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「年内立春」 [日々の雑感]

『吉田神社追儺』(by wiki)
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今日は「節分」。節分とは 立春・立夏・立秋・立冬の前日ということだが、今では立春の前日のみを指すことが多いようだ。季節を分けるというほどの意味である。明日は2/4「立春」で旧暦の12/26。「立春」と正月がほぼ重なるように設定されているのが今の旧暦(形容矛盾?)。「冬至」の項でも書いたが、「冬至」を一年の始まりとする考えは古く洋の東西で在ったようだが、それぞれ歴史の流れの中でずれて来て現在に至っている。

繰り返すが旧暦の正月は二十四節気の「立春」に合わせようと意図されているが、月の運行を基にしたものと太陽の運行を基にしたものではぴったり合うことは難しい。元旦が立春より前に来たり後に来たりしてしまう。今年は「年内立春」ということになるが、そう珍しいことでもないようだ。
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『古今和歌集』の「春」の部の冒頭に次の歌がある。
ふるとしに春たちける日よめる、  
『年の内に 春は来にけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ』在原元方(業平の孫らしい)
「年末なのに春(=立春)が来ちゃったよ。この一年を去年と呼ぼうか、それとも今年と呼ぼうか。」という意味なのだが、さして秀歌というわけでもない。あえて言うと「年内立春」という二つの暦の矛盾が表れている点をついたところが、発想としては面白いというところか。古今集でも特に春夏秋冬の部立てでは日めくりのように季節の移り変わる様が並べられていて、並べられた総体としてみるとなかなか壮観である。貫之が上記の歌を冒頭に置いたのは、秀歌だからというよりは「立春」が前年にまではみ出しているところが時系列上冒頭に相応しいということだったのだろう。この選び方の方がよっぽど茶目っ気がある。

ちなみに二番目の歌は貫之自身の歌で、
春立ちける日よめる
『袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ』紀貫之
この歌は教科書にもよく載っている歌で、「(夏の間)袖をぬらして手で掬って飲んでいた清水が(冬になって)凍っていたのだが、立春の今日の風がそれを解かしているのだろうか」という、一年の時の流れを一首にまとめたものである。万葉のように眼前の景をそのまま歌うというのではなく、一ひねりしてしまうのが古今の時代の特徴であろうが、好みは分かれるだろうなあ。
近所の公園の梅の花。早いなあ。
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ともあれ、すっかり定着した感のある節分の「恵方巻」。今年は「南南東と微南(南南東の南より」らしいですな。「…の陰謀」などと野暮なことは言わず、「年内立春」ということも重ねて味わうことにしましょうかね。家人は先ほど(10時ごろ)から「恵方巻の旅」に出てしまいましたがww
我が家の今年の「恵方巻」。
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ちなみにお隣中国の「春節」は日本の旧暦正月と同じ2月8日。前後一週間が連休らしいので、また「爆買い」に押し寄せてくるのかな。



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