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小説『悪意』東野圭吾 [読書]

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東野圭吾さんの小説は図書館勤め?をしていたとき何冊か入れたのだが、例によって自分では読まずに過ぎてしまった。とりあえず何か読んでみようと手にしたのがこの「悪意」である。文庫本で360頁ほどのものを一晩で読んでしまったので、「続きが読みたくなる」小説ではある。

この小説は、人気作家日高邦彦が自宅兼仕事場で殺される、という事件を刑事加賀恭一郎が解明していくお話なのであるが、第一発見者である野々口修の手記と加賀の手記が交互に展開し、他の人たちの供述がそれに絡み、登場人物たちの関係も「藪の中」の事件の真実も次第に明らかになっていくという構成で、前に読んだ「1Q84」とその点では似ているか。

初めのころは殺人のトリックに重点が置かれているようじ感じ、これではちょっと面白くないかな、と思っているとそれを裏切る新たな展開が出てくるという具合で、どんでん返しの連続。そこが「読ませる」ところなのだろうな、とは思う。そして犯人が誰、というよりは動機は何、という点に重点が移り、登場人物たちの過去が明らかになっていく…。その基底にあるのが人間の心の奥に潜む「悪意」という感情だ。

ついひと月前に、川崎で少年がカッターナイフで惨殺されるという痛ましい事件があったが、仲間に引き入れた少年のことをいつか「気に食わない」者と感じるようになり、いじめているうちにエスカレートしていって…、という心の流れに通底するものがこの小説の登場人物たちにもある。どこが悪いというわけでもないのに、その人物に対して「悪感情」が生まれる。その原因はちょっとした「行き違い」であったり、漠然とした「羨望」であったりするのだが、理由がはっきりしないので逆にその感情は消えず、「悪意」として心の中に飼い太らせていく…。子供の社会でも大人の社会にも厳然と存在する「いじめ」や「~ハラスメント」の奥底にある「悪意」の在りようを作者は描きたかったのかな、と思う。

ミステリーとしてはやや「仕掛け」が見え隠れするきらいがあるが、力点が「悪意」の在りようにあると思って読むと、なかなか考えさせられる小説であったことだよ。ちなみにこの小説は2001年にNHKでドラマ化されていたようだ。知らなかった。月9ってたいがい寝ていたもんなあww


悪意 (講談社文庫)


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小説「信長の首」 [読書]

小説「信長の首」
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図書館でふと題名に惹かれて借りてみた。明智光秀の子孫が本能寺の変の「新説」を書いたというのでそれを探していたのだが、それはまたいずれ読んでみようと思っている。

この本はそれほど評判になったわけでもなさそうで、amazon で調べても13年にでた文庫版がすでに絶版だった。作者の秋月達郎という人も知らなかったが、時代小説からミステリー・ファンタジー・架空戦史小説まで幅広く書いている人らしい。この本でも4つの小品が収められているが、いずれも歴史上の人物を取り上げながらかなり空想を働かせて書いているようだ。

表題作の「信長の首」も、発見されていないとされる信長の首の行方をテーマとしたもので、「真相」を期待した分にはちょっと拍子抜けの感もあった。他にも出雲阿国と名古屋山三郎との関係(いずれも歌舞伎の祖といわれている)を描いたものなど、伝説の域を出ないだろうと思われるが、面白く読めた。雑誌「宝石」などに掲載されたものであるためか、やたらと「濡れ場」が多いのも特徴といえるのかなww
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一番興味深く読めたのは、荒木村重と信長の関係を描いた「村重好み」であった。前に「散策」で書いた伊丹の「有岡城」の主であった村重がなぜ信長に叛旗を翻したのか、については諸説あるが、ここでは「茶器」と「有岡城」が原因であるという見立てである。

信長が酒をたしなまなかったために茶道にのめりこんだ、というのは本当かどうかはわからないが、そういう些細なことが発端で「茶文化」にまで至るというのはなかなか面白い。それはともかく、茶道・茶器に関しても第一人者を自認している信長に対して、これまた茶道に関しては一家言持っている村重が、つい「自己主張」してしまったのが、二人の齟齬を生んでしまったというのだ。

