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1222「朔旦冬至」 [日々の雑感]

「朔旦冬至」の日の夕景
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今日12月22日は冬至であるが、今年は19年ぶりの「朔旦冬至」になるそうだ。「朔旦」とは旧暦の一日(朔日)の早朝のことで、つまりは旧暦の12月1日と「冬至」が重なる日のことである。月齢の暦と太陽の運行を基にした「二十四節気」は必ずしも一致しない。「正月(元旦)」と「立春」もたいがいはずれている。古今集の冒頭にも「年のうちに春はきにけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ(古今・春・1・在原元方)」という歌があり、暦の上ではまだ12月末なのに立春が来てしまった。今は今年なの?それとも去年?という遊び歌である。今年は何十年ぶりとかいうことが多く、前に書いた「後の十三夜」もそうだった。あるいは、これまでは日々の暮らしに追われてそういう季節の移ろいに目を向けていなかったせいかもしれない。
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例年になく寒い師走であるが、そんな中で義父が亡くなった。昨日が初七日であった。93歳というのは大往生と言っていいので、比較的穏やかに受け止めることができたが、思えばずいぶん不義理を重ねてきた。もっとお元気なうちにいろいろ話をしておけばよかった、と少し悔やまれる。

実父もそうだったが、戦中戦後を生き抜いてきた世代の人たちは皆、何かしらのたくましさを持っている。義父も寺の次男として生まれたが、長男が中国戦線で戦死したため寺を継ぐことになる。自身も学徒出陣で満州のあたりに出征し、シベリアに抑留された体験を持ち、体内には銃弾のかけらが残っていたそうだ。傷だらけで帰還し、寺を継ぎ結婚し、寺も以前より大きくして生涯を終えた。これ以上ここで書くつもりはないが、こう並べただけでもすさまじい一生であったのだと拝察される。

どちらの父も子供たちには自由に学問をさせ、人生を選択させてくれていたのだと、今になって思う。時には押し付けを感じて遠ざけたりもしていたが、彼らにとってそれは「自由をもてあましてふらふらさまよっている甘ちゃん」としか映らなかっただろう。改めてそれを思いながらこの19年ぶりの冬至の日を迎えている。
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翌1223の夕景
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