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映画「あん」&スズラン [映画]

映画「あん」のパンフ
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スズランの群生地が奈良の都祁吐山(つげはやま)町のR369号沿いの森の中にあるというので行ってみた。6月上旬までということなので、ぎりぎりかなと思っていたが案の定、花は終わっていた。もう一箇所向渕(むこうじ)という所も行ってみたが同じだった。後で調べると今年は一週間早かったそうな(泣)。来年のためにブログにメモしておこうww
向渕の全景。
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花の痕。
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せめて看板をw
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名阪国道「高峰SA」からの奈良盆地の景。
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さて、映画「あん」であるが、雨かもということで、もうひとつ考えていたのは映画を帰りに観るというもの(セットは最近のマイ・ブームw)。時間を考えて奈良でなく八尾市の「MOVIX八尾」に初めて行くことにした。意外と都会だなあ、というのが第一印象。ディープな大阪を知らなさすぎだねえ。

河瀬直美監督の映画は昨年9月に「2つ目の窓」を観たが、奄美の海やガジュマルの精霊、原始宗教を背景にした中で、人の生き死にの哀しみが描かれていた。

今回最も印象に残ったのは、樹木希林演じる元ハンセン病患者のおばあちゃん徳江が、その生涯のほとんどを世間から隔離されて過ごした「森」であった。それは常識的なこの世界から見れば<異界>であり、同時に偏見と差別に満ちた人間社会を包み込むような奥深さをもった存在のように感じられた。前作でいうと「海」がそれにあたるのかな。まだ観ていないが「殯の森」もそうなのかもしれない。
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徳江が亡くなったとき、そこでは墓はつくらず、代わりに木を植えるのだということだった。それはそこの掟であると同時に監督自身の死生観の表れでもあるように感じられた。彼女に限らず登場人物たち(刑務所帰りのドラ焼き屋の兄ちゃん・高校に行けそうにないと悩むワカナ)は、生きることの意味を見失いそうになりながら徳江の生き様に救いを見出してゆく。
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徳江は差別にさらされながら40年間おいしい「粒餡」を作り続け、死んでゆく。餡作りは彼女の生き様のメタファーであり、彼女の言葉「人はこの世にあるものを見るためにこの世に生まれてくるんだ」は諦念に見えて実は「生きること」のシンプルな意味を伝えているのではないかと思った。

同じく元らい病患者を演じている市原悦子さんが、TVのインタビュー番組で放送禁止用語を連発して動議を醸していたが、その発言には「言葉狩り」のように「差別用語」を禁止しておいて、その実差別意識は温存されている、この国の意識のありようを告発する気分もあったのではないかと、勝手に思ったりしていることだよ。



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