1212「月山富田城」と滝二つ@安来市広瀬など [旅日記]
「我に七難八苦を与へたまへ」の鹿之助の像@月山富田城跡。
11月初めに「月山富田城」に行こうと思っていたのに行きそびれた。そうこうしているうちに年の瀬も迫ってきて、コロナ禍以来一度も旅に出ずに今年が終わってしまいそうなので、この日無理やり出かけることにした。天候がやや怪しそうだったが、雨なら瀬戸内海方面に移動すればよいという気ままな車の旅である。中国縦貫~鳥取道と走っていると、これまでは鳥取西で一度地道に下りるところを、そのまま山陰道につながっていてびっくり。米子方面にますます安く速くいけるようになったのだった。途中にある滝をいくつか見ようと思っているが、「大山滝」は琴浦東ICから車で40分徒歩45分とあるので今回は断念、泊東郷ICから車10分徒歩5分とある「今滝」(鳥取県湯梨浜町)に行くことにした。
滝の駐車場に着いたのが11:30ごろ。目の前に鳥居があった。どうも滝がご神体のようである。
よく整備された遊歩道のような参道を歩いて行く。黄色く色づいたモミジがあった。
「今滝」は落差44mで、荒々しい岩肌を優美に落下している。
滝壺は深くないので夏なら滝に打たれる行も出来そうであった。
右手の岩の中ほどに祠があった。
祠のあたりから見た滝。
この滝から2kmほど離れたところに「不動滝」という滝があるとのことで、そちらにも行ってみた。
こちらも駐車場わきに同じような鳥居が。
デジャブを見ているような気持ちで滝に向かう。
「不動滝」落差32m。
こちらも小さな祠が。どちらの滝も山伏の修行の場だったのではと思われる。
12:30 二つの滝を見て、この日の目的である富田城を目指して西へ。曇り空ながらなんとかもっていた空であったが、米子を過ぎたあたりからポツポツ雨が落ちてきて、道の駅「広瀬富田城」に着いた14:30にはしとしと雨になっていた。
道の駅内に「安来市立歴史資料館」がある。
隣の施設に絣の展示がしてあった。「広瀬絣センター」といって予約すれば藍染め体験も出来るようだった。
歴史館に入ると立派な富田城のジオラマがあった。
傘を持ってきてなくてどうしようと思っていたら、こんな粋な置き傘があった。
「助太刀傘」助かった。雨が多いというのもあるのかな。
歴史館脇にいきなり巨大な土塁が迫っていた。
ここからも登れるようだが、少し上にも駐車場があるとのことで、そこまで車で。
歩き出すとまず、この城の規模の大きさに驚いた。山城はいくつか見てきたが、ここまでの規模のものはそうないのではないか。信長の時代の岐阜城と遜色がないように思われた。さすがは一時期「十一ヶ国太守」といわれた尼子経久の居城だと納得した(『尼子経久』(中村整史朗)参照)。
城は山頂部の本丸~三ノ丸と山腹のかなり広い部分とに分かれている。大きな広場もあり、家臣などの住居や兵士が集合する場所も設けられているようで、難攻不落の城であったことが容易に推察された。小雨の中2時間余り歩き回ったが、全部回り切れなかった気がする。写真もかなり撮ったつもりだったが、このスケールを表現できたものはあまりなかった(単に下手なだけ?)。という言い訳付きでいくつか並べてみる。
まずは山腹のエリアから。といってもかなり入り組んでいるのだが。
「花の壇」と呼ばれる、復元された重臣の邸。
「花の壇」の向こうに山頂部を望む。
端の方まで歩いて行くと、山中鹿之助幸盛の像があった。尼子経久の像もあったようだが見落とした(笑)。
城下につながるくねくね道。
さて、山頂部に向かう。
七曲りの道は舗装されていた。
5年ぐらいかけて一帯を整備したようだ。ちょっとがっかりだったけど、他の部分は本来の状態を保存しているようなので、一番損傷しやすい部分だけなのは良かったかも。
二の丸の広場。向こうに見えるのが本丸。
本丸跡には「勝日高守神社」が鎮座していた。
本丸跡から広瀬の町並みを望む。
雨にけぶる富田城もなかなか風情があったが、今度来るときは桜の季節、晴れ渡った時期にしたいと思ったことだよ。
この日の宿はスーパーホテル米子駅前。普段の価格を知っているので、一旦通常価格にしてからGOTOで値下げしているのだろうと思われた。ホテル側には利益があるから趣旨にはあっているのかも知れないが。近所の酒場で千円クーポンを使って、紅ズワイガニや松江おでんなどを地元の清酒「鷹勇」と共にいただいた。
サービスののどぐろ一夜干し、佳き。
11月初めに「月山富田城」に行こうと思っていたのに行きそびれた。そうこうしているうちに年の瀬も迫ってきて、コロナ禍以来一度も旅に出ずに今年が終わってしまいそうなので、この日無理やり出かけることにした。天候がやや怪しそうだったが、雨なら瀬戸内海方面に移動すればよいという気ままな車の旅である。中国縦貫~鳥取道と走っていると、これまでは鳥取西で一度地道に下りるところを、そのまま山陰道につながっていてびっくり。米子方面にますます安く速くいけるようになったのだった。途中にある滝をいくつか見ようと思っているが、「大山滝」は琴浦東ICから車で40分徒歩45分とあるので今回は断念、泊東郷ICから車10分徒歩5分とある「今滝」(鳥取県湯梨浜町)に行くことにした。
滝の駐車場に着いたのが11:30ごろ。目の前に鳥居があった。どうも滝がご神体のようである。
よく整備された遊歩道のような参道を歩いて行く。黄色く色づいたモミジがあった。
「今滝」は落差44mで、荒々しい岩肌を優美に落下している。
滝壺は深くないので夏なら滝に打たれる行も出来そうであった。
右手の岩の中ほどに祠があった。
祠のあたりから見た滝。
この滝から2kmほど離れたところに「不動滝」という滝があるとのことで、そちらにも行ってみた。
こちらも駐車場わきに同じような鳥居が。
デジャブを見ているような気持ちで滝に向かう。
「不動滝」落差32m。
こちらも小さな祠が。どちらの滝も山伏の修行の場だったのではと思われる。
12:30 二つの滝を見て、この日の目的である富田城を目指して西へ。曇り空ながらなんとかもっていた空であったが、米子を過ぎたあたりからポツポツ雨が落ちてきて、道の駅「広瀬富田城」に着いた14:30にはしとしと雨になっていた。
道の駅内に「安来市立歴史資料館」がある。
隣の施設に絣の展示がしてあった。「広瀬絣センター」といって予約すれば藍染め体験も出来るようだった。
歴史館に入ると立派な富田城のジオラマがあった。
傘を持ってきてなくてどうしようと思っていたら、こんな粋な置き傘があった。
「助太刀傘」助かった。雨が多いというのもあるのかな。
歴史館脇にいきなり巨大な土塁が迫っていた。
ここからも登れるようだが、少し上にも駐車場があるとのことで、そこまで車で。
歩き出すとまず、この城の規模の大きさに驚いた。山城はいくつか見てきたが、ここまでの規模のものはそうないのではないか。信長の時代の岐阜城と遜色がないように思われた。さすがは一時期「十一ヶ国太守」といわれた尼子経久の居城だと納得した(『尼子経久』(中村整史朗)参照)。
城は山頂部の本丸~三ノ丸と山腹のかなり広い部分とに分かれている。大きな広場もあり、家臣などの住居や兵士が集合する場所も設けられているようで、難攻不落の城であったことが容易に推察された。小雨の中2時間余り歩き回ったが、全部回り切れなかった気がする。写真もかなり撮ったつもりだったが、このスケールを表現できたものはあまりなかった(単に下手なだけ?)。という言い訳付きでいくつか並べてみる。
まずは山腹のエリアから。といってもかなり入り組んでいるのだが。
「花の壇」と呼ばれる、復元された重臣の邸。
「花の壇」の向こうに山頂部を望む。
端の方まで歩いて行くと、山中鹿之助幸盛の像があった。尼子経久の像もあったようだが見落とした(笑)。
城下につながるくねくね道。
さて、山頂部に向かう。
七曲りの道は舗装されていた。
5年ぐらいかけて一帯を整備したようだ。ちょっとがっかりだったけど、他の部分は本来の状態を保存しているようなので、一番損傷しやすい部分だけなのは良かったかも。
二の丸の広場。向こうに見えるのが本丸。
本丸跡には「勝日高守神社」が鎮座していた。
本丸跡から広瀬の町並みを望む。
雨にけぶる富田城もなかなか風情があったが、今度来るときは桜の季節、晴れ渡った時期にしたいと思ったことだよ。
この日の宿はスーパーホテル米子駅前。普段の価格を知っているので、一旦通常価格にしてからGOTOで値下げしているのだろうと思われた。ホテル側には利益があるから趣旨にはあっているのかも知れないが。近所の酒場で千円クーポンを使って、紅ズワイガニや松江おでんなどを地元の清酒「鷹勇」と共にいただいた。
サービスののどぐろ一夜干し、佳き。
コメント 0