SSブログ

小説『コンビニ人間』雑感 [読書]

小説『コンビニ人間』
001.jpg
家人が居間で何か読んでいるので、北欧方面の旅の本かと思って(近々娘と行く予定なので)覘いてみると、芥川賞受賞作の載っている雑誌だった。単行本で買うより安いもんなw   読後感を聞くと、「まあ最後まで飽きさせずに読ませる作品だったかな」というので、借りて読んでみた。

今回の芥川賞についてはTVやネットでも見ていなかったので、村田沙耶香さんの書いたこの小説のことは全く知らなかった。何かコンビニの持つ様々な問題、例えばフード・ロスの問題とか、食品添加物の問題などについて書かれているのかな、と思いつつ読んでいくと、そうでもなかった。作者自身がコンビニで長くアルバイトをしているからか、お店の中やバックヤードの描写は精緻なものであった。コンビニやそれに類する業界の持つ、高度に効率化を求めるシステムのなかで生きる、という設定を通して、社会(特に現代日本の社会)のあり方を問うというものなのかな、と漠然と思った。設定はファスト・フード店でもいいし、大型電器店やブラック企業でもよかったのかもしれない。
002.jpg
主人公の恵子は幼少の頃から、自分がこうだと思ったことが周囲の常識から遠く離れている、という体験を繰り返す。例えば公園で死んでいる小鳥を見て、「持って帰って焼き鳥にしよう」と言うのだが、母や周囲の人々に「かわいそうだから土の中に埋めて弔ってあげましょう」と言われて、納得できないまま従わされる、というように。社会の常識では「焼き鳥にする鳥」と「公園で可憐に飛んでいる小鳥」は違う、と考えるのだが、見ようによってはこの違いはあくまでその「社会」が決めた<擬制>にすぎないのかもしれないのだ。

これは極端な例かもしれないが、私たちも成長していく過程の中で多かれ少なかれ、「そうじゃないだろう」と思うことが周囲の常識とかけ離れていても、周囲の考えに押し切られるように自分の考えを押し殺してしまうという体験を繰り返しながら、いつの間にか<大人>になっていく、という体験をしているのだと思う。ところが主人公の少女の場合は、その<世間の常識>との乖離を埋められないまま成長してゆき、いつの間にか自分の感情(考え)を表に出さないようになっていく。そんな彼女が大学生のときに出会ったのが「コンビニ」だった。
003.jpg
コンビニのマニュアルは、効率よく仕入れ効率よく売る、という要素以外になんら余計な判断をする余地のない、完璧にシステム化されたものだった。そのマニュアルに沿って行動する限り、彼女は<常識>との乖離に悩む必要がない。彼女は初めてこの世に存在する意味を見出した。ところが30代になってもコンビニのアルバイトを続けている彼女を世間の目は<異物>としてしか見ない。きちんと正社員になり、結婚し、子供を生み育てるのが正しい生き方なのだ、というように。
004.jpg
困った彼女と、たまたま出会った出来損ないのアルバイト店員白羽(彼もある意味世間からはじき出された存在としては彼女と同類といえるかもしれない)との間でとんでもない展開になるのだが、それは読んでのお楽しみ…。

ある意味奇想天外な二人の主人公たちが<世間>と対峙する構図の中で、<世間>の内包する<日本的ムラ社会>というものが浮き彫りになってくる。最も近代的な組織と考えられている会社や学校、政党etc. の中に根強く残っていて、本人たちも気がつかないうちにその<既得権益>にしがみついてしまっている…。

とここまで書いていると、教師時代に何度も教えてきた丸山真男の『「である」ことと「する」こと』(『日本の思想』所収)で批判していることそのものだ、という気持ちになってくる。この小説は戦後70年経っても少しも変わらないどころか、ますます隘路に入り込んでもがいている「この国」の哀しい現状に一石を投じたものだといえなくもない…かな。
コンビニ人間



日本の思想 (岩波新書)


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0