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0914 上田城~軽井沢~岩櫃城祉(9月の信州旅vol.2) [旅日記]

難攻不落の岩櫃城(岩櫃山)の雄姿。
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泊まった宿は駅前で、7階の部屋から「六文銭」のロゴマークのある上田駅とその向こうの山々が見渡せた。
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朝8時に昨夜も行った上田城に向かう。無料駐車場に車を停めるとそこは大手門前の広場になっていた。
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ここは今は埋め立てられているが、かつては千曲川の支流「尼が淵」が流れていて、天然の堀になっていたようだ。関ヶ原の合戦の後(1601年)に、上田城は徳川軍に破却され堀も埋められたとあるから、その時埋め立てられたのかも知れない。
現存する建造物は櫓3棟(南櫓、北櫓、西櫓)らしく、下から見えるのは西櫓と南櫓である。高い石垣はよく見ると岩壁の部分が見られ、天然の岩をうまく利用していることがわかる。
西櫓。
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南櫓。
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石垣の中に元々そこにあった岩が組み込まれている。
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こちらは石垣の上が岩の岸壁になっているの図。
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これは浅間山の噴火で出て来た溶岩を移設して展示しているもの。城と関係はない。
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城への導入口から入ってみる。ここもかつては掘だったのではないかと思われた。
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橋の欄干が「真田丸」のロゴ?
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現在残っている城は、仙石忠政によって江戸時代初期の寛永年間に再建・築城されたものであるというが、堀などは真田昌幸の時代のものが使われているのではないだろうか。かなりしっかりした堀であった。二度の上田合戦で徳川軍を撃退した難攻不落の城であったことがうかがえる。
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本丸への入り口の門。これは新しいものか。
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本丸跡はあるが天守はない。もともとなかったのだとも言われている。
「真田神社」。
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上田合戦で「落ちなかった」城であることにあやかり、受験生の祈願も多いそうだ。
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上から大手門の公園と駐車場を見る。かなり高いことが分かる。
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往時の上田城の想像図(webより)。
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さて、上田城を後にして次の目的地「岩櫃城(いわびつじょう)」に向かう。こちらも以前から行きたいと思っていた城であるが、群馬県にあるので今回の旅のルートから外れるのかなとも思っていた。ただ、真田昌幸がこのあたり一帯を支配・攻略していたのだから、それほど離れてはいないのではないかと思い、地図で調べると、思った通りさほど遠くなかったので、周遊エリアの最東端の碓氷軽井沢ICまで行ってそこから地道で行けばいいと思いついた。我ながらヒットだったなと思ったことだよ。

碓氷軽井沢ICから北上して軽井沢を目指す。途中で浅間山の姿を見かけたが、ワインディングの道だったので写真を撮れずに通り過ぎたら、二度とシャッターチャンスに恵まれなかった(泣)。
代わりに見つけた変わった山。
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軽井沢は通過点のつもりだったが、初めての地なので一応軽井沢駅を表敬訪問。
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結構立派な駅だった。宿泊すると高いだろうが、次に訪れた時はもう少し長い間とどまっていたいと思った。
駅の南口から見ると浅間山の姿が少しだけ見えた。
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街並みを通り抜けて美しいと言われている「雲場池」に立ち寄った。
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「雲場池」。
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池も素晴らしかったが周囲の森がいかにも軽井沢という感じで、ここで半日ぐらい佇んでいたいと思った。

さて、軽井沢から北に向かう道はR146(日本ロマンチック街道)で、途中から「鬼神ハイウウェイ」に入ると、「鬼押出し園」に行ける。「鬼押出し」は1783年(天明3年)におきた浅間山の噴火の際に流れ出た溶岩で、膨大な量の溶岩が風化した結果形成された奇勝で、昔教科書で見た記憶がある。前まで行ったら外からでもその様子が見えたので、写真を撮って終了(笑)。
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その時後ろを振り返ったら浅間山が間近に見えたかも、と後から気付いたが後の祭り。入場料をけちったからだね。身から出たサビですな。

岩櫃城に行くこそ本意なれ、と先を急ぐ。R146が羽根尾に突き当たった所で右折し、R145を東に20kmほど走ると岩櫃城の近くまで行くことが出来る。岩櫃城は岩櫃山の東麓の尾根伝いに配置されていて、「岩櫃城」をナビったので当然東の登山口に連れて行かれた。事前に調べたのは岩櫃山の登山口だったので少々混乱した。
このような地図を観光案内所で見てやっと理解できた。
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とりあえず東の登山口から「岩櫃城本丸址」を目指して歩く。尾根沿いのゆるやかな道とあったが、そうでもなかった。
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ここにもあった芙蓉の花。
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「岩櫃城本丸址」。「つわものどもが夢の跡」ですな。
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ここから尾根沿いに登るルートもあるが、そんな気はさらさらなく、駐車場に戻って西の「密岩通り登山口」の駐車場に移動した。ここからだと山頂まで一時間足らずで登れるらしいが「3点確保の意味を分かっていない人は登ってはいけません」とあったので、当然登ろうとは思っていなかった。駐車場を出て「密岩神社」に行こうとしてふと見上げると岩櫃山の雄々しい姿が目に飛び込んできた。
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この山は登るより下から眺めるのがやはり相応しい、と負け惜しみの言葉をつっぶやいた。
さすがに山頂に陣屋はなかったのだろうが、この急峻な山を背後に、前の吾妻川の流れを堀にしたこの城が難攻不落であったことは想像に難くない。武田勝頼が敗走した時、真田昌幸がこちらにかくまって再起を図ろうと画策したのもうなずけた。
岩櫃城想像図(webより)。
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15時過ぎに岩櫃山を後にして、R145~R144と走って上田菅平ICに向かう。この日は長野あたりに泊まろうと思っていたが、3連休の初日だからか全く宿が取れなかった。やっと見つけたのが須坂駅の近くの「サンシャインエイト」というホテルだった。須坂市は初めて知った街だったが、翌日行こうとしている小布施にもほど近かったのでラッキーだった。
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夜行った居酒屋「だいこんの花」もよかった。
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長い間行きたいと思っていた二つの城に行くことが出来て満足な一日だったが、信州の寒さと二日半のハードワークのせいか風邪気味で喉が痛く、寝るのが大変だった。

この日の走行距離256km。歩数16723歩。もう少しのんびりできたらいいのになあ。


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