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0117@神戸東公園 [日々の雑感]

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ふと今日は1.17だったなと思いだして、昼前に三宮の東公園を覗いてみることに。5時46分のセレモニーからかなり時間が経っているので、ぎっしり人で埋まっているということはなかったが、少なくない人が訪れ、祈っている姿があった。私も焼香させてもらった。
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あの震災から21年も経っているんだなと思うと、今更ながら「光陰矢のごとし」の感がする。その間1.17に東公園に行ったのは数えるほどしかなかった。震災直後は電気・ガス・水道のインフラが回復するまで日々格闘していたと思うし、自宅も一部損壊で修復工事が必要だった。4月から新しい職場に変わって、そこも被害を受けていたので、半壊した校舎での授業・プレハブ校舎の建設など目まぐるしい日々が続き、客観的に振り返ることなどできなかったのだろう。また、生活が落ち着いてからは、大変ではあったが、家族に犠牲者もなく、自宅も一部損壊ぐらいで済んだことから、もっと大変な被害を受けていらっしゃる方々への後ろめたさのような感情もあったのかもしれない。

あまり詳しく書くつもりはないが、あの日のことを少しだけ思い出してみる。あの日はセンター試験と自己採点が終わった翌朝だった。強い揺れに目を覚まし、訳も分からずベッド下に潜り込もうとしたのを覚えている。そんな隙間はなかったが。家族の無事を確かめ、電気・ガスがつかないことが分かった(水は給水タンクがなくなるまではあったと思う)あとで、なぜか「学校に行かなくちゃ」と思って家を出た。使命感とかではなく、それほど大きな災害だとは思っていなかったからだろう。臨港線を東に走っていると、宮川のところで20cmの段差になり、進めなかった。

引き返してR43に出ようとして精道の交差点まで出ると、信号が消えている。ふと左手を見たら、阪神高速がぐにゃりと曲がり落ちているのが見えた。
これはwebから。ちょうどこんな感じだった。
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これは大変なことだ、と初めて気がついたが、さてどうしていいか分からない。東に向かったが、そこも夙川の手前でストップしていて、R2の方面に出ると、あちこちで火の手が上がっていた。学校に行くどころではないと初めて気付き家に帰ったのを覚えている。

今日、震災特集の番組を見ていて、震災の犠牲者の多くは圧迫死だったこと、火災の多くが再通電時に起こったこと、震災直後の道路渋滞(私自身も加担していたかもしれない)などが救助の手を阻んだ側面があったことなどを改めて知った。これらはしっかり対策をすれば防ぐことが可能な事柄だと思う。震災21年目を迎えて「風化」していくことが危惧される中で、こういった対策の努力は決して停滞してはならないだろうと強く思わされたことだ。

<付録>前日近所の「とんど焼き」の様子。永年住んでいてこれも初めて参加した。思えば余裕のない20年を送っていたものだ。
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