推理小説は日本各地の紀行文的な意味合いも持っているので、ひところはまって、小説を読んではその舞台を訪れるというようなことをやっていたなあ。
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補陀洛(ポータラカ)は『華厳経』ではインドの南端に位置するとされる。また、チベットのダライ・ラマの宮殿をポタラ宮と呼ぶのも同じ理由らしい。遥か南洋上に「補陀洛」という浄土があると信じられ、これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称したという。このお寺の代々の住職もかつては半ば義務的に?30日分の食糧を積んで船出したようである。痛ましい気もするがこれも信仰の一つの形なのであろう。
境内に当時の渡海船の模型が陳列してあった。
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立派な寄進者の御名は?ふうむ、奇縁……かな?
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補陀洛渡海は観音信仰で、熊野詣は阿弥陀信仰であるが、その二つがこの紀州の南端に近接して在るということに、この土地の持つ不思議な意味合いを感じたことだった。

裏山には歴代住職の墓と並んで、那智の沖で入水自殺したという、平清盛の嫡孫「平維盛」の供養塔があった。
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さて、寺を後にして途中いくつか寄り道をしながら帰路につくことにした(13:00)。再びバイパスに入り、鯨の町太地町からはR42の地道に。太地町は今回はパスしたがいつかまた訪れたいと思った。「橋杭岩」までの道でいくつか撮った写真を。
石畳のような海岸風景は南紀の特徴か。向こうに見えるのは「紀伊大島」。
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ここにもあった「夫婦岩」。
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「橋杭岩」が見えてきた。
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13:50「橋杭岩」到着。とりあえず遅めの昼食。
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ここには昔来たことがあるが、当時はなかった道の駅「くしもと橋杭岩」があって賑わっていた。たくさん撮ったがどれがいいのか分からない(笑)。
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「くしもと大橋」。
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続いて本州最南端の潮岬へ。ここはぐるっと回っただけ。西のほうから灯台を望んだ一枚。
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再びR42を西へ。
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「すさみ南IC」からバイパス(紀勢自動車道)。有料になる「南紀田辺IC」から再び地道に(ケチ)。夕方近くなり、和歌山市まではまだまだなので、このあたりで「和歌山ラーメン」のお店を探す。日高川の傍(西御坊)に「日高地方で唯一和歌山ラーメンを食べさせる店」を発見。
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いつも食べている神戸二宮町の「丸高」さんより少しあっさり目だったが美味しかった。

朝から目一杯動いてさすがに疲れたので「御坊IC」から阪和道に乗り、湾岸線を経由して帰ったら速かった。さすがは高速。

2日間の総走行距離は553kmだったが、一日目が200kmちょいだったので、新宮・熊野に行くには奈良経由が有効なのかな、と思ったことだよ。北山村の「じゃばら果汁」という珍しいものを買って帰ったら、家人から「何年も前から知ってるよ。花粉症にいいらしい」と言われてギャフン!!

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熊野古道殺人事件 (角川文庫)


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