信長という人は相当気難しい人物のようだが、秀吉などは他の平伏しまくっている家臣達とは違って、上手に持ち上げながらも言いたいことは言う、というように上手くやっているように見える(あくまで小説の上でのことかもしれないが)。村重も取り立てられた時は非常に気に入られていたのだろうが、「茶器」に関しては主従関係の「分」を少し超えてしまったのだろうか。

「有岡城」も「安土城」より先に「天守閣」や「総構え」という革新的なことをしてしまったために、信長の勘気を蒙ったということである。村重は信長の「勘気」を恐れていたという説も多いのだが、それでもなお「勘気」を蒙るような言動をしてしまったのか。少しタイミングが違えば「おぬしなかなかやるな」という良好な関係にもなったような気もするし、村重のほうにも弟子が師匠に「甘える」ような気分が出ていたのかもしれない。いずれにしても人間関係の「機微」は難しいものだな、とこの年になっても考えさせられた小説であった。

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小説「氷雪の殺人」 [読書]

利尻富士
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内田康夫の小説はひと頃よく読んだ。テレビの浅見光彦シリーズを見てたからというのもあっただろうが、「旅情ミステリー作家」とも言われるように、事件とその地域の土地柄や歴史が絡んだ形で書かれているので、そこに行った後もしくはこれから行こうとする所が描かれたものを読んだ気がする。それならいっそ「浅見光彦のミステリー紀行」を読んだほうが早い、という気もするのだが。

「氷雪の殺人」は図書館でたまたま見つけたので借りてみたのだが、舞台となっている北海道の礼文・利尻島は作者が全国を廻った最後の土地だったと文庫版のあとがきに書いてあった。北海道には何度か行ったが、利尻島には行ったことがない。故郷隠岐と同じくバフンウニの産地だということもあり、美しい利尻富士も見てみたいと思っていたが、この小説を読んでますます行きたくなった。これがこの人の小説の最も魅力を感じるところであるが、推理小説の本筋からははずれているのかな。

小説のあらすじは、通信機器会社のエンジニアの男が利尻富士の5合目あたりで凍死し、自殺と断定されたが、実はそうではないのではないか、ということで、我らが浅見光彦が推理をしていく、というパターンなのだが、その背景にある軍需産業や防衛庁(当時)との関係や、執筆した98年に飛来した北朝鮮のテポドンのことなどがタイムリーに取り上げられており、大戦直後の樺太(サハリン)へのソ連軍の侵攻と、その後のロシアとの関係の変化などと併せて、奥深い作品になっていると思う。

中・韓との関係悪化や、沖縄辺野古の基地移転問題、改憲の論議などで揺れている今の日本を考える上で、私のような浅学な者にも戦後の日本の歩みについて考えさせてくれるものであった。また、利尻島に防衛のためのレーダーサイトを建設する計画があったという設定になっていて、計画が決定した後でその不備がわかったのに、一旦予算化されたものはなんとかして執行しようとする、という愚挙をあえて行なってしまうという、日本的官僚制のあり方に疑義を挟んでいるくだりなど、興味深く読んだ。私の属していた教育現場でさえ、そういったことは強く感じてきたから。

作者は文庫版あとがきの中でこう書いている。「戦後、日本人が喪った最大のものは『覚悟』ではなかっただろうか。」「『有事』のときに和戦いずれを選ぶかも、その結果への覚悟がなければ、国防を論じる資格はない。」この言葉に込められた意味について、じっくり考えてみたいと思った。


氷雪の殺人 (角川文庫)


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小説『1Q84』雑感 [読書]

小説『1Q84』雑感

お盆の帰省中暇だろうと思って、文庫で出ていたBook1を買って持っていった。退職してから暇になったはずなのに、机の前に座っているとPCがあり、ネットサーフィンをしたり、ブログを書いたり、TVを見たり、音楽を聴いたり、最近はギターも弾いたり、とけっこう時間が過ぎていく。旅に出ても次に行くところを考えたり、飲み屋に行ったり、とせわしなかったりする。本当にのんびりした日々を送りたいものではある。

