0521「米子城址」「白壁土蔵」など@米子市 [旅日記]
「米子城」天守台跡。スケールの大きな城だったと分かった。
天守台跡から秀峰大山を望む。雪を戴く姿も見たいものだ。
前日、米子の宿に着いたのは6時半過ぎ。荷物を置いて、歩いて3分の所にある酒処「稲田屋」さんを訪ねたが、満員で入れなかった。予約をしておくべきだったと悔やんだが後の祭り。前回行った時は空いていたのになあ。この地でもコロナ禍の自粛から脱してきているのかな。
引き返して歩いていると、宿の向かいにこんなお店が。
ちょっと敷居が高そうだったが、メニューを見るとそうでもなさそうなので、思い切って入ってみた。店内は長いカウンターと、奥に小部屋がいくつかというしつらいで、大将と娘さんのお二人でやっておられた。こちらはお客さんがそれほどいなかったので、やはりお店次第なのかな。
ビールと地酒「月山」の芳醇辛口純米をいただいた。
料理はどれも丁寧につくられていて美味しかったが、お話を聞くと5月いっぱいでお店を閉められるとのことで、大将の腕があれば、少し値段設定をいじれば繁盛できそうなのに、と残念に思った。
0521
早起きしたので、去年の夏寺町通から見えた米子城址に行ってみた。
寺町通からの米子城址。
コンビニで朝ご飯を買い込み、三の丸駐車場に車を停めて歩き出した。
城山は思ったより広大で、鬱蒼とした森になっていた。
大きな分岐。左が内膳丸、右が本丸、右手前が中海展望所。とりあえず左へ。
内膳丸から本丸跡を見上げる。
石垣の上に人が。
分岐に戻り、本丸跡に向かう。
下にグラウンドが見えるが、三の丸跡で、今発掘調査が行われているようだ。
9:00天守台跡に到着。何人かベンチに座っていた。
BSの自転車の旅の番組で、このベンチからの景色を紹介していたのを思い出した。
ここからは、中海・島根半島・米子市街・大山など360度のパノラマが見渡せる。
薄曇りだったのが残念だが、いくつか写真をあげておく。
石垣の向こうに大山。
中海。
大根島の向こうの山は枕木山?
米子市街の向こうに島根半島の端っこ、美保関が。
動画も少し。
眺望をしばし堪能し、立派な石垣を見ながら山を下りた。
中海展望所に行く水平道にはたくさんの石仏があった。
中海ではカッターを漕ぐ姿があった。
私は高校が松江だったので、松江城には思い入れが強いのだが、米子は帰省する時やスキーに行く時の前泊の地と考えていたからか、商業の町というイメージで受け止めていた。実は吉川広家が最初に築城に着手して以来、立派な天守閣をもった近世風城郭が幕末まで続いていた町であったのだ。明治維新の後に取り壊されていなかったら、松江と並ぶ城下町として愛されていただろうと思うと、特に地元の人々は残念に思われていただろうと思われる。現在発掘調査や石垣の修復など整備が進んでいるようなので、ひょっとしたら往時の威容が復活するかもしれない。
ドローン撮影された米子城址(web。より)。
VRで再現された米子城。
余談だが、米子道の米子ICの近くに「お菓子の壽城」というお店があるが、そのお城が実は米子城を模したものだったと今回知った。
さて、せっかくだから他の米子も見てみようと、米子港の近くにある「米子水鳥公園」にも立ち寄ってみた。
今は渡り鳥のシーズンじゃないからな、と思いつつ池のほとりを歩いていると、葦原の中にオオヨシキリが止まっていたのでびっくりしてシャッターを切った。
ちょっとピントが微妙だが撮れたことが僥倖。
池越しの粟嶋神社。
粟嶋神社。ここも長い石段の上にあった。
昼前になったので、米子で昼を食べることに。5年前、法事帰省の時行った「マカロニ食堂」がまだあるかと行ってみた。
どういう事情か、シェフがお一人でやっていて、1階の厨房と2階の客席を往復していた。そのためかメニューも若干簡略化されていた。量は相変わらず多かったけど。
昼食後、外堀通りにある「白壁土蔵」にも立ち寄ってみた。城下町であれば当たり前だけど、これも初めての場所だった。いくつか写真を。
長くなってきたのでしりすぼみになってしまったが、風情のある街並みではあった。
この日は結局米子市以外はどこにも立ち寄らず、帰途に就いた。
山陰道~鳥取道が完全につながっていてびっくり。いずれも無料なので便利に安く行けるようになった。平福からR179を南下して、後は往路と同じ。米子~神戸を370円で帰って来れた。燃費計も17.7km/Lとハイブリットじゃないのに高燃費で満足であった。
1日目325km
2日目295km
総走行距離619.8km
ガソリン38.35L
燃費16.16km/L
今回の旅のささやかな戦利品。
