0424@伊賀上野 [旅日記]
芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」
いい天気が続きそうなので一泊で山歩きを含む旅をしようと思い決めたが、家を出てからも方向を決めかねてぐずぐずしていた。「熊野古道」に行ったとき1日400km超走ってしまったので、適切なコースを考えなくてはというのがあった。
で、決めたのは三重の御在所岳。10年以上前に旅の途中で立ち寄ったはずだが、その時は往復ロープウェイだったと思う。1200m級なのできつそうだが、まあできる範囲でということで。出遅れたこの日は無理そうなので翌日の早朝登ろうと思い、基地として考えたのが四日市。初めて行く町だ。
西名阪を走り、香芝SAで早めの昼食をとる。ここの中華屋さんはなかなかのものである。その後名阪国道を走っていたのだが、一日目移動だけというのもどうかね、と思って伊賀上野に立ち寄ることにした。上野ICから北上するとすぐである。伊賀上野城のPに駐車して城山に入る。以前立ち寄ったことがあるようなないような。入ってすぐ右手に「芭蕉翁記念館」があったので入ってみた。
「芭蕉翁記念館」
館内には「芭蕉翁像」が。
チケットを買おうとしたら「芭蕉翁生家」と「蓑虫庵」とセットで安くなりますよ、と薦められ(あまり強く勧めなかったのが逆に好感が持てた?)、お蔭で観て回ることができた。そうじゃなかったらスルーしてただろうww 館内にはよく集められた資料が数多く展示されていた。特に芭蕉と弟子たちが合作した「俳画」が印象に残った。
「伊賀上野城模擬大天守」
この城は築城の名手とされる藤堂高虎が大改修したものだが、天守閣は完成間際に一度倒壊し、その後豊臣氏が滅亡したため、再建されなかったそうである。今のものは昭和期に作られた全くの別物である。眺めていると埼玉からきたおっちゃんが(姫路城に行く途中だったらしいが)さかんに「土建屋が造ったコンクリートの城はだめだ」と声を掛けて来たが、実際は模擬にもかかわらず木造だそうだ。
「高石垣」
天守より凄かったのが「高石垣」であった。30mの高さがあるらしいが、柵も何にもなく、端近に行くと足がすくむ。観光客が多かったらこんなやり方ではあかんのじゃないかと、余計な心配をしてしまうほどだ。
園内の若葉が目にしみる。
芭蕉翁の旅姿をあらわすといわれる「俳聖殿」。上が頭だそうだが、そう見える?
上野公園を後にして「芭蕉翁生家」を訪ねる。
「芭蕉翁生家」正面。
いわゆる町屋風に奥に細長い造りで「無名庵跡」の碑の横には芭蕉の木が。
続いて「蓑虫庵」を訪ねたが、途中時代劇で有名な「鍵屋の辻」を通ったので写真を一枚。
「蓑虫庵」この庵は芭蕉翁五庵の中で唯一現存するものらしいが、庵も庭も素晴らしく、縁側に座ってぼおーっとしていたい、と思わせられた。
「蓑虫庵」正門。
「古池や~」の句碑。蛙が浮き彫りになっているのがわかるかな。
この庵をつくったのは芭蕉の弟子の服部土芳で、『三冊子』もここで書いたらしい。このあたりをちょっと勉強してみようかな、と少しだけ思ったことだよ。
この日泊まった四日市は公害の町のイメージが払拭できないでいたが、今ではそんなこともなく、三重随一の30万都市として賑わっていた。駅前にたくさん店があったが、入ったのは海鮮を炭火で焼く「ゆるり屋」というお店。関西と違いやや味が濃い目だったがおいしく頂いた。突き出しに、ハタハタをを目の前の炭火コンロで焼くというのが出たことが、一番の驚きだった。
さあ、明日は御在所岳。「なんちゃって」に入れるかどうか迷い中。
いい天気が続きそうなので一泊で山歩きを含む旅をしようと思い決めたが、家を出てからも方向を決めかねてぐずぐずしていた。「熊野古道」に行ったとき1日400km超走ってしまったので、適切なコースを考えなくてはというのがあった。
で、決めたのは三重の御在所岳。10年以上前に旅の途中で立ち寄ったはずだが、その時は往復ロープウェイだったと思う。1200m級なのできつそうだが、まあできる範囲でということで。出遅れたこの日は無理そうなので翌日の早朝登ろうと思い、基地として考えたのが四日市。初めて行く町だ。
西名阪を走り、香芝SAで早めの昼食をとる。ここの中華屋さんはなかなかのものである。その後名阪国道を走っていたのだが、一日目移動だけというのもどうかね、と思って伊賀上野に立ち寄ることにした。上野ICから北上するとすぐである。伊賀上野城のPに駐車して城山に入る。以前立ち寄ったことがあるようなないような。入ってすぐ右手に「芭蕉翁記念館」があったので入ってみた。
「芭蕉翁記念館」
館内には「芭蕉翁像」が。
チケットを買おうとしたら「芭蕉翁生家」と「蓑虫庵」とセットで安くなりますよ、と薦められ(あまり強く勧めなかったのが逆に好感が持てた?)、お蔭で観て回ることができた。そうじゃなかったらスルーしてただろうww 館内にはよく集められた資料が数多く展示されていた。特に芭蕉と弟子たちが合作した「俳画」が印象に残った。
「伊賀上野城模擬大天守」
この城は築城の名手とされる藤堂高虎が大改修したものだが、天守閣は完成間際に一度倒壊し、その後豊臣氏が滅亡したため、再建されなかったそうである。今のものは昭和期に作られた全くの別物である。眺めていると埼玉からきたおっちゃんが(姫路城に行く途中だったらしいが)さかんに「土建屋が造ったコンクリートの城はだめだ」と声を掛けて来たが、実際は模擬にもかかわらず木造だそうだ。
「高石垣」
天守より凄かったのが「高石垣」であった。30mの高さがあるらしいが、柵も何にもなく、端近に行くと足がすくむ。観光客が多かったらこんなやり方ではあかんのじゃないかと、余計な心配をしてしまうほどだ。
園内の若葉が目にしみる。
芭蕉翁の旅姿をあらわすといわれる「俳聖殿」。上が頭だそうだが、そう見える?
上野公園を後にして「芭蕉翁生家」を訪ねる。
「芭蕉翁生家」正面。
いわゆる町屋風に奥に細長い造りで「無名庵跡」の碑の横には芭蕉の木が。
続いて「蓑虫庵」を訪ねたが、途中時代劇で有名な「鍵屋の辻」を通ったので写真を一枚。
「蓑虫庵」この庵は芭蕉翁五庵の中で唯一現存するものらしいが、庵も庭も素晴らしく、縁側に座ってぼおーっとしていたい、と思わせられた。
「蓑虫庵」正門。
「古池や~」の句碑。蛙が浮き彫りになっているのがわかるかな。
この庵をつくったのは芭蕉の弟子の服部土芳で、『三冊子』もここで書いたらしい。このあたりをちょっと勉強してみようかな、と少しだけ思ったことだよ。
この日泊まった四日市は公害の町のイメージが払拭できないでいたが、今ではそんなこともなく、三重随一の30万都市として賑わっていた。駅前にたくさん店があったが、入ったのは海鮮を炭火で焼く「ゆるり屋」というお店。関西と違いやや味が濃い目だったがおいしく頂いた。突き出しに、ハタハタをを目の前の炭火コンロで焼くというのが出たことが、一番の驚きだった。
さあ、明日は御在所岳。「なんちゃって」に入れるかどうか迷い中。
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