ところが、読み出すとはまってしまって、関西に帰ってからもBook2・3と購入して一気に読んでしまった。おかげで寝る時間がどんどん遅くなって、リハビリに苦労している。そういう意味ではベストセラーになる小説なんだな、と納得させられる。小説の進行が「天吾」「青豆」という二人の主人公の視点で書かれた章が交互に出てきて、二人の関係が少しずつ明らかになっていくという、一種ミステリーじみた構成になっているのも、次を読みたい、と思わせる要因なのだろう。優れたエンターテインメントだも言える。80年代に世間を騒がせた<オウム>などをモデルとした新興宗教も出て来、パラレルワールドも重要な舞台設定になっている。新興宗教というと高橋和巳が66年に書いた『邪宗門』が<大本教>を扱っていて、当時衝撃を受けたのを思い出す。そして高橋和巳が、その後歴史の中に埋没してしまったかのような状況にあることにも、何か不可解な思いがぬぐえない。再評価される日は来るのだろうか、村上春樹のこの小説もいつか時代の中に埋没してしまうのだろうか。それともノーベル賞(候補)作家として、その評価はゆるぎないものになるのだろうか。

多くの人がレビューを書いているので、自分なりに気になったところを一つ二つ書き留めておく。
月が二つ見えるのは「もう一つの世界」にいる証のようだが彼らに共通するもの=1Q84の世界を見れる資質のようなものがあるのだろうか。天吾も青豆も幼少時に親と決別し(もしくは捨てられ)、<孤独>と向き合って生きている。周囲と協調しながらも決してもたれあっていない。天吾は年上の彼女と、青豆は行きずりの中年男とそれぞれ濃密な情事を重ねるが決してそれに溺れてはいない。この小説は性描写が過激だとも言われているようだが、そんな感じを受けないのはこの二人のそんな感性のあり方によるのかも知れないし、作者の全て観念のフィルターを通したかのような表現のせいかもしれない。二人が小学四年の時以来互いを思いあっているという<純愛>のせいかもしれない。では牛河は?二人と全く異なるように見える彼こそが、実は幼少時から結婚・離婚を経て現在に至るまで常に<孤独>を強いられ、それと向き合わざるを得ない人生を送ってきたともいえる。そして「ふかえり」にカメラのレンズを通して射すくめられた時、「愛するべき誰か」を持つことを知ったのかもしれない。

宗教について、作者が無宗教かどうかは分からないが、完全な唯物論者ではないように思える。ふかえりの父親は「さきがけ」という新興宗教の教祖であるが、それはモデルになったものとは似て非なる形として描かれている。が、その宗教が作者の考えるユートピアのようなものを形づくるようには描かれてないように思う。そこが「邪宗門」と大きく違う点かもしれない。むしろ小説の中で引用された、ユングの「冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる。」という言葉に作者の宗教的なものに対するシンパシーのようなものが感じられる。

一度通読しただけなので、この程度の感想にしかならないが、純愛小説としてはともかく色々な村上春樹を見ることが出来るので是非読むとよいと思う。「ねじ巻き~」を読んだとき、漱石の後期の作品に似たところがあるな、と感じたが今もそれは変わらない。

最後に作中に出てくる音楽を。登場人物が皆作者と同じ音楽的嗜好を持っているのは、仕方ないこととはいえ、ちょっと笑っちゃうが。

①ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』 青豆と天吾の結びつき、そして1Q84の世界へ誘う曲として暗示的である。ヤナーチェクは晩年年下の人妻と恋に落ち、純愛を貫いたそうだが、小説に引用されたことと何か関係があるのだろうか。youtubeにいくつか出ている、その一つ。
https://www.youtube.com/watch?v=iuT_Czhu-2E

②『1Q84』は「バッハの平均律クラビーア曲集のフォーマットに則って、長調と短調、青豆と天吾の話を交互に書こう」として書かれた、というインタビュー記事があった。

③Louis Armstrong Plays W.C. Handy のアルバム及び Atlanta Blues (Make Me One Pallet On Your Floor) という曲。作中では天吾の年上の彼女が好きな曲として引用されていた。 Barney Bigard (clarinet)の絶妙なバックアップを絶賛していた。
https://www.youtube.com/watch?v=uPEVmBOfiC8&list=PLC3EB23552CEB511A
Make Me One Pallet On Your Floorはこちら
https://www.youtube.com/watch?v=Z38o98t4VJo
ちなみにこの曲はC.G.というブルーグラスバンドもやっている。昔演ったなww
https://www.youtube.com/watch?v=28wgk9WdJ5Y

1Q84 BOOK 1


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