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演劇『子午線の祀り』@兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール(西宮) [演劇]

演劇『子午線の祀り』
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演劇『子午線の祀り』は木下順二作の戯曲で、1978年に発表されたものである。2017年に野村萬斎による新演出で上演され、今回芸文でも公演することになったので観ることになった。木下順二についてはあの『夕鶴』を書いた劇作家ということぐらいしか知らなかった。一ノ谷の戦いで源氏に敗れた平家が壇ノ浦の戦いで壊滅するまでというストーリーはもちろん知っているが、それをなぜ取り上げたのか、どういう解釈を施したのか、ということに興味をそそられた。そして『子午線の祀り』という標題にはどんな意味が込められているのか…等々。実際に観たのはもう一ヶ月も前の3月14日だった。すぐに感想を書こうかとも思ったが、もう少し調べて考えをまとめてから、と自分に言い訳をしながら日が過ぎて行った。結局あまり考えもまとまらず、観たという記録のためにメモを残しておこうと思い至ったのであった(笑)。

当日ホールに入ると客席がほぼ満席であることに驚いた。喫煙室が閉鎖されているのは仕方がないと思ったが、それにしてもあまりに密ではないか。ライブハウスと違って黙して観るだけだからといって…、とライブハウスの置かれた状況を知る者にとってはちょっと承服しかねる感じもした。後で調べると「兵庫県の緊急事態宣言解除および3月8日以降のイベント開催制限緩和(収容率50%→100%)に伴い」一月末に再募集したとのことであった。演劇界もこの一年公演が出来ない時期も長かっただろうから、解禁→それっ!となるのも分からなくはないけれど、花見はいいだろうと殺到するのとあまり変わらない気もした。
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舞台はメビウスの帯のような起伏のあるスロープが設営されているというシンプルなもので、その舞台装置だけで屋島の戦いから壇ノ浦の戦いまでを3時間かけて演じるという大胆なもので、観る側の想像力に訴えるという大胆な方法のように思われた。今回の公演は2017年に狂言師の野村萬斎による新演出ということだが、どこか能舞台のような象徴的な世界と感じられるのはそこから来るものなのかなと思った。
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物語は、我々もよく知っている壇ノ浦の合戦をクライマックスに、平家、源氏それぞれの動きが描かれているのだが、それを平家方の新中納言平知盛と源氏方の源義経の置かれた状況と心情を中心に展開されていく。一の谷の合戦で嫡男知章を死なせてしまい屋島に逃れて再起をはかろうとする知盛であるが、平家の滅亡を予感しながらも源氏との決戦で死命を決しようと考えていく(キーパーソンの影身の内侍役の若村麻由美は美しかった)。一方の義経は兄頼朝との兄弟の絆に寄りかかりながら、政治的酷薄さをもって弟に対する頼朝との溝は深まるばかりで、戦功を挙げることでその溝を埋めようと無理な戦いに挑んでいく。
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壇ノ浦の戦いで雌雄を決したのは、他にも様々な要因があるだろうが、壇ノ浦周辺の潮の流れの変化だとも言われている。義経の読みが功を奏したともいえるが、運命を決めたのは人間たちの営みを司る天の星の持つ力なのかもしれない、というように物語は進んでいるように思われた。「子午線」といえば明石市を思い起こすが、それは明石市を東経135度子午線が通っているからで、子=北と午=南を結ぶ子午線はあらゆるところを通っている。北の空には北極星があり、東から上り西に沈む月の動きにより、一つの子午線上には潮の満ち引きが生じる。私たちの営みも個々の意思によって動いているように見えて実は星や太陽や月の司るこの天地の動きに委ねられているのかな、というようなことを考えさせられたのであった。
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なんかやっぱり訳が分からなくなってきたのでこの辺で止めるが、最後に劇中で平家物語の原文を「群読」という形で出演者全員が朗読している場面が心に残った。原文の力強さ美しさが強く伝わってきた。かつて教室で「平家」を教えた時に全員で朗読させてみたいと思いながらなかなかできなかったなあ、とほろ苦く思い出すのであったよ。

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