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映画『ベルファスト』@シネリーブル神戸 [映画]

映画『ベルファスト』
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この映画は、北アイルランド・ベルファスト出身で、俳優・監督・舞台演出家として世界的に活躍するケネス・ブラナーが、自身の幼少期の体験を投影して描いた自伝的作品である。アカデミー賞の有力候補ということで観たのだが、この稿を書いている時点で、脚本賞を受賞したとの報があった。このところ観た映画『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞を、『コーダあいのうた』が作品賞と助演男優賞・脚色賞をとったというから、すごい映画を次々と観たんだなあと思ったことだ。まあ、そういう評判の映画を選んで観ているので、当たり前と言えばあたりまえなのだが(笑)。

予備知識なしに観たのだが、いきなりヴァン・モリソンの "Down to Joy" が流れてきたのでびっくり。一時期好きで何枚かCDも持っているので、声を聞いただけで彼と分かった。北アイルランドの厳しい気候と彼の歌声は妙にマッチしている。ほぼ全編が彼の歌声に包まれていたのは望外の喜びであった。彼もまたベルファストの出身だったということを今回知った。
Van Morrison - Down to Joy (Official HQ Audio) [from "Belfast"]

物語の舞台は1969年のベルファストの街。この街で生まれ育った少年バディは、街中が顔見知りという環境の中で、家族や友達に囲まれ、映画や音楽を楽しむ「完璧」な生活を送っていた。しかし8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、穏やかだった街は反目と殺戮の世界へと変わってしまう。彼らの家族はプロテスタントなのだが、彼が好意を寄せる少女キャサリンの家はカトリックで、北アイルランドでは少数派に属している。これまで同じ街の住民として分け隔てなく付き合って生活していたのに…。
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「北アイルランド紛争」という言葉はぼんやりと知っていたし、IRAという過激派組織によるテロ活動のニュースも耳に入ることはあったが、どこか対岸の火事のように受け止めていた部分はあった。映画を観てもよく分からないところがあったので、少し調べてみた。正確な所はいまだによくつかめてはいないが、自分の確認のために少し書いておく。

1649年のクロムウェルによるアイルランド侵略(事実上の植民地化)以降多くのプロテスタントがアイルランドに入植し、島に住むカトリック教徒を圧迫した。1801年、グレートブリテン王国とアイルランド王国が合併する(実質的にはイギリスによるアイルランド併合)。1840年代後半、ジャガイモの不作が数年続き大飢饉となる(ジャガイモ飢饉)。この結果多くのアイルランド人がアメリカへ移住する(Irish diaspora)。私たちがアメリカン・ルーツミュージックの一つとしてアイリッシュ系のフォークソングなどを享受しているのはこれに由来するのだった。

アイルランド独立戦争(1919年 - 1921年)が終わり、1921年12月6日英愛条約が締結され、1922年12月6日アイルランド自由国が成立、イギリスの自治領となる。ただし北部アルスター地方の6県は北アイルランドとしてイギリスに留まる。これがアイルランド内戦へと発展する。この映画の舞台となった1969年のベルファストの街は、複雑な内乱の中、カトリックとプロテスタントの対立が局所的に爆発したものなのかなと思われた。そしてこの争いは98年の「ベルファスト合意」まで続くのだった。
北アイルランドから見たアイルランドとの国境。
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こういう凄惨な状況の中であっても、バディや家族たちが前向きに、時にユーモアを忘れず暮らしていく様子が心に残った。いよいよ危険を避けるため、生活のためロンドンに移住することを選ぶのだが、住み慣れた故郷を離れることが簡単であるはずがなかった。祖国を奪われることがどんなに耐えられないものか、ということを今のウクライナの人々の気持ちを重ねて観てしまった。宗教の対立というものが現在でも世界のあちこちで紛争の種になっていることを考えると、人々を救うための宗教がどうしてこのような争いを生んでしまうのだろう、と暗澹たる気持ちになってしまったことだ。
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この映画は、無益な争いを引き起こしてしまう人間の愚かさと、そんな中でも人は前を向いて生きて行けるし、生きていかねばならないのだ、という祈りにも似た思いが込められていると思ったことだ。
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