天守台跡から秀峰大山を望む。雪を戴く姿も見たいものだ。
前日、米子の宿に着いたのは6時半過ぎ。荷物を置いて、歩いて3分の所にある酒処「稲田屋」さんを訪ねたが、満員で入れなかった。予約をしておくべきだったと悔やんだが後の祭り。前回行った時は空いていたのになあ。この地でもコロナ禍の自粛から脱してきているのかな。
引き返して歩いていると、宿の向かいにこんなお店が。
ちょっと敷居が高そうだったが、メニューを見るとそうでもなさそうなので、思い切って入ってみた。店内は長いカウンターと、奥に小部屋がいくつかというしつらいで、大将と娘さんのお二人でやっておられた。こちらはお客さんがそれほどいなかったので、やはりお店次第なのかな。
ビールと地酒「月山」の芳醇辛口純米をいただいた。
料理はどれも丁寧につくられていて美味しかったが、お話を聞くと5月いっぱいでお店を閉められるとのことで、大将の腕があれば、少し値段設定をいじれば繁盛できそうなのに、と残念に思った。
0521
早起きしたので、去年の夏寺町通から見えた米子城址に行ってみた。
寺町通からの米子城址。
コンビニで朝ご飯を買い込み、三の丸駐車場に車を停めて歩き出した。
城山は思ったより広大で、鬱蒼とした森になっていた。
大きな分岐。左が内膳丸、右が本丸、右手前が中海展望所。とりあえず左へ。
内膳丸から本丸跡を見上げる。
石垣の上に人が。
分岐に戻り、本丸跡に向かう。
下にグラウンドが見えるが、三の丸跡で、今発掘調査が行われているようだ。
9:00天守台跡に到着。何人かベンチに座っていた。
BSの自転車の旅の番組で、このベンチからの景色を紹介していたのを思い出した。
ここからは、中海・島根半島・米子市街・大山など360度のパノラマが見渡せる。
薄曇りだったのが残念だが、いくつか写真をあげておく。
石垣の向こうに大山。
中海。
大根島の向こうの山は枕木山?
米子市街の向こうに島根半島の端っこ、美保関が。
動画も少し。
眺望をしばし堪能し、立派な石垣を見ながら山を下りた。
中海展望所に行く水平道にはたくさんの石仏があった。
中海ではカッターを漕ぐ姿があった。
私は高校が松江だったので、松江城には思い入れが強いのだが、米子は帰省する時やスキーに行く時の前泊の地と考えていたからか、商業の町というイメージで受け止めていた。実は吉川広家が最初に築城に着手して以来、立派な天守閣をもった近世風城郭が幕末まで続いていた町であったのだ。明治維新の後に取り壊されていなかったら、松江と並ぶ城下町として愛されていただろうと思うと、特に地元の人々は残念に思われていただろうと思われる。現在発掘調査や石垣の修復など整備が進んでいるようなので、ひょっとしたら往時の威容が復活するかもしれない。
ドローン撮影された米子城址(web。より)。
VRで再現された米子城。
余談だが、米子道の米子ICの近くに「お菓子の壽城」というお店があるが、そのお城が実は米子城を模したものだったと今回知った。
さて、せっかくだから他の米子も見てみようと、米子港の近くにある「米子水鳥公園」にも立ち寄ってみた。
今は渡り鳥のシーズンじゃないからな、と思いつつ池のほとりを歩いていると、葦原の中にオオヨシキリが止まっていたのでびっくりしてシャッターを切った。
ちょっとピントが微妙だが撮れたことが僥倖。
池越しの粟嶋神社。
粟嶋神社。ここも長い石段の上にあった。
昼前になったので、米子で昼を食べることに。5年前、法事帰省の時行った「マカロニ食堂」がまだあるかと行ってみた。
どういう事情か、シェフがお一人でやっていて、1階の厨房と2階の客席を往復していた。そのためかメニューも若干簡略化されていた。量は相変わらず多かったけど。
昼食後、外堀通りにある「白壁土蔵」にも立ち寄ってみた。城下町であれば当たり前だけど、これも初めての場所だった。いくつか写真を。
長くなってきたのでしりすぼみになってしまったが、風情のある街並みではあった。
この日は結局米子市以外はどこにも立ち寄らず、帰途に就いた。
山陰道~鳥取道が完全につながっていてびっくり。いずれも無料なので便利に安く行けるようになった。平福からR179を南下して、後は往路と同じ。米子~神戸を370円で帰って来れた。燃費計も17.7km/Lとハイブリットじゃないのに高燃費で満足であった。
1日目325km
2日目295km
総走行距離619.8km
ガソリン38.35L
燃費16.16km/L
今回の旅のささやかな戦利品。
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