2024年の年頭 [日々の雑感]
ホーム神社の初詣は今年は横から。
年末になってやっとシーネも外れて風呂にも入れるようになった。私の退院のすぐ後に、今度は近くに住んでいる娘がコロナに罹患して、10日あまり寝込んでいたが、なんとか回復して大晦日を家族で迎えることが出来た。
1月1日、この日は晴れの予報だったので、一応潮芦屋の海岸に初日の出を拝みに行ってみることにした。6時半ぐらいに家を出て、なるべく歩く距離が短い所に車を停めて歩いてみた。ほんの100mぐらいだが、段差もあって大変だった。今回は家人の介助付き。
晴れていたが対岸の山際には雲がたれ込めていた。
振り向くと残月が。
雲の隙間にかろうじて初日が現れた。
上の雲から出るまで待とうかとも思ったが、既に30分以上ほぼ片足立ちでいたので、帰ることにした。
もう少し待っていたらこんな朝日が見れたかも。FB友達よりいただいた。
帰るとTVでは恒例のダイヤモンド富士が映されていたのでゲット。
お節をいただく。
午後になって、毎年参拝している綱敷天満神社へ初詣に。元々すいているからというのが理由の一つだったが、近年参拝者が増えていて、駐車場もやっと入れるぐらいだった。
行列も長く時間もかかりそうだったので、家族に参拝してもらい、自分は脇にある臥牛の石像の足を撫でて、怪我の快癒を祈ることにした。
行列は遅々として進んでいなかったので、脇の道を歩いて上がり、拝殿を横から撮ってみた。
再び列の所に戻ったが、とても時間がかかりそうだったので、遠くから拝んだことにして私が先ほど通った道から破魔矢を返しに行って、新しいものを購入してこの日は帰ることにした。
そのまま帰るつもりだったが、前にちらっと参拝したことのある、魚崎の神社の傍を通ると、「猿田彦神社」があり、すごく空いていたので参拝したのだった(笑)。
こんな参り方でご利益はあるのかしらとも思ったが、しっかりお参りしたからよしとしよう。
帰って休んでいると、テレビから警報アラートが。能登半島で強い地震ということだった。その後大津波警報も出て、どんな被害になるのかと思われた。被害が大きくないことを祈るばかりだ。
かくして元旦の日は暮れた。もうしばらくは松葉杖生活が続くが、確実に快方には向かっていると思って、もう少し頑張ろうと思った。前年は家人が骨折をして、自分は違うと思ったりもしたが、どうもこの歳になると避けては通れないのかもしれないなあ。齢をとって骨折すると、そのまま衰えが来て…、という話はよく聞いていたが、どこか他人事のように受け止めていた。確かにひと月あまり使っていない左足は、心なしか細くぷよぷよになって来ているように感じられるので、面倒くさがらずにリハビリに精を出し、前向きに生きていかねば、と年頭に際し改めて思ったことだ。
月遅れの家族からの誕生日プレゼントたち。
エンゼルスの大谷君のカレンダーは貴重かも。
年末になってやっとシーネも外れて風呂にも入れるようになった。私の退院のすぐ後に、今度は近くに住んでいる娘がコロナに罹患して、10日あまり寝込んでいたが、なんとか回復して大晦日を家族で迎えることが出来た。
1月1日、この日は晴れの予報だったので、一応潮芦屋の海岸に初日の出を拝みに行ってみることにした。6時半ぐらいに家を出て、なるべく歩く距離が短い所に車を停めて歩いてみた。ほんの100mぐらいだが、段差もあって大変だった。今回は家人の介助付き。
晴れていたが対岸の山際には雲がたれ込めていた。
振り向くと残月が。
雲の隙間にかろうじて初日が現れた。
上の雲から出るまで待とうかとも思ったが、既に30分以上ほぼ片足立ちでいたので、帰ることにした。
もう少し待っていたらこんな朝日が見れたかも。FB友達よりいただいた。
帰るとTVでは恒例のダイヤモンド富士が映されていたのでゲット。
お節をいただく。
午後になって、毎年参拝している綱敷天満神社へ初詣に。元々すいているからというのが理由の一つだったが、近年参拝者が増えていて、駐車場もやっと入れるぐらいだった。
行列も長く時間もかかりそうだったので、家族に参拝してもらい、自分は脇にある臥牛の石像の足を撫でて、怪我の快癒を祈ることにした。
行列は遅々として進んでいなかったので、脇の道を歩いて上がり、拝殿を横から撮ってみた。
再び列の所に戻ったが、とても時間がかかりそうだったので、遠くから拝んだことにして私が先ほど通った道から破魔矢を返しに行って、新しいものを購入してこの日は帰ることにした。
そのまま帰るつもりだったが、前にちらっと参拝したことのある、魚崎の神社の傍を通ると、「猿田彦神社」があり、すごく空いていたので参拝したのだった(笑)。
こんな参り方でご利益はあるのかしらとも思ったが、しっかりお参りしたからよしとしよう。
帰って休んでいると、テレビから警報アラートが。能登半島で強い地震ということだった。その後大津波警報も出て、どんな被害になるのかと思われた。被害が大きくないことを祈るばかりだ。
かくして元旦の日は暮れた。もうしばらくは松葉杖生活が続くが、確実に快方には向かっていると思って、もう少し頑張ろうと思った。前年は家人が骨折をして、自分は違うと思ったりもしたが、どうもこの歳になると避けては通れないのかもしれないなあ。齢をとって骨折すると、そのまま衰えが来て…、という話はよく聞いていたが、どこか他人事のように受け止めていた。確かにひと月あまり使っていない左足は、心なしか細くぷよぷよになって来ているように感じられるので、面倒くさがらずにリハビリに精を出し、前向きに生きていかねば、と年頭に際し改めて思ったことだ。
月遅れの家族からの誕生日プレゼントたち。
エンゼルスの大谷君のカレンダーは貴重かも。
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