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小説『日の名残り』雑感 [読書]

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今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの小説『日の名残り』(原題:The Remains of the Day)は、1989年に刊行され同年のブッカー賞を受賞している。去年の初めに読んだ『わたしを離さないで』は2005年の刊行だからそれより15年前にかかれたことになる。30代半ばですでにこのような長編小説を書いていたということにまず驚かされる。でも漱石が『吾輩は猫である』(1905年)を書いた時とほぼ同じであるから大作家とはそうしたものなのかもしれない。

物語は大きなお屋敷の執事であるスティーブンスが、新しいアメリカ人の主人ファラディ氏の勧めで、イギリス西岸のクリーヴトンへと小旅行に出かけるところから始まる。またそれは手薄になった召使の補強のため、以前女中頭を勤めていたミス・ケントン(現ミセス・ベン)を訪ねるためでもあった。その6日間の旅の中で1956年の「現在」から1920年代~1930年代にかけての回想を絡めながら語られる。予備知識なしに読み始めたので2014年から2017年まで日曜日の夜に放映されていたドラマ『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』を思い起こしながら読み進めた。ドラマの方は切れ切れにしか観ていなかったが、それでも1920年代の英国貴族社会のありようをある程度知っていたのでイメージすることができた。

『ダウントン・アビー』は主に第一次世界大戦の前後の時代の流れの中で、英国貴族社会が崩壊していくさまが描かれていたが、この小説は更に第二次世界大戦が終わった後まで回想されていたので、二つの大戦を経てイギリス社会がどう変動したのかを垣間見ることができて興味深かった。ただし、あくまでも執事の目から見たこととして描かれるので、そのぶん政治的な動きの細部にはオブラートがかけられていて、若干の欲求不満も感じたが、デリケートな歴史事象を扱う小説としては実にうまい手法であるなあとも感じられた。
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スティーブンスは敬愛するダーリントン卿の屋敷「ダーリントンホール」の執事であることに喜びを感じ、「偉大な執事」になるべく日々の執務を行なっていた。彼にとって優れた執事とは「品格」を備えているということで、その品格とは卓越した実務的能力を備えながら、自分の意見を主張することはせず、尊敬する主人に寄り添うことであったと思われる。だから、主人であり人格者でもあったダーリントン卿が第一次大戦後の戦後処理の中で対独宥和主義に傾き、やがてナチス・ドイツによる対イギリス工作に取り込まれるという過ちを犯したときも、決して口を挟むことなく、主人をサポートし続ける。
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スティーブンスの丁寧な語り口調は、土屋政雄の見事な翻訳にもよるだろうが、彼の執事としての振る舞いと矜恃のありようを体現しているように見える。しかしそれは同時に彼の、あるいは時代の限界をも表しているかのようでもある。執事としての「分」を守ろうとするあまり、まるで修行僧のように自らを律し続けた彼は、主人の過ちにも彼を秘かに慕うミス・ケントンの思いにも気付いていないかのようである。6日間の旅の終りに全てを諒解した彼は、旅の終りに立ち寄ったウェイマスの街で、夕暮れのの海辺の美しい情景を見ながら泣く。
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彼らの生き方は、後から振り返れば愚かな過ちに満ちたもの、と映るかもしれないが、それは彼らに限ったことではなく戦前・戦中の日本にも確かにあったはずだ。ともあれ、彼らの生き様に自らの拙い人生を重ね合わせながら、いろいろなことを考えさせられた、そんな小説であった。1993年にジェームズ・アイヴォリー監督で映画化されているようなので、それも観てみたいと思ったことだよ。

※写真は映画のものらしきものをwebからいただきました